瓦解・4

 

 

 

 前夜から飲み続けていた二人は昼まで眠った。正午に一階の店から足音が上がってきて、寝室の隣で物音。廊下側で寝ている沖田が寝床の中から見ると、物干し場に続く狭い茶の間にちゃぶ台を出して、冷蔵庫から取り出した飯鮨とお茶を並べているところ。

 斜めに見上げる位置から、その顔を惚れ惚れと眺めながら。

「……土方さんは」

「目ぇ覚めたか。会館から二度、電話があったぞ」

「俺より旦那との方がイイんんですかぃ?」

「おめぇこそ相変わらず、俺よりそいつのコトをダイスキだな。自分じゃ殺せなくって俺ンとこまで持ち込んで来たか」

「旦那のことは俺よりあんたが分かるかと思って。こんな所まで追ってこられた気分はどうですかい、嬉しい?」

「その戯言は置いて」

 黒髪の店主は懐から煙草を取り出す。

「性質からすると維新派の走狗になってるとも考えにくいが、まさかってことが起きんのが世の中だ。これ以上、お国は一歩も踏み込ませんな。港からどっか行こうとしたら、斬れ」

「俺に命令しないでくだせぇよ」

「指示して欲しくってここまで来たんだろ?」

「土方さん、こっちに」

「……」

「おいで」

 布団の片端を持ち上げて誘う。

「副長命令ですよ」

「俺は隊士に、伽の用は言いつけなかったがな」

「俺はあんたじゃない。来い」

 咥えたばかりの、まだ火も点けていない煙草を唇から外し、仕方なく、黒髪の店主は若い男が横たわる布団の中へ。

「……返事は?」

 服を着たままで組み敷かれる。

「俺より旦那の方がイイ?」

「較べれるほど、お前との記憶がない」

 自分を抱きしめる若い男に、艶な黒髪の店主はむはきはき答える。体温で暖かな褥の中、抱かれる自分に重みをかけないよう肘と膝をつきながら、若い男がそっと頬を寄せる。でもくちづけは、しない。

「思い出してくだせぇ」

「一回きりを覚えてられるほど経験が少なくない」

「一回じゃなかった」

「一回だ。本番は」

「覚えてるじゃねぇですか」

「……総悟」

 姿勢はセックス。正常位の体位そのもの。着たままの脚をムリに披かされて、そこに容赦なく腰を押し付けられて。

「旦那と、逃げたい?」

 辱められているのは店主の方なのに。

「お前がナニを言ってるか分からねぇな」

 泣きそうな顔をしているのは若い男。

「俺を嫌いかって聞いてんだよ、答えろ」

「好きに決まっているだろうが」

「白々しいんだよ、こんな」

「お前を愛さなくって誰を愛するっていうんだ」

「あんたはいっつも、そう……!」

 激昂しかけた若者の叫びを、

「お前が可愛くてならない」

 黒髪の店主は途切れさせた。目の前の肩にそっと、額を押し当てることで。

「だからお前に負けた後も、こんなところで、まだ生きてる。お前が心配だからだ。俺に出来ることが今更あるとも思えねぇが、ヤクタタズでもそれなりに、後見くらいはな」

「……、なにが、負け、だよ……ッ」

「なんでもしてやるぜ、お前のタメなら。お前は俺の跡をとった。俺にとっては、息子みたいなモンだ。俺にナニをさせたい。そこのそいつを、片付けて欲しいのか?」

「わざと、だった、くせに……」

「お前は若い。俺より長く、あの人を助けられる。お前が居てくれて良かった」

「……おれを だましたくせに……ッ」

 若い男が組み敷いた相手を掻き抱く。二の腕ごと抱きしめられて不自由な体制に文句も言わず、黒髪の店主は手首から先だけで、嗚咽をこらえる風情の若い男を、撫でる。

「おめぇがこんなに不安定なのは珍しいな。そいつのせいか?殺したくないんならムリにとは言わねぇよ。さっさと追い返そう。それでいいだろう」

「あんたの」

「なんでもおめぇの好きなようにしていいんだぜ、総悟」

「せぇだよ」

「俺のこともコミでな」

「……チクショウ……」

 そのまま暫く、若い男は動かない。が、一時を知らせる港のサイレンを潮に抱いていた腕を解く。離せと一度も言わなかった店主がゆっくり、襟や裾の身づくろいをして階下へ降りていった。

