べすたー・3
外出中の銀色の鮫からの電話。
それが幹部用の回線を経由して取り次がれた時点で、ヴァリアーのボス・ザンザスは用件がろくでもないことを察していた。ルッスーリアあたりと先に喋って自分の機嫌を伺ってから切り出す話はろくなことではない。
『なぁ、ボス。ザンザス。……オレのコト好きかぁ?』
やっぱり。
『好きだよな。なぁ、好きって言ってくれぇ。何があっても好きだってよぉ。なぁなぁ』
受話器ごしの哀願を聞きながら、男はすっと息を吸い込み、そして。
「今度は、なんだ」
時刻は夜の十時。ヴァリアーの遅い夕食が終わって寝酒を舐めはじめた時刻。この男が一日のうちで一番くつろぐ時間。くつろぎついでに任務で出張中の銀色のことを思い出していた。うざい電話を切らなかったのはそのせい。
『何があってもお前はオレの味方だよなぁ。なぁ、そうだって言ってくれよぉ。なぁ』
「用件を話せ」
『オレを捨てねぇって約束してくれぇ。してくれたら話すぜぇ』
「切るぞ」
『ちょ、待て、なぁ、おいザンザス、冷てぇぜぇー、お前と俺の仲じゃねぇかぁ。せめて何があったか聞けぇ!オレを愛してないのかよぉ!』
「聞いてやるから簡潔に話せ」
『拾った』
「捨てとけ」
『なんでぇ!なに拾ったか聞けよぉ!』
「匣生物だろう?」
これで一体何度目か、指折り数えなければはっきりしないほど繰り返し、銀色の鮫は外で捨て猫ならぬ迷い匣生物を拾ってくる。
『そうだぁ。なぁ、連れて帰っていいだろぉ?なぁ、ザンザス、なあっ!』
「ベスターに食わせて構わないならな」
『いい訳あっかぁ!それにあれだぞ、買ったら高いヤツだぁ!』
「食費はもっと高くつくだろうが、ドカス」
『その分頑張って稼ぐから。ちゃんと世話もすっからよぉ。なぁ、連れて帰っていーだろぉ?なぁ、いいって言ってくれよぉ』
「オレの寿命をこれ以上縮めたくなければ戻しておけ」
『ザンザス、せめて一目見てから……』
ブチン、と、男は電話の回線を切った。
翌日。
「持って帰ればいいのに。ロレンツィニのオリジナル匣アニマルだろう?高値で闇に流して上げられるよ」
朝食の話題は銀色の鮫が出張先で拾った匣生物のこと。イエスと言わなかったボスを外堀すから攻めるべく、サブは仲間にメールを送り捲くったらしい。
「シシ、センパイ、それがヤだからボスにヴァリアーで飼ってって言ってんだろ?マーモンに預けた日には研究所に戻されて実験動物じゃん」
意外と動物好きの王子様は微妙に銀色の鮫の味方。野菜とハム入りのスパニッシュオムレツを食べながらちらりと上座のボスを見る。ボスは視線を動かさず言葉も発さず、暴力的な気質とは裏腹の上品な手つきでオムレツを口に運んでいる。
「オリジナルだったのか?」
ボスのかカップにカフェを注ぎながら、メールは貰わなかったが気になって仕方がないらしいレヴィがルッスーリアに尋ねた。
「写メの写真じゃよく分からなかったけど、その可能性は高いんじゃないかしら。スクちゃんの雨の波動を感じて出てくる知能はオリジナルの筈よ」
匣兵器は複製量産が可能であり、それは生物型でも同じこと。ただしコピーを重ねるごとに『品質』は劣化する。また、天空ライオンシリーズのようにコピーが不可能なもの、作成者によって複製不可の設定が埋め込まれている物も存在する。
「迷い匣生物なんてさぁ、滅多に居ないはずなのに、なんであのセンパイ、こんなにちょこちょこ拾ってくんのかなぁ?オカシー」
「白蘭系の研究室からは逃亡が珍しくないらしいわ。その気持ちもねぇ、よく分かるのよぉあたしは。匣生物にも心はあるのだもの。好きな主人に飼われたいんであって、実験場や工場で、ブロイラーみたいに閉じ込められて養殖されるのは嫌よ。ねぇクーちゃん?」
ここはルッスーリアの部屋の食堂。奥の居間には美しい羽根の孔雀が行儀よく鎮座している。主人であるルッスーリアに話しかけられて長い首を捩じってそちらを向き、甲高く短く鳴いて同意を示した。
