け、もう一度蹴りつける。

「属領出身者がでかい面するな、だと。トゥーラの大佐が何様だ。だいいち、パルスラはもう属領じゃない」

 それは本当のこと。パルスラはトゥーラ王国との安保条約を解消したばかり。もっともその結果は戦争が起こり、パルスラは大敗し、人質同然に領主の甥がトゥーラへ送り込まれたのだ。

「そいつふざけた奴なんだ。私ともつい十日前、一悶着起こしたばかりさ」

 外出禁止の原因。

「はっきり言って私はそいつを嫌いだ。お前がここで止めるなら、見なかったことにしておく」

「ざけんなよ、誰が」

「腹を蹴るな。私が肋をやってる」

「……へぇ」

 新入りは瞬きし、そこでようやく、アリスまともに向き合った。

「やっぱりおまえがボスかよ」

「違うって言ってるだろ。まぁ、でも」

 アリスは脚を肩幅にひらく。

「喧嘩は一番強いかな」

「一つ聞くけど、おまえ属領出身者か?」

「いいや」

「だったら仕方ねぇな」

 新入りはゆっくり近づいてくる。奴がフセインから離れたところで、

「医務室に運べ」

 アリスはすかさず同級生に指示。フセインは体がでかい。苦労しながら三人がかりで抱え上げるところまでは見届けた。

 間合いをつめてきた新入りが無造作に足を伸ばし顔面を狙ってくる。身長はかなり違っいて、長いリーチをいかした攻撃。無意識に避けたが、周囲を見回す余裕はなくなった。

 足技が得意らしい。避けても更に軸足を交差させもう一度。体重の乗った見事な蹴り。でも多分、これは牽制。

 足先をさけながら見ていた。不自然に膨らんだ右拳を。物騒な匂いがした。それが目の前に迫ってきた時、初めて迎撃した。

 肘を巻き込むようにして関節を逆に掴む。態勢が崩れたところを膝に蹴りをくれてやる。腕をふりほどこうと曲げかけていた膝は一気に崩れて、勝負は一瞬で終わった。が、

「このッ」

 新入りは膝をがくがくさせ体勢を崩しながらも右手を振り回す。紙一重で屈んでよけたが、ひゅっと風を切って突き出されたのは三段警棒。伸ばせば三十センチほどになるが折れば掌の中に入る厄介な代物。

「ンなもの持ち歩くなよ、馬鹿野郎」

 ひやっとしたせいで腹が立った。腹立ちのままに手首をひねり上げる。新入りは、悲鳴はあげなかった。

「仲間うちの喧嘩は素手でが原則だ。相手構わず吠えまくるな。虐待されて噛み癖がついた犬みたいで、格好悪いぜ」

「の野郎、離せッ」

「ダドリー・サクス・パルスラ」

 新入りの名前を呼ぶ。暴れられたから、後ろ手にねじあげて地面に押し伏せた。

「気をつけな、ここはあんたの故郷じゃない。悪評を誰ももみ消しちゃくれない。パルスラ領主の甥っ子が留学早々に暴力事件で退学なんてのはありがたくないだろ?」

 ふりほどこうとする動きは止まったが、背中に緊張が積もっていく。

「人質同然に留学させられて、不安も腹立ちもわかるけど周りに当たるな。悪いのは弱腰なパルスラ領主であってここの生徒じゃない」「……」

 新入りは何も答えない。でも暴れるのは止まった。警戒しながら、それでも手を離してやると悔しそうにこっちを上げたが、負けは認めたようだった。

「お前、名前は?」

 問われて、

「アエリアス・ジュディ・ペナンダンテ。アリスって呼ばれてる」

「……え?」

 新入りが眉を寄せる。

「女の名前だろう、それは」

 新入りの台詞に周囲の同級生から失笑が漏れる。

「女だとも」

 慣れているから、別に腹も立たない。士官学校の制服に性差はないし、赤毛も短く、ざくざくに切ってる。

「なんで女が軍学校に居るんだ」

「うちじゃ珍しくもない」

 それは嘘。同級生百二十人のうち女は八人ほどだからかなり珍しい。幼年学校の入試は倍率30倍近い狭き門で、体力審査は男子と同等だから伊達や酔狂で入学は出来ない。

「それにジュディって……、パルスラの名前じゃないか」

 新入りはかなり動揺している。あざ笑うような気持ちで、

「今は違う。母親が私しかうまなかったから」 パルスラは徹底した男尊女卑の国。妻が男児をうまなかった場合、夫は妻を無条件で離縁できる。離縁して新しい妻を娶り、男児を得て跡取りをえることは身分ある男の、義務みたいになっている。

 母親ともども父に捨てられたアリスは、当たり前だがパルスラを好きではない。

 新入りは複雑な表情でアリスを見た。異国で故郷を同じくする者と出会えた懐かしさ。でも肝心のアリスがパルスラを故郷と思っていないことに対する戸惑い。そして女が軍学校に居ることへの驚き、なんかが混じって混乱した顔をしていた。

