北緯34度32分・太陽の道
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今回は北緯34度32分の線上、「太陽の道」の一番西の端にあるいわくら、舟木石神座を紹介します。
皆さんも知ってのとおり「太陽の道」というのは、春分と秋分の日に太陽が通るラインのことです。
この東西の直線上に古代遺跡や重要な神社がずらっと並んでいるという大変不思議なラインで、イギリスのストーンヘンジやレイラインとよく比較されたりしています。
距離は東の三重県伊勢市の神島から、西は淡路島のここ舟木石神座までの東西200キロメートルに及んでいます。
主なものを東から順番に書いていくと、神島、堀崎山、倶留尊(クルソ)、斎宮跡(三重県)。室生寺、長谷寺、三輪山、箸墓、二上山(奈良県)。日置荘、大鳥神社(大阪)。伊勢久留麻神社、舟木石神座(兵庫県淡路島)となります。
不思議なことに、奈良県の箸墓古墳を中心にして東の端がアマテラス大神を祀る伊勢となり海上の島、神島へと行き着きます。同じく箸墓古墳から、ほぼ同じ距離を西の端へと進むと淡路島にある伊勢の森という処に行き着くのです。ここには伊勢にゆかりのある伊勢久留麻神社があり、その西の峠を越えたところに舟木石神座が鎮座しています。
もし何か意味があって箸墓を中心に左右対称にしているのなら、この舟木石神座が神島と同じ意味のある重要な場所ではないかとぼくは推測しています。
神島には太陽の復活再生を願うゲーター祭という奇祭が残っています。ということは、舟木石神座も何か太陽にかかわるお祭りが残っているのではないでしょうか。(写真は舟木石神座)
前置きはこのぐらいにして、淡路島へまず行ってみましょう。 |
いざなぎ神宮
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フェリーで淡路島に渡り、いざなぎ神宮に着いたのが午前2時。車を駐車場に止め薄暗い中を社殿まで歩き、磐座探検隊4人で真っ暗な中を参拝した。さすがに人は誰もいない。うろうろしていると怪しまれるし疲れていたのですぐに寝袋を取り出し寝ることにした。
寝袋から見上げた空は、木の間からちらちらと月が見えてとても幻想的だった。しばらくじっと見ていたかったが、蚊がずいぶんと寄ってきたのであわててすっぽりと顔をおおった。しかしなかなか寝つけない。寝たような寝ていないような感じの中、鳥の鳴き声がさかんに聞こえ始め目覚めた。午前五時前。
隣で「キャッ」という声。見ると隊員が寝ている足元に野良犬がいて、寝袋の上からツンツンと足をつついていた。
野良犬のおかげで全員が起きだし境内を散策。大きく伸びをし朝のすんだ空気を思いっきり吸う。境内はたいへん広く、樹木もいきいきと生い茂って気持ちがいい。その樹木を背後に神錆びた社殿が建っている。
いざなぎ神宮の御祭神は日本の国を造られたイザナギとイザナミ。
社殿を後にして、NHKのテレビ番組で見た、34度32分(太陽の道)の磐座を目指した。
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舟木石神座の磐座群
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しかし淡路島と一口に言っても結構広いし、場所がわからない。頼りは「いしかみ」という地名と、昔に見た「太陽の道」というNHKの番組の映像だけ。地図を広げてこの近くに石神という地名がないか四人で探した。津名町のフェリー乗り場方面に一つ見つけたのでさっそく車で移動した。
石神という地名や大歳という神さまの地名などがあったので、いよいよテレビで見た石神神社かと思って期待しながら探したが、そこには神社らしきものがなかった。周辺をぐるぐると車で回っていたところ、公園のなかに小さな祠を見つけた。
その祠の周囲を隊員四人で手分けして探してみたが磐座らしきものはまったく見当たらない。近くで大工仕事をしていたお兄さんに聞いてみると、テレビに出た石神というのは岩屋のほうではないかと親切に教えてくれた。淡路島の一番北側だ。
ようやく津名郡岩屋の港に着いて、交番で聞いた。すると石神はここではないと言う。どうやら北淡町の山の中らしい。またまた引き返す。
淡路島のあちこちをぐるぐる探し回って、舗装されていない道を迷いながら登って、ようやく目指す「太陽の道」の岩くらを探し当てたときは四人で歓声を上げた。実際は東浦町の久留麻神社から、島を北淡町へと横断する峠の途中にあったのだ。
こうして舟木石神座に到着したときには雨が強く降り始めた。
鳥居をくぐるとすぐに巨石が目に入った。大きさは2メートルから3メートルの立方体。サイコロのような感じの巨石が狭い境内にごろごろとしているのだ。
この写真は、このページの一番上の祠の写真の後ろから写したもので、このような大小の巨石が扇形状にいくつも並んでいた。 |
日の神の信仰
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この写真は典型的な陰石(女陰)の岩くらの石組だ。明らかに人為的に配置されているのが解る。
このような陰石の組み方は珍しくはないが、この石神神社のようにきれいな形で今も祀られている所は数少なく貴重なものだ。
鳥居の横の舟木石神座の案内板には、ここには古くから「日の神さま」を祀る信仰があったと書かれている。やはり神島と同じような日の神信仰が淡路島のこの地にも伝わっていたのだ。
案内板には太陽神を信仰する地には、「日を迎える座」と「日を追う座」の二つがあって、「日を迎える座」は朝日に向かって祭事を行い、「日を追う座」は夕日に向かって祭事を行っていたとあった。「日を迎える座」は男性が、「日を追う座」は女性が祭事を司っていたらしい。
舟木石神座は「日を迎える座」なので今でも男性が祭事を行っているらしい。したがってこの地は女人禁制となっていた。 |
矢が刺してある磐座
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ぼくはこれまで何箇所かのいわくらを探検して歩いたが、舟木石神座は、その中でもたいへん貴重な場所だと感じた。
境内はそんなに大きくはないけれど、女陰型に組んであるのや、三角形をした岩のまわりにたくさんの矢を突き刺した珍しい岩くらの形を見ることが出来るし、今も村の人々に素朴な形できちんと祀られているようだ。
磐座には、湧き水や井戸など水に関するものが多々あるので周辺を探索したが見当たらない。一箇所池のようにくぼんだところがあったけれど、どうか解らない。
この日は夕方遅くなったので、誰にも出会わなかったから、この石神のお祭りのことを詳しく聞けなかったのが残念だ。時間があればこの太陽の道のライン上にある淡路島の舟木石神座のお祭りと伊勢の神島のゲーター祭のことをもっと調べてみたいと思っています。
磐座ファンのみなさん、淡路島に立ち寄られたらぜひここを外さないように。 |
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