初恋・20
自己嫌悪とは普段、縁遠く暮らしている。
「あの、なぁ……」
天才とか天性とか言われだしたのは本当に幼い頃。少年時代の入り口で剣帝と呼ばれていた男を倒し、以来、業界内ではトップを突っ走ってきた。自負心は当然あったしそれを傷つけられる事は少なかった。自分を負かしたガキを跡取りにするつもりで育てていて、いつかは全部、食わせる覚悟もしていた。
「文句とか、言いたいこととかあったら、言えよ」
ぼそり、銀色が呟いたのはベッドの中。自分のではない、豪勢な寝台。その中で、更に男の腕に包まれて、素肌に触れる体温がひどく暖かい。
「……?」
男は眠りかけていた。それでも腕の中のオンナが声を出したのに気づいて無理をして目を開く。珍しく穏やかな視線で、今夜、三日ぶりに繋がった銀色を眺めた。
「……なんだ?」
「だからよォ、ナンてーか……。……ムリすんなぁ……」
「何を言っているか分からん」
あっさり答えられて、もう眠れ、という風に頭を撫でられる。優しい手つきだった。それにどう仕様もない違和感があった。この手がそんな風に触れてくるのが、どうしてもウソだという気がしてならない。騙されているんじゃないかという疑いが胸に目覚める。
「……すぅ……」
男が眠った。安らかな寝息。それを聞いているとなんとなく幸福な気持ちになる。少し笑っているような表情で、軽く重ねたまつげの意外な長さに見惚れながら、でも。
「オレ芸なしだからよォ、面白くねーだろ?」
男を起こさないよう、はっきり声にはしないで唇だけ動かして呟いた。本当は自分とのセックスは面白くないのではないか。もう本当は嫌気がさしているのではないのか。
酔って無理やりに手をつけた責任上、自分が来るから仕方なく続けているのではないだろうか、と。
そんな疑いが胸の中に重苦しく転がる。酒があんまり増えるのが心配だったし、睡眠薬は飲んで欲しくなかった。だから毎晩、襲撃という勢いでこの部屋に来ている。拒まれたことはないし、優しくされているけれど本当は迷惑なのではないだろうか。そういえばボンゴレ本邸でも来るなと言われた。
「ワケ分かんねーけどよォ」
無理やりに抱かれて、そのまま抱き続けられた。拒んだら息を止められそうになって、それぐらいなら何でもさせるつもりで銀色は覚悟を決めている。けれど男にその気がなさそうに見える。あんなに欲しそうだったのに与えても食いつかない。もしかしなくても、もう飽きたんだろうか。
「甘やかされてっからなぁ。オマエも、オレもよォ……」
男同士のセックスでメスの役割をすることには慣れていた。つもりだった。でも長い相手とずーっと続いていただけで、経験と言うには微妙かもしれない。夢中になられて貪られているばかりで、相手の男を悦ばせる方法は、殆ど知らない自分にいまさら、気がついた。
「プロのオンナの方が楽しいだろ?」
安らかな寝息を漏らすこの男は娼婦に慣れている。メスの方から積極的にオスの欲望に仕えるのが当然と思っているのではないだろうか。そういう技術を殆ど知らない自分には、とっくに飽きているのではないか、と。
「なぁ、もぅ……。意地、張んなくって、いいぜぇ」
義理で抱かれているのではないかと思うと辛い。そんな気遣いは無用といいたいが、意地っ張りで強情なこの男が、そうかと素直に手を引くこともありえなさそうで、溜め息。どうすうればいいのだろう。分からない。
「オマエは、オマエが好きな、よーにして……」
いいんだと、呟く銀色の胸の中には、確かに愛情があった。
ノエルのパーティーに、行かないとザンザスが言い出したのは想定の範囲内。毎年のことだが今年は特に強行だった。沢田家光、この男の天敵がパーティーに来るという情報が事前に入ったから。それも隠棲した九代目の支持で、その養子に娶らせるべく花嫁候補の令嬢たちを引き連れて。
『来るってよ。知ってた?』
無邪気なフリでその情報を流してくれたのはボンゴレ十代目の雨の守護者。知らねぇ、ありがとよ、と、銀色は素直に礼を言った。ボンゴレ本部の奥で何事が企まれているか、知らせてくれる弟子の存在は貴重だった。意図は、うまく伝わっていなかったけれど。
