お帰りなさいませ、と、挨拶をしてくれた側近に。

「ただいま」

 ボンゴレの若い十代目は笑った。童顔の頬がややこけているが、相変わらずの笑顔で。

「お疲れになったでしょう」

「うん、ちょっとね。獄寺君こそ、こんなに長く他所に行ってもらってごめんなさい。困ったことなかった?」

「少しも」

と、答える獄寺は顔色がいい。瞳は透き通って肌は艶か、健康そのもの、といった風情。

「ザンザスの蔵書を読みつくした後はちょっと退屈だったんで、ヴァリアーの帳簿、チェックしてました。大したネタはありませんでしたが、使い込みを何件が見つけましたよ」

「そう」

 人質らしくもなく自由に過ごしていた様子に沢田綱吉はほっと安心した。集団の中での立場は肩書と同じくらい個人のキャラクターが影響する。人見知りだが威風堂々という獄寺は、そのワガママさと美貌が幸いして女王様的な立場に収まることが多い。

「十代目は、お疲れ様でした」

「……うん。ちょっとね」

 答えながら澤田綱吉はソファに腰を下ろす。獄寺クンも座りなよ、と勧める。はいと素直に返事をして、側近は緑茶を煎れてから向かいのソファに腰を下ろした。

「何があったのか、お伺いしてもいいですか?」

「うん。けど、実はオレにも、よく分からないんだ」

 緑茶に口をつけほっとした様子を見せながら、沢田綱吉は側近に留守をした三ヶ月のことを話そうとする。

「獄寺クンに隠し事をするつもりはないよ。隠すどころか、情報の共有化っていうか、獄寺クンがどう思うか聞きたいから知って欲しいんだけど、何がなんだか、オレもまだ混乱してて」

「ジェッソのアジトには辿り着けましたか?」

「あ、うん。それはね、成功したよ」

 ボンゴレに入り込んでいたスパイが帰還する跡をつけての侵入は成功した。アジトで分散して白蘭を探したが、それは探しきれないうちに敵に発見された。された時点で全員が各人の位置で可能な限りの大暴れ、手当たり次第に基地を破壊して囲まれる前に離脱。

 シンプルだか機動的な作戦の立案はヴァリアー。暗殺部隊というよりテロ工作だったが戦果は満足するべきものだった。その時点までは。だが。

「ジェッソの本拠地が、異空間みたいなのに在るのは見当がついてたんだけど、そこ入れたんだけどなかなか抜け出せなくて」

「そう、ですか」

「追っ手が当たり前だけど来て、迎撃したり隠れたりしたんだけど、動くたびに、ナンかさ、景色が変わっていくんだ。人は殆ど居なかったけど、地形とか、山とか川とか、気候とか」

「ご苦労されましたね」

「苦労より心労っていうか、うん。……ちょっと疲れたよ」

 ボンゴレ十代目・沢田綱吉は決して軟弱ではない。精神的にもある意味タフで、最強の家庭教師と称されたリボーンに向かってもたて突いていた度胸の持ち主。ただしアドリブには弱く、事態に適応し覚悟を決めるのにやや時間のかかる傾向がある。変則技の連続はダメージが大きかった。

「動くたびに地点が変わっていくというのは、転移させられているのかつぎはぎの世界なのか。どっちも非現実ですが、敢えて可能性を考えれば、ジェッソの本拠地がつぎはぎのモザイクになっている方がありえますね」

「そう、かな」

「追っ手をかける都度、転移させるのは意味がありませんから。侵入者を追いかけにくくすることを、向こうがわざわざ、仕掛ける筈はない」

 話を聞きながら獄寺は冷静に推理していく。その理論の冴えはいつでもすばらしい。

「ああ、そうだね」

「三ヶ月もそうやって迷っておられた訳ですか?」

「うん。っていうか、三ヶ月も経っているのに、実は驚いているんだ」

「と、おっしゃいますと?」

「オレの気持ちの中では三日くらいだったよ……」

 沢田綱吉の言葉に獄寺は考え深く瞬く。

「携帯食料がなくなって、湖の魚を食べたりしたけどそれも二度で、眠ったのも仮眠を入れて三回くらいしかない。とても三ヶ月も、あっちで過ごしたとは思えないんだ。浦島太郎みたいなキモチさ、いま」