「なぁ、それ食べていいの?」

 足音が聞こえなくなった後も、腕をぱたんと枕元に放り出したまま動かない若者に、奥の布団から白髪頭の客人が問う。

「お腹すいたんだけど。美味そう」

「……、ですよ……」

「はい、なに?」

「それ影膳ですよ。食うンなら、冷蔵庫の中のにしてくだせぇ」

「影膳ねぇ、古風だねぇ。ゴリさんのだよねぇ。ナンかあれだね相変わらず、情が濃い女房みたいだねぇ」

 起き上がり、若者を跨いで茶の間へ移り、冷蔵庫を開けながら呟く。独り言じみているが、本当は違う。

「沖田君の女房になったと思ったけど、違うんだねぇ」

影膳とは,生きている人が長期旅行や出稼ぎに出ている時に,「元気でありますように」という祈りを込め,今そこにその人が居るかのように膳を置くこと。真撰組の本隊から離れて潜伏中の局長のことを、相変わらず、あの男は想っているらしい。

「右が利き足だったよねぇ、トシちゃん」

 それが誘導尋問だ、と、頭では分かっていたが。

「知らなかったんですよ」

「沖田君食べないの?」

「要りません」

「食欲不振かい、若いのに」

 大きなパックの紅鮭の飯鮨。魚の切り身に米と糀、生姜・人参・大根・唐辛子を混ぜ、みりんを加えた発酵食品だ。麹の酸味が紅サケの甘さとひきたてあって、メシにもあうが、

「迎え酒したいねぇ」

 寒い気候と野菜を漬け込む製法のせいか、いわゆる馴れ寿司にしてはクセがない。

「何所で怪我したの、あれ」

「会津で。……俺はそん時、仙台に居て……、知りませんでした」

 将軍は恭順したが攘夷派と相容れない勢力は武装解除に応じず抵抗を示し、小競り合いは各所で勃発した。真撰組には攘夷派と手を組んだ天人からの追っ手がかかり、それを振り切るために数度、激戦が展開された。

「モノにしたのにあんま使ってないの?勿体ないなぁ、トシちゃんいい『オンナ』なのに。いい具合だったろ?」

「俺とはあんまり、あわねぇみたいなんですよ、あの人」

 抱き心地を論評する資格は、若い男にはなかった。

「すっげぇ辛そうだったから、一度でやめました」

「まさかぁ、トシちゃんでしょ?こっちが脳溢血の腹上死か腎虚で殺されることがあっても、トシちゃんは余裕綽々だよ」

「あわねぇみたいなんですよ、俺とは。でも今は俺のオンナですから、旦那手ぇ出さねえでくだせぇ」

「抱けなくっても情婦かぁ。オトコのそういう純情はオンナに迷惑がられるだけだって知ってた?」

「知っていますが、それでもですぜ」

「じゃあさぁ、オンナをすごく、寂しがらせるのは?」

「……」

「コロしたならクいなよ」

 死んだ魚のような目の、底が剣呑に光る。

「骨まで噛み砕いて髄まで、すすってやらなきゃ、オンナも殺され甲斐がないんじゃない?」

 頭からぱりぱり、噛み砕いて骨の髄まで。

 貪りたいと、ずいぶん長い間、夢にまでみてきた。

「トシちゃんは甘いよ。俺が言うんだから間違いない」

 誘惑の毒がひそむ声も。