序章・効能

 

 

 いつまでも、いつまでも。

 飼われている動物は自分を子供だと思うらしい。

 だから餌を貰えるし、主人に甘えてもいいだ、と。

「おい」

 夜中、雷が鳴った。早春の、これが日本なら啓蟄と呼ばれる時期。冬に眠っていた虫が目覚める合図の雷鳴の夜。

「オマエはムリだ」

 ボンゴレ九代目の養子にしてヴァリアーのボス、赤い瞳のザンザスはある日の真夜中、同じ色をした肉食獣がぐいぐいと、ベッドに乗って自分の傍らに横たわろうとするのを止めた。

「おりろ」

 物理的にそれは無謀なこと。呼吸をすることと同じくらい自然に贅沢に浸っているザンザスのベッドはキングのロングサイズ、幅180センチに縦220センチという優雅さだが、それでも体長3メートルを超える猫科の猛獣と同衾することは不可能。

「諦めろ」

 床に下りろとザンザスは言った。短気かつ癇癪もちのこの男にしては珍しい根気強さで繰り返し言いきかせる。匣生物である天空ライガーは必死で、珍しく言うことを聞こうとしない。主人の隣に横たわろうとして、ベッドに乗ろうとしてはずり堕ちる下半身に引き摺られて頭が主人から遠ざかるのを不思議そうにしている。

一生懸命に足掻き、這い上がろうとしてはずり堕ちることを繰り返して、ひどく悲しそうな表情でふかふかのベッドに横たわる主人を見上げた。図体は大きい。が、その表情は、懐いているペットそのもの。

「俺のせいじゃねぇ」

 オマエが俺の横に来られないのは、と、男は言いきかせる。確かに去年の雷の時期は一緒に眠ってやった。その頃はまだ40キロ、華奢な女か超がつく大型犬くらいの大きさだったから寝床に入れて添い寝してやることが出来た。

しかし今年はもうムリ。完全な成獣となったライガーの体重は600キロに近い。女を三人同時に侍らせることが可能なザイツ・ヴァルリンクス製の寝台でもさすがに重量オーバーで潰れる。いや、重量の前に、カラダを横にするだけの空間が確保できない。

「ベスター。お前は大きくなった」

 主人の隣で眠れないことを受け入れきれずに足掻く天空ライガーに男は言いきかせる。話して理解させて納得させようという態度には愛情と信頼があった。この男が部下たちには決して見せない根気強さも。

「雷が怖いならこの部屋で眠っていい。だがベッドの中はムリだ。そこの床で眠れ」

 寝台からすぐ横の絨毯を男は顎先で示した。指を伸ばさなかったのは伸ばせない理由があったから。いまは腕の自由が利かない。両腕は肩から肘までがっちりとホールドされている。

天空ライガーより以前から飼っている別のペットも雷が苦手で、男の鎖骨に頭を押し付ける勢いで抱きついて眠っている。男の腕は脇の下から通した古株のペットの腕に絡みとられ、その形だけは妙にいい頭を抱く形に、耳を塞いでやる位置で固定されているのでどうにもこうにも、身動きがとれない。

「ベスター。ムリだと言っているだろう」

 天空ライガーはヒスを起こした。男が眠る寝台に無茶苦茶に爪を立てる。

「おい、こら」

 やめろ、と、男が命令の声を出すよりも早く。

「うおわっ!」

 大きな鋭い爪にシルクのボアシーツがずるりと剥がされる。その上で同じくシルクの毛布とふかふか羽毛布団に包まって眠っていた二人が転げ落ちる。男の腕の中で古いペットが目覚めて声をあげた。

チッと、男は内心で舌打ち。ほどいた腕を伸ばして片手でライガーの鼻面を叩く。

 せっかく眠っていたのに。

雷の夜はなかなか寝付かない銀色のことを、男は先に眠ったふりをして抱きしめ耳を塞いでやってようやくついさっき、寝付いたばかりだったのだ。腕を無意識に絡めてすがりついてくる様子が珍しく可憐で可愛くて、ほくそ笑みながら抱きしめていたのに。

 その銀色を起こされて男は本気で腹を立てた。天空ライガーに向かって殆ど初めて手を上げる。と、いってもごく軽く、甲でパチンと、叩いたというほどもない優しさでだった。しかしライガーは雷に打たれでもしたかのように萎縮して飛び退る。