「差別がない国なんかないさ」

 言い捨てて自習室へ戻ろうとした途端。

 不意に、背中から抱きしめられる。

「……ッ」

 とっさにふりほどこうとしたけれど、

「元気だったか?お姫様」

 つま先が浮くほど抱きしめられて、耳元でそう言われて身体が強ばった。低い男の人の声。声変わりしたかしないか、という年齢の同級生たちとは明らかに異質な。

 大きな掌。アリスの肩を後ろから、すっぽり包んで余る胸。かすかに漂う煙草の残り香。否応なく意識させられるのはその人が男で、自分は違う、ということ。

 子供の頃から慣れたそのまま、その人はアリスを抱きしめる。でもアリスは無邪気に甘えられるほど子供ではなかった。心臓が踊って血が沸いて、頬が赤くなっていくのが自分でも分かった。

 嫌ではない。抱きしめられるのは少しも嫌ではない。恥ずかしいのも、抱きしめられること自体ではない。抱かれることが嬉しくて、嬉しいことが恥ずかしい。

 新入りは服の泥をはたくのも忘れて、呆れたようにこっちを見てる。

「校長に会ってきた。謹慎処分中だって?」「王都にお帰りだったんですか」

「せっかく迎えに来たのに。なんとかならないかって校長に頼んだが、駄目だった」

「……ごめんなさい」

 そこでようやく腕がとかれ向き合う。顔をよく見る間もなくもう一度、今度は正面から抱きしめられた。

 一瞬だけ見えた笑顔は相変わらず、苦み走った強面のハンサム。歳は若くてまだ二十六歳。でも目には威厳と迫力がある。なのにアリスを眺めた瞬間、目尻はしわよせてとろけた。

 愛されている。

 その人はアリスのことが、とても可愛いのだ。

「あの、……ディ」

「構内の秩序を乱したってことは、つまり喧嘩だな?ちゃんと勝ったか?」

「負ける筈はないでしょう」

 アリスの格闘技の師匠はこの人。物心つかない子供の頃に才能があるなんて煽てられて、軍人になろうって思ったのも結局はその人に憧れていたから。

 トゥーラ軍の黒い軍服がこんなに似合う男は他に居ない。盾みたいにピンとした背中に力強い手足。正装では目立ちすぎるからだろう、夏服の略装だけど、麻のシャツを通して触れる、しなやかな肉体。

 うっとり目をつむろうとした瞬間、

「しかし時期が悪かったな。俺は軍人だから会えたが、お前の母親は民間人だから校内に入れない。家にはケーキまで焼いてあるのに、寂しがる」

 残念そうな男の台詞。

 残念がってくれているのは、アリスの外出禁止を、ではなかった。

「母に会いに戻られたんですか」

 抱きしめられた嬉しさがその途端、醒めた。 いきなりシャツの胸元の、煙草の匂いが鼻につく。もともと煙草は大嫌いなのだ。ただちょっと、甘い気分に引き摺られて錯覚してしまっただけ。

 馬鹿なことだった。

 この人は母に会いに来たのだ。そして多分、昨夜は母の家に泊まった。迎えに来てくれたのは母に頼まれただけ。アリスの誕生日を覚えていてくれて、アリスのために迎えに来てくれた訳ではない。

「嫌そうな顔だな。俺が家庭に入ってくるの、嫌か」

「いいえ、違います」

 嘘ではなかった。

 すごく嫌な気持ちになったけど、それは母との間に介入されたからではない。二人きりで十四歳の特別な誕生日を祝いたい、相手は母ではなかった。

「申し訳ありませんでしたと母にはお伝え下さい。まぁでもある意味じゃ親孝行でしょう」

 そこで言葉をとぎらせる。お二人でごゆっくり、なんて台詞はさすがにいいかねて。

 アリスの台詞がショックだったらしい。解かれた腕から一歩離れ、見上げた彼の表情は傷ついていた。

 それは本当に誰が見てもすぐ分かる、あまりにもはっきりと悲しそうな顔。押しても引いてもびくともしない感じのこの人にそんな顔をさせた罪悪感と、同時にかすかな優越感。してやった、という気持ちも少しだけ。

 アリスも傷ついていたから。

 馬鹿な期待を裏切られて。

 傷ついた顔のまま、その人は何かを言おうとした。でも何も言わなかった。反抗的だとか口のきき方を知らないとか、怒る言葉はたくさんあるのに何も言わなかった。そういえばアリスはこの人に、怒られたことは一度だってなかった。

「さよならのキスをしたいんだが、誰かに怒られるか?」

 引き際の良い人だった。

「そんな人は居ませんけど、でも遠慮しときます。十四歳になったし」

 トゥーラの法律では十四歳で一応の成人とみなされる。ごく限定的なものだけど。

 国費で学習している間、つまり義務教育を終了する十八歳まで選挙権はない。飲酒・喫煙が解禁されるのは二十歳。じゃあいったい何が成人なのかというと、ずばり、セックスに関して。

