何ヶ月も『病気』で休んでいたボンゴレ十代目の右腕が数ヶ月ぶりに公の場所に姿を見せた。創立記念のパーティー会場で、スタッフという訳ではなく一般招待客の一人として、立食の料理を皿に取っては食べている。

 中堅マフィアの幹部の家に生まれ、幼少時からお転婆で知られた彼女はその才覚と気性と戦闘力を買われて大ボンゴレの中枢に、十代目守護者の一員として迎えられた。そんな立場の、普段は鬼のように健康な美女が長い『病欠』をとる、という、意味を、分からない者はその場に居なかった。

 だから皆が話しかけたくて、詳しい『事情』を知りたくてたまらない。けれどもチェリーコーク片手に料理をパクつく姿には隙がなくて、もともと人嫌い・男嫌い・年上嫌いの傾向のある愛想の悪い彼女に声を掛ける勇気のある男はなかなか、居ない。

「獄寺じゃないか」

 遠巻きの注目の中、人ごみを割って獄寺を振り向かせたのは同伴の映画女優を壁際の椅子に置き去りにしてきたのは金髪のドン・キャバッローネ。イタリアマフィア界きっての二枚目。

 声を掛けられて獄寺は迷惑そうに振り向く。それでも、声で誰かは分かっていたらしくて。

「よぉ」

子羊肉のベーコン巻きソテーをもぐもぐ、頬張っていた口の中身を咀嚼してから、チェリーコークのグラスを持ち上げて挨拶。

「久しぶりだな。もう元気なのか?」

 金の跳ね馬はアポロンのような金髪を揺らしながら近づく。そうしてふっと、表情を曇らせて。

「痩せたな」

 気づいて、心配そうに、呟く表情は演技ではなかった。

「おー。ったく、ひでーメにあったぜ」

 チェリーコークのグラスをテーブルの端に置いて、跳ね馬が凝視している左手を獄寺は目の前に持ち上げてみせる。顔はもともと細面なので目立たないが、手首では昔から愛用のハリーウィストン、男物のごついグレーダイアルの、革のベルトは獄寺の細くなった手首には重そうに見えた。

「一ヵ月ぐれー殆どメシ喰えなくってよぉ、死ぬかと思ったぜ」

 と、こんな場面で堂々と話すということは、隠すつもりがないのだろう。秘密にしなくていいと相手に言われているのだろう。そう、悟って跳ね馬か微笑む。わがことのように嬉しそうに。

イタリア男らしく女に優しい跳ね馬は、獄寺のためによかったと心から思った。妊娠と出産は目出度いことで、それを乗り切った女は労わられ褒められるべきなのに、内密にしておかなければならないのは酷すぎることだ。

「大変だったな」

「ま、過ぎたらナンてことなかったけどなぁー」

「身体はどうなんだ?もう元気なのか?」

「お蔭さんで。体力落ちてっからまだいつもの仕事にゃ復帰してねーけど、デスクワークはフツーに出来るよーになったんで、そっちに戻ってる」

「そうか」

 跳ね馬は短く、でも痛々しいと思いながら相槌を打つ。獄寺の『いつもの仕事』はボンゴレ十代目の護衛も兼ねていて、それには激しい立ち回りが伴う。足手まといになりたくないからそちらにはまだ復帰していないのだろう。負けず嫌いの気性だけれども頭がよくて判断力の高い女だった。

「結婚したのか?」

 細い手首と同様、さっきから気になってならない左手薬指の、細いプラチナの輪のことを、跳ね馬は尋ねる。この人目が多い中で外していないのだから尋ねても構わない、というか、公にしたいのだろうと、そう判断して。

「してねーよ」

 ニカッと獄寺が笑う。

「してねーけどよぉ、ガキ産んだのにセニョリータとか呼ばれンのも気持ち悪ぃから、一応なぁ」

「そうか」

 結婚をしないのか、してもらえないのか、そこまでは訊けない。けれどもして貰えないのなら、偽の指輪をひけらかすことも許されないだろう。ということは、その父親はアッチかと、事情をある程度、知っている人間には推測ができた。

 未来のボンゴレ十一代目候補の生誕ではなかったらしい。

「山本武は?」

 跳ね馬がかなり相当、ギリギリの問いを発する。このタイミングで唐突に出す個人名は、ソレがそうかと確認しているのに等しい。

「責任とって、走り回ってるぜ」

 すらりと答えた獄寺は、そうだとあっさり、認めたのだった。ボンゴレ十代目の右腕を妊娠させ『産休』をとらせた『原因』の『責任』をとったのならば、それが父親だ、と。

「……そうか……」

 マイナスの感情を篭めないで声を出すのに努力が必要だった。その名の男に、金の跳ね馬は、言いたいことが、たくさんあった。主に別の女に関してだったけれど、少女の頃から知っているこの美女に子供を産ませたのだとすると更にその『言いたいこと』が募る。

 けれど、でも。

「おめでとう。いつか会わせてくれ。オレに力になれることがあったら何でも言ってくれよ」

 目の前の美女には何の罪もないのだと、男らしくそう、割り切ろうとした。まだ二十歳をこえたばかり、痩せてはいるけれど健康を取り戻しつつある肌は母親になれた嬉しさを、子供のことを言われてつい、ふんわりとこぼしてしまう。

