妓楼・1

 

 

 男が抱いたカラダを放す。オンナは這って男から離れる。噛み締められていた唇からぼたぼた、なかなか迫力のある量の血が行燈部屋の古畳に落ちる。傷は深いらしい。甘ったるく饐えた体液の匂いで濁った薄暗い部屋で、鮮やかな血の匂いは鮮烈に冴えた。

「なんのアピールだ?不本意だって言いたいのか?」

 自分を見ようともせずに衣服を引き寄せるオンナに男は傷ついた。唇の怪我が心配でならない。けれども意地を張ったのは、オンナがあんまり頑なだったから。

「いまさら、あんなに濡れといて、強姦されましたとか言うつもりか?」

 男の嘲笑を補強するように、小袖に腕を通すべく身動きしたオンナの狭間からどろり、濁った粘性のある液体が流れ出た。男の精液とオンナの体液が混じったそれを拭いもせず、オンナは男に背を向けたまま服を着ていく。口は開かないまま。

「部屋に行こうぜ、スクアーロ。お前の」

 男が立ち上がる。着流し姿で帯は解いていないが、裾が乱れ片肌ぬぎになって、粋な結城が着崩れた様子には色気がある。年齢は二十八・九といったところ。肉体的にも精神的にも充実し、男盛りをこれから迎えようとする雄の自負と自惚れが、態度からも言葉からも溢れる。

「番新でも部屋はあるだろう知ってるぜ。年季あけても客を取らないって決まっちゃいないだろ。全然、変わってないじゃないか。

ちゃんと……」 

 濡れたじゃないかと男は言わなかった。言葉の代わりに腕を伸ばす。捕らえられたオンナは逃げようという素振りは見せたけれど、疲れ果てた体では力強い男に逆らいきれず、その手に捕らえられる。

「……、ッ」

 オンナの背中がびんくと反り返った。けだるそうなそれまでの物憂さが嘘のように跳ねる。

「血が出るぞ」

 咄嗟に声を殺そうとしたオンナの顎を男が片手で掴み唇をかませない。殺せなかった呻き声が細く漏れる。男のもう一方の手は単衣の前を掻き合わせただけの襟から強引に懐を冒して、陵辱の余韻に凝って尖った乳首を指先に捕らえていた。

「ッ、……、ぅ」

「痛いか?」

「……、ぁ」

「違うな。気持ちがいいんだ。かわいそうに」

 男が言うのは全くの嘘ではない。久しぶりの情交にオンナのカラダからは蜜が溢れて滴る。敏感な胸を長年馴れた男の指先で弄られ掌で包んで揉まれ、優しくでもしたたかな愛撫を受けて、全身で悶え始める。

「何年も、ずっと、仲良くしてきたんだ。いきなり終わり、なんて可哀想だよな。こんなに、乾いて……」

 噛み締める力のなくなったオンナの顎を離した手で、男はオンナの裾を割ろうとする。されるまいとオンナは抗ったが、敏感に尖りきった胸の先端を、ぎゅ、っと。

「ッ!」

 容赦ない力で捻られ痛みに強張る。

「……いい子だ」

 その隙に裾を払い、狭間に指を這わせた男はいい気なことを言った。薄い茂みはしとどに濡れて、男の指先を締められる。膨らんだ花びらの外縁をそっと撫でてやるとじゅくっと、また新しい粘液が蜜壺から溢れて茂みと男の指を塗らす。いい子だと男は本気で、そう繰り返した。

「お前は本当に、いい子で、いいオンナで……。オレはお前に夢中だよ。お前が抱けない人生なんてもう、考えられない」

 腕の中で呻くオンナが現職だった頃は格が落ちるぞと苦い顔をされながらも、裏通りの小見世へ足繁く通っていた一番の贔屓客。

大見世のお職(一番の売れっ妓)でさえ持っていないような金襴の三つ布団を、夏冬の年に二度、贈り続けてきた破格のお大侭。飛ぶ取り落とす勢いの新興財閥の当主、なのにまだ二十代という若さ。その上に金髪の輝く美青年という、どこの妓楼に行ってももてるだろう男は、でもこれ以外に目を向けようともしない。

「なんでも買ってやるぜ。料亭でも船宿でも揚屋でも。だから、もう、こんな意地悪をいするなよ。あがったからさよならって、そんなので離れられる付き合いじゃなかった筈だ。なぁ……。まだ俺を好きだよな?」

 背中から抱きしめた耳元に囁きながら狭間に指先を当てる。そっと添えただけ。なのに吸い込まれるようにして沈んでいく。どくどく、という勢いで溢れてくる蜜液とあわせて、オスをぞくぞくさせずにはおかないカラダだった。