 婚姻、といってもいい。

 トゥーラは今も昔も海洋王国で、昔は海での遭難が多かった。だからなるべく早く子供をつくる必要があって、十四歳になれば一応、結婚や庶子の認知が可能になる。

「そうだったな」

 彼は本当に引き際のいい人だった。元気でいろと言い残して背中を向ける。途端、とおまきにしていた生徒たちがわっと声をあげる。「ディクライ大佐、いいえ、将軍」

「パルスラ戦線のヒーロー」

「なんか話していって下さい」

「エル・ディクラーイ!」

 ディクライ・サージ。

 彼は、大物で有名人。

 特に軍人からの支持は絶大。

 海戦指揮をさせたら当代、右に出る者は居ない。建国の英雄、東海の虎と呼ばれたアクナテン・サトメアンの再来、とまで言われていた。

 サージ爵家の跡取り息子でもあって、母親は国王の姉上。とびきりのサラブレット。

 その彼が車に乗りぎわ、ふっと振り向いた。手を振る生徒たちに応えるようなふりをして、でも、目がアリスを探していた。

 分かっていたけど、人波に隠れた。意地悪な気分だった。

 パルスラを撃破した手柄で、彼は二日後、少将に昇進した。そして二カ月後、辺境の戦場で、永遠に帰らぬ人となった。

 

 公爵邸で行なわれた通夜に、アリスとその母親が参加できたのは幼なじみの才覚だった。当時、アリスに悪い影響があるから、とか言って母親から出入り禁止をくらっていた幼なじみだけが、兄の葬儀の時に二人を思い出してくれた。

 初めて足を踏み入れた公爵邸は広かった。人目をひかないように一般の弔問客に紛れていたので正面の門から歩いたが、正面玄関まではとても遠かった。通夜の行なわれている広間には軍服姿が多く、立派な体格の男たちが群れていた。

 自慢の跡取り息子を失った公爵はがっくり肩を落として、背まで低くなった感じだ。公爵夫人は背筋は伸びていたけれど顔は俯いて、ベールごしにも、泣き顔は分かった。

 意気消沈した二人に代わって葬儀を取り仕切っていたのは幼なじみ。広間のわきや後ろで声を掛けられては何かを支持してる。人をやって二人を通夜に呼んでくれたのは彼だったから、アリスと母親は礼を言うために近づいた。

「……ウィルス様」

 呼ばれて振り向き母と目があった途端、ウィルスは表情が緩んだ。そしてぼたぼた、泣き出した。

 アリスと母は仰天し、涙も止まったほどだった。国王にさえ平気で楯突く公爵家の次男坊。人形じみて整った容貌とは裏腹に豪気で物騒で、傲慢なこの自信家が、幼児のように泣いている。

「俺がついてるから」

 母親が弔問の挨拶をする前に、

「何も心配しなくていい。俺がついてるから」 涙とたぶん鼻水で呼吸困難になりながら、それでもウィルスははっきりそう言った。ハンカチを持っていないのか、涙を袖で拭おうとしたから母がハンカチを差し出す。受け取って顔全体をウィルスは拭いた。目許を、なんて生易しい涙の量じゃなかった。

「明日は国王陛下を迎えての葬儀で、埋葬は明後日、ブラタル海峡の墓所でする。形見分けはそれからだけど、特に希望があるなら今のうちに俺が抜いておく」

「息子を引き取りたいの」

「え」

「え」

 幼なじみとアリスは異口同音に疑問符を発した。母がそんなことを言い出すなんて思ってもいなかった。

「父親が死んだのだから、母親の私が引き取るべきでしょう」

「待ってくれよ。ミツバは兄貴の息子だ」

「公爵家はウィルス様が継がれるでしょう。跡取りはウィルス様の子供が相応しいわ」

「……、」

 ウィルスは何かを言おうとしたらしい。表情からすると、それは止めてくれとかなんとか?でも言えなかった。涙と鼻水が彼の発声器官を阻害して。

 窒息寸前なのをみかねた執司が背後からティッシュを手渡す。失礼、という風に母とアリスに合図してウィルスは後ろを向き鼻をかんだ。

 振り向いた彼に、

「今ここからでも引き取っていきたいわ。居るのでしょう?」

 母親はきつい口調で告げる。

 そこへ、

「そういう話はまたにしてくれないか」

 きつい口調で割り込んできたのは子供。

 八歳になるかならないか、くらいの。小さな体に礼服をきちんと着込んで、きりっとした目をしていた。

「今日は兄貴も祖父母も動揺してる。これ以上かきまわさないでくれ」

 目には敵意としいうほどではないが、非難と威嚇があった。自慢の長男にあるいは兄に、急死され悲しむ『兄貴』や『祖父母』を傷つけるつもりなら、

『許さないぜ』

 と視線で告げていた。

 もちろん、その子供はミツバだ。子供の頃からキリキリしっかりした性格だった。ネジをまきたてのゼンマイみたいな。

「あなたがミツバ?まぁ、大きくなって。わたし、」

 母親が場所柄を考えないことを言い出す。アリスは咄嗟に母の口を塞いだ。恨めしそうに母親はアリスの手をふりほどく。

 ミツバは少し驚いた顔でアリスを見た。初対面の姉を。そして少しだけ笑った。母親の口を封じたタイミングがばっちりだったから。 アリスも笑った。姉弟の初対面は上々だった。

 母と息子は最悪だったけど。

「若様、ちょっと」

 幼なじみは呼ばれて別の弔問客へ挨拶に行く。アリスは子供に、大人に言うように、

「今日は、これでもう失礼します。お取り込みのようですし」

 告げて、母親を引き摺るようにしてその場を離れた。広間を出る途中で振り向くと、ウィルスは今度は、軍服の男に捕まっていた。年齢からしてディクライの同期生、という感じ。

