中山康直


麻は地球を救う

太古、麻という植物は日本人の命と切っても切れない関係にあった。

「戦前に育った人なら、かみなり様が鳴ると蚊帳や桑畑の中に逃げ込みなさいと言われた経験が一度や二度はあるでしょう。麻は通電しにくいということを昔の人は体で知っていたんですよ」。中山康直さん=伊豆大島在住=は、一昨年春、静岡県で大麻栽培免許を取得し、麻による日本農業の活性化と地球環境の浄化に取り組もうとしている。

麻は桑科の雑草で病虫害にも強く、一年で高さ三〜五メートルに成長し、日本では赤ん坊が生まれると麻の葉模様の産着を、麻のようにまっすぐ丈夫に育ってほしいという願いを込めて着せる習慣があった。同じ意味で麻子や麻美、麻衣などの名まえもつけられた。

麻の歴史は新石器時代の初期まで遡ることができるという。縄文土器の縄目模様は麻縄でつけられた。横綱の綱は今も麻縄で編まれている。また、身近なところでは七味唐辛子の七つの味の一つに麻の実は欠かせない。

麻の繊維を採ったあとの茎(オガラ)を焚いてお盆にご先祖をお迎えする風習は今でも日本のあちこちに残っている。神社の神主がお払いをする道具(おおぬさ)も麻だ。



防げる森林破壊

「今、森林破壊が叫ばれていますが、麻の茎には木材の約4倍の繊維パルプか含まれているんです。おまけに木材が育つのに20年はかかりますが、麻は百日で育ちます。しかも、他の部分からは油や建材、繊維製品、紙、薬品、化粧品、プラスチックなど、多くの製品が生産され、麻の実は食料にもなる」と中山さんは語る。

確かに戦前までは麻は日本のどこでも栽培され大切な産業の一つであった。その麻が戦後、日本で大麻取締法適用の下で何の正当な理由もなしに禁止されてしまった。

「裸の王様」の著者J・ミラーはその著書の中でこう力説している。「大麻禁止法は、一言で言うと、石油産業の策略だった。1930年代に起こってきた石油化学産業にとって、石油と同等、またはそれ以上に高品質の様々な製品を生み出すことができる大麻産業は目の上のたんこぶだった。」

「当時の産業界では機械油のほとんどが大麻油だった。また、開発されたばかりのナイロンなどの化繊にとって、丈夫な布やロープなどが採れる麻は、石油産業のマーケットには邪魔者だったのである。そこで1937年、彼らはアメリカ本国で麻薬取締法の名のもとに大麻栽培を禁止してしまった。」

「1948年、それをそのまま占領下の日本に押し付けたんです。」と中山さんは語る。

その石油を主とする化学物質が環境破壊を引き起こしている現在、大麻こそが地球を救う唯一の植物だと彼は力説する。中山さんは今、日本各地で講演会を開き、大麻に対する誤解を解いて歩いている。

皆が正しい知識を持って、麻をバイオマス産業(土に返り、正循環する生物資源)として認めて、再び麻が解禁される日まで、中山さんのエネルギッシュな活動が続くことだろう。


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