ぎゃははははは、と。
「マジ掴まってやがる。だっせー!」
ひとしきり笑った後で嵐の守護者は寝台に歩み寄る。
「息だけ確認すっぜ。なに盛られたか知んねーけど、薬剤アレルギーとかあるとヤベェ」
触るぞという予告とともにベッドの中に寝せられた黒髪の美形に触れる。うつ伏せにされていた身体を抱えて仰向けの姿勢に変える手つきは丁寧きわまりない。
「うお。まつげなげぇ」
閉じられたままの瞼を彩るまつげの影の深さに感嘆して、そのまま予告どおり、胸と首筋に手を当て呼吸と脈拍を確認。壁の時計を眺めながら数を数えている。
「呼吸数も心拍数も問題なし、と。んじゃ、安心したとこで寝るかぁ。シャツ脱がせてやるよ」
きっちり一番上まで留められたシャツのボタンを獄寺の指先が外す。身動きがとれない相手の関節を掴んで、実に上手に脱衣させた。シャツの下にはいまどき珍しく、律儀にアンダーを着込んでいる。
「下どーする?触ってオマエが明日蹴んなきゃ、脱がせてやっけど」
「……」
不本意ながら捕獲され、ボンゴレ日本支部の一室に運び込まれた雲の守護者は、身体は麻痺しているが意識はあるらしい。何か言おうとして唇を動かした。その動きは明確な言葉にはならなかったが。
「んじゃ、ベルトとボタンだけな。苦しいだろ」
ちゃっちゃっと獄寺は手を動かした。雲雀恭弥のシャツとベルトを脱がせスラックスの前を外す。そうして一旦、寝台から離れて、脱がせたシャツをソファの背もたれに、皺にならないように掛けてやった。
「今夜は一緒に眠るぜヒバリ様」
言ってゴロンと、黒髪の隣にアッシュグレーの髪を重ねる近さで寝転がる。自分はしっかりと着たまま。
「オマエんとこの副官にゃ、オマエが酔いつぶれて今日はここに泊まるって言ってあっから。ま、ウチの門外顧問チームにハメられたオトシマエと思って一泊してくんだな」
寝転んだ姿勢から上体だけ起こし枕もとの水差しとタオルに手を伸ばす。柔らかなタオルに水を含ませて間近な顔を拭ってやった。すげぇ肌、唇ちっちぇー、と、囁くような小声で感嘆の言葉を漏らしながら。
「さすが十代目ご寵愛の上玉だなぁ。十代目が他に触りたがんねーのもムリねーってぇか、うん。……あんた、事情、だいたい分かってっか?」
尋ねる。返事はない。けれどほんの少しの表情、というより痙攣に近い顔面の動きで、獄寺隼人は黒髪美形の気持ちを読み取った。
「クリスマスには、こーゆープレゼントがさ、マフィアじゃつきものなんだ。日本のヤクザは自分らのカラダ使って義兄弟になっけど、マフィアーソはカソリックだからソドムはご禁制なんだよ。建前上だけどな。だから女のカラダつかって繋がってファミリーになる。クリスマス、側近に自分の女抱かせんのが義務、みたいな習慣が」
ある。少しばかりかび臭い古い習慣だが、歴史と伝統を重んじるクラシカルなファミリーの口うるさい爺たちはそんな行為を妙に重んじる。だからといって妻やお気に入りを分け合う気のない若手のボスたちは大抵、クリスマスシーズン前に美しい玄人を寝室に招いて臨時の関係を結び、それにリボンを巻き側近に下賜することが多い。
しかし。
「十代目は買春を好かれない。ちなみにオレも大ッキライだけど。なぁ、ありゃ売り買いするもんじゃねぇぜ。そう思わねーか?寒いか?」
肩を竦めるような、雲雀のほんのかすかな身動きに獄寺はすぐに気づいた。部屋のすみに呆然と立ち尽くす山本に目線で合図。山本はすぐさまクローゼットの棚から予備の毛布を取り出し、拡げて、横たわる二人にふさ、っと掛けてやる。
「なんか、あれだな。麻酔銃で撃たれたヒグマみてーだなオマエ。……マンマか」
獄寺は横向きに寝転がり、仰向けにした雲雀の口元まで覆った毛布の端をずらしてやった。
