花田達朗教授による公共圏について
 2002年3月3日の建築あそび の記録   2−2
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パブリックという問題を考えたときにどうしても、そういうふうに二面性で捉えざるを得ない。


さてあと20分・・
            会場笑う

日本バージョン・・やっと日本バージョンなんですけども。


    佐藤 もっと永くてもいいですよ

じゃ日本ではパブリックっていう問題はどうだったのか。最初に言いましたように公共圏っていう言葉は、最近日本語圏に投入された言葉ですけれども、その言葉の意味に相当するようなものが・・言い替えればパブリックなるものですね・・それが日本の過去の歴史の中になかったんだろうか・・或いは今日の我々の、現代の日本社会にないんだろうか。その疑問については、ひょっとしたら我々はそれを見るための道具を持っていないから見えないのであって・それを見るための道具を、装置さえ持てば見えるんじゃないか・・パブリックなるものの存在が・・・。という疑問があるんですね。

           

現代の問題はいまはさておき、当面過去の歴史の中でパブリックなるものはなかったのかと・・。私は当然あった筈だと思うんですね。日本列島の人々の歴史の中に、我々の祖先達がパブリックなるものに無自覚だったとはとても思えないですね。ただ今日生きている我々がそのことを知らないだけではないのか。




そうすると歴史家の助けを必要とする。日本史の人達の助けを必要とする。日本史の学者のなかで大変面白い本を書いている人がいてですね。教育TVなんかにも出てるから・・私と違ってあの人はTVでてる。

       会場  笑い

             無縁・公界・楽

網野善彦っていう人ですね。この方はポピュラーな本も書いてるから名前は知ってるでしょう。網野善彦さん。この方は私がとても共感する日本史学者ですけれども・・彼が『無縁・公界・楽』という本を書いている。この本についてはですね、ごくごく簡単には・・「パブリックな生活」の最後にコラムを二つ並べていますけれど、45頁ですね、一つのコラムが「当事者公共圏」、もう一つのコラムが「公界(くがい)」なんですが・・そこの上から三分の一あたりにありますように、網野善彦氏の『無縁・公界・楽−日本中世の自由と平和』、平凡社からでてます。そこでこの本に言及しています。

これなんです。私はこの本を読んだときに、非常に感銘を受けました・・結論から言えば日本にも当然のことながらパブリックなる存在はあった。そのことに対して公界という言葉が与えられていたと。しかしながらその言葉は今日では死語ですね。これは死んでしまった日本語なんですね。われわれは知らないですね。

ところが過去にこの公界という日本語が生き生きとしていた時代があったんですね。最初に言いましたように言葉と概念はセットなんですコンセプトが社会のなかで死んでしまうと言葉も死んでしまうんですね。で死語に成ってしまうんですね。

じゃ、どういうふうな舞台で公界っていうものが生きていたのか。言葉が存在していた、ということはさっきも言いましたように概念が存在していた。ここに書いてあるように戦国時代、日本の中世という舞台。戦国時代に公界と呼ばれる場、あるいはそいういう人のあり方、行為の仕方があった。・・で、網野さんがその公界という概念と無縁という概念とという概念をセットにして、抽出して・・だからこれもハーバーマスと同じ手続きであって、理念型の抽出なんです・・歴史過程の中からの理念型、アイディアルタイプの抽出がされているんです。

           

まぁ・・無縁・・この本を今から説明していくとだいぶ長くなっちゃうから、どう端折ったらいいか、考えてるんですけど、無縁という言葉はですね・・せいぜい今残っているのは、東大本郷の近くに無縁坂っていう坂があるんですけどね・・なかなかいい名前ですねぇー。坂は無縁の場所なんですよ坂とか中州とか地形的にいうとね・・河原、そいういうところは日常空間じゃないんですね、人々の意識の中では。場合によれば、それは神の宿る場所でもある。特異な空間です

無縁・・それに対して有縁というのがある。有縁・無縁という考え方が中世にはあって、・・有縁というのは縁をキープすること。縁というのはいろいろあって例えば主従関係とか、あるいは賃貸関係とかですね、現実世界の掟がしかけてある縁っていうのがありますね。これ有縁の世界。夫婦・婚姻の関係もそうでしょう。

それに対して無縁は・・その逆。縁が無いっていうだけではなくて、もう一個積極的な意味があって・・縁を切るっていうことですね。そういう世俗的な有縁の世界から離脱してですね、縁を切る、そういう積極的な意味ももっている。無縁という概念はね・・。

そういう無縁という原理が生きている世界・場所。これが公界なんです。

例えば中世に公界寺って言うお寺がありますね。公界寺。今でいうドメステックハラスメントを受けた・・奥さんがですね、公界寺に逃げ込めば縁を切ることが出来た。あるいは借金に追われた男が公界寺に逃げ込めば借金棒引きにできるとか・・。そいういある種アジール亡命地として公界寺っていうのがあった。

あるいは他に・・お寺ばかりじゃなくて公界の場所。それはなにかっていうと公権力の力が及ばない場所なんですね。あるいは有縁の論理が働かない場所なんですね。

                楽

それから楽。楽っていうのを皆さんが一番聞くのは楽市楽座って言う概念・・往生楽土の楽だし・・楽だけ取り出すことがあってもいいかもしれませんけれども、私はこれはユートピアの概念・・というふうに考えているですけれども・・自由の王国が楽だと

自由と平和の王国が楽。だから網野さんが無縁・公界・楽っていうのを一つのセットとしして取り出して、日本中世の中にですね、自由・平和・・平等の思想が生き生きとあったんだと

よくあることなんですが・・学問の世界でも・・西欧は立派で日本の現実は貧しいっていうようなことで、西欧の理論がよくて、その枠組みで日本社会を見て、そこに足りないものがあるという指摘をするというようなこと。網野氏の場合・・全くそうじゃなくて・・日本の社会そのものの中に・・日本の歴史そのものの中にある種の豊かさや可能性を・・発見しようとしている、そういうスタンスの歴史家ですね

それで無縁・公界・楽・・・この公界っていうのはまさに公共圏。日本中世のパブリック・スフィアー・・それが現実にどういう形で存在していたかということなんですけれど・・ここで勧進っていうのが出てくるんですよ・・そのコラムの下の方に字が出てるでしょう
・・勧進聖人・・。


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