キライな男に親しみを篭めて名前を呼ばれ。
「お前はやっぱり頭がいい。分かりきってたことだがな」
心から感心した風にそう言われて、男は意味が分からなかった。
が、分からないということさえ押し隠して黙って話を聞いた。
「よくこんな判断をしたな。辛かっただろうが、さすがにお前は、色々と、よく分かっている」
言葉を重ねられる。それでいて焦点を絞らない。その話し方で、ああ、アレかと男は検討をつける。ルッスーリアも似たような話し方をしていった。諸々の事情ではっきり言えない大きな案件を引きずっている。
「なぁ、妻子にとって自分が疫病神だっていうのは、辛いな」
「……」
妻子と言われてピンとこなかった。あのオンナをずっと愛していたけれどそれに気づいたのは最近。結婚してやると言ったのに戻ってこなかった薄情な相手。
「オレも昔、それに気がついた時は愕然としたぞ」
仲間だ、というような、押し付けがましい口調が男の気に触る。キライな相手にシンバシィを、勝手に感じられるのは迷惑だった。
「オレは確かにボンゴレの血統だったが血が薄くて、九代目の甥たちが生まれてからは後継者候補から除外されていた。なのに、奈々の妊娠を知った九代目から、男の子なら名前をつけてやると言われて、な」
自分の息子が後継者候補に列せられる可能性があるのだと悟った。愕然とした。
「オレはそんなものにツナを投げ込みたくなかった。あの頃の、ボンゴレ内部の戦争は酷かったからな」
そう、酷かった。九代目の甥たちはどれをとってもボンゴレの次代として相応しい資質の持ち主だった。それはつまり強硬だっということ。そんな『従兄弟』との相克の中でボンゴレのボスの座を目指すことは凄まじい生存競争だった。
「あれを誰より知っているお前が、その、こんな風にしてやるのは、ちゃんとした愛情だと、オレは思ってる」
「……」
「知らなかったとはいえ、そんな時期のお前に結婚話を持ってきたりして、申し訳なかったと思っている」
どうやら、この、ボンゴレ九代目の門外顧問は。
誤解をしているらしい、銀色のオンナの妊娠を承知で、子供の為に家出を男が黙認したと思っているらしい。
男は訂正しなかった。妊娠自体に気づいていなかった自分の失態を告白するつもりはなかった。門外顧問の慰めを適当に聞き流しながら、でもやはり、いくつかの単語は耳に残る。
あの抗争は残酷だった。あれに比べれば沢田綱吉とのリング戦などはスポーツのようなもの。残虐でも陰惨でもなかった。
悲惨で残酷な戦いをあの銀色もよく知っている。たった十四のあれをそんな世界に引きずり込んだのは男自身だった。アレはそんな男によく仕えた。青春も才能も捧げられた。なのに男が大切にしていなかったのは、たった一つだけの傷があったから。
男があのオンナを寝室に引きずり込んだとき、あれは既に、処女ではなかった。
「お前を本当にえらいと思っている。よく決断した」
褒められる。しつこい。けれども男は黙って聞いている。この褒め言葉に銀色のオンナに捧げられるものだ。あのオンナが選んだ今は、やはり正しかったのだろう。
「それで……、その」
ひとしきり感嘆した沢田家光は、たいへんわざとらしい咳払い。これから公的な用件を切り出すぞ、という合図。
「お前は、どうするつもりでいるんだ?」
その質問をしているのは目の前の男ではない。
「これからのこと、とかを、お前はどう考えている?」
「……」
これから。
あの銀色が居ない生活にまだ馴染めていない男は、先を考えるどころではなかった。あの馬鹿マジが帰って来ねぇつもりか、オレが居なくて生きていけんのか、と、まだ、そんなことをつらつら考えている。自分はあの馬鹿の、馬鹿さ加減という救いがなくて生きていける自信がどうしても、持てない。
「お前もそろそろ家庭をも……」
「オレに二度と、ブスを世話すんじゃねぇ」
ぎろりと、沢田家光を睨みながら男はそう言った。睨まれても家光は動揺を見せず、そうだろうなという風に頷く。気持ちは分かっているぞと言わんばかりの態度が気に障った。てめぇにナニが分かりやがる、という反感が胸に渦巻いて。
「オレはいつでも出て行くぜ」
てめぇらが気に入らない真似をすればと、脅しをかけてしまう。
「そんなことが許されると思っているのか?」
沢田家光が苦笑する。ボンゴレの掟は厳しく足抜けは許されない。出て行きたくなったから離れられる訳ではない事を男は勿論、よくよく承知していた。裏切りは粛清を伴う。
けれど、いまさら、そんなものが恐くはなかった。そもそも十代目ボスになれなかった時点でこの男はボンゴレには絶望を抱いている。愛されていないのだ、という自覚は苦く、悲しくて、切ない。
……あぁ。
あの銀色もこんな気分なのかと、ふっと男は思いつく。自分は愛しているのだけれど、自分なりの愛情ではもう信じられないのだろう。愛していない女を花嫁として娶れと要求する養父の愛情を、自分が信じらていないのと同様に。
「カスザメが『事故』にあったら、オレはボンゴレを出る」
養父のことを思い出した不快さの勢いで、男はその台詞を口にした。沢田家光が見る見る表情を強張らせる。驚愕の様子が愉快だった。
