くしいわまどの磐座
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実家がある丹波篠山に帰ってきた。ずっと前から気になって気になって仕方がなかった櫛岩窓神社(くしいわまど)にようやく行くことが出来た。篠山城がある市内から車で15分で到着。下の写真が篠山市福井にある櫛岩窓神社だ。本殿は高床式になっている。
お正月だというのに、それらしい飾り付けもなく宮司さんもいなかった。平安時代には天皇の勅使がじきじき参拝した丹波唯一の名神大社と記録にあるので、その当時は都のように大変に賑わっていたはずだ。それが今では、しめ縄が新しくなっているかな? と疑うほどにさびれてしまっていた。ひとっ子ひとりいない。
背後にあるのがご神体である神奈備山で、高さが30メートル程のこんもりとした小山だ。平地にぽつんとあるので、平らなところに人工的に土盛りをしたのではなどとふと思った。
今は杉林に囲まれてしまって下からでは見えないが、頂上に三つの巨岩を組み合わせた磐座(いわくら)があり、その周辺には無数の岩が散在していた。 |
ご神霊
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櫛岩窓神社の御祭神は皇城の四方八方の御門を守護する神さまで、櫛岩窓命(写真左)・豊岩窓命(写真中)・大宮姫命(写真右)のご三体である。
平安京の頃の篠山は、ちょうど都からみて西の位置にあたる。西から災いなどが入ってこないように守る神様として、古代から朝廷の崇敬が厚い。877年には陽成天皇の勅使が参拝しているところをみると、すごい神社だったんだ!
「古事記」には、天孫降臨の時にニニギの命に従った神さまとして登場する。また天照大神の神殿の門を守っていたのが櫛岩窓・豊岩窓の二人の神さまで、女官として使えていたのが大宮姫だ。
右の御神体の木造は、平安中期の作品で国指定の重要文化財となっている。ただし神社は無住なのでどこか他に保管してあるらしい。
なお偶像崇拝などなかった神代の頃は、山そのものと頂上の岩座がご神体だった。もちろん社殿もなかった。 |
磐座
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磐座(いわくら)などのある山は、迷いそうになるほどの深い山中にある場所が多いが、ここは小さな乳房ほどのこんもりした山なので、5分ほどでらくらくと登れた。
登り始めてすぐに山頂に巨石があるのが見えたので、うれしくなってドキドキした。ある人いわく「あんたら岩、見に行って何が楽しいねん」というのを思い出した。
登山道などはないのでどこでも好きなところから登れる。今は杉林になっているが、昔の宮山の写真を見ると麓からでも磐座(いわくら)がはっきり見えている。いったい誰が植林なんかしたのだろうか。
頂上には巨岩がごろごろしていた。が案内板にあったような3つの巨石が見あたらない。 |
女陰石か?
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狭い山頂をぐるりとまわりこむと、西日が差し込む位置に高さ六メートルほどの巨岩が三個、陰石(女陰)の形に組まれているのを発見した。ちょうど夕方だったので写真のように太陽の光を受けて輝いていた。
きっと神代には冬至の頃、この女陰型の岩くらのど真ん中に真っ直ぐに夕日が差し込み、太陽の復活再生を祈って大切な神祀りが行われていたに違いない。
その神代の儀式がいつの頃からかすっかり忘れられてしまい、何も知らない人々は反対側に社殿を建ててしまったのだろう。第一、山一面に杉を植林してしまって、麓からご神体の岩くらを拝めないのも嘆かわしいことだ。
平地からこんな近くにはっきりとした磐座(いわくら)を拝める神社はいままで探訪した中でも珍しい。ぼくの大切な故郷の磐座(いわくら)なので、機会があれば関係者の人に昔のように保存してほしいとお願いしたいと思った。 |
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