和歌と俳句

齋藤茂吉

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

あらがねの 香のする水に 面あらふ 支那千山の ひとつあかつき

山水が ここに流るれば もろもろの 落葉の中に 下がくれけり

中腹の 小堂に木魚の 音せれど 千万の人 聞くこともなし

冬山の 寺の木ぬれに なつめの実 はつかに残り 鳥のまにまに

桑門にして 唐辛子 日向に干し 白菜積みぬ 現身利益のため

あやしかる もののごとくに 谷々に あまねく朝の 日は差しにけり

梨の実は 木より堕ちつつ 終はるあり 僧来りあまた 貯ふるあり

狼の こゑがきこゆと いふまでに 山の夜ふけは あらくしづみぬ

千山の 谿をくだりて 来し路は 中腹にして 湧く泉あり

松の太樹 路上にありて 下かげに 日本のごとき おもひをしたり

いま一つ 泉がありて 鉄分を 含めるといふを 共に掬びつ

すでに平地となれるところに いつしかに 水激つ音 聞くは楽しも

婦ひとり 畑を耕す 没法子の如しといへば あはれに聞こゆ

白楊の木の 並木となりて 村落の あるところをも なほし歩むも

おもほえぬ 空の彼方と なりにけり かたむきて見ゆ するどき山は

沈鬱に なりて紅山の そびゆるを 吾一夜寐し 山とおもへや

太子河に かからむとして 東方に 露軍堡のあと いまだ見るべく

城内に 較ぶるときは 何ゆゑに このしづけさと 問はむとぞする

乞丐の 面前の文字 可憐我的瞎子、善心的老爺太太

北へむかふ 汽車よりおりて 遼陽の白塔のもとに 二人は立ちぬ

遼陽の 朝のめざめ 鵲が すぐ眼のまへの 土にも下りたつ

遼陽戦の 大規模なりし ことおもひ 吾等かたみに 眼瞼熱し

城内を 吾等は帰る ごみごみと 争ひに似つる こゑを後へに

口食の 官能をもて 朝さむる 民のつどひも おろそかならず