「お前……」
「事故の種類も、下手人も問わねぇ」
そんなものはいくらでも偽装できるから。
「本気で言っているのか?」
「間違いなく伝えろよ、家光」
生意気だが真っ直ぐで優秀だった少年の気配を目尻に宿しながら、それを誰に、言えといっているのか、沢田家光には分かっている。
「カスザメが『事故』にあったら、オレはボンゴレを出る」
拒まれて、庇う手段がそれしか、男にはなかった。
月が出ているから近づくな、と、幼馴染の恋人に言われてしおしお、山本武は年上の情婦の寝室へ来た。
「入れてくれよスクアーロ。ちゃんど獄寺の部屋の前まで行ったぜ。アレだからイヤだって、あいつが言ったんだ」
今日は金曜日。マフィアの勤務体系はは週休二日ではないけれど、金融が動かず盛り場が活発になるという意味で一定のリズムは刻んでいく。アッチが本妻なんだから聖金曜日はそっちの部屋に行けと、言われた山本は素直にそうしたのだったが。
「無理やり入ったらアネゴとシャマルに言いつけられんのなー。オレもう、ビアンキに泣かれんのもシャマルに殴られんのもヤなのなー、あけてくれよー」
自室はある。けれど、そこに帰って一人で眠るという発想は山本武にはない。つるつるでふかふかでほんわかでキュッと締まった女たちを抱きしめずに寝付くことが出来ない。女たちは薄情で、たまには一人で伸び伸びと眠らせろと要求することもあるけれど。
「コッチも満潮だぜ」
ガチャリ、無造作に部屋のドアが開く。銀色のオンナは寝巻き代わりのスパッツにトレーナー姿。髪を背中で纏めているとひどく若く見える。
「えへへー」
半年間、イタリアにいる時間は殆どべったりで過ごしてきた。けれど改めて美人だなぁと感嘆しながら、山本武は年上のオンナの唇にキスをする。
「トマんなかったんだな、ザンザスの子供」
屈んで唇の端を舐めながらそんなとんでもないことを言い出す。
「おぅ」
「残念、だった?」
「まぁ、そうそう上手くは、いかねぇなぁ」
「すげぇ残念そうだぜ」
「追い討ちかけやがると入れてやんねーぞ」
「……」
部屋に入れて欲しい山本は黙った。入れ、という風にドアを大きく開けられて優しい空間へ。ヴァリアーから『出向中』の銀色の鮫は執務室つきでこそないが、リビングと寝室にカウンターとミニキッチンのついた、それなりの部屋を与えられている。
「ヤんのはヤだぜ、オレも」
月が出ていても一緒に眠ることは拒まない銀色だが、セックスをするのは嫌だと自己主張。
「しないよ。最中って発情期じゃないから、キモチよくないらしいし」
山本武は物分りのいいふりをする。クローゼットにキープしている自分のスウェットを取り出して着替えながら。
「オレのよりアッチの二人目、先に産もうなんてありえねーよ」
背中を向けたまま愚痴る。
「寝るぞオレぁ。おやすみー」
本妻に拒まれてやや機嫌の悪い山本の相手をしようとせずに、銀色のオンナはベッドに入って部屋の明かりを消した。隣にするりと男が入り込む。腕を廻して抱き寄せる。形のいい耳元に顔を寄せ舐めると肩を竦められる。
「オレが認知、するのな」
廻した腕を移して、胸元を掌で包み込む。やわやわ、優しく揉んでやるのは性的な刺激を与えているのではなかった。
「……うー……」
凝りをほぐしてやっている。満ち潮の真っ最中は胸から肩にかけて筋肉が緊張し、張って痛む体質だということを知っている男の手つきはやさしく指先はツボを心得ていて。
「あー、うぅー、あぁー」
拒むことが出来ない。
「キモチイイ?」
「おぅ」
「んじゃ、うつ伏せになって」
ナニをしようとして『くれて』いるか、オンナは察して若い男の指示に従う。シーツに伏せて肘と膝をつき、体の内側を浮かすようにする。若い男は背中からオンナを抱きしめ、その掌が、下腹に添えられる。
「あー……」
筋肉質の若い男は体温が高い。それだけでも血行が良くなって気持ちがいい。ゆっくり撫でられるといっそう、滞っていた流れが暖められて動き出す。キモチが、いい。
「この腹に、出来たら全部、オレんだぜ」
優しくマッサージしてやりながら山本はそんなことを言う。
「オマエ、よぉ」
「目が赤くても、髪がキンキラでもオレんだ。あんたの子供は、全部認知すっから。当たり前だよな。オレには権利があるよな。アンタはオレに、産んでくれるって約束したんだから」
「いっぺんコレしてやったらどーだよアッシュグレイに。すっげーキモチいいぞぉー。多分あいつも、手放せなくなるんじゃねーかぁー?」
優しい年上のオンナのアドバイスに。
「ムリ」
若い男は即座に答える。
「そばにも寄らせてくんねーもん。触るなんてムリ。あんたみたいに撫でられんのに馴れたネコじゃねーのな、獄寺は」
「……」
自分も、別に、こんな奉仕に慣れているワケではない、と。
銀色のオンナは心の中だけで思った。
「馴れさせてない、オレが悪いンだけどさ。で」
ぎゅ、っと、背中から下腹にまわした腕に、若い男は力を篭める。
「ディーノさんと、いつデートすんの?」
尋ねる声にはさすがの凄みがあった。