「苛めないでくれ」

 男の掌が熱を帯びる。乱暴に組み敷いて征服して、続きは部屋でと考えていたけれど、我慢できなくなる。

 オンナの濡れた狭間から指を引く。細くて薄い肩に手をかけ、仰向けにして足首を掴む。膝を開かせ、腰を引き寄せる。オンナはひくひく、痙攣するばかり。ろくな抵抗は示さない。けれど恐れるように竦められた肩と、顔の上で交差された腕が男を拒もうとする意思を露に示していて、男の心を傷つける。

「優しくしてくれよ、スクアーロ」

 男はその腕をはがそうとした。顔を見たかったしキスもしたかった。けれど触れた途端に肉付きの薄い唇が、あんまり可哀想に震えたからやめた。

「……そんなに嫌がるな」

 切なく告げて、沈み込むカラダの内側は以前と変わらず柔らかく包み込んでくれる。ほんの数ヶ月前はこうすると甘い声を聞かせながら抱き返してくれた。

 あれが嘘だった、とは。

 思えないし、思いたくない。惚れたフリをするのも傾城の手管のうち。分かっているけれど自分だけは違うと信じている。騙される男たちはみなそう思っている、思わされているのだと分かっているけれど、でも。

 それでも。

「笑ってくれたら、命だってやるぜ?」

 ずっと好きだった。子供の頃から、ずっと。

 

 

 

 その見世にとって、男は超を十つけても追いつかないくらいの上得意客だった。

「王子さぁ、ショージキ、あんたのことキライじゃないよ、跳ね馬のディーノ」

 一人の妓を気に入って何年も通い詰めた。紋日のたびに見世の全員に祝儀を出し、女を買い切りにした。花見や月見、節句という行事のたびに廓内で設定されている紋日には妓の揚げ代は倍になるけれど、男にとっては気に掛けるほどの額ではなかった。

 もともとこんな裏通りの小見世で妓を買う身分ではない。江戸町や京町の大見世の極上に花魁道中をさせ仲の町の茶屋で待たせて、揚げ屋で宴会、大見世に戻って床入り、というあたりが似合いの金持ち。

そのクラスの妓だと揚げ代だけで一両一分。加えて花魁は見習いの振袖新造や禿、見世の男衆、芸者といった『おまけ』を連れてくるから、一度の首尾に八両から十両はかかる。

対して裏通りの小見世では一番高価な座敷持ちでも二分。一両は四分なのでその時点で三分の一だが、セット販売の新造はついても一人、揚げ屋での経費のかかね宴会を催す必要もなく、台の物(仕出し)をとって皆に振舞ってもせいぜい、三両にもならない。好きなオンナに気前のいいところを見せたい男は時々、使いきれずに欲求不満でさえあった。

「昔から知ってるし、お小遣いたくさんくれたし。……スクアーロに優しくしてくれたしさぁ」

 大見世と違って小見世の座敷持ちだった銀色のオンナには禿や妹女郎はつかなかった。けれど個人的にこの妓を可愛がっていて、よく座敷に同席させた。自然と男とも顔見知りになり親しくなり、祝儀も出せば季節の着物を買ってやることにもなった。

「あんたいーヒトじゃん。なのになんで、こんなことしたのさ。センパイのことキライになったワケ?」

 時は流れ、世代交代があって、今では目元を前髪で隠した自称『王子』がこの見世で一番高い『座敷持ち』。自室の他に表座敷を持ち、そこに客を迎える妓のことをそう呼ぶ。もう一段低い身分では、自室しか持たずそこへ客を迎える妓を『部屋持ち』と呼び、その二種は見世の二階に起居する、それなりの上玉。

自分の部屋も持てない売れない妓たちは一階の大部屋に起居し、そこで割り床と称する、屏風で仕切った畳二枚分ほどの『区画』で客をとる。隣の気配や声どころでなく、モロの現場も覗こうと思えば簡単に覗くことができる、悲惨な廻し部屋。

「でもさ、行燈部屋で押さえつけられて、よりマシと思うんだよね、オレ」

 昼間に用のないそれを仕舞っておく、階段下の薄暗い倉庫。ろくな掃除もされていない、埃っぽい部屋だ。

「センパイさぁ、かわいそーじゃん?」

 今日の昼見世にこの男はやって来た。それは珍しいことではなかった。

蔵前の札差であるこの男の店は浅草寺奥に位置する吉原にほど近い。用事のついでにうさぎやのどら焼きや三色団子を山ほど持ってくる。出世したのに味覚かわんねぇなてめぇと銀色が軽口をたたき、叩きつつみんなでお茶を飲むことが時々あった。

妙に凝った名前の高級菓子を持ってこないところがらしくて、王子様は好きだった。今日のお菓子は舟和の芋羊羹。廓に芋を堂々と持ち込むのはあんたぐらいだよとみんなで笑いながら食べた。その中には相変わらず銀色も混じっていた。

