優しい雨・9

 

 

 

 

 扱いづらいのをとっくに通り越している。扱いようがない。手がつけられない。

 ベッドの上でうっすら微笑む相手の唇に触れながら強面の男はらしくなく、小さく息を吐いた。

他の男の膝に乗ったくせに悪びれた様子もなくただいまを言いかけた口元を殴り、膝が揺れたところを頭を掴んで柱に額をぶつけてやった。銀色の髪が動きに遅れて流れるのさえ腹立たしく、手に巻き付けてわし掴んで、奥の部屋に連れ込んで、そして。

マーモンに夢を見せた。自分が誰のものか、よく思い出させてやろうとして。

逆効果だったが。

「おい」

 それでも男は起き上がり、お決まりの脅しを一応、するだけはしてみた。

「スィ(はい)かノ(いいえ)で答えろ。嘘をついたら撃つ。俺の気に入らない答えでも撃つ」

 ごり、っと、愛用の銃を膝裏に押し付けて。

「義足は買ってやらねぇ。死ぬまでずっと、この部屋で這ってろ」

 それもいいなと少しだけ思う。この部屋に、ヴァリアーの本拠に二人して『戻って』からは殆ど、『一緒に暮らして』いた。美形のもともとあった私室は荷物置き場になって、本人はボスの私室に入り浸り、というよりも棲みついた。マフィアの世界でボスの身の回りの世話、食事の給仕や着替えの手伝いをすることは側近中の側近の役目で名誉なこと。組織の中で人間の価値はボスにどれだけ近いかで決まる円錐型の縦社会。

「聞いてるか、カス」

 脅されている側近はオールヌード。脅しているボスも同様。

「起きろ。いつまでも夢みてんじゃねぇ」

 銃口を押し当てた白い脚を容赦なく開いて、膝を肩に担ぐ。真っ赤に染まった狭間に顔を寄せて中心の蕊をごく軽くだが、齧った。

「ヒ……ッ」

 過敏になったソレの側面に奥歯のギザギザを押し当てられた美形の全身が跳ねる。見事な撓みと弾力に男は目を細めた。カラダのデキがそもそも商売女たちとは違っている。流れのない水の淀んだ湾の網の中で育った養殖より大海を泳ぎ渡る天然モノの方が美味いのは当たり前だ。中でもコレは裏社会では知られた上玉、14歳で剣帝を倒して以後はトップを突っ走ってきた傑物。

「サカるのは後にしろ」

 刺激に応じて長い脚の膝が立てられる。抱えている側も脚も蠢き男の背に白いふくらはぎが擦り付けられる。ソレは発情の合図、抱いてくれという懇願。自分の頭を挟もうとする脚を、踵を掴んでシーツに投げ戻しながら、男はでも、悪い気持ちにはならない。

「話だ、カスザメ。質問に答えろ」

 片膝を肩に担いだまま男は上体を倒して美形の耳元で凄んだ。折りたたむような姿勢をとらされた白い腰が浮く。男の黒髪が頬に当たって美形は少しくすぐったい表情。シーツに投げ出していた右腕を上げ男の頭に差し入れて顔を寄せる。男は避けなかった。が、意思の強そうな唇を緩めてはやらなかった。

 美形の舌が何度も舐めてきても。懇願するように唇の端を吸われても。やがて右手が力尽き、首をもたげる力も無くして美形はぱたんと、またシーツの上に戻った。腕も顔も。

「オレを怒らせたくてあのガキと寝たか」

 男の大きな掌にあるのは38口径のリボルバー。焔を使う戦いで使用していたのは弾の充填が容易なオートマチックだったが、寝室の枕の下に置いているのは信頼性と威力の高い、激鉄を起こす音がして暗殺には向かないが狙いは正確に撃てる古風なシングルアクションの。

「答えろ」

 ごり、っと、音がするほど銃口を膝裏に押し付ける。美形は怖がらない。怖がるどころか不遜な顔をした。小馬鹿にしたような表情。性根が入ってねぇなぁ、という声が男には聞こええた。多分、幻聴ではない。長い付き合いだ。