 二言三言、言葉を交わしている。と、思った途端、いきなり俯いた。軍人がウィルスの肩に手をまわす。この調子で弔問を受ける都度、泣いているのだとしたらハンカチなんか、とおの昔に役立たずだろう。

 人波がわれていく。何かと思ったら小さな子供だった。ウィルスと軍人の間に入り込むようにして、ウィルスにタオルを渡した。その瞬間、子供は不意に、振り向いた。

 アリスの視線を感じたのだとしか思えない唐突さで。

 振り向いた顔は、ディクライに似ているだろうか?黒髪は似ていないこともない。幼いながら凛々しい口元も。でも目が、一重で切れ上がったそれはサージ公爵家のものではない。

 アリスはよく似た目を知っている。この母親の目とそっくりだ。

 子供もアリスに気づいて、一瞬だけ困惑した表情。でもひらっと合図を寄越す。そしてアリスには分かった。あれは帰っては来ないだろう、と。

 だってこっちに来ないから。

 子供はウィルスの隣に立っていた。

 彼を少しでも守るように。

 

 子供が幼なじみの養子になったと、伝えられたのは四日後。アリスの予想は当たった。 母親は半狂乱だった。伝えに来た幼なじみにカップを投げつけた。

 公爵は上手に避けたが、中身が入っていたせいで飛沫がシャツにとんで茶色の染みをつけた。

「あたしの息子よ。返してちょうだいよ。ひとりは国王陛下に差し上げたわ。もう一人くらい、わたしに返してちょうだい」

 アリスは口を挟まないつもりだった。自分には関係のないことと思っていたから。しかし母親の狂乱と幼なじみが、まるで誘拐犯のように罵られるのを聞いて、

「じゃあどうして最初に手放した」

 黙っていられず口を開く。

「一回は捨てた子供を取り戻そうなんて迷惑だと思う。子供にとっても。それに、サージ公爵家の跡取りなら先々、本人の出世にも……」

「あなたはなんてことを言うのッ」

 ヒステリーの女の声だった。

「出世の話なんかいま、していなでしょうッ」「いや、大事なことと思いますよ」

 幼なじみが口を開く。

「女の子は嫁にやるもの、男の子は世間様のものって、うちの母親の口癖ですが」

「あなたま母上の話なんかしていないわッ」

「子供は大人になる。すぐに」

 アリスが再び口を挟む。

「いま無理に引き取ってもどうせ出ていくんじゃ?」

「無理だって言うの?わたし母親なのに無理だっていうの?」

「だって、育ててない」

「あなたはどうしてそんなに反対するの。この屋敷でも欲しいの?」

 

 ……まさかそんなことを、

 実の母親に言われるとは思わなかった。

 

 傷つき黙り込むアリスに母親は気づかなかった。泣き叫ぶ母親の言葉も聞こえないくらい、アリスは呆然としていた。

 アリスが受けた衝撃に気づいたのはむしろ幼なじみ。アリスの肩を抱こうとして腰を浮かした。泣きわめく母親に邪魔されたけれど。 そしてアリスは、母親を徹底的に嫌いになった。

 母親の屋敷へは滅多に帰らなくなった。休暇期間は、幼なじみのマンションで過ごした。一部屋まるまる、専属で使ってた。

 ただ、元旦だけは母親の屋敷に居るようにした。会うたびに母親は自分ほど不幸な女は居るだろうかという顔をした。何処が不幸なんだか、とアリスは思う。情人に死なれた後もこんな屋敷に住んで、よく分からないけど送金も受けてる様子だった。

 元旦の朝、王宮では国王主催の儀式と祝賀会がある。

 それが終わった帰り道、幼なじみはミツバを連れて、年に一回、母親に会いに来る。アリスがそこに同席するのは弟に会いたいからでもあり、母親が幼なじみにひどいことを言わないように、見張る為でもあった。

 アリスは幼年学校を卒業し、主席で士官学校に合格した。軍の学校をやめて普通校に進学し、一緒に暮らしてくれとう母親の希望には耳も貸さなかった。

 ある年の新年。

 やって来たのは、幼なじみではなかった。

「明けまして、おめでとう」

 そう言って玄関に立っているのが誰なのか、アリスにはすぐに分かった。士官学校の講堂の壁に写真が飾ってある。

 サージ公爵家の、当時の当主。

 トゥーラ国軍の総帥。

 息子の情人だった女の家で、総帥は居心地がわるそうだった。アリスが近づき挨拶した時、ほっとした表情を見せたのは、たぶんアリスの立ち方や挨拶、起居振る舞いに慣れた雰囲気を感じたからだろう。

