男の腕がゆっくり動く。顎骨に手を掛けられる。嫌だとオンナはベルトの金具を噛みながらかぶりを振って伝えた。そんなことで躊躇するような相手できなくて、ごりっという骨の軋む音とともに、唇の脇に指を突っ込まれて顎骨を外される。唾液が糸を引いた。それが途切れる頃、部屋の中には悲鳴が満ちて、オンナが、今度は、義手と生身の両手を重ねて、男の腹に当て首を左右に振る。

「オレぁや、くに、立たねぇよ、もぉ……ッ」

 オンナの『病気』は治っていない。診断を受けたきり治療は拒んだまま。

「かん、べんして、くれ……。ザン……、ボス……ッ」

 床に膝をついて殆ど縋りついて、自分の寛恕を乞うオンナを男は見下ろした。長い睫の先端まで銀色なのを改めて確認する。腹の上で重ねられた手を手繰って腕をとり、ベッドまで引き摺っていこうとする。オンナはまた悲鳴をあげしゃがみ込んで拒む。

「いやだ、イヤ、だぁ……」

 見栄もなく年甲斐もなく泣きじゃくって頭をぶんぶん横に振る。ソファにしがみついてベッドへ連れて行かれるまいと抵抗する。まるで屠所にひかれる家畜。全身全霊で運命を拒もうとしている。

「い、や、だって、言……、が、ッ」

 男の態度が力ずくから腕ずくに変わる。横面を殴られる。不安定な姿勢でそうされて二枚目の身体は絹の絨毯の上に転がった。うつ伏せに呻くオンナを男はつま先でひっくり返した。銀髪が絨毯の上をすべる。長い手足がしなやかに動くのを見て男は面倒くさくなった。抱くのがではなく、ベッドまで行くのが。

「ザンザス、ザンザス、ザン……、なぁ……ッ」

 うるさい唇はまだ拒む言葉を紡いでいたが男は気にしなかった。ベルトを引き抜く。脱げ、とオンナに言った。オンナはかぶりを振る。拒まれて頭にきて、もう一度、殴った。

「焼き殺されてぇか」

「……、して」

「あぁ?」

「そうして、くれぇ」

「てめぇなぁ、」

「お前が冗談を言わないのは知ってる」

 切れた唇から血が滴るのをぐいっと拭ってオンナは男を見上げる。この世で一番偉そうな威張り腐った態度を、愛しいと思う気持ちは少しも減っていない。でも。

「でも俺だって本気だ。俺を焼き殺せ。ボン、って」

「絨毯が汚れる」

「ヤって気に入らねぇとお前はいつも、チッて舌打ちする」

「血脂の煤はおちねぇ」

「アレをもう、聞きたくねぇんだぁ。聞かせるぐらいなら殺せぇ」

「しねぇから、来い」

「嘘だぁ、ザンザスぅ、イヤ、だぁ、ッ」

「うるせぇ」

 掴んで引き上げ立ち上がらせようとした腕を振り払われ偉そうな男はムッとした。片足を引いて爪先で床に這い蹲ろうとする腹を蹴り上げる。いい感触が靴越しに伝わってきた。ぞくっとして、素足で踏みにじりたくなる。

 容赦なく腹を蹴られて咳き込む身体に跨り黒い上着の襟に手をかける。オンナの右手が男の手を阻んだ。左手は自分のスラックスの前を押さえ脱がされまいとする。男はこれ異常ないほど不機嫌に眉を寄せた。十五年を超える情事の中でも男が脱がせてやったことは殆どない。それをして『やろう』としているのに拒否されこめかみに血管が浮いた。

「ヤったって、お前満足しねぇよぉ」

 さすがにその怒りを恐れてオンナは俯き顔を上げない。けれど唇は動いてきちんと、言葉で自分の気持ちを伝えてくる。

「マジィの食ったら、気分悪くなるだろぉ、お前はぁ」

 その傾向はある。我侭で身勝手で好みのうるさい御曹司は、オンナにも酒にも食べ物にもうるさい。気に入らないものを断れない相手、主に養父から勧められ目を瞑って丸呑みした後は暫く動かない。気分が悪いというよりも機嫌が悪くなる。

「やめよぉぜぇ、なぁ、ザンザス。すぐいい女、連れて来てやるからよぉ、なぁ」

 オンナが言う台詞を、男は聞かないことにした。腕を払って服を脱がせる。きっちりしたボタンは外しにくい。オンナの薄い服と違って極上のレザーは防刃加工された裏地つきで引っ張っても破けないから手足を丁寧に布から抜くしかない。オンナの手足が細くて長いから服は本当に脱がせにくい。手足を引っこ抜ければどれほど面倒がないだろう。いっそ関節を折って片付けようかと男は考えたがなんとか我慢した。

「ザン、ザス、ぅ……」

 皮を剥かれた白い生身を抱きしめる。手間のかかることだと男は思った。剥いただけではない。探さなければならない。何処だ。

「ごめ……、なぁ、ユルシ……」

 関係のごく最初の頃、何度かはレイプまがいだった。十六だった男はそんな歳で相当に経験を積んで達者で、十四の青臭さがそれに負け観念するまでの何度かは力ずくだった。その時よりもオンナの声は悲しそうで、頭を抱きこむような仕草を見せたことはなかった。