「なんの話してたっけ。そーそー、十代目が買春をキライで、おかげでノエルの『お祝い』をやってこなかった訳だ、オレたちゃ、ここ何年も。ボンゴレ本部の古い連中がそれで怒ってるとかでなあ、オマエが拉致されてここに居るって次第。十代目はご両親と伊豆旅行中だ。……父上にハメられなさった。オマエが十代目とのデートを断った傷心もあるだろーけどな」
ヒバリがほんの少しだけ、笑ったような気配がした。
「ま、オマエは正しいと思うぜ。日本のクリスマスに外でメシ喰うもんじゃねぇ。値段はボッてるくせに肉はバイトが焼いてるし、普段は美味い店のケーキまで冷凍になってて、喰えたもんじゃねぇ。寿司の折とスーパーの一番高いチーズ買って帰って、家でシャンパン飲んでんのが一番、賢い過ごし方さ」
ヒバリがまた少し笑う。それはまさしくヒバリ沢田綱吉に言った台詞だった。じゃあ『おうちデート』で、竹寿司の一番高い盛り合わせで、と言っていた沢田綱吉が、父さんが日本に帰ってくるからダメになりましたとしょんぼり、伝えてきたのは二日前。
来年の春に高校を卒業するボンゴレの未来の十代目はイタリア本国の大学に留学が決まっている。その前に最後の家族旅行だと浮かれる母親を振り切れず、ごめんなさいと謝ってきたときは、まさかこんな企みがあるとは思わなかった。企んだのは、もちろん本人ではないが。
「けど個人的にゃ、今年のノエルは記念日だぜ。すっげぇ美形のヒグマと同衾しました、って。あー、ナンにもしやしねーよ。しねーけど一緒にこのまんま寝るから。オマエももう、掴まっちまったんだからよ、毒くらや皿までって言うじゃんか。なぁ?」
ヒバリの長い睫の生えた瞼がピクっと動く。掴まってしまったことが不本意でたまらないらしい。沢田綱吉の父親だと言われて、確かにリング戦で見覚えのあるボンゴレ門外顧問に間違いなくて、あのノリで誘われて、いや一番の理由はたいそう空腹だったからだが、誘われるまま食事をともにして、あとの記憶がない。
「オレとオマエが寝た、って聞いたら十代目、真っ青だろーなー」
獄寺がくすくすと笑う。確かにその通りだ。くそう、と思っている雲雀の内心で復讐の鐘が鳴った。
「なぁ、十代目もハメられちまったんだ。怒んねーで、ってのはムリと思うけどよ、オマエを裏切ったとかじゃねーのは、分かっといてくれや」
そんなことはこんなヤツに言われるまでもなく分かっている。あの草食動物が自分をハメる筈がないことくらい、とうに。けれど父親の画策を阻止できなかった罪は重い。どんな目に合わせてやろうか、と、腹の中が煮えくり返る口惜しさの中で考えていた。今、いい手段を思いついた。
「てせもホント。マジおまえすげぇ別嬪。オレさぁ、この世で一番の美人は死んだ母親で、二番目は不本意ながら仲がワリィ姉貴って思ってんだけどよ。オマエが女なら姉貴は三番目だったな」
イタリア男定番の口説き文句に心の中で、雲雀恭弥はおいおいと突っ込む。亡くなっているなら母上はこの世の人ではないだろう、と。
「隣で眠るぜ。いいな?クスリ盛られてんならそばについてた方がいい。夜中に苦しくなったりしたら一大事だしよ」
実に素晴らしく説得力のない、とってつけたような理由だった。だったが、それほど不快でもなかった。隣に転がる身体を知っている。もちろん情事の意味ではないが、黒曜ランドで六道骸の一党とやりあった時に肩を組んだことがあった。触ったことがある相手というのが雲雀恭弥には少ない。それこそこの世に数人しか居ないうちの一人だ。嫌悪や警戒はなかった。
「ま、クスリ抜けるまで、一緒に寝るとしよーや。おやすみ。動けるよーになったら起こしていいぜ」
おやすみ、と言った獄寺が山本へ向かって手を振る。指示されて山本は部屋の電気を暗くした。それきり寝台からはなんの物音もしない。
しーん、と静まり返った暗い部屋の中。
山本は、かなり惨めな気持ちで、音をたてないよう気をつけながらソファに転がり、目を閉じる。