「ウィルスが今年は帰って来れなくてね。それでわたしが代わりに連れてきたのだ」

 そう言う総帥の隣で、

「新年おめでとうさん」

 ミツバがアリスに挨拶してくれた。挨拶を返したあと、

「工事、難行しているんですか」

 新年早々の話題にはふさわしくなかったが、どうして聞かずにはおれなかった。

「うん。実は。反対派の工作が厳しくてね。一日たりとも気の抜けない状況のようだ。君には特によろしくと言っていた」

「わざわざありがとうございます」

「ねぇ姉貴。軍の幼年学校って面白い?」

 ミツバに聞かれて面食らったが、

「んー、どうかな。幼年学校は普通の学校とそう違わなかった。体育科目が特に多いくらいで」

「ふうーん。じゃあ留学した方がマシかな」 ミツバは祖父を振り返る。

「お前の気持ち次第だ」

「ウィルスは結局、軍人にならなかったんですね」

 繰り返すが、サージ公爵家の当主は代々,国軍の総帥を勤めていた。幼なじみも次期当主と決まった途端、文官から武官への軌道修正が各方面、とくに軍部から強く求められた。「頑固な奴でな。黒い軍服が髪の色に似合わないから嫌だと、そればかりだ」

「でも仕方ないすよ。だってあいつ、ずっと努力してきたんだから」

 思わずアリスは幼なじみを庇う。

「せっかくあんなに頭がいいんだから、文官させた方が国益になります。資源の有効利用ですよ」

「ありがとう」

 総帥は顔をくしゃくしゃにして笑った。

「君は大変優秀な生徒だそうだね」

「いえ、その。……どうでしょう」

「卒業したら、ウィルスを助けてやってくれ。軍隊内に君のような身方が居てくれると、とても心強い」

 その年の三月、アリスは士官学校を卒業した。配属は首都治安部。希望通りだった。

 成績からすると第一希望が通ったのは当然。しかしこんな素行の持ち主を、秩序を重んじる治安部がよくとったものだと、本人さえ思った。そこに何らかの作為があったとしても不思議ではない。

 アリスは勤務に精励した。時には問題も起こしたが上官に暴力をふるったり他部署と揉めたりはしなかった。こつこつ働いて足下を固めた。

 総帥の言葉が耳を離れなかったからだ。

 早く出世して助けてやりたかった。

 ずっと助けてくれた、幼なじみのことを。

 異父の弟たちを。

 