叩かれるより前に爪で引っ掛けてシーツごと主人を床に落としてしまったことにも動転していたのだろう。尾を身体にぴったりつけて肩を竦め、壁に尻を擦り付けている。どうしやったところでその小山のような身体が小さく見えることはなかったが。

「な、なんだぁ?敵襲かっ?!」

 咄嗟に戦闘モードになった銀色は左手を振り回す。義手の拳の先が暗闇の中でガンッと男の顎先に当たって。思わず男は銀色の脳天にガツンと拳を落とす。条件反射だった。

「……、っ、てぇえぇ」

 銀色は低く呻いてシーツの広がった床に座り込んだが、男もじんじん顎が痛くて怒鳴りつけるどころではなかった。ライガーは壁に擦り寄りながら寛恕を乞うように細い泣き声を上げ始める。

いっそ敵襲だった方が自分の安眠は確保されたのではないだろうかと、男は苦い表情で思う。

「い、っでぇ。いでぇ〜」

「GYU、GI、GIYUUU」

どっちも濁音で音を上げるペットたちを、どっちから言って聞かせようかと男が思案する間もなく、ぴかっと、窓の外を閃光が走る。それは分厚い緞帳のカーテンごしに男の拾い寝室に広がり、室内を真っ白に染め上げた。

「ヴぁぎゃああぁああぁー!」

「GAUOOOO」

 ペット二頭の吼える声が部屋に響く。

「うるせぇっ!」

 男が持ち前の癇癪を起こして怒鳴りつけるが、ちょうど響いた雷鳴に重なって声は二頭の耳には届かなかった。

「ひぃっ!」

 銀色の鮫は怒鳴りつけられたことも知らぬまま、男の肩に身体をぶつける勢いでぎゅうっと、一途に抱きついてくる。

「gu……」

 天空ライガーも同様に、さっき怒られて萎縮していたことさえ忘れて駆け寄り、同じようにする。銀色の鮫はまだいい。なりはでかいが細っこく、体重も七十五キロ『しか』ない。そっちはいいが、しかし。

「っ!」

 600キロのライガーに激突され無事でいる自信はさすがの男にもなかった。抱きついてきた銀色を抱きしめたまま床の上を転がる。無我夢中のライガーは男がくるまっていた布団とシーツに縋りつき、主人の匂いがするそりに子猫のように頭を擦り付ける。

「……、はぁ」

 かなり真剣に突進を避けた男が息をつく。そうして何故どうして、こんな真夜中に自分の寝室で危機を感じ冷や汗をかかなければならないのか、不快に感じて眉根を寄せる。考えるまでもなく、理由は明白。はっきりとしていた。

「カスどもが……」

 ペットが揃って二頭ともバカだから。しかし揃ってというのに男は一抹の不安を抱く。二分の二という確率は偶然で片付けるにはやや重い。こいつらがバカなのはもしかして俺のせいかと思わないでもない。バカに可愛らしさを愛おしく思う傾向が自分の嗜好の中にないでもないことを。

「ザンザス、雷、がみなりぃ〜」

 戸籍上は三十年、仮死状態で眠っていた時間を引いて実質は二十二年間、生きている男はそろそろみとめざるを得ない。

「……落ちやしねぇ」

「わかってんだよ、ンナなこたぁッ!」

 人の懐の中に飛び込んできておいて、慰めてやったのに逆ギレしやがるこのバカが、バカだからこそ何時までも自分の横に居続けているのだという事実を理解してしまう自分の聡明さを男は心の中で呪った。

「落ちると思ってこえぇんじゃねぇっ!」

 十四の頃から何度もそういえば、この怒鳴り声は聞いた。音と光がただ怖いのだと叫ぶ銀色の恐怖が男にはよく分からない。確かにうるさく、その上、災害を齎さないではない自然現象だが、この城には避雷針がついている。森に落ちて火が出たときはそれこそ暴風鮫を出して自分で消し止めればいいのに。

 夏の夕立やレヴィが出す雷は全く怖がらないくせに、春先のこの一夜だけは震えて過ごす銀色の恐怖を長く、男は理解できないでいた。今も分かるとは言い難い。が、しかし、一つだけ、同調と言うか、ああそうかと思うことは出来た。