二十八になって年季が明けて、女郎ではなく年増の番頭振袖、俗に番新という世話役として相変わらずこの見世には務めている。売色はしなくなって地味なナリで、それでも相変わらずの美貌をこの男が愛していることは分かっていた。王子様を指名して見世に上がっても手をつけようとはせず、目当てが同じ座敷に侍るかつての馴染みだということは分かっていた。

「いくらアンタが金持ちでもさぁ、売り物じゃないのに手ぇ出すのは、行儀わりぃんじゃね?」

 半刻(一時間足らず)も居らずに出て行く男をオンナが見送った。そぞろ歩きの客も少ない昼見世はみんなが気を抜いた務めで、オヤツでおなかいっぱいになった妓たちは夜に備えての仮眠や風呂のために散り、人気が少なかった。昼下がりのそんな平和なひとときに行燈部屋に引きずりこまれ、灯ともし頃まで男に蹂躙されたオンナは、可哀想に。

「クチもきけなくなってたじゃん、センパイ」

 行燈を出すために下男がそこへ立ち寄り、以上に気づいて帳場を支配するルッスに注進した。凛々しいオカマが戸障子を開いたときにはさすがにコトは終わり、男の腕に抱きしめらたオンナは泣きながら震え、スクちゃんと優しく声をかけてくれるオカマに、受けた非道を訴えることも出来なかった。

「そんな酷いことはしていないんだけどな」

「イヤがってるのをヤるのはジューブン、ひっどいコトだと王子思うんだけど」

「昔みたいに、愛し合いたかったんだ」

 そんなに昔のことではない。ほんの数ヶ月前。

 おはぐろどぶに面した最下級の河岸見世は例外だが、この廓では二十八歳での引退がご定法。公に客を取らなくなることは分かっていた。でも自分のことだけはそっと、寝床に入れてくれるものだと男は、思いこんでいた。

 有り得ないことではない。番新は色を売らない建前だが、昔馴染みの客に袖を引かれれば望みに応じることもある。証拠に番頭新造には部屋持ちが多い。

値段は一分もしくは二朱、現役時代の半値から四分の一。けれど、何人の廻し客をとっても楼主に搾取されていた現役時代とは異なり、夜具の損料を除く全額が本人の懐に入る。引退した妓についていた馴染み客を引き留める為にも、楼主は人気のあった女郎が引退後、番新となることを歓迎する。

人気のある番新は現役時代の馴染みを相手に気楽な稼ぎを務めと平行して続け、小金を溜めて花屋や食べ物屋といった物売りの店を開くことも多い。

「あのさぁ、跳ね馬ぁ」

「分かっている。ルールを破った罰は受ける。焼印でも入れ墨でも好きにしろよ」

「あんたにそんなことしたら後がこえぇよ」

 蔵前の札差は幕府公許の商人だがキレイなばかりの業界ではない。本来は支給される知行米や扶持米を金銭に両替する代行業者だったが、今では商人の身分で食い詰めた旗本や御家人たちを相手に、高利貸しとしての業態になっている。

「今度の紋日、俺に仕舞いかけて。あとセンパイ、ショックで暫く見世に出てこないかもしんないから、その分の休業補償もしてやってくれるよな?」

「するとも。見舞金も出す。……どうしてる?」

「内緒」

「外に部屋を持っているんだってな?」

「ノーコメント」

「隠すなよ、知ってる。竹寿司の二階に一間を借りて、通い勤務にしたってな」

「あぁ、そーゆーコト」

 だからかと、王子は納得した表情。銀色のオンナが引退したんだ客とのセックスはもぉしねぇと言い張って数ヶ月、この男は健気に我慢していた。王子様の座敷で顔を合わせるたびに、盃をさして話して一生懸命、翻意させようとはしていたけれど。

「山本と毎晩、よろしくやっているんだと思った。違ったな」

 長年の仲だ。抱けば、どんな夜を過ごしていたかは分かる。随分と久しぶりの様子で、ガクガク震えて可哀想だった。だからといって欲望はとまらず、疑いの凝った怒りのまま、懐かしい快楽を奪いつくしたけれど。

「ちげーよ。あいつ今、ボンゴレの本部詰めで滅多に実家に帰ってないし。センパイがあそこに間借りしてんのは、急に仕込みっ妓が入って部屋足りなくなったからで……。嫉妬に狂ったオトコの被害妄想ってこえーよ」

 王子様が呆れた口調で言ってため息をつく。

「なぁ、跳ね馬。最初に戻るけどさ。俺あんたのこと嫌いじゃないし、色々、世話になってるし。だから言うんだけど、なぁ、こんなことすると」

「出入り禁止か?」

「嫌われちまうぜ、センパイに」

「そうだな。それも、いいな」

「ウソツケ」

 と、王子様は言ったけれど、男が案外、本気で思っていることは感じていた。

「友達みたいな顔で笑われるより、そっちがマシって、ずっと思ってるぜ」

 悲鳴と紙一重の、嘆き。