「攻撃を受けた」
浴衣とかいう日本の寝巻き姿の雲雀恭弥に椅子を勧められ腰を下ろしながら男は簡潔に答える。ゲストが腰掛けた後で沢田綱吉も対面の椅子に座ったが、歯に響かないようそーっと、そーっと、身動きする様子は哀れでもあり、情けなくもあった。
「え?」
それでも、頭は鈍っていないらしい。男の言葉にパッと顔を上げる。もっとも、親知らずから耳の付け根や首、肩まで腫れて筋肉が強張っているらしく、上げた途端に、イタタ、というかおを したけれど。
「ヴァリアーが攻撃をされたの?」
仕方なく、雲雀恭弥が口を開く。未来のボンゴレ十代目に代わってゲストから用件を聞こうとする。
「ピンポイントでオレだ。攻撃というより勧誘かもしれないが、とにかく、悪意の訪問を受けた」
「いつ?誰が訪問したの?」
「ついさっき、素性を隠して、俺の夢の中に」
はきはきと男は答える。夢の中への訪問を受けたという突拍子のない話を、雲雀恭弥と沢田綱吉は真面目な表情で聞いた。まさかとか、馬鹿なとか、そんな予断がもっとも危険であることをよく分かっている。
「あなたの夢の中にっていうのは、凄いね」
境界の曖昧な夢の中とはいえ、この強い男の意識下に入り込んだというのは並みの力量ではない。
「誘惑をされたの?」
「揺さぶりをかけられた」
「どんな風に?」
「……こことの離反を仕掛けられた」
別れた筈なのに未練たらたらのオンナに化けられたとは、言いたくなくて言葉を誤魔化す。けれども頭のいい雲雀恭弥は察したらしい。
「ジェッソのボスは、あなたの恋敵なんだっけ?」
そんなことを言い出す。
「そんなんじゃねぇ」
「ジッリョネロの子と結婚したがっていたって聞いたよ?」
それは、確かに、この男の婚約者。
「らしいな」
「まぁ、ボクが親でも、八歳の子供と積極的に結婚したがる大人には娘を嫁がせたくないね」
「権益目当てだろう」
「それは分かってるけど、でも、あの、堂々とした求婚は気持ちが悪いよ。悪魔的だと思う。子供相手にどうしていいか分からなくて困ってるあなたの方がまともだ」
「……そうか」
まともと言われて戸惑う男には確かに、ごくごくノーマルなところがある。
「教えてくれてありがとう。朝まで少し休んで、朝食を食べていかない?」
雲雀恭弥はファミリーの女主人としてゲストを食卓に招く。
「いや、用がある」
男は誘いを断り立ち上がった。同じ食卓につこうという申し出を拒んだののは違いないが、でも。
「邪魔したな」
断り方は柔らかかった。誘ったのが沢田綱吉なら、いい、という一言で済ませただろう男だが、マフィアの、というよりイタリア男の習性として美女には甘い。
「そう。、また、ね」
浴衣の雲雀は部屋から出て行かない。ヴァリアーへ帰る男の為にドアを開けていたのは銀色の別のオンナ。
「なぁ」
男はオンナから視線をそらした。ゲストを見送る為に前を歩く後姿は背筋が伸びて姿勢が良くて、見慣れたものだった。感傷的になってしまいそう。
「なんだ」
「どーしたんだぁ?」
その質問は筋違い。この館のボスである沢田綱吉を差し置いて来客に用件を尋ねるようなことは本当は許されない真似。
「攻撃を受けた」
けれども男はそれに答える。前を歩く銀色のオンナを、自分の『身内』だと、まだ思っている。
「白蘭かぁー?」
こういうことに関しては察しのいいオンナは、第一容疑者をあっさり口にする。
「可能性はある」
「ここでも、ヘンなこと、あったぜ」
銀色のオンナは囁く。いつもとは異質の小さな声。
「どんなことだ?」
「ヘンなのが、うろうろしてた。ウチのガキの周り。近づかせなかったけどなぁー」
「ウチの?」
日本支部の面々が起居するここを『ウチ』と呼ぶのが憎い。ここはガキだらけじゃねぇかどれだと男が尋ねるより先に。
「ヤマモトの枕元に座ってンのが、見えたってーか、目でみた訳じゃねーけど居たってーか」
枕元、という単語に男は傷つく。あのガキがこのオンナに枕元悪夢を祓ってもらったのだと思うとねたましい。抱きしめてくれるオンナの居ない自分は夢に入り込まれてしまったのに。
それとは、別に。
「ガキにはナンか、後悔があるのか」
敵の狙った弱点は補強しておかなければならない。