「その台詞、忘れねぇでくれよ?」

「もちろんだ」

「洗礼名、考えといてくれよ」

「いいとも」

 物分りよく跳ね馬は頷いた。洗礼名の『名付け親』になるということは、その子の後見人を引き受けるということ。ざわり、ざわざわ、パーティー会場に驚きの声が満ちる。今まで跳ね馬はどんな義理のある相手に頼まれてもそれは引き受けなかった。まだオレ自身が青二才なのでと、見え見えの言い訳を使っていた。

「じゃあな。本当に、困ったことがあったら相談しろよ?」

 言葉を重ねて、ひどく心配そうに跳ね馬が言うのは理由がある。子供の父親に問題があると思っている。その男に孕まされてその子を産んだ獄寺を、かわいそうにと、本気で思っている。

 ボンゴレ十代目雨の守護者。ボンゴレ十代目の指折りの側近の一人。この獄寺と並べても立場と実力は見劣りしないけれど、そんな意味ではない問題が、あると跳ね馬は思っていた。

「いつでも力になるぜ」

 優しく告げられる。おう、と、獄寺はいい加減な返事をしてテーブルの料理に向き直りラビオリを皿に取る。天下の二枚目より食べ物の方が魅力的らしい。

「じゃあな」

 挨拶をして跳ね馬は獄寺から離れた。口の中にラビオリを詰め込んでいた獄寺はフォークを持ち上げて挨拶を返した。色気より食い気なのは昔から。少女の頃から知っているけれど、その頃から素晴らしく美しかったけれど、中身はまだ子供だと思っていた。

 なのに先に子の親になられて、少々、ショックでないことも、ない。あんな男の子供を産まされてこれから苦労するのだろと思うと憐れで仕方がない。かわいそうにと跳ね馬は思いながら、手洗いに行くフリをしてそっとパーティー会場を抜け出した。本来の目的を叶えるために。

 別の女を、ここで探すために。

 中庭を横切り、見つかった場合に酔いを醒ましていたのだと言い訳が通じる経路で奥へと向かう、途中。

「スクアーロ!」

 探していた女の名が呼ばれる。驚き振り向いた視界の中、中庭を貫く石畳の上を駆けてくる長身の男の姿が外灯に照らされて見えた。ひょいひょいと足場を一つ飛ばしながら走る姿はひどく若々しい。チリリと跳ね馬の胸が妬けるほど。

「お出迎えかよ!ありがと、なのなー」

 天真爛漫、曇りのない嬉しそうな声が響く。爽やかな若者の声が跳ね馬の耳には禍々しい雷鳴のように聞こえる。

「ンなわきゃねーだろ」

 と。

 答える銀色の鮫の、姿が回廊の端から現れる。

「遅かったじゃねーかよ。十代目のガキがアッチでそわそわ待ってるぜ。さっさと行けぇ」

 落ち着いた声だった。少なくとも、今を泣き嘆いている様子はない。ここに居るのはやはり本人の意思だったかと、跳ね馬をがっかりさせる程度には。

「ん、すぐ行く。ってーか、スクアーロも行こうぜ。それともザンザスが来てんの?」

 山本武が石畳を渡り終える。その勢いのまま回廊に立つ銀色にぶち当たった、ように暗い中庭の跳ね馬には見えた。本当はそうではなく、抱き合ってそのままキスをしているのだと、気づいてくらり、眩暈がしたのは、衝撃のあまりの脳貧血。

「来ちゃいねーだろ。死焔印つきで呼び出し喰らわねぇかぎり、アイツはこーゆートコロにゃ顔出さねーよ」

「ふぅん。会いたかったのなー」

「あぁー?なんでだぁー?」

「一応、挨拶すんのが筋かなー、とか」

「お古貰いましたありがとうってかぁ?悪趣味だなぁテメェ」

「そんなんじゃないけど」

 はきはき、何の曇りもなく交わされる会話がイチイチ、跳ね馬の胸に突き刺さるようだった。

「ザンザスがアンタのこと心配してるだろーから」

「してねーよ」

「ちゃんとダイジにしてますって言ったら安心するんじゃないかな、とかさ」

「ガキのくせに余計な気ィ使うんじゃねぇ」

「だってアンタ、電話もしてないし手紙も書いてないんだろ?気の毒すぎるのな。きっと心配してるぜ。なぁ、アンタの代わりに、オレが手紙さ、書いていい?」

「笑われるから止めとけぇ」

 そんなことを話しながら並んで、パーティー会場である広間へ向かう背中に跳ね馬はくらくらした。銀色のオンナの腰に山本武はすっと掌を当て腕を廻す。いかにもオレのオンナですというわ様子にまた眩暈がした。したが、それでも、最初に考えたのはヤバイということ。

 広間には獄寺が居る。鉢合わせするのは可哀想だと、咄嗟にそう思った。痩せ細るほどの苦労をして子供を産んで間がないのに、そこ子の父親が別の女の腰を抱いてパーティテー会場に来るのと鉢合わせるのは、あまりにもかわいそうだ、と。

 急いで踵を返す跳ね馬は、悪い男では、ない。

 

 

 

 

 

 

 ないの、だが。

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どっちが勝ったの?」

 果し合いにには、と、面白そうな表情で、ベッドの上でハダカのまま、雲雀恭弥が尋ねる。

「スクアーロさんの圧勝」

 ヒバリの好きな『日田天領水』のボトルを、手渡しながら、沢田綱吉は答えた。

「よく分からないけど」

「色々あったんだよ」

「ギンザメが獄寺クンに勝ったの?」

「違うよ、ディーノさん」

「そんなの最初から勝負にならないじゃない」

「さすがにちょっと、オレもかわいそうになったよ……」