 拳銃を引く。膝は抱えて足を、カラダを、自分に開かせたまま。

「スィ(はい)かノ(いいえ)で答えろ。嘘をついたら撃つ。俺の気に入らない答えでも撃つ」

 美形の喉、顎の下の、頚動脈に正確に銃口を押し付ける。

 撃てば即死だ。

 緊張したのは挑発した美形ではなく、された男の方だった。言ったからには撃たなければならない。ヘタな質問が出来ない。

「……、スィ」

 疲れた顔で、目を閉じたまま唇だけほんの少し、どうでもよさそうな小さな声で答える。

「満足か?」

「ノ」

「どうしてだ」

 はいといいえで答えられない質問の返事は声でなく仕草。目を閉じたまま美形はまた右手をあげて、自分に銃をつきつける男の手に触れる。

「殺されてぇのか、てめぇは」

 オレに、と、男が呟く、声は質問というより呻き。美形は答えず薄く目を開いた。微笑む。肉の薄い酷薄な唇は意識がはっきりしている時はアルカイク・スマイルになる。神々の慈悲の表情。もっともこの美形の場合、神は神でも死神の一員。禍々しさの漂うその表情を男は愛していた。

 それが今は違う。マーモンの幻術にやられて混濁した意識の中、目を開いていたがふんわり笑うと眠っているとき同様、生来の美貌が冴えて花が咲いたようだ。とても撃てはしない。

「貴様がバカなのは十四の頃からだが」

 出会ったときからこの美形は規格外だった。その腕前も気性も容姿も、馬鹿さ加減さえも。ガキの頃からおかしかったこれを、ボンゴレの次代が珍しく気に入ってそばに置いた時、周囲の大人の反応は悪いものではなかった。悪童をとぉに通り越して人食い鮫のように、強い剣士をなぎ倒していた気性の荒い美形もボンゴレの跡取りには懐いた。容姿同様、将来性もずば抜けていたから、いい側近に腹心に、なるのではないかと思われた。

 大人たちの予測はある意味で外れず、けれど将来は予想されていたものとは随分違うものになってしまった。男はボンゴレの十代目にはなれなかった。そして。

「トップのサブになれなかったのが不満か?」

 一番上に連れて行ってやれなかった。

「ノ」

 答えた美形があんまり露骨に鼻で笑ったから。

「……言ってみただけだ」

 本気でそんなことを心配しているのではないと、男はらしくないいい訳。

「で、これからどうする気だ、てめぇは」

 言いながら男は気分が沈んでくる。そんなことをこの相手に尋ねる日が来るとは思わなかった。これをどうするかの決定権はいつでも自分にあった。これもそれを否定した事はなく、口答えをしたり文句を言ったり唇を突き出したりしながらも、言いつけにはしたがってずっと隣に居た。

「墓の中で眠るぜぇ」

 美形が突然はっきりと喋る。男は銃を床に置いた。美形の目線がそれを追うのを、顎に手を掛けこっちを向かせて唇を重ねる。

「眠らせろよぉ、もぉ、いいだろうがぁ」

「なにがだ」

「要らねぇだろぉ、おまえにもう、オレはぁ」

「正気で言ってんのか?」

「この上なくなぁ」

 くちづけに応えながら美形がまた笑う。今度はいつもの死神の笑い方。

「眠らせてくれぇ、ボス。……ザンザス」

 ああ、正気だと男には分かる。自分から抱きついてくるくせに肌が冷えていく。さっきまで夢の中では焔を移してやれば一緒に真っ赤に燃え上がっていたのに、そんな熱など知らないといいたそうに掌を当てた腰も抱えた膝も背に当たるふくらはぎも何もかも、冷たい。

「墓の中で、一人でゆっくり、手足のばしてぇんだよぉ」

「……」

 男は美形を抱き返して撫でる。形はいいが中身の足りない頭を撫でた。この中に悲しみが詰まっていることは分かる。だが。

「ドカス。足りねぁアタマでなに考えてやがる」

 なぜ今なのかが分からない。もっと相応しいタイミングは何回もあった。ゆりかごの後で八年も自分を待っていたくせに、鮫に食われて跳ね馬に助けられても怪我が治ったら戻ってきたくせに。男が結婚していた期間、痩せながらそれでも男の要求に健気にこたえてそばから離れなかったのに。