 公爵家の応接室。

 連れてこられた男はふてくされていた。

 手錠はかけられていない。が、公爵家に仕える男たちに周囲をとりまかれ、招き入れられた部屋。横柄な目つきで室内を見る。

「や」

 ソファーで手を上げたのは彼がよく知っている女。

 それでも男は表情を緩めなかった。

「どうしたの、それ」

 知っているくせに白々しく、三角布で肩から吊り下げられた右腕を指さす。答えず男はアリスの向かいに腰を下ろす。

「何も喋らないぞ。色仕掛けしても無駄だ」

「喋ってくれなくていいよ」

「結婚してくれるってんなら、まぁ考えないでもないけどな」

「するもんですか。どぉ?」

 テーブルの上に置いた煙草から一本出してくわえさせてやる。ライターで火を点けてやると、男はちらっと笑って満足そうに紫煙を吸い込んだ。

「これでなきゃあな」

 天井に届くほど白煙を吹き上げ目を細める。「懐柔するにはまず煙草からだぜ。ここの連中はなにも分かっちゃいない」

「主人が大の嫌煙家だから」

 そう聞いて男は嫌な顔になる。

「お酒も飲まないしね」

「女遊びだけが道楽か」

 男は顎を上げ天井を仰いだまま苦い口調。

「あの面にまんまとだまされたぜ」

「その腕、ウィルス?」

「何者だよあいつ。俺は銃を構えてたのに、素手でかかってきやがった」

「で、利き腕の肘折られたって訳?」

「肩の脱臼もだ」

 男は嫌そうに答える。

「馬鹿ねぇ」

 アリスは心底、呆れ果てた顔。

「虎の子と猫なら間違えるのもわかるけど、あれは成虎でしょ。しかもでかい雄。どうやって間違えたの」

「優男に見えたんだ」

「歩き方で分かりなさいよ、素人じゃないんだから。あいつが何者か、知っていたんでしょ」

「大陸きっての武門の男に生まれて文官やってる風変わり」

「ディクライ将軍の弟よ」

 継子の娘さえ並ぶものなき格闘家に仕込んだ男の。

「腰と背中を揺らさずに歩く、あんな男が手強くない筈がないわ」

「首締められて冥土に行きかけた」

「そうかしら?殺すつもりはなかったと思うけど。だって彼が最初からそのつもりならあなたいま、息してないわよ」

「ふん」

 口惜しそうな顔で、それでも男は反論しなかった。

「反撃する隙もなかったでしょうよ。彼の腹の傷、あなたね」

「咄嗟にな。皮一枚だけだった」

「それが大変なことになってんのよ、今」

「どんな?」

「もう一本、どう?」

 差し出された煙草をくわえたまま、

「焦らさないで教えろ」

 男は器用に喋った。

「もちろん。わたしの役目はそれだもの」

 ここ三日間、男が抑留されてからの出来事を手早く話す。

 話の途中から男の顔から血の気が引いてきた。

「それ、俺のせいじゃないよな」

「どしたの、顔が変よ」

「俺は皮一枚だけだったぜ。俺のせいじゃないよな」

「第一に本人のせいでしょうね。安静にしてりゃなんてことなかった怪我なんだから。でもあなたに責任がない訳でもない。原因はあなたでしょ」

「冗談じゃない。あの色男、ここの国王のイロだろ」

「そんな話もあるわ。まさか、あなたまで国王が恐いの?」

「当たり前だろ、あんな人外。まだここのキリキリ坊ちゃんの方が……」

 二人の会話は、

「ほら、ここに居るではないですか」

 いきなりの乱入者に中断された。

 ノックもなしに扉を開けたのは外務大臣。 アリスは椅子から立ち上がり、敬礼。

 ダドリーは動かないまま、それでも煙草の火は消した。

「パルスラ領主はひどく怒っています。満座の中で顔を張られたのですから」

「その前に奴には暴言があった」

 大臣を追ってきたのはミツバ。いつ着替えたのか服装は軍服に軍靴。カツカツッとした早足の足音。

 キリキリ坊ちゃん、というダドリーの形容を思いだし、アリスは笑いそうになるのを堪えた。

 そんな場合でない。

「パルスラ領主側は警備責任者と加害者を、まぁ同一人物ですが、差し出せと言っています」

 アリスを弾劾する大臣。

「パルスラにも非はある」

 ミツバが懸命に庇う。

「第一、怪我した兄貴をどついたのはあの領主だ」

「そもそも、あの怪我は何です。いつ何処で誰に手傷を負わされたのです」

「はい」

 とぼけた顔つきと声でダドリーは手を上げる。

「一昨日、オリブスの軍艦抑留してる崖近くの廃坑の中で、俺が」

 眉を寄せた大臣。

「代わりにこうやって取っ捕まったけど」

「君は?」

「冷たいな。ザ・スピーカー殿。何度か会ったのに」

「さっさと名乗り給え。わたしはこちらの若君ほど酔狂ではない」

「ダドリー・サクス・パルスラ。彼女に引っぱたかれたパルスラ領主の、仲の悪い甥だ」

「……」

 けたたましかった大臣がぴたりと口を閉じた。

 そのまま、暫くの沈黙。

「それでは公爵は、パルスラ領内で襲撃の指揮を?」

「そうだ」

 答えたのはミツバ。

「わたしの手元に報告がきていない、ということは」

「宰相案、国王決裁。最重要機密」

「なるほど。失敗だった訳ですな」

「とも言い切れない。坑道は絶壁まで掘り抜けた。ただ昨日今日は波が荒くて近づけない。……昨夜、サラブに協力を求めた。波浪には連中の方が強いから。今頃は救出に向かってる」

 なるほどと心中、アリスは頷く。昨日、サラブの将軍と公爵が会っていたのはその為だったのか。

「しかし、ならば尚更、明日の会議で公海案の成立が必要です。パルスラ領主の機嫌を損ねる訳にはまいりません。要求が要れられない限り、明日の会議には出ないと言っておられます」

 そこで大臣はアリスをちらりと見る。

「軍人一人と国益は引き換えられません」

「駄目だ」

 ミツバは強硬にアリスを庇う。

「引き渡したところで殺されはしませんよ。ただ詫の形式として、煮るなり焼くなりご自由に、という意志表示を向こうはもとめているのです」

「この人はパルスラには渡さない」

「なぜそう分からぬことを言い張るのです。若様らしくない」

 強情なミツバに大臣がため息をつきかけた時、

「はい。陛下のおなりでございます」

 明るい声がした。

 声より早く、若い国王は部屋に入ってきた。自分で扉を開けて。黒サテン生地に銀の縁取りの礼服。白貂のコートを羽織って、頭上には王冠。生誕式か国立記念日にしか着ないような正装。