「あー、まぁ、そりゃなぁ。生きてりゃぁ、色々よぉ」
察しがついている顔で、でもそれを口にせず、庇う様子は本当に憎らしい。
「気をつけておけ」
「うん」
話しながら玄関へ。時刻が時刻だったから、お供のレヴィとルッスーリアは車の中で待っていた。薄闇の中、自分たちのボスを送ってきた銀色の鮫に気づいたオカマがチャッと車から降りる。そうして銀色の髪に手を廻して。
「まぁスクちゃん。元気だった?」
「おぅ。ってーか、一週間前に会ったばっかりだろーがぁ」
ヴァリアーのボスと違ってこのオカマは身軽に、ボンゴレ十代目が暮らす館へやって来る。お菓子を焼いたから、パンを焼いたから、アンチョビ作ったから、と言って。もともとこのオカマは晴れの守護者と『仲良し』で日本支部でも馴染み。足繁く出入りしても誰も迷惑に思わない。
「一週間ぶりだもの、懐かしいわぁー」
抱き合って頬にキスをしあう。家族同然のイタリア人の挨拶としては、別におかしくない。
「タケルちゃんは元気?」
「おー。また子守に来てくれよ。そっちもでかいガキが何人も居て大変だろーけどなぁー」
「ええ。離乳食にビシソワースを作って持ってきてあげる」
「頼むぜぇー。オレにも作り方教えてくれよぉー」
二人の立ち話を男は黙って聞いていた。ボスである男を無視しての会話だが不愉快ではなかった。話題になっている赤ん坊が自分の子供だという事実には奇妙な感慨さえ覚える。一生懸命育てているらしい様子は気持ちがいい。どう転んでもこのオンナは自分のモノなのだという気がした。
「じゃあ、ね」
「んー。おやすみ。またなー」
銀色のオンナが部屋に戻ると。
「お帰り」
部屋の隅のミニキッチンで、パジャマ姿の若い男がエスプレッソマシーンの前でミルクを温めている。甘めにしたカフェラテが二つ、先に出来上がっていて、その一つを手渡される。
「アンタがお祓いしてくれてたのは知らなかったのなー」
もう一つは寝室の奥に運ばれた。もう一人も目覚めているらしい。湯気を吹き暖かなカフェラテを飲みながら、銀色のオンナは服の襟裏につけけられた通信機を外す。
ザンザスの出迎えと見送りに、ついて来ると言う若い男を拒んだら持たされてしまったモノ。
「お代わり、あるよ?」
「ミルク、くれ」
「ザンザス大人しく帰った?」
「聞いてたくせに白々しいぞてめぇ」
一時は戻っていいぜと心の広いことを言っていたくせに、ザンザスの婚約を知った若い男は態度を再び硬化させ、行かせない渡さない戻さないと言い張っている。
「そういやアンタ、夜中に起きてたことあったね、何回か。アレ白蘭が来たの追い払ってくれてたのな?」
「そうだってハッキリ分かってたわけじゃねーがなぁ」
禍々しい雰囲気を感じて目を覚まし、隣に眠る男の周囲から何かを追い払ったことが何度かあった。
「ふぅん。ありがと、なのなー」
「ありがとうってツラじゃねぇぞぉー、余計な世話だったと思ってんじゃねぇかぁ?」
「白蘭の能力ってさぁ」
「縋るなよ」
「奇跡を、起こせるんだったっけ?」
「そんな都合のいいこたぁねぇ」
「でも幻騎士とか、死んじゃうところだったのが助かったりしたって、聞いたぜ?」
「他所のマフィアに借りは作るんじゃねぇ。十倍返ししても追いつかない恩を売られるぜぇ」
「百倍でも、オレかまわねぇけど」
「バカ言ってんじゃねぇよ」
若い男に向き合い、愛人としてではなく師匠として、その考え違いを正そうとしていたオンナは。
「おーい、いつまで喋ってんだよー」
奥の寝室から不平の声が上がって口を閉ざす。若い男も同じ気持ちらしく、二人して入り口から寝室へ向かう。ベッドの中にはアッシュグレイの美女が眠そうな顔で、唇の端にカフェラテをつけたまま、毛布を捲くって、おいでおいでした。
「朝まで寝直そうぜ。あったかいなぁ、アンタ」
その台詞は銀色のオンナに向けられている。そうかぁと、答えて銀色は服を着たままベッドの中に入る。冷淡そうな見目とは裏腹に、細身だが筋肉質の身体は確かに体温が高い。病み窶れてから寒がりになってしまった獄寺とは対照的に。
「んー」