本邸にザンザスを運び込んだ時、二人きりになった後で銀色が同じベッドに入ったことは監視カメラに撮られている。その情報は十代目の幹部たちに知らされている。山本武が沢田家光の来訪の意図を漏らしたのは、恋人とられねーよーに気ぃつけろよという警告のつもりだった。
が。
「んじゃ、代わりにオレが行ってメシ喰って来るかぁ」
銀色がそう言い出したのは、男に自由をやったつもり。ノエルに自分が居なけれぱ、誰に気遣うこともなく気晴らしの娼婦を呼べるだろうと思った。もともと、そのまま、何処かのホテルに泊まって、その夜は帰ってこないつもりだった。
だからパーティー会場で、今夜は帰さないぜと獄寺に宣言された時も逆らわなかった。
「……」
銀色がそう言い出した時、オトコはあからさまにムッとした。面白くなさそうな表情で憮然として口を開かなかった。代わりに気の利くオカマが、甲高い声で。
「いやぁよぉ、スクちゃん。アンタが居なくて、誰がウチの七面鳥を捌くのよぉ」
予定にクレームをつける。マフィアの常識からは些かはずれたところに位置するヴァリアーだが、ノエルの晩餐は今まで、幹部がちゃんと揃って過ごしてきた。
「しゃーねーだろ。ボスさんが行かねぇってんだから」
「そんなの、毎年のことじゃない」
「家光が来るんだぜ?せめて誰か、カオ出してかねぇとマジィ。反逆の意図ありとか言い出されたらどーする」
銀色の危惧はもっともだった。ゆりかご以来、門外顧問の沢田家光はヴァリアーの宿敵。
「まぁ、そういう事をいかにも言い出しそうな面倒な男よねぇ」
しぶしぶ、という様子でルッスーリアが同意する。ザンザスの眉間の青筋はそれでも消えなかったが、言葉にして行くなとは言わなかった。仕方がないことだと理解したのだろう。乱暴だが粗暴ではなく、聡明な頭の良さが、不幸のモトになることもある。
「行って乾杯したら、すぐ帰って来るのよ?いいわね?」
母親のように念を押すルッスーリアに。
「帰って来れたらなぁ。途中でトメられたって、オレのせーじゃねぇぞぉ」
不良息子のような口調で、銀色はそんないい訳をした。
結局、銀色の『帰宅』は遅れて。
「スクちゃんの分は、ちゃんととっておきましょうね」
ヴァリアーの食卓を支配するルッスーリアの判断でノエルの夕食は銀色抜きで行われた。ボスの機嫌が悪かったので夕食は盛り上がらず、いつもの時間と同じくらいで終了。ドルチェは食べずにボスは自室に引き揚げてしまう。
「センパイ、なぁにしてんのかな?」
唇の端にクリームをつけたまま王子様が食堂の時計を仰ぎ見る。時刻は十時をまわっている。夕食の遅いヴァリアーと違って、ボンゴレ本邸のパーティーの開始は早い。抜け出す気ならとおに戻っているはずだ。
「何をしているのかしらね」
「まさか跳ね馬と遊んでないよな?」
王子様が口にした危惧は、実はけっこう、深刻なものだった。
「……まさかと思いたいわね」
ルッスーリアが返事をする口調にも弾みがない。ノエルの夜に帰ってこないつもりかと、内心で、ヒヤヒヤとしている。
その食堂にはまだレヴィも残っていたが、黙ってドルチェを食べている。実は甘党のこの男はルッスーリアが作るパネットーネが年に一度の楽しみ。ドライフルーツとナッツがたっぷり入ったパン生地のケーキに、ラム酒を効かせたザバイオーネ(カスタードのソース)をかけて、ぱくぱく、おいしそうに食べている。
「あ」
「あら」
「む」
そんな食堂に、ポーン、と警告音。電話回線を突破されたという知らせ。けれど三人は椅子から立ち上がらなかった。警告音は音階によって突破元を知らせる仕組みになっている。この音はボンゴレ本部からだ。彼らのボスのもとへ、直接の回線を無理やりに引いた童顔の十代目から。
「ツナヨシが、何の用だろ。センパイがどーかしたのかな?」
王子様が壁のパネルを眺める。通話状態を示す赤いランプは暫く続いた。そうして、消えた、その直後。
『素面のヤツは居るか』
パネルのスピーカーから、彼らのボスの声が低く響く。
「お供します、ボス」
レヴィが立ち上がった。それはいつものこと。皿の上に残った一口分のサバイオーネを口の中に突っ込んでから駆け出す。その一瞬が、ノエルらしかった。