 王冠の中央には胡桃ほどのサファイア。建国の英雄・アクナテン・サトメアンの持ち物だった国宝。周囲に散っているダイアモンドも、親指ほどの粒がいくつもある。

「パルスラ領主には詫びてきた」

 王冠を無造作に外しながら、国王。

「明日の会議には出席してくれるそうだ」

 外した王冠をお付に渡し、大臣に向き直る。「陛下、ご自身がお出ましとは恐れ多い」

 がばっと、大臣は床に伏せる。

 ミツバも片膝をつき立てた膝に肘を置いて横向く。

 アリスも右に習い、ダドリーは礼儀の違いに戸惑いながら、その仕種を真似た。

「混乱の責任をとってウィルスは謹慎処分」

「……は、しかし、それでは公爵のお立場が」「国際会議期間中にも関わらず私行上のトラブルで傷害事件。それによって会議に遅延をもたらした。謹慎では甘すぎるくらいだ」

「は」

 聞きながらアリスは、なるほどそういう事にするのかと思った。男同士で対決した名誉の負傷と知られるより、女との情痴の挙げ句、の方をあの公爵は選ぶ。

 見栄の張り方がひねくている。男くさいのがよほど嫌いらしい。

「しかし公爵が謹慎となりますと会議の代表は?代理はやはり跡取り殿ですか」

「俺?いいけどますますパルスラ領主がエキサイトしそうだな」

「代理は僕が勤める」

 国王の発言に大臣とミツバは息を呑む。

「会議の内容はだいたい把握しているが、細部の打ち合わせをした。明日、二時間前に関係者は会議場へ集まるように」

 てきぱきと指示。大臣は再度、頭を下げて退室。

 大臣が居なくなると、

「ウィルスは王宮に引き取る」

 窮屈な詰襟の上着を脱ぎながら国王が言った。

「言うと思って搬送ベットから下ろしてねぇよ。今夜じゅうは眠ってるらしい。閉じ込めといてくれ」

 ミツバは同意する。

 国王は、礼服の下には黒い長袖のシャツを着ていた。あらわれたのはシャツだけではない。わきにさげたホルスターには黒びかりする拳銃。

 ぎくっとしたのは、アリスとダドリー。

「パルスラの甥御殿」

 視線を向けられダドリーは硬直。

 睨みつけている訳ではないが、目が強い。「お、おぅ」

「君は」

 ずいぶん年上の相手に、国王はそんな呼び方をした。

「狙撃手をうちに入れたらしいね。誰を狙ってる?」

「えーと、まぁその、なんだ」

「僕か、公爵か」

「まさか。俺はトゥーラと戦争やらかす気はないぜ」

「オリブス半島妃か」

「同じことだろ。オリブスの後ろにゃあんたらがついてる」

「うちと揉めるつもりがないなら、どうしてウィルスに危害を加えた」

「出会い頭の事故でさ」

「自分の立場を分かっていないようだな」

 静かに国王は言って銃を手にする。銃口はぴったり、ダドリーの額。

「……な」

 驚くアリス。

「殺すと兄貴に怒られるぜ」

 ミツバの口調はからかい混じりで、真剣に止めているようには見えない。

「僕の方がもっと怒っている」

 国王はごく真剣。声は静かだが銃口はぴくりとも動かない。

「事後承諾で余所に行った挙げ句、怪我までして戻って」

「おいおい陛下、言っておくけどな」

 無意識にダドリーは自由になる腕を頭上にあげ降参のポーズ。腰がひけている、理由は国王の表情。目つきがヤバイ。

「犯人を匿ってた」

「匿っていたの?」

 驚いてミツバに尋ねたのはアリス。

「いんや。口封じにひっさらって来ただけ」

 答えたのはミツバ。

 その間にも、ドラマは着々と進行。

「俺がやったのはほんの皮一枚だ」

「黙れ」

 言うと同時に国王は引き金を引いく。派手な銃声。ダドリーの頬を掠めて弾丸は壁をえぐり、

「陛下」

「若様ッ」

「ご無事ですかッ」

 飛び込んでくる近衛と警備兵。

「なんでもないから出てろ。悲鳴が聞こえても入ってくるなよ」

 ミツバが彼らを部屋の外に追い出す。

「答えろ。でないとここで君の人生は終わる。僕はパルスラと戦争したっていいんだ」

 一触即発、という雰囲気の国王。

「うちの看板に君は傷をつけた。責任は君か領主かにとってもらう」

「兄貴もともと傷だらけじゃねーか。とくに脛あたり」

 ミツバはあくまでも茶化す。

「あたしが背中につけた傷もあるし」

 アリスもそれに同調。

「あれあんた?喧嘩?まさかベットでじゃないよな」

「変なこと考えないでよ。木から一緒に落ちたとき下敷きにしたの。八歳くらいかしら」

 のんびりした思い出話を、もう一度の銃声が遮る。今度は反対側の頬。

「ちょっと、あの、待って」

 その時になってようやく、アリスは事態が容易ならざることを認識した。ダドリーを庇うように前に立つ。

「ここで殺されると困るんだけどな」

 ミツバはのんびり言いながら、台詞と裏腹なことをした。アリスの腕をとり自分の方へ引き寄せる。国王の邪魔にならないように。

「この距離だと血飛沫飛ぶだろ。血の掃除って掃除のオバサンさんたちに嫌がられんだよ。地縛霊にでもなられた日にゃ目も当てられねぇしさ」

「掃除は後で僕がする」

「絨毯高いんだぜ」

 国王は無言のままダドリーに手をかけた。利き腕の使えない彼をぐいぐい、部屋の隅に引っ張る。目立たないドアを開けると、そこは簡単なユニットバス。

 浴槽に、国王はダドリーをつきとばした。「本気で怒ってんな」

 他人ごとのようなミツバの口調。

「まぁいいけどさ」

「ちょっと待って。よくないわ」

 アリスが暴れる。それに引き摺られるふりで、ミツバは国王を追ってバスへ。

