山本武は、連れて行かれた郊外の店の前で、ちょっと意外、という顔をした。
「ムリなら別の店に行くぞぉ?」
敏感にそれに気づいた銀色が声を掛ける。いいや平気と山本は答えて歩き出す。まったく問題ない。ちょっと驚いただけ。
銀色の鮫に食事に連れてきてもらうのは初めてではない。イタリアに来る都度、ヴァリアーへ足を運んでは表敬訪問を繰り返していたから、なんどか街で食事をしたことがあった。いつも、ホテルか大通りのレストランで、個室で、見事な景色や庭を眺めながら、だった。
その経験上、今回も豪華な会食を予想していた。けれど今、目の前にあるのは郊外のバイパスから少し入った路地の建物。粗末とまではいかないが、並森で通っていたお好み焼き屋に似た質素な造りの、天井の低い『店』は、この二人には似合わない気がしただけ。自分は大丈夫だ。
中へ入ると照明は暗く、ガレージのような壁と天井に囲まれた空間の中、学食のように素っ気無い椅子とテーブルが何組か配置されている。ますます故郷のお好み焼き屋に似ていて、山本は少し、懐かしくなってしまった。
「Buona sera。フルコース、三人前頼む」
給仕のボーイは居なかった。一行は勝手に踏み込み、壁際のテーブルに座った。料理人の妻とおぼしき初老の婦人が近づいて卓上の蝋燭たてに火をつけてくれる。オレンジ色の光に浮かんだ婦人の微笑と、質素だけれど清潔なテーブルクロスは意外なほど感じが良かった。
笑みと焔を残して奥へ行った婦人は帰ってきて、厨房の料理人と話し合ったらしいメニューを報告する。前菜は盛り合わせ、サラダとスープは用意できない。パンはくるみ入りのライ麦パン、メインはオマールと羊肉、それでいいかという確認。Siとヴァリアーの二人は答えて、夫人はほんの少しの微笑とともに奥へ戻った。
そうしてゆっくり、またやって来る。手にはトレーを持って、トレーに置かれたプレートには前菜が何種類か盛り付けられている。野菜をトマトで煮込んだカポナータ、平べったいフォッカチオにサラミを載せたブルスケッタ、カリフラワーとトマトの賽の目とモツァレラチーズを混ぜてバジルソースを掛けたカプレーゼ。
「坊やにワインをお願いするわ、マダム」
上品な手つきできずはゲストである山本の皿に前菜を取り分けてやりながらオカマの格闘家がそう言う。
「いいよ。一応、まだ仕事中だし」
けっこう酒好きの雨の守護者は健気なことを言った。でも。
「ばぁーか。てめーはゲストだ。オレらの寝首掻く気がねぇ証拠に、飲んどけぇ」
師匠筋の銀色のそう言われ、ああ、そーゆーコトならと瓶で運ばれてきたワインをニコニコ、若者はグラスに受ける。とろりとした赤は銀色の鮫の好みで、つられて若者も好きになった。
ワインを口に含んで、トマト味の野菜煮込み・カポナータを口に入れた、瞬間。
「……んが?」
奇妙な声を若者は発する。ぷ、っと、銀色とオカマが同時に笑い出す。銀色はゲラゲラとけっこう大きな声で。
「美味いだろぉ?」
目を細め、自慢するように告げつつ自分も前菜に口をつける。うふふ、と、オカマも微笑みながらフォークを手に取った。
「美味しいのよねぇ。凝った料理じゃないけど」
「んが、ん、んっ」
「はははは」
夢中で食べる若者を年長の二人は微笑ましく眺めていた。
蜂蜜がけのクレープのデザートを追加して、ルッスーリアの運転で一行がアジトに帰り着いたのは夜の九時近く。山本は少し飲みすぎて酔い、後部座席で、すかすか寝入っていた。
「おい、起きろ。抱いて部屋には運んでやらねーぞ」
