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2024年9月1日発行 No.675

「永遠の命」とは

                            金田 佐久子


はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。(ヨハネ6・47 新共同訳)

お前さんたちに
キッチリシッカリ言っておく。
これこそ間違いないことだと
心の底から信じる者は、
いつでも明るく活き活きと
生きる力を持っている。(ヨハネ6・47 ガリラヤのイェシュー)

 今年の4月の終わりから、主日礼拝ではヨハネによる福音書の説教を始めました。説教の準備では日本語訳聖書の翻訳を読み比べます。福音書だけの翻訳ですが、山浦玄嗣訳『ガリラヤのイェシュー 日本語訳新約聖書四福音書』(2011年刊行)は聖書の楽しさを知らせてくれる素敵な訳です。
 訳者の山浦先生は、大船渡在住の医師で、カトリック信徒です。10年前の2014年10月に西川口教会で礼拝の説教をしてくださり、午後は講演で東日本大震災(地震と津波)の体験と、何が問われているのか語ってくださいました。
 そのときの山浦先生のお話から聖書翻訳のことを紹介します。
“…ふるさとの仲間にふるさとの言葉で、イエスの心を伝えたいと子どものころから思っていました。我々が教会で与えられているのは新共同訳聖書です。でも、これを私の周りにいる気仙(岩手県気仙地方)の仲間たちにそのまま読んでも全然通じないのです。「これはちょっとうまくないな」と思い、私も及ばずながらギリシア語の聖書を一生懸命読んで、ギリシア語も勉強しました。そしていろいろなことが分かってきました。それで何とか訳したのがケセン(気仙)語訳聖書です。
 皆さんにとても喜んでもらいましたが、さらに日本中の方々にあまり抵抗なく楽しく読めるように、今度はケセン語をセケン(世間)語にして訳した聖書がこの本で、『ガリラヤのイェシュー 日本語訳新約聖書四福音書』といいます。「イェシュー」とはイエスの本名です。ヘブライ語では「イェホシュアー」〔日本語聖書では「ヨシュア」〕です。これはエルサレムの標準語で、東京弁みたいなものです。ガリラヤ地方は東北地方みたいなものです。イエスさまはうんと訛っていたのです。ガリラヤ地方ではイェシューと呼ばれていたそうです。…”
 新約聖書には「永遠の命」という表現が多く出て来ますが、43回のうちヨハネ福音書には17回出てきます。山浦先生は「永遠の命」では意味が分ったようで分からないので、「永遠の命」と訳された元のギリシア語「ゾーエー・アイオーニオス」はどういう意味なのかを探っていきます。「アイオーニオス」は「時に限定されない、いつでも」という意味であり、ゾーエーは「命」というよりは「生きること、生活すること」が第一義であり、それもただ「生きる」のではなくて、特に「活き活きと明るく力強く喜びに満ちてピチピチと生きる」ということ。ですから「いつでも、明るく活き活きと力強く喜びにあふれて生きること」という意味ではないか、と。一人の人としてのイエスが、ガリラヤの湖畔で、あるいは出会った一人ひとりに「ゾーエー・アイオーニオス」を「いつでも、明るく活き活きと力強く喜びにあふれて生きること」という意味で語られたのであり、極めて具体的な生活の言葉ではなかったかと示してくださり、うれしく読みました。

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