口惜しいにも、ほどがある。

「あぁー?ナニがぁー?」

 ボンゴレの本邸へ、ヴァリアーのボスの『接待役』として呼びつけられたオンナはブリブリとむくれていた。構ってくれるなってあんなに頼んだのにと、不満に思っている。

 死焔印つきの依頼状には誰も逆らえず、『ゲスト』の望むまま十代目である沢田綱吉から派遣されて、案内役として本邸へ出向いてきた。いまさらナンの案内が要るんだぁと、誰彼構わず当り散らしながら。

「他所に行って前よりキラキラしてやがるのが気にいらねぇ」

 出て行ったオンナが、自分の手元に居た頃よりも美しいのは沽券に関わると、真顔で男はそんなことを口にする。

「なぁに寝言いってやがる。オレが別嬪なのは生まれた時からだぁー!」

「昔よりいい女になっているって褒めてやってんだ。歓べ」

「馬鹿馬鹿しい。なぁに考えてんだよォ」

「てめぇがオレにさぞ会いたいだろうと思ったから」

「おぉーい!寝ぼけんなぁーッ!」

「機会を作ってやったんだ。よろこべ」

「オマエなぁ、ドツクぜ、マジでぇっ!」

「キスしていいぞ?」

「……」

 がっくり、肩を落とした銀色のオンナは。

「はぁーっ」

 大げさなため息をつく。嫌味ったらしい行為だったが男は笑っている。大層な上機嫌。この男がこんなに浮かれているのは珍しい、というよりも、奇跡だ。

「ナンなんだよぉ、もぉ……。オレのナニがそんなに悪いってんだぁ、ワケわかんねぇよ……」

「頭が悪ィ」

「ほっとけぇ!」

「安心しろ」

「ナニがぁ!」

「バカでも愛してやるぞ」

「うるせぇっ!」

 喉の奥まで見えそうな勢いでオンナは喚き散らす。男の思う壺にハマってこんな場所に引きずり出されたのが不本意で仕方がない。オレのことは忘れてくれもう構わないでくれという願いをことごとく裏切ってくれる、男。

「ナンとも思ってねぇフリで騙されるタマか、あのジジイが」

 オンナはそれでも案内をはようと先に立って歩く。すぐ真後ろを、本当に間近を、歩きながら男はオンナに、言い聞かせるように告げた。

「オレが未練を見せてやってるから無事なんだぞテメェは」

 息がかかりそうな距離でそんなことを告げられて、オンナは否定しなかった。そうだろうか、そうかもしれないと、思わないでもない。

この男に構われれば逆に祟ると思い込んでいた自分の危惧が間違っていたとはオンナは思わない。

ないが、その思惑を裏切るというか、桁外れの『未練』は逆にオンナの存在を庇護した。

アレが事故にあったらボンゴレを去ると家光に告げた脅しは九代目を経て沢田綱吉にまで非公式に伝えられた。結果、オンナは本業である暗殺の仕事からは干された。ヴァリアーのザンザスといえば剛腕で名の知れた男。次世代のボンゴレにとって宝石のように貴重な牙。抜けられるわけにはいかない。

代わりに警備と防諜を担当してそれはそれで忙しいが、漏れ聞いた他の守護者たちからまで外出の都度、『事故』るなよと声を掛けられるたびに、なんだか。

妙な気分になる。守られている、ような気がしてしまう。それは同時に愛されているという意味になる。そんなことは有り得ないのに、ない筈なのに、なのに。

「いい加減、帰って来い」

 そんな風に優しく言われると。

「帰れねぇよ」

 ぐらぐら、キモチが、揺れまくってしまう。

「忘れてやるぞ、テメェに都合の悪いことは」

「ウソつきやがれ」

「そうだな。喧嘩したら思い出してグチグチ苛めるかもな」

「ンなので、済むかよ」

「オレがアル中になって肝硬変で死ぬまえに帰って来い」

「……、ムリ、って……」

 言っているではないかとオンナは繰り返す。叶わないと諦めた夢を鼻先に掲げられて苦しい。もう苦しめないでくと、音を上げて願いたくなってくる。

「なんでだ」

「……信じられねぇよ」

「オレをか」

「オマエがホントにこんな風な、わきゃぁねぇんだよ」

「こんな?」

 男の問いかけに。

「こんな」

 オンナは短く答える。色々な意味を篭めて。男にもオンナが言いたいことは分かった。愛情も優しさも信じられないのだろう。それ以上に、許してやるという寛容を信用できないのだろう。