頬を叩かれて目覚めた山本が、ごめん寝てたと呟いた、声は。
「えーっ!いやぁ、ナニソレぇ!ヤメテぇ、そんなの聞いてないわよぉーっ!」
今夜の警備責任者から留守の間の報告を受けていたオカマの、けたたましい叫びにかき消されてしまう。びっくり、という表情で山本はそっちを向き。
「うっせぇぞぉ、ルッス」
振り向きもせずに山本の為に、ホスト側として一応、車のドアを開けて支えていた銀色が怒鳴り返す。ルッスーリアは懐から携帯を取り出して。
「ベルちゃん?あたしよ。ねぇナニゴトなの、跳ね馬が来てるって、どうして?こんなの酷いわ、アタシにどーしろっていうの?カツオブシとマタタビを猫と一緒に預かるなんてごめんよッ!」
必死で訴える声に、銀色がおや、という様子で。
「ヘタレがどーしたってぇ?」
「あ、ディーノさん、やっぱ我慢できなかったんだ」
「んだぁ?ナンか知ってんのかてめぇ?」
「知ってるってゆーか、オレが出てくる時から揉めてたんだ。オレよく分かんないんだけど、跡取りとかの話になると、結婚とかも、絡んで来るもんだろ?」
「ああ……、なるほどな」
それだけの言葉で銀色は事情を察した。次代のボンゴレのボスは年若い日本人。当然、その後見役が必要になる。澤田綱吉はそれをザンザスに頼みたかっているが、門外顧問である父親の家光には別の思惑もあるだろう。
本当は実父である自分自身が後見を務めて実権を握りたい筈。しかし露骨すぎて反発を食うことが予想される。次善の策としてリング戦で功績のあった同盟ファミリーのボス、自分とも親しいディーノをそう、しようとするのは、予想される事態。
若いディーノを自分の身代わりとして推薦するついでに、自分の息のかかった娘をその妻にして影響力を確実にしておこうと思ったのだろう。ドン・キャバッローネがボンゴレで結婚を勧められたという事実から、銀色の鮫はそれだけのことを推理した。伊達に長年、ボンゴレ御曹司の側近を務めている訳ではない。
「イヤ、ゼッタイにいやぁー!い……、」
ルッスーリアのかなり必死な抗議は唐突に途切れて。
「あ、ボス。……、はい」
代わりに携帯が銀色の鮫に差し出される。
「よーぉ、オレだぁー。ちゃんとイイコにしてっかぁ?ボスさんよぉー」
威勢のいい口調で銀色が喋る。向こうの声は聞こえなかったが、跳ね馬を泊めてやれ、と、たぶん言ったのだろう。
「らしくねぇご親切じゃねーかぁ。同病哀れむかぁー?」
銀色は笑いながら、それでも了解の返事をした。電話の向こうでヴァリアーのボスはまだ何かを言っている。聞いている銀色の表情が、だんだん和んで、目元がやわらかくなる。
「……ばぁか」
ののしり文句はとろけるほど甘い。愛している、と、二重響きになって、聞こえた。
腹が減っているんだと、客間で幹部二人の帰宅を待っていたドン・キャバッローネに言われて。
「メシも食わせてもらえなくなったのかよ。落ちぶれたなぁ」
銀色が笑う。どーも、と、山本がディーノに挨拶する。青白くやつれた跳ね馬の顔色と、満腹で酒も入って艶やかな山本の頬が対照的だった。
「すぐに用意するわ。ちょっと待っていてね」
ハンサムな客に食事を乞われてルッスーリアが張り切る。一行は幹部用の簡易食堂に移動した。食堂は対面式のキッチンと続いていて、ルッスーリアが手さばき良く、冷蔵庫かり取り出したベーコンを炒めはじめる。
「で、どんな様子だ?」
メシを食わせる前に事情を話させようと、ワインクーラーから取り出したシャンパンを注いでやりながら銀色が尋ねる。シャンパンは王子様の秘蔵の品。帰ってきたら、ひと悶着だろう。