「殺したら大事になるわよ。パルスラ領主は怒って、公海案の合意どころじゃなくなる。仲の悪い甥でも身内だもの」

「心配しなくっても、そいつ今、行方不明中だから」

 いっそ晴れやかにミツバは笑う。

「ここで殺してもバレないさ。部下もろとも、庭にでも埋めれば。……慰霊塔がいるな」

「建ててやる」

「やめて」

 アリスはミツバをふりほどき国王の手から銃を取り上げようとした。

「人殺しなんかさせないわ」

「人を殺したことはある」

 国王はアリスの手を退けた。乱暴ではなかったが、断固とした力で。

「やめて、そんなことさせる為にあなたたちのこと守ってきたんじゃない」

 むしゃぶりつく彼女を国王は、今度は無慈悲につきとばす。ミツバの方へ向けて。

 ミツバは危なげなく抱き止めた。小柄だが足腰はしっかりしている。アリスがもう一度、国王の方へ行こうとするのを、

「おっと」

 背後から抱き止めて阻む。

「駄目って。アケトの邪魔するな」

「やめて。とめてよ、ミツバ」

「無理。ぶち切れたそいつ止めれんのは兄貴だけ。俺も怪我したくないし」

 笑いなかぎら、ミツバはもう一度言葉と裏腹のことをした。アリスを押した。国王ではなくバスタブの中、ダドリーの方へ向けて。

「痛て、てて、て」

 脱臼した方の肩をぶつけたのかダドリーが悲鳴をあげる。が、そんなことに構っている場合ではない。バスタブに押し込まれた男の上に背中を乗せるようにして、

「させない」

 アリスの口調は、臣下が国王に対するものではなかった。

「姉貴は撃つなよ、アケト」

 ミツバの声がようやくマジになってくる。「怒られるどころじゃ済まないぜ。兄貴からも、俺も」

 今度ははっきり脅し文句だった。国王は無言で近づきアリスの身体の下に銃口を押しつけようとする。

 押し退けられないようにアリスはダドリーにきつく抱きつく。

「いや。絶対、だめ」

 女声の悲鳴は、

「……分かった」

 危機感を煽るのに十分な効果があった。

「撃たないでくれ。なんでも話す」

 降参の声音でダドリーが告げる。

「この女に怪我をさせたくない」

 ミツバがすっと出した手に国王は銃を渡した。それでようやく、アリスはダドリーから身体を離す。彼女が起き上がった後で、

「誰を狙ってる?」

 国王はダドリーがバスタブから起きる暇を与えなかった。アリスと入れ代わるように間近で質問。

「伯父貴だよ」

「身内を殺してまで領主になりたいのか」

「軽蔑するかい?」

 緊張しながらもダドリーは笑いかける。強がりだったとしても度胸はある。

「生まれた時から王太子だったあんたにゃ理解できないかな。でもここの公爵なら分かってくれると思うぜ。ここのが前王、あんたの父親を幽閉したのだって結局、自分の方がうまくやれると思ったからだろ」

「殺した訳ではない」

「うちの領主は終身だ。入れ代わるには、殺すしかない」

 ダドリーは視線をアリスに向けた。

「伯父貴も昔、女房子供を棄ててる。だから今、俺が手段を選ばなくっても、恨まれる筋じゃない」

「身内殺しの男に人望がつくかい?」

「俺の指図ってバレない狙撃手を用意してる」「名前は?」

「それだけは、ちょっと言えないな。義理のある人でさ」

「なら、どうして坑道で待ち伏せしていた」

「オリブスからの救援が来るとしたらあのルートだと思ったから。トゥーラでパルスラ領主が撃たれたとき、俺が地元でオリブスの救援部隊を同時に捕まえりゃ、世間は領主を撃ったのもオリブスだと思うだろ」

「なるほど」

 国王は懐に手を入れた。はっと緊張したのはアリス。喋らすだけ喋らせて始末するのかと思った。ダドリーもそれを思ったのだろう。顔色がさっと変わる。

 しかし、国王は二度銃を出しはしなかった。かわりに彼が取り出したのは掌サイズの皮表紙。青に金で虎の紋章を印刷したトゥーラの特殊入国証。

「お供も開放するかい?」

 それを見ていたミツバが尋ねる。国王が頷く。ミツバがインターコムで指示を出すと、主人とは別に抑留されていたらしい、十五人ばかりの人数。

「ご無事でしたか、ダドリー様」

「お怪我の具合は」

「はい。皆様、お静かに。こちらへ」

 秘書がダドリーたちを別室に誘導する。待つほどもなくそこへ、

「はい。公爵でございます」

 音もなくひかれてくるベット。国王は近づき口元まで引き上げられた掛け布を剥がす。睫の長い人形が横たわっている。生き物にはとてもには見えない。

 国王は頬に手を触れた。冷たかったのか、不安な顔になる。温めるように両手で包み込む。しばらくして、やっと安心したのだろう。手を離した。

 掛け布を戻しながら、

「殴ってくれたって?」

 アリスの方を見らずに言った。とっさに自分の事と分からなかった彼女が返事をするより先に、

「ありがとう」

「いいえ。わたしがそうしたかっただけですから」

 腹が立ったのだ。あの下種なものいいに。

「ダドリー・サクス・バルスラ」

「……なにか」

「その怪我はどれくらで治る?」

 質問に戸惑いながらダドリーは、

「二カ月くらかな」

 答えた。

「そうか。大事にしろ」

 頷き国王は手袋を外す。真っ直ぐ差し出されたダドリーは咄嗟に受け取った。

「ミツバ」

「おう」

「見送りはいい。後のことは頼む」

 言ってそのまま国王は退室。搬送ベットと共に人形も。

 ほうっと、残った全員、アリスとミツバとダドリーが申し合わせたように息を吐く。アリスが顔を上げたとき、視線がダドリーとあって、

「……サンキュ」

 このひねくれた男には珍しい、照れたよう