天井までガラス張りの、広くて明るい執務室で、仕事をする気も見せず茶菓子を抓みながら。

「あの子たちって、人間味がないよね」

 呟いた白蘭の言葉に。

「あなたにだけは言われたないと思いますよ、彼らも」

 側近がコメントを返す。白蘭の代わりにそっくりの筆跡で書類に裁可のサインをしながら。

「だって可愛くないよ。せっかく助けて上げるって、言っているのに縋りつかないなんてさ」

「思い通りにならないのがそんなに不満ですか」

「おもしろくないねぇ。生意気だよ」

 本音が知れない、何を考えているのか分からないと評判のジェッソの若いボスだが、学生時代からの友人であり側近でもある入江正一には本心を漏らすこともある。

「願いを叶えてあげたとしても、みんながみんな、あなたを神のように敬うわけじゃありませんよ。神様っていうのは王様と同じで、サービス業の筈です」

「神様を利用するだけの不心得ものには天罰が下るから大丈夫だよーん」

 誰よりも高慢な野心と精神異常ギリギリの自尊心を、危惧されていることは百も承知。わざと聞かせて眉根を寄せた、非難がましい顔をさせて面白がることがある。

「イイコにしてたら可愛がってあげるけどね。ボクの気に入る子のことは。ねぇ正ちゃん」

「ちょっと黙っていてもらえませんか白蘭さん」

 難しい書類らしい。一生懸命、それを読んでいる側近はボスが戯れてくるのを迷惑そうにした。

「正ちゃんはよく働くねぇ。偉いよ。ご褒美に欲しいモノをあげる。何でも言ってごらん」

「休暇、研究施設、研究費」

「はは。いいよ。それだけ?」

「新しい匣兵器、有能な部下と秘書、堅固な基地」

「うん、うん」

 にこにこ、うわべだけ笑っていた白蘭が。

「むかしの、あなた」

 その言葉に笑みを、ニッと、深いものにする。本音がきれいな面の皮の隙間からこぼれる。真っ赤な呪わしい呪縛が。

「正ちゃんはさ、イマのボクがそんなに不満なの?」

「あまり考えないようにしています」

 入江正一はサインを終えた。トントン、机の上で書類の端をわざとらしく、揃えてゆっくり立ち上がる。

「ふぅんそう。正ちゃんは頭がいいからねぇ」

「そうでもありませんよ」

 側近は足を止めて、背中を向けたまま俯く。砂しい顔をしているかもしれない寂しい後姿だった。

「むかしのあなたが、最近どうしても恋しくて、たまらないことがあります」

 語尾まではっきり告げて去っていく。

「腹が立つのは愛してるからだとか、ボクもあんまり、考えたくないかな……」

 一人きりになった部屋で白蘭は呟く。そうしてデスクの引き出しを開けた。仕事道具は一つも入っていないその中には写真たて。今時珍しい光学写真が木枠に収まっている。

「正ちゃん。ボクだってむかしのキミに会いたいよ」

 それは学生時代のもの。飛び級を繰り返した大学院のゼミで、入江正一がロボット選手権で優勝した時の祝賀会。普段すかした理工系の入江もさすがに嬉しそうで、ほんのり酔って、『友人』と肩を組みカメラに向かってVサインをしている。

「ねぇ、ボクにこんな風に笑う、キミは何処に行っちゃったのかなぁ?」

 愛し合っていたことはあった。肉体関係を結んだ訳ではないけれど、野心家の若者にとって同士というのは恋人よりずっと重い。この年下の友人がもたらしてくれた夢を、追って叶えて、ここまで来たというのに。

「キミはホントに意地悪で、ボクに冷たくなっていく。昔に返ってこの頃のキミを誘拐してしまいたいよ」

 それは不可能ではない。昔の、自分ににこにこ、嬉しそうに笑ってくれた友人を過去からさらってくることは出来る。けれども代わりに現在の相手を失くす。空間と時間の同じベクトルの中に同一人物は二人、存在することが出来ないから。

「ねぇ、不思議だね正ちゃん。今のキミはボクを嫌ってて、ボクも今のキミのことは昔よりスキじゃないんだ。なのにどーして、出来ないのかな。キミは分かる?」

 写真の友人は答えない。

「意地悪になったキミのことも、ボクはまだ愛してるからだとかは、考えたくないね……」

 

 

 ゲデオン、という洗礼名はイタリアのカトリック信者にとってはイレギュラーなもの。ポーランド系の名前だし、イスラエルの士師でありミデアン人の征服者。ヨシュアの子で、その名は「破壊者」若しくは「強力な戦士」を意味する。