匣生物である天空ライガーが銀色と同じく春のこの雷だけを怖がるから、きっと大脳旧皮質の中、本能と呼ばれる記憶の中に恐怖が刻まれているのだろう。太古はこれが恐竜の目覚める音だったのかもしれない。

「おい、起きろ」

 自分に縋りつく銀色に声をかけた。

「布団に戻るぞ。寒ぃ」

「……@A」

 ずるりと銀色を引き摺って絨毯の上を殆ど、匍匐前進した男はベッドへ目をやってため息。雷に怯えた天空ライガーによってそれはぐちゃぐちゃにされていた。羽根布団の表地が掻き毟られて羽根が吹き出ている。ふわふわわの最高級ダウンはライガーの呼吸に乗って部屋中に散らばり、惨状をさらしていた。

「べすたぁー、オマエも怖いのかぁ!」

 片付けるのは自分ではないとはいえ、うんざりな様相に男がため息をつく。銀色はそれでころではないらしい。布団をまだ掻き毟るライガーのパニックを起こしかけている様子に同情したらしい。優しい声をかけ、男の腕の中からするりと抜け出して、巨大な獣の背中にがばっと乗る。

「俺もだぜぇ!こえぇなぁーっ!」

 仲間を見つけて嬉し泣き状態の銀色の言葉を、天空ライガーも歓喜して迎える。羽毛が飛び散る布団だった物体の上で抱き合う。銀色に抱かれて、といっても、その腕はライガーの背中を覆うほどもなかったがともかく、ぎゅっと力を込められてライガーは少しだけ安心したらしい。ぐるると喉の奥で甘えるような声を漏らした。

「詰めろ」

 床から毛布を拾った男が、それを肩に掛けながらそう言って、シーツだった物体の上で抱き合う二頭のペットの位置をずらした。

二頭の襟首を掴んで、といってもライガーの方は首の後ろの毛皮を握り締めただけだがとにかく、そこを掴むと大人しくなる習性を利用して二頭を引き剥がす。そうして古いペットを腕に抱き一緒に毛布にくるまった。男もそうだったが古いペットも素っ裸で、暖かな毛皮からはがされることにはやや抵抗したが男の胸も暖かかったから抱きしめられてからは大人しくなった。

ぐるる、とライガーは唸る。そうして横たわる男の背中にぴったり、自分の頭を押し付けた。よし、と、男は内心で思った。腹の側にまわって腕に抱いた鮫に懐くようなら匣に戻すつもりだった。

「べすたぁ……」

 腕の中の銀色は男のそんな内心も知らず、男の腕の中から指先を、男の背中に伸ばして匣生物のたてがみを撫でる。

「お互いよぉ、ひでぇ主人に仕えてるよなぁ。俺らのことを分かってくれねぇ……」

 ……なんだと?

「自分が寒くて眠いだけなんだぜぇ。ひでぇ……」

 ビキ、っと男の額に青筋が寄る。てめぇこのヤロウと腹の中でライガーより低く唸ったが、聡明な男は口には出さなかった。甘やかしている自身を自覚していることと、甘やかしていることを相手に知られることは違う。

鳴り響く雷の中でなんとか眠らせてやろうと一生懸命だったことも、自分の腕から抜け出してペット同士で抱き合われ不愉快だったことも、銀色自身に伝えるつもりはなかった。

「でも、もう、飼われちまったんだ、しょーがねぇ。なあ、助け合って、頑張って生きていこうなぁ?」

 嫌味ったらしい台詞を、眠って聞こえないフリで聞き流した。銀色は伸ばしていた指を引いて、大人しく男の腕の中で丸くなる。寝息が聞こえ出す頃、男は肘を微妙に動かし、雷鳴を阻むために耳を塞いでやる。

 背中で獣がぐるると喉を鳴らした。腕の中の銀色よりは賢いライガーは自身が二番手であることをわかっている。その態度は健気で可愛らしい。

 違う、と、男は心の中で思う。

 こっちを愛しているのではない。新しいのを飼ったら古い方をより愛してやらなければならないという飼い主としての心得を守っているだけだ、と。

 心の中で呟いた。