「むかしはぁ、オマエがぁ、オレが居なきゃあ、やってけなかったからなぁ」

「カスの分際で大口たたきやがる」

「事実だ、ろぉがぁ、っ、……、サ、ンザ……ッ」

「分かって、いやがる、くせに」

 何が殺せた。腹が立つ。

「ザ、ッ……、ヤメ……」

「膝たてて誘ったのはてめぇだ、バカザメ」

「う、まく、ねーってオレぁ、も、ぉッ」

 そう言いながら男の腕の中で白いカラダを捩る、美形の喉に食欲を感じた男は次の瞬間、腹の底からの怒りを感じた。喉の真下に自分がつけたのではない噛み痕がある。

「ひ、ぃっ……」

 勢いずくで捻じ込む。受け入れる気のない硬い体には痛すぎたらしい。細い悲鳴を漏らしたきりこわばって、苦情も言えずに震える美形を男は酷薄に見下ろす。マフィアの世界でボスは甲斐性の限りは好きなことが出来る。ボスのオンナは貞淑を求められる。別の男に自分をゆだねることが出来るのはボスに飽きて棄てられた後か、ボスが部下からオンナを乞われて許可を出したときだけ。どっちもした覚えのない男が、

「あんなガキに食いつかせやがって……」

 怒るのは当たり前だった。けれど、怒りの純度が悪い。脳天を突き抜けて我を忘れられれば、犯しながら笑いながら撃ち殺せたかもしれないけれど。

 馴染ませるように腰を蠢かせる。円を描くようにして捏ねる。そうしてやるとさっきまでは自分から背中を浮かせてもっと深く飲み込もうと足掻いて、男が笑いながら支えてやる掌の熱にさえ感じて、比喩でなくヨガり泣きながら気持ちよさそうに零した、くせに。

「い、テェ、……、いて……」

 冷たい肌のまま、少しでも男から逃れようと背中でシーツの上をずり上がる。

「ヤ、イヤ、だって、……、ザンザス……、ッ」

 それを引き戻す男の手つきは容赦なく強いが乱暴ではなかった。暴れる美形を腹の下に組み敷いて犯す。抵抗は遠慮がちだが拒絶は本物、全身で絡みつくいつもの感じとはまったく違っている。強張った肩は十六年も前の初夜を、男に思い出させる。

 強引にしたのを悪いと思ったことは一度もない。自分の意思に従うために周囲は居るのだと思っていたし、今も思っている。ただ、これには、ほんの少しだけ。

 後ろめたさがある。

 昔の夢を見せた。眺めながら自分も夢を見た。同じ夢は半分だけ。もう半分は一人にさせていた。八年間の、自分の名を呼びながらの自慰、を、目の前で見せられて怒りが萎えた。あんまり寂しそうで悲しそうだったからつい抱きしめてやったら頭が痛くなるような大声で泣かれて舌が抜けるかと思うようなキスをされた。憎しみが萎えた。

「オレもイテェ」

 低く、喉の奥から唸る。昂ぶっていないのに犯されて、血の気が引いた真っ青な顔をしている美形は瞬く。

「最初の、時もだ。オレも痛かった」

 美形は仰向けに押さえられて背けていた顔を男に向ける。痛いとか、苦しいとかを、この男が言うのをはじめて聞いた。

 男の手が動く。まじまじと見開かれる目元を掌で遮る。屈みこむ姿勢で動き出す。視界を覆われて何も見えなくされた美形はビクンと竦んだがすぐに体を緩めた。少なくとも、緩めようと努力をした。ならスんなよと文句も言わずに、健気に。

「……、ッ」

 息を詰める。カラダの内側を侵略する蛇が鱗を膨らませる。この男に惚れている。ガキの頃から他なんて一度も目に入らないくらいずっと。そんな相手に欲情されることは天からの恩寵、奇跡に近いと本気で思う。抱きしめられる。熱を吐かれる。ボンゴレの血や十代目の地位には何の興味もない。