強い男たれ、という願いのほかに、跳ね馬が赤子の名にそれを選んだ理由がもう一つある。洗礼名として使われる聖者の何はそれぞれの記念日が定められていて、ゲデオンの場合、それが十月十日であるのだった。

「いー名前じゃねーかよ。気に入ったぜ」

 赤子を抱いてキャバッローネの息のかかった教会へやって来た獄寺は上機嫌。白衣を着せられた赤子の頭部に水を注ぐ潅水礼役目はなんと、ディーノが招いた枢機卿が行ってくれた。

「あははー。気ぃ使ってくれたなぁー」

 相当の寄付を積んでのことだった筈で、獄寺はその好意を素直に喜んだ。山本武との県下を止めようとしてのこととはいえ殴られた甲斐があったぜ、とは、口にしなかったけれど顔にかいてある。

「喜んでくれて嬉しいぜ、獄寺」

 その贖罪の為ならばなんでもする、という態度の跳ね馬はにこにこと答える。

 異教徒、というより、はっきりとした信仰を持たない山本武も父親として儀式には列した。枢機卿による洗礼を有難がるカソリック信者の気持ちは理解できなかったけれど。

幼児洗礼って信仰の自由的にどーなんだよとか、人権侵害になんねーのかな後で恨まれないかなと、思わないでもなかったが、まぁクリスマスの延長だと思うことにした。何よりも獄寺がひどく喜び浮かれているのに、水をさすことは控えた。

「ヨカッタなぁタケル。ほぉら、このニーチャンがオマエの名付け親だぞぉ。大人になるまで、おまえ小遣いに不自由しなくって済むぞぉ、目出度いなぁー」

 濡れた頭部を拭ってやりながら獄寺は赤子を金の跳ね馬に抱かせる。案外と器用に抱きながら、そうだなと、獄寺の笑顔につられて微笑む。父親としてにこにこしている若い男には含むところがあるのだけれど、でも、子供は可愛い。

黒髪に黒い瞳。でも睫の長さと唇の薄さは知っているオンナに似ている気がする。まだ何も分からない赤ん坊につい、愛した女と似ているところを探してしまうのは本能だろうか。アイツが産んだのだと思うと妙に愛しくなる。自分はもうそんな年齢になってしまったのだと、思う。

 子供を可愛いと思ってしまう世代にいつの間にか。

「かわいらしいな」

「へへー。だろー?」

 愛した女が産んだ赤子を抱いているのだと思うと嬉しくて、跳ね馬は手放しがたかった。子供は度胸があるらしく、髪を濡らされても知らない男の腕に渡されても大して騒がずふにゃふにゃという顔をして、やがてすうっと眠ってしまう。

「んじゃさ、先々、すえながーく、よろしくなぁ?」

ずいぶん長く抱かせてくれた後で、獄寺はそんな言い方をした。これから長くよろしく、今日はもう帰る、と。

「まだいいじゃないか。食事をしていかないか?」

「そしてぇけど、寄るトコロかあるンだ」

「……何処に?」

 赤ん坊を渡しながら跳ね馬は小さな声で尋ねる。

「ボンゴレの本邸」

「……そうか」

 ヴァリアーの砦でないことに、ほっとするよりがっかりした自分の気持ちが跳ね馬にはよく分からない。

「良かったな」

 山本武と獄寺の間に生まれた子供として九代目に披露されるのはいいことだ。あの男との関係は全否定されて、子供はボンゴレの系譜とは無関係に生きていくことができるだろう。九代目による加害を誰よりも怖れていた銀色のオンナも安心、するだろう。

「んー。ナンか、アイツが頼んで、くれたらしーんだけどよ」

 赤ん坊を抱いて獄寺は辞去する。見送る為に一緒に歩きながらそう聞かされて、金の跳ね馬はたいそう驚く。

「ま、もちろん、オレらのガキなんだけどなぁ」

「おめでとうって、アイツに伝えてくれ」

 跳ね馬が言った言葉に獄寺は頷く。黙って二人の後からついて歩く山本武の雰囲気が少し剣呑に、ざわっ、と、なったことには、二人とも気づかないフリをした。

「何か困ったことがあったら遠慮なく相談してくれ。オレとももう、他人じゃないんだから」

 愛したオンナの子供の名付け親に、庇護者に選ばれた喜びと誇りを噛み締めながら、跳ね馬は繰り返しそれを告げる。何度言われてもそれたびに嬉しいらしい獄寺は、うん、うんと、にこにこしながら頷く。

「なぁ、もーちょとだけ、平和だといいなぁ」

 山本が運転するボンゴレ日本支部の公用車に乗り込みながら、獄寺はその気性と似合わないことを呟く。

「オレのこと、タケルがせめて覚えててくれるぐれぇは、生きてられると、いいな……」