出来なかった。
王子様より優先順位の高い男が先に腕を伸ばす。双子の服の襟首を掴む。双子はさっと手を離し大人しく吊られた。父親という存在の意味は分からなくても、それが怖くて強くて逆らってはならない脅威ということは分かっている。
「おい、ザン……ッ!」
動物どころか荷物を扱うような無造作に手つきを銀色が咎める。けれど抗議の言葉を告げる前に、双子を懐に放られて。
「っ、と」
ばふんと顔から胸元へ突っ込む二人を咄嗟に受け止めた。両手が塞がった銀色の、ぐちゃぐちゃになった髪へ男が手を伸ばし指先でざっと梳いてやる。銀髪の間から現れた表情は驚愕。ワケが分からない、という顔つき。
「……」
視線で男がボンゴレ九代目を示す。ああ、と、気づいた銀色はとにかく双子を来客の前へ運ぶ。優しい祖父に覗き込まれて子供たちはにっこりとしたが、銀色の腕の中から離れようとしない。
「昨日はPadre(おとうさん)と一緒で楽しかったようだね。だが、Madre(お母さん)が心配している。Nonno(おじいさん)と一緒に帰ろう」
優しい声で告げられる。それはその場の全員への通達でもあった。これからボンゴレ本邸へ戻るよ、という九代目の言葉を受けてヴァリアーと日本支部の面々、そしてキャバッローネの一行が動き出す。
そして。
「いやぁ、いっしょー」
「しゅくと、いっしょー」
子供たちは同じ言葉を繰り返す。それしか喋れないオウムのように、周囲に訴える。オレぁ仕事があるんだよと銀色が喚いても、ほーらこっちににおいでとティアラの王子様が誘っても子供たちは頑固で、縋り付いた胸から剥がれようとしない。
「しょーがないなぁ。センパイ、一緒に来れば?」
困った王子様がそんなことを言い出す。銀色の顔色が変わる。真っ青になった。困惑を通り越した恐怖で。
「……」
「……」
「……」
王子様の言葉が聞こえた全員が静止する。その中にはボンゴレ最強部隊であるヴァリアーのボスも含まれていた。
「スキンシップが足りたらソルもルナも落ち着くんじゃね?車の中で抱っこしててやれば。本邸に着く頃には眠るかもしんないし。したらセンパイ、ヴァリアーに戻ればいいじゃねーの?」
本邸までボスのお供を勤めろという意味ではない、と、王子様は言葉を補う。ボスの『奥さん』に会わないで、車からも降りないで引き返せばいいよ、と。
「あー……」
それならいいかと思いつつ、銀色はチラリと男の顔色を伺う。好きにしろ、という風に男はかすかに頷く。
「オレの車に乗れよ、スクアーロ」
話が決まった様子を察してそう声を掛けたのは跳ね馬のディーノ。えーっと不満の声を上げたのは王子様。
「なんでぇー。ウチのに乗りゃいーじゃん。王子も途中でソルとルナのぼっぺ、プニプニしたいしぃー」
「そっちには乗り切れないだろう」
「んじゃ、オレのに、どーぞ?」
笑って車のドアを開いたのは山本。ボンゴレ一行とは別に先発してヴァリアーに来ていたから定数外の自分の車に乗ってきている。後部座席のドアを開けて銀色の鮫を誘う。剣の師匠であり、それ以上の関わりもあった相手に、山本はいつも笑みを向ける。
「……」
顔名火傷のあとのある男の表情が険しくなる。
「乗り心地サイアクだぜ、その車。気分悪くなるからやめとけよ。特に子供には辛いんじゃねぇか?」
そこへ口を挟んだのは獄寺。えーそんなコトねぇよ、と山本が反駁する。しかし。
「うん。オレもお勧めしないな。酔っちゃうよ山本の車は。こっちに乗ればいい。ヒバリさんとこっちの後ろに乗ればいい」
オレは助手席に座るから、と、恐れ多くもボンゴレの未来の十代目が言う。こちらの車の運転手は獄寺。
「……」
沢田綱吉からの思いがけない申し出に、子供二人を腕に抱いたまま銀色が戸惑う。その背中を思わぬ力で、男の掌が押した。
「うおっ?!」
山本の車の後部座席に押し込まれる。ナニゴトかと振り向いたらそこに男はおらず、さっさと助手席へ乗り込んでいた。相変わらず、九代目と同じ車に乗りたがらないだった。
「えへへー」
山本武が嬉しそうに笑う。駆動系とタイヤにチェーンナップを施したスポーツカーの乗り心地は確かに悪くてエンジン音も大きく、サスペンションも固くてシートのすわり心地も悪い。一応恋人である獄寺も友人である沢田綱吉も乗ってくれない。そんな愛車に自分から乗り込んでくれるのが、実は相当に嬉しい。