「愛し合ってなきゃファミリーにはなれないもの。愛してくれない学者に実験材料にされるのは嫌よ」
「まぁ、そっかもねー」
肩に乗せたミンクに頬ずりして王子様は頷く。ヴァリアーでは匣生物は常態が出しっぱなし、水棲の鮫やエイの他はトコトコと主人の部屋や周囲を歩き回っている。幹部たちの質量ともに高度で、戦闘でもしない限り一度の開匣で数日間の活動が可能という事情もあった。
「今度の、なに?」
「海獣だったわね。ゴマフアザラシ。雨属性は鳥と海棲生物が多いわ」
「へぇ。子供だった?」
「そうみたい。真っ白で可愛かったわよぉ」
「いいなー。ダッコしてみてぇー」
ちらり、王子様はボスを見る。かなり露骨なオネダリ。反応はない。
「海獣ならそれほど大きなプールは要らないね。陸でも活動可能だから飼いやすいよ。ロレンツィニで間違いなければ50〜60万ユーロかな」
日本円に直して7000万前後。
「子供ってことは成長型だから、もっとするかもしれない」
「それタダで拾ったってか?センパイおっかしー。あははははー!」
「正確に言うと、夜道で気配を感じて川を覗き込んだら、お腹を空かせたゴキフアザラシの子供が水面からスクちゃんを見上げていたんですって」
「馬鹿馬鹿しいほどシュールな光景だね」
盛り上がる部下たちに、ボスは一言も与えず食事を済ませて席を立った。
「……脈なし?」
「ダメかもしれないわね」
ベルフェゴールとルッスーリアがひそひそ、顔を寄せ話し合う。
「なーんで。悪いことじゃないじゃん。匣兵器が増えるのはいーことじゃん。なぁ?」
ティアラの王子様に同意を求められ、キュウッとミンクは可愛らしく鳴いた。
「時期が悪かったわねぇ。スクちゃん、鮫のアーロに最近、構いすぎだったもの」
ヴァリアー本邸の中庭には屋根つきのプールが作られた。そこには海水が満たされ、ヴァリアーサブの匣生物、暴風鮫が放されている。完成してまだ二週間足らず、ヒマさえあればプールの縁に立って、漁船から直接買い付けてきた新鮮なカツオやブリを宙に投げては、水面から躍り出てダイビングキャッチする鮫に歓声を上げ続けていた。
「新しいペットを飼ったら、最初のを前より可愛がらないといけないのよねぇ」
「ルッス、それもしかしてボスのこと言ってる?」
「あらやだ。例えよ、ほんの、ものの、タ・ト・エ!」
「キッショー」
「スクちゃんのことですもの。ボスがいいって言わなくても連れてくるでしょう、きっと。問題はその後よ、お手並み拝見ねぇ」
「賭けるかい?」
「成立するなら乗ってもいいけど。王子はセンパイが泣き落とすのに一万」
「ボクはスクアーロが口説き落とすのに二万」
「アタシはスクちゃんの寝技が大爆発するのに散漫よぉ」
「ししっ、ルッス、下品だぜ」
「で、ダレがどうやって確認する?」
「問題はそこよね」
いつも、それが問題で賭けは成立しない。
勝敗自体は今さら、賭けの対象にはならない。
三日後。
深夜。
男の枕元で受話器が鳴る。直通の音で。
「……」
こんな時間のこの男の部屋に掛けてくる人間はごくごく限られる。そのうちで現在、館の祖に居る人間は一人しか居ない。
『……ごめん。起きてたか?』
三日間、当番の隊員を通しての定時連絡しかしてこなかった銀色の鮫。
「どっからだ」
『地下の駐車場』
「さっさと上がって来い」
『連れて帰っちまったぁ……』
男は受話器に向かって聞こえよがしのため息。
『ごめん……。ザンザス、ごめん……。言うこときかねぇで、ごめん……』
細い謝罪を繰り返す側近と愛人を兼務する部下に。
「匣、あんのか」
男は起き上がりながら尋ねる。
『ん。腹ン中に呑んでた』
愛し合える主人を与えられず脱走する匣生物は大抵が知能の高いオリジナル。逃走時には自分自身の本体である匣を忘れず携える。
「入れてお前は上がって来い」
『……捨てろって言わねぇよなぁ?』
尋ねる声音は部下のものではなく。
「てめぇ次第だ、カスザメ」
答える男も、上司ではなかった。