 なぁ、と、美形が唇を開く。自分に崩れてきた男の背中を抱きながら。たぶん今夜のうちで一番素直な声。

「殺してくれ」

「黙れ、クソザメ」

「幸せだから、いま、殺せ」

「黙れ」

「カラダ洗わねぇでこのまんま、棺桶もいらねぇからカーテンにでも包んで、ボンゴレの無縁墓地に放り込んでくれよぉ。おまえの夢、見ながら眠るんだぁ」

 黙れと男は三度言わなかった。代わりに掌で口を覆って黙らせる。そうしておいて姿勢を変えた。少し疲れた。このまま眠ってしまうつもりだった。が。

「……なんだ」

 腕の中のカラダがしゃくりあげる気配がいつまでも止まなくて、根負けして掌を外してやる。

「もぉ、目をさましたくねぇんだぁ」

「まだ分からねぇか、ドカス。てめぇが死んだら俺はどうなる」

「知らねぇよ。生きていたって、どうせじきじゃねぇか」

「明日から医者にかかれ。診療内科とやらに」

「んな、うぜぇのはごめんだぁ」

「ワガママ言うんじゃねぇ」

「やりかごの後の洗脳でうんざりなんだよぉ」

「……」

 それを言われると男は弱い。クーデターに失敗した後、凍らされて仮死状態だった自分と違って腕の中のこれは、生々しい罰を長く受けた。

「なお、ったって、もう、どうせぇ」

「どうせ、なんだ」

「オマエに発情されてるうちに死んじまいてぇなぁ」

 腕の中の美形が呟く。台詞が本気の悲しみに聞こえて男は眉を寄せる。

「籍でも入れてやりゃ満足か?」

 妻とは別居を叶えて、もう一勝二度と金輪際、会わないで居たいと心から願っているが離婚はしていない。

「ンなものに、キョーミはねぇ」

「だろうな」

 という男の言葉には俺もだという意思がこもっていた。戸籍でいえばこの男自身、ボンゴレ九代目の養子としてその手元へ引き取られた。けれど本人も周囲も九代目の実子だと思いそう扱った。外に作った子供の母親に不都合があった場合、実子としてではなく籍にいれることは時折行われる。そうすれば実子や認知と違って母親を系統に迎えなくて済むから。

 話しているうちに少し落ち着いてきたらしい美形は泣き止み、背中を少し丸めた。男は口元を覆っていた手を下げて美形の肩と背中を自分の胸と腹に引き寄せる。久しぶりにこうやって、裸で一緒に眠る。

「……」

 美形が身動きする。いまさら逃げるつもりかと男は額に青筋をたてかた。が、そうではなく、腹を抱いてやった男の右手に指を絡められて、一転の上機嫌。思わず喉を鳴らして笑った。肩を抱いた左手を動かして撫で回し、足りずに顎先で後ろ頭を擦る。長い髪がさらさら、顎の下で流れてかすかな音をたてた。時々こんな風に可愛い。

 左手は探して男から握ってやる。硬くて冷たい金属の義手だったのは昔。だんだんと性能は上がり技術は向上して、今では表面は特殊な樹脂製、神経信号を察知した簡単な動きなら出来るようになっている。感覚があるのかと男がかつて尋ねたらあるようなないようなと美形は答えた。バカに口で尋ねることを諦めて指をぎゅーっと握ったらイテェと言ったから、ちょっとはあるらしいと男は解釈している。

「一生かけた頼みだぁ、サンザス。ボス」

「口を塞いで欲しいならこっちを向け」

 手はもう使えない。どっちもふさがっている。

「明日が嫌なんだぁ、撃ち殺してくれぇ」

「てめぇが皺だらけになっても棄てやしねぇ」

 ぎゅうっと、薄いけれども弾力に満ちた背中を抱きながら。

「その頃にゃあオレも目出度くヨボヨボだ。一人でとしくうわけでもねぇだろうが、……もう」

 誓約を言わされることは別に悔しくはない。が、なんで今さらとは思う。そんなことはとっくに分かっているだろうに何故。

「信じねぇよ」

「なんでだ。理由を言え」

「明日が嫌だぁ。寝てる間に撃ち殺せ。……してくれよぉ……、なぁ……」

 だから、そうではなく。

「明日が怖いのは分かった。怖い理由を言えといっている」

「オマエがオレに飽きても、オレにはオマエだけなんだよぉ、ザンザス……」

「別のと寝てきたクチで言う台詞か。そっちのカタは、キッチリつけるからな」

 この『オンナ』がもう少し落ち着いたら。熱が移らず情緒不安定で殺せ殺せと口走る、妙な病気が治ったら。

「棄てる前に、殺してくれぇ」

「だから……」

 聞き分けのない子供と話しているようだ。やっと落ち着いたと思ったらまた泣き出されて男は溜め息を一つ。幻術という心理攻撃の効果が残っているのか、その前に嗅がせたLSDのせいか。

「もう眠れ」

「嫌だぁ、あした……」

「分かったから、眠れ」

「ほ、んと……、だなぁ……?」

「ああ」