葉室頼昭


神道のこころ 春日大社宮司 

神に導かれて人生を歩む (形成外科医から宮司へ)

「僕は、なぜだか知らないけれど小学生の頃から、誰かが後ろで導いてくれていると感じていたんです。いつも母は口癖のように『神様のお導き、神様のお導き』という人でした。だから僕は、そのことに逆らわないで、今までずっと神さまのお導きに順応して人生を歩んできました」 

奈良県の春日大社宮司、葉室ョ昭さん(71歳)は、七年前までは日本で有数の形成外科医院の院長として多くの患者たちから神さまのように慕われていた。

公家の家に生まれ、学習院の初等科から中等、高等科に進学した葉室さんは、植物が好きで、東大の農学部を受験する予定で猛勉強をしていた。ところが大阪市で一番大きい大野外科病院の院長に嫁いだ姉が、友達や知人がまったくなく寂しいので「大阪に来て、医者になり、病院を手伝ってほしい」といってきた。

当時は新幹線はもちろん、特急さえない時代で、東京と大阪は非常に遠かった。葉室さんも生まれてから一度も大阪に行ったことはなかった。「これは神さまのお導きです」という母の勧めもあって、葉室さんは医師になる決心をした。

しかし、突然の進路変更だったので当然のことながら不合格となった。そこで一年間死に物狂いで勉強したあげく、入学した大阪大学医学部だったが、浪人時代の過酷な受験勉強がたたり肺結核になった。

ある日、大量の喀血をし担当の医師から死の宣告を受け、両親の待つ東京に帰ることになる。まだ寝台車というものがなく、席を四つとってそこに戸板を敷き、寝かされて東京まで帰った。「僕はそのとき、すべての我欲というものが消えていたんです。医者になりたいだとか、生きたいという思いもまったくありませんでした」

そのとき、ある人が退屈しのぎにと一冊の本を葉室さんに手渡した。この本が葉室さんに神秘体験をもたらすことなった。「そこには『人は生かされて生きている』ということがえんえんと書いてあったんです」死を目の前にして無我になっていた葉室さんは、その本を読んで感激のあまり泣いて泣いて涙が止まらなかった。そうして汽車の中でずっと泣き続け、東京駅に着いたときには立ち上がる体力もまったくないはずなのにホームに一人で立ち上がっていた。

その後十日間ほど、その本の中に紹介してあった本を全部購入し、無我夢中で読んだ。すると不思議なことに葉室さんの体力がみるみる回復し、奇跡のように重度の結核が消えうせてしまった。「そのとき僕は神を見たというか、神の存在を身をもって感じたんです」死ぬとばかり思っていたところを神さまに救われた葉室さんは医学部にもどり、何か人様のお役に立ちたいと思った。

当時日本にはまだ、体や顔の変形を治す医師がいなかった。その患者たちはわらをもすがる思いで阪大病院へ来ていたが、医師たちも診察するだけで手の施しようがなかった。力を落として帰る悲しげなその人々を見て、葉室さんは「形成外科医」の道を選ぶことを決心した。

「人の顔は、目、鼻、口の形など、まさに神の神秘の姿そのものです。人々は当たり前のように考えているかもしれませんが、とても人間の医学の力で形作ることは不可能です。いくら頑張って手術してみても不自然さが残ります。

人間の意志の力ではなく、神さまのお導きによって手術しなければ、自然の人間の姿に回復することは不可能だと考えました。私は手術をする前には、必ずまず祈りということから始めました。いつも神さまのお導きによる無我の手術ができるように念じて手術室に入りました」そして四十年後、還暦が過ぎたころ、ようやく無我の手術ができるようになったとき、なぜか葉室さんは神主になってしまった。

神職最高位の「明階」に

葉室家はもともと朝廷の宗教的なことを受け持つ藤原家の家柄だという。葉室さんは藤原氏の公家の代表として毎年春日大社のお祭りに、装束を着て参加していた。そのころたまたま神職の資格を取る通信教育の学校があることを聞き、神主の作法を学びたくて願書を取り寄せた。