「まだ恨んでンのか」

 男には、オンナが自分を信じない理由の見当がつく。

「しつけぇぞ」

「オレぁしつこいぜぇ、知らなかったのかよ?」

「そうだな」

 男は薄く笑いながら同意。このオンナからしつこく執念深く、命の限りという勢いで愛されたことを思い出しながら。

「ガキだったんだ」

 処女でなかったことを軽蔑したことがあった。だから今度の裏切りを、あんなガキに触らせて抱かせていることを、忘れてやると言っても信じられないのだろう。

「よく思い出せ。オレはそもそも、使用前使用後にこだわる性質じゃねぇ」

「ヒトを生理用品みてーに言うんじゃねーよ」

「使ったことのないものをたとえに出されても分からん」

 山本や跳ね馬なら戸惑う銀色のオンナの、下品な語彙の攻撃にもこの男は平然としたもの。

「気に入らなかったのは最初から、テメェが特別だったからじゃねぇのか」

「ねえのか、とかって、オレに聞かれても分かんねぇよ」

「嘘をつくな」

 本当は分かっているくせに、と、男は決め付ける。銀色のオンナは瞬きを繰り返しながら俯く。このオンナには奇妙に素直なところがあって、頭のいい男から決め付けられるとそうかもしれない、と、思ってしまう。

「若くて、美人で、優しくて、血筋のいい女とさっさと、結婚してまえよ、オマエ」

「そんな女が俺の相手になると思ってんのか」

「オレぁゼッタイ、オマエの気まぐれなんざ信じねぇぞぉー」

 自分に言い聞かせるように、そう低く呻くオンナに。

「ムリすんな」

 男は誘惑を仕掛ける。

「オマエがひどい男だってことぁ、オレが一番、よぉく知ってんだよ」

「そうだな」

 男は頷く。その通りだという同意は正直なものだった。何もかもを知って、それでも愛して『くれた』このオンナは貴重だった。

「テメェを抱いて眠りてぇ」

 この、男の。

「ヤつてぐったりしてんのを、後ろから弄りながら寝てぇ」

 男は言いつつ、女の尻を眺める。

「ンなこたぁ、一遍も、したことねぇくせに」

 凄みと背中合わせの煽情さにゾクゾクとしながら、銀色はでも、尽きない恨みを口にする。

「そうだな」

 昔の抱き方を恨まれると男は立場が弱い。

「惜しいことをした」

「まっさらの美人と結婚して抱かせて寝かしてもらいやがれぇ」

「ガキはまだ、テメェに飽きてねぇのか」

「知るかよ」

 と、銀色は答えたが、フンと馬鹿にした雰囲気で男には見当がついた。飽きられていないらしい。熱愛されているらしい。前を歩いていくオンナの髪も肌も艶やかで、可愛がられている様子が目に見えるよう。

「あんまりヘンな真似させんなよ」

 腰の曲線に食欲を感じながら言った。

「オマエにゃ関係ねぇだろーがぁー」

「図星か?ヘンな真似されていそうだな」

「うるせぇんだよ、ほっとけぇー」

「オレがついていける程度にしておけよ」

「オマエ、セックス、そもそも、キライじゃねーか」

「昔はそうだったな」

 事実を素直に男は認めた。でも。

「今はテメェに、イロイロしたいって思っているぜ」

 目の前で動くオンナを抱き寝、してみたい。一夜だけの記憶が鮮やかに蘇る。本気の響きが声にあることに、気づかないわけにはいかないオンナはぎゅっと、目を閉じて。

「……知るかよ……」

 答える声は可哀想なくらい震えていた。