ツナの『オンナ』を嬉しそうに口説いていた自分の『恋人』がショックだった。あれは絶対に演技ではない。雲雀恭弥の顔がキレイだキレイだとは、そういえば以前から繰り返し、口にしていたことだった。自分には一度もあんな風に優しい声を出してくれたことはなかった。
酷いと心から思った。
夜半。
「……、から、十代目が居ないのに、十代目の部屋にゃ入れねーんだよ、オレは」
悲しい気持ちでソファで、服を着たまま毛布を引っ掛けて、それでも熟睡していた山本は声に気がついて目を覚ます。
「オマエが取りに行くならもちろんいいけどさ、行くか?」
どうやら寝巻きで揉めているらしい。沢田綱吉の私室にこの美形のパジャマが置いてあるのだろう。取って来いと言われた獄寺が困っている。
「オレので我慢しろって。ンだと?レノマの新作だぜコンチクショウ」
言葉は罵り文句だが口調は不機嫌ではない。じゃれたくて爪をたててくる猫の相手をするような、楽しくてたまらないという気配が漂う。
着替えさせているのだ、と、山本は暗闇の中で思った。思うことにした。ヒバリの声は聞こえない。ただ、自分の恋人が、なんだかうきうきした語尾で囀る言葉だけが夜の部屋に零れる。
「ンだよ、テメー十代目にもこんな手間かけさせてんのかぁ?腕あげろ。吸うぞ」
ぎく、っと山本が凍りつく。いま獄寺は何を言った?
「……、だ……」
「ナンにもしねーって」
男が二度言う台詞は嘘に決まっている。
「ヤニ、臭いのはキライだ……」
「慣れたらクセになるって」
くすくす、そんな囁きが交わされる部屋で、山本武は、泣き出しそうになった。
翌日、昼前。
「ヒバリさん」
泣き出しそう、どころか完全に泣きながら。
「殺してください」
ボンゴレ日本支部の幹部用の居間の絨毯の上で、沢田綱吉は土下座。
「つっ、ツナ、なぁ、落ち着けよ。そんな、大げさだぜ」
「ヒバリさんに嫌われるぐらいなら死んだ方がマシだ。殺してください」
「落ち着け、って」
おろおろの山本。男泣きの沢田綱吉。二人を眺めながら雲雀恭弥はふかふかソファに深く腰を下ろし、竹寿司の大きな湯飲みを啜りながら高々と足を組んでいる。
「うわああああぁぁーん、ああぁぁあーん」
返事をしてくれない情人の足元で、土下座から四つ這いに進化した沢田綱吉がマジ泣き。
「ひ、ヒバリ、ツナになんか言ってやってくれよ、頼むから」
「あああぁぁあーん。ああああーん」
「落ち着けって、ツナ。ナンにもしちゃいねぇよ、オレらは」
騒々しく声を上げていた二人は。
「かれ」
雲雀恭弥が口を開いた途端、ピタリと口を噤む。切れ長の美しい瞳は流し目で、騒動に背を向けて部屋の隅で、携帯で検索しては通話を繰り返す獄寺を見た。
「なかなかなんじゃない。キミの部下にしては」
意味深な台詞に男二人は凍りつく。
「もしもし。オタク、肉そばってやってっか?やってる?肉はブタか?チャーハンは?おっしゃ!今から行くからよ、肉三倍のスペシャルで頼む」
ぴ、と、通話を切った獄寺は車のキーを掌の中で鳴らして。
「見つかったぜヒバリ。とばしゃこっから十五分だ。十代目もお昼は坦々麺でよろしいですか?」
「鼻水を啜り上げている男の隣で麺を食べるのはイヤだよ。キミと二人で行く。そのまま家に送って」
す、っと立ち上がる雲雀恭弥に、獄寺は上着を着せ掛けた。その下のシャツもスラックスも、出勤してきた洗濯係に朝一番でクリーニングさせたからパリッとアイロンがかかっている。
「え、っと、じゃ、十代目」
普段は沢田綱吉のことを最優先の獄寺だが、いまこの時は雲雀恭弥のご機嫌が最優先と、ちゃんと分かっている。
「食わせて、送り届けてきます」
会釈して出て行く。パタンと閉まるドア。二人の男がクリスマスの部屋に取り残される。ケーキもチキンもクラッカーもシャンパンも、優しくはないが美しい恋人たちの姿もなく。