「子供たち大丈夫なのな?」
運転席に乗り込み、ドライビング用の靴に履き替えてゆびぬきの皮手袋を嵌めながら山本がそれでも少し、心配そうに尋ねた。その肝心の子供たちは、
「しゅくといっしょー」
「しゅくと、いっしょー」
それが嬉しいらしくて上機嫌。大人たちの話を聞いて、もう暫くはこうしていられると、ちゃんと理解している。
「スクアーロ、後ろ、狭いだろ。大丈夫か?」
「……おぅ」
RX7の後部シートはたいへん狭い。けれども細身の鮫が一人で座るにはそれほど不自由はなかった。子供たちはべったり銀色の鮫にへばりついているのでほとんど場所をとらない。
「そーやってると、スクアーロの子供みたいなのなー」
出発の順番を待ちながら山本は笑顔でそう言った。ギクリと、銀色の表情がこわばる。けれど子供たちは山本の言葉に反応して、キャーツと嬌声をあげる。
「しゅくのこどもー」
「こどもー」
「……ちがうぞぉー」
「そなの?」
爆弾発言をしらっとした顔でする、喰えない若い狼は隣のザンザスに尋ねる。バカかてめぇは、と言いたそうな、はっきりと侮蔑の表情を浮かべたザンザスの頬も。
「昔の日本じゃ、偉いオトコの子供はさ、誰が産んでも正妻に引き取られてその子供ってことになったんだぜ?」
山本のその言葉に強張る。
「日本ではヨーロッパと違って庶子でも家を継げたけど、代わりにそういう手続きが必要だったんだ。産んだ妾はお部屋様とか言われてその後の生活の保障とかされたけど、子供は正妻の子にになった。ならない子も居たけど、家を継ぐ子は、ならなきゃ継げなかった」
「……ニッポンの昔話なんざ知るかぁー」
後部座席からの銀色の言葉は。
「しゅくのこどもー」
「しゅくのこどもー」
双子二人の同音異口に勢いで負けてしまう。
「ふざけたこと、ぬかすんじゃあ、ねぇぞぉー」
「ごめん。そう見えたってだけでさ。出すぜ」
「しゅくのこどもー」
「しゅくのこどもー」
「お前ら、ヘンな言葉覚えんな!ジジィにケツ叩かれるぞぉっ!」
「しゅくのこどもー」
「しゅくのこどもー」
「ああもう、テメェのせぇだぞ、ヤマモトぉ」
「あはは、ごめーん」
少しも悪いと思っていない様子で山本は笑う。ヴァリアーの本拠地のある砦から山道を下りながら。
「ナンかどっか、寄りたいトコとあったら迷子になるぜ。あんたら、もしかしてアサメシ喰ってないんじゃね?」
「……」
「……」
図星をされた二人は黙り込む。食事の用意はされていたがセックスにもつれ込んでしまい、腹の中はからっぽ。
「市場に寄るな。ナンか買ってくる」
市街地に出た後で、信号にわざと自分だけ引っかかって、山本はハンドルを路地に切った。一度だけ連れて行ってもらったことのある朝市の場所を正確に覚えていた山本は路駐の車がたまっている見通しのいい広い通りに、見事な縦列駐車の腕を見せて車を止める。待っててと言い残して車を出る。ドアが閉まって、車の中に、オトナ二人と幼児が残される。
「気分は?」
先に口を開いたのは意外なことに、こわもての男。
「あー、大丈夫みてぇだぜぇ」
銀色が答えたのは子供たちのこと。キャッキャと喜んでいた二人は車が市街地に入った頃から銀色の腕の中でうとうとしだしている。気分が悪い様子には見えない。
「てめぇは?」
「誰にナニ聞いてんだぁ?」
そんなにヤワじゃねぇよと笑う、美貌に男はバックミラーごしに見惚れる。そこへ山本が戻ってくる。買ってきたのはドルネケパブ、ラムの串焼き肉を野菜とともにパンズにはさんだトルコ風サンドイッチ。飲み物は瓶入りのワインクーラー。
を。
「ムリそー、なのなー」
ザンザスに続いて銀色に渡そうとした山本は、師匠の両手が塞がっていることに気づく。車を止めて食べさせてやろうかと、紙の包みを山本が剥こうとした、瞬間。
「……」
その頭を押しのけるように、ザンザスが助手席から後ろに向けて、体を乗り出した。
「……ぁ?」
銀色が奇妙な声を上げる。口元に差し出されたバンズを、どうしろと言うのか。
「喰え」
言われて、従順に従う。あむっと、男が手ずから与えてくれる餌に齧りつく。
「車、出すぜ」
手に持っていたもう一つをダッシュボードの上に置いて山本はエンジンを掛けた。