努力家の葉室さんは、医師の仕事のかたわら院長室に神道の分厚い教科書を持ち込んだ。家でも必死で勉強し、異例のスピードで神職の最高位、明階(めいかい)の検定試験に受かってしまった。そのとたん神社庁から呼び出され、病院を止めて、大阪の枚岡神社の宮司になってほしいという話がきた。そして「これは神さまのお導きだ」といわれたという。

そして二年後の平成六年、春日大社の宮司に就任した。
「僕が神さまのお導きでこの春日社にきたのは、この日本という国を、よみがえらせる仕事をさせるためだという気がします」とにこやかに語った。

葉室さんの著書「神道のこころ」(春秋社)を読んで感激した人が日本中からたくさん春日大社を訪れている。その人たちに葉室宮司はいつもこんな風に語っている。「これからは、自分だけ良ければいいという利己主義の考えではもうだめです。僕の話を聞いて、いい話だと思ったら自分の独り占めににはしないで、ひとりでも多くの」人に伝えてください。協力して一緒に日本を良くしていきましょう」と。 


この人の話
「本当のこと」に目覚めて、日本国を良くしよう

戦後、日本人は歴史を否定したために、すべてのことを現在の知識だけで考え、自分中心に物事を判断するようになった。これが大変な間違いで、今のような乱れた日本の国になってしまったのです。

日本人は今、原点に返ってもっと世の中の本当のことを知らないといけない。商売の利益になるというだけで、休耕田をふやし、外国から食料を輸入して平気で食べているけれど、食物を消化吸収するというのは、胃や腸の細胞の中にある遺伝子の働きなんです。

遺伝子の中には百五十億年前から伝えられている神の知恵と地球上に生物誕生以来、祖先が代々伝えてきた経験の知恵が含まれています。だから祖先が昔から食べてきたものは消化できるけれど、日本人の遺伝子の記憶にない食べ物は体が消化しにくい。

消化しにくいからお腹の中に不消化物がたまり、そこから毒素が出て病人がいくらでも増えるんですよ。医療費に何兆円という莫大な金をつぎ込んでいるのは日本だけです。日本人なんだから、日本で取れたものを食べなさい。これが健康の元なんです。企業の利益なんてその後のことだ。まず、国民が元気になるということが原点でしょ。

外国のものばかり食べて育った子供たちは、体は大きくなっても体力がない。栄養学の問題じゃないんだ。日本人は日本の米を食べなきゃエネルギーににならないんです。子供たちに今、日本人の生命(いのち)が伝わっていない。生命が伝わらないものは死にます。

生命とは生きる知恵のことです。知恵は歴史からしか学べない。だけど今、教育者たちは知恵と知識を混同して、知識ばかりを詰め込んでいる。生命を伝えるということは、昔からの歴史を伝えるということだ。今の若い人は歴史を振り返るという心がなくなっている。

なんでも「俺は関係ない。俺は知らない」と口癖のようにいうでしょ。これは既に日本人の生命(生きる知恵)が消えている証拠です。昔はみんな年寄りから昔のことを教わった。それが生命を伝えるということです。

今の教育は日本の生命をなくしているんだ。歴史の教科書には日本の悪いことばかり書いてある。これじゃ子供たちは日本に誇りをもてない。この状況でもう五十年経ったんです。日本人は日本の正しい歴史と伝統を受け継ぎ、次の世代に伝えなくてはいけない。目先の知識だけに振り回されないで『本当のこと』に目覚めて、乱れてしまった日本をみんなで良くしていきましょう。

取材メモ
取材の前に一冊目の著書「神道のこころ」を一気に読んだ。そして始めて、神道は宗教ではなく日本人の生活習慣なのだということが納得できた。戦後、アメリカが神道を宗教と定義づけたために、宗教を嫌う人たちから誤解されたり反発されたりしたけれど、教祖も教義もないものが宗教であるわけがない。

葉室宮司は口をすっぱくして「古事記を読みなさい」と講演会で言われていたので、私たちは自分たちの本ができたとき真っ先に献本させて頂いた。そして、いろいろお叱りやら励ましの言葉をかけていただき、帰りに金一封まで頂戴した。いまは本を五冊も出してとてもお忙しくなられて簡単にお会いできないけれど、いつかまたきっと神さまのお導きがあればご縁を頂けると思っている。
宮崎みどり

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