「ごめ……、許して、くれぇ……」

 繰り返される哀願の意味がセックスの相手をしたくないということなのか、役に立たなくなった自身をわびているのか男には分からなかった。無視して火傷の痕のある指で傷跡の残る肌を探る。どこかに、ある気がした。

 裸の腰を重ねているのに潤んで来ないオンナはどこかのスイッチが切れている。そんな気がして男は、指先でみつけきれないそれを今度は、舌で舐めて探す。

 それを見つけてカチリと押せばもとに戻る。男には確信があった。どこかの何かが間違っているだけだ。直せばもとに戻る。

 愛撫の刺激を繰り返されるオンナは脱がされたシャツを指先で引き寄せ咥えて声を押し殺した。男は好きにさせた。感じてヨがる嬌声なら聞きたかったが苦痛の悲鳴は聞かなくても良かった。撫でてやれば嬉しそうに肌を寄せてきたのはほんの少し前の話。指を挿れてやれば指を、蛇を挿れてやれば蛇に、きゅっと全身で絡みついてきて気持ちよさそうにのたうちまわっていたのは、ついこの前のこと。

「……、ッ」

 ヘソに唇を押し付けて吸うと、目に痛いほど白い下腹がひくひく痙攣した。声、というか息も漏れてくる。どちらも苦しそう。勃たないのに刺激を与え続けられるのは辛いのだろう。

「……」

 我慢、しやがれ。そう伝えたくて狭間の毛並を指先で撫でてくしけずる。唇はどこかにある外れたスイッチを探して忙しかった。

指先に絡むヘアを撫でる。ソコまで銀色だったのを初めて見たとき思わず口笛を吹いた。これとそうなる前に金髪の女は何人も抱いたが、下まで金髪な女は滅多に居ない。イタリアでも金髪は商品価値が高いので髪を染めている場合も多い。銀色の細い、それでも髪よりは多少クセのあるソレは触っても眺めても面白くて、こっちも伸ばせと言って引っ張って、バカ言うなぁと笑い返されたこともあった。

気に入って、いるのだろう、多分。

男は無口で頑固で我侭で身勝手だが馬鹿でも臆病でもなかった。だから自分がしていることの動機と向き合った。コレを気に入っていて、終わるとか手放すとかは受け入れられなくて、壊れたのなら修理するまでだと思って撫で回しているのだ、と。

自覚する。不本意とか悔しいとかいう気分にはならなかった。自分のものだから。ただ少し後悔した。ローマ時代の遺跡と同じくらい、三千年は軽くもつ程度には頑丈だと思っていたから荒く扱っていた。スイッチが無事に入って『もと』に戻ったら、今度はちゃんと長持ちするように使わなければ、と。

「……、おい、ドカス」

 髪の毛から爪先まで舐めながら、声をかけると、オンナはビクっと竦む。

「殴らねぇから、力ぬいてろ」

 言って渋滞の上で白い身体をうつ伏せに。今度は後ろ髪から肩、背中から腰にかけてを丁寧に、男は間違った場所を探して舐めていった。

 

 

 潤いと熱を失ったオンナの身体に。

「……、手間かけさせやがって」

 それが再び、宿ったのは、男がオンナを治そうとしだして、数日後。

「もう忘れんな。ちゃんと覚えとけ」

 刺激に応えて膨らんだ蕊を、男は嬉しそうに撫でた。珍しく笑ったその顔にオンナは額を合わせ分かったと素直に頷く。唇での奉仕ではなく久しぶりに、本当に、ずいぶんと久しぶりに抱き合った。ひさしぶり過ぎるせいかオンナはキツそうで、男は当社比でだが比較的あっさりと済ませてそのまま、寝かせてやった、翌日。

「患者本人の希望で処方しました。世界中で最も使われているED治療薬です。副作用はないでもないですが、二階へ自分で歩いていける体力があれば問題ない程度とされています」

 翌朝、銀髪の美形は目覚めなかった。呼吸が静か過ぎることに気づいた男が脈をとり、医者がすぐに呼ばれた。血圧上がは80を切っていて、めまいと吐き気、四肢の冷感がひどかった。

「シニョール・スペロピとは体質的に合わなかった、としか考えられません」

「治るのか」

「薬の効果が抜ければ。どんなに長引いても二・三日で」

「ならいい」

 ボスのオンナに合わない薬を処方してしまい、どんな制裁を受けるかとびくびくしていた医者は鋭い眼光から開放され往診鞄を持ってその場を飛び出した。

 オンナは医者の診療の途中から意識が実はあった。けれど男が恐ろしくて寝たふりを続けていた。男はしばらく動かなかった。それからゆっくり立ち上がり部屋を出て行った。自分の髪を掠めて言ったのが男の指なのか服なのか、毛布に埋もれていたオンナには分からなかった。