アッシュグレイの髪を懐に擦り付けるようにして獄寺は銀色に懐く。銀色のオンナは右手を伸ばしてそれを抱きとめてやる。可愛いし、それ以上に可哀想にと思った。
「オレさぁ」
その銀色を更に抱く姿勢で、若い男もベッドに入ってくる。
「一人っ子だけど三男なんだ」
「……あー?」
「アニキが二人、死んでんの。籍に入ってるぐらいだからけっこう大きくなってからの流産だったり、生まれて何日目かぐらいだったり。ねーちゃんも二人居たんだ。だからオレ、親父とお袋の五人目の子供なのなー」
そうして最後の子供になった。母親はこの若い男を産むことと引き換えに帰らぬ人となった。
「お袋って若い頃、剣道の選手だったんだ。インハイは優勝、高校生の頃から国体選手で、結婚前は警察官だったって。師範相手にバンバン撃ち込んでくよーな、すっげぇ強気の、使い手だったんだって」
「へぇー」
母親の話を銀色のオンナは興味深く聞く。父親がそのスジの男だったことは知っていたが母親までもとは初耳。どうりでコレの筋がいい訳だと、情人ではなく弟子の才能を愛でる気分で。
「でも最後、ボロボロになって死んだよ」
まだ三十歳にもならない若さで。何人もの子供を妊娠しては死なせる繰り返しの中で、身体も心も痛めつけられて。
「親父はずーっと後悔してる。獄寺が妊娠したって言ったとき、喜んでくれたけどすっげー心配された。オレさぁ、子供はタケルが居るし、諦めらんない、ことはないんだ。抱きたかったけど」
けれども愛した女を殺してまで、欲しい訳ではなかった。
「子供は諦めるのな。でも獄寺のことは元気にしてやりたいって思ってる。獄寺がもとに戻ってくれるなら、百倍返しさせられたって構わない。マジで」
銀色の背中を抱いた若い男の腕に力が篭り、大きな掌が弱ってしまった嵐の守護者の細くなった肩に触れる。世界中を爪先で蹴りとばしていたあの、突き抜け過ぎてお転婆とさえ呼べない、健康で元気で乱暴でさえあった昔に。
「戻せるンなら、なんだってするぜ」
心からの、祈りに近いほど純粋な願い。この幼馴染を心から愛している。生涯をともに過ごすつもりでいる。なのに死に掛けられて、ひどく弱らせてしまった。その原因が自分だと思うと切なくて悲しい。元気になってくれというのは一点の曇りもない純愛。
なのに。
「なぁ。オレ、イマ、ヤらせろって言われてんのか?」
告白を受けた獄寺は、銀色のオンナの腕の中で呟く。
「おま……、ちが……っ!」
「ヤらせろって言われてんなぁ」
慌てて否定する山本の台詞より、眠そうな銀色の声の方が通る。
「やっぱり言われてんのかー」
「性質わりぃオトコ持ってるなぁ、オマエ」
「ホントだぜ。アネキが久々にタケルんことみてくれっから、リハビリに一緒に眠るだけとか、散々言っといて、これだからオトコは信用できねーんだ」
「ヤらせなきゃジェッソに寝返るって言ってるぜ。どーする?」
「言ってねーよっ!」
「脅迫しやがって、マジ信じらんねー」
「してねぇってばっ!」
「裏切りやがったら皮剥いで暖炉に干してやる」
「なぁ、せっかくオマエが元気になろーって、努力中なのに全然、協力しよーとか待とうとかって気がねぇよなぁ」
「あるぜっ!ちょっ、話し、聞けよっ!」
若い男はベッドの上で暴れる。ぎゅっと抱き合った二人を引き離して自分の方を向かせようとするが、二人はますますきつく抱き合って離れない。
「ヤらせねーと白蘭に寝返るって言ってるぜ、どーする?」
「最低最悪だぜ。人でなしにもホドがあるってもんだ」
「ひでー男だぞぉー」
「まー昔っから、ひでぇヤツだったけどよー」
「あぁ、もぉっ!分かったよっ!ワカリマシタっ!なのなっ!」
山本武がキレて大きな声を出す。単純明快だが馬鹿ではない。二人がかりでたたみかけられれば、それが牽制であることは分かる。馬鹿なことは考えるなと告げられているのだ。
「白蘭が獄寺んこと元気にしてくれるって言ってきても、アネゴみたいなEカップにしてくれるって言ってもキッパリお断り……、ッ、ぃ、ってぇ……」
二人から殴られた頭を抱えて若い男はシーツに撃沈。
「オトコってこれだから信じらんねーよ」
「テメェも苦労すんなぁ」
美しいオンナたちはそう囀りあいながら、朝までもう一度、眠った。