「お戻りは、どうやって?」

「オレたちを追ってきた部隊が帰る跡をつけてジェッソのアジトに引き返して、アジトから出てくる入江の移動に便乗した」

「ああ、白蘭の側近中の側近ですね」

「うん」

「ギンザメを置いてきたって聞きましたが」

 獄寺がそう言った、途端に沢田綱吉の表情が苦渋を浮かべる。

「置き去りに、してきた」

 辛くてたまらない、そんな様子で。

「十代目のご指示でないのは分かっています」

 この優しすぎるボスが仲間を置き去りにすることなどは、有り得ない。

「今回の指揮権はヴァリアーにありました。その条件で作戦に参加したんです。仕方がないですよ」

 そんな真似を出来るのは、あの酷薄でセクシーでハンサムな、ひどい男に決まっている。

「言い訳だよ、それは。オレは気づかなきゃならなかった」

「ギンザメも承知だったんでしょう?あんな夫婦者のアイコンタクトに外野が気づくのはムリですよ」

「気づいて停めるべきだった。なのにまるきり思いつかなかったのは、心のどこかに気づいたら止めなきゃならないっていう、ずるさがあったのかもしれない」

 助かるために敢えて犠牲に気づかないよう、心を鈍く鎧っていたのかもしれないと、オノレを深く、澤田綱吉は悔いる。

「バカモトが気づいて騒がねーよーに、内緒にしていやがったに決まってるし」

「見てたみたいだね、獄寺クン」

「違いましたか?」

「そのとおりだったよ」

 お見通しをされたことに沢田綱吉は苦笑。

「バカモトは暴れてご迷惑をかけませんでしたか?」

「まぁ、ちょっとはね……。仕方ないよ」

 鋭い質問に言葉を濁す。銀色のオンナを置き去りにして帰って来たと分かった瞬間、ぶち切れてその『責任者』に殴りかかったのを、その場に居た全員で、必死で止めた。

「アイツ案外、喧嘩っばやいスからねぇ」

 けらけらと笑う獄寺の気楽さが、沢田綱吉にはよく分からない。

「山本は行ったんだよね?」

置き去りにしてしまった銀色を迎えに。

「ええ。俺に顔だけ見せて、すぐ」

行きましたよと獄寺は答える。自分の『夫』が別の女を迎えに行ったことを平然と話す。

「心配、しないの?」

「俺に心配されるタマじゃないでしょう」

 そんなものかな、と、沢田綱吉は思った。自分は、銀色のオンナや山本の力量を信頼している気持ちとは別に心配でならいのに。

「バカモトが助けに行ったンすからそっちはいいとして、こっちはこっちの出来ることをしましょう。バカモトの様子を見る限り、十代目が感じておられた体感三日、ってのは、間違っていないと思います」

「ああ、うん。……やっぱり、そう、かな?」

「三ヶ月も経ってたら、服がもっとボロッちくなってた筈です」

 全体的にヨロヨロだったけれど衣服は破れていなかった。三ヶ月も着のみ着のままだったならもっと古びていた筈だと、獄寺は指摘する。

「問題、だよね……」

 ジェッソの本拠地を襲撃して三日後、入江正一が三ヵ月後のここに『来た』のだとすると。

 ジェッソのアジトが『異空間』にあって、そこと行き来が出来るのは大問題。相手だけが隠れ蓑を持っているとあれば対等な戦争にならない可能性がある。時間を行き来できるのなら、対等どころか、圧倒的に不利。

「でも、そう考えると、色々、納得できたりも、するよね」

 ジェッソのボス・白蘭が持つという不思議な力。奇跡を起こして心酔者を獲得してきたその能力の根源が、時間と空間を行き来できる、というのなら。

「神様みたいな悪魔ってことになりますね」

「うん」

「この世はアイツのオモチャ箱になっちまう」

「そうだ。それは絶対に阻止しないと」

「同感です」

「絶対に……」

 思い詰めた様子の沢田綱吉に、まぁ一服と、獄寺が緑茶のお代わりをすすめる。

「明日はナターレですよ」

 イタリア語でクリスマスの聖夜を示す言葉。

「あ……、うん」

 もともとカソリックではなく、それどころではない気分の沢田綱吉は、だからどうしたの、という程度の気持ちで問い返す。

「ご馳走を用意しましょう。今からじゃ出来合いになっちまいまいが、まぁ酒だけは豪華に」

「……獄寺クン?」

 そんな場合かと、やや、咎める沢田綱吉の視線と口調を、ニッと受け止めて。

「こんな場合ですから、余計に」

 派手にやりましょうと、微笑む。

 

 

 

 ボンゴレのパーティーは派手に行われた。ここ数ヶ月、姿を見せなかった十代目が健勝であるという披露も兼ねていたから。行方知れずになっていた三ヶ月、ジェッソの活動もほぼ停止状態で、二つの現象にかんれけんがあると気づかなかったばんやりは、少なくともボンゴレのパーティー会場には居なかった。

年寄りたちに十代目は撫で回された。お供は晴れと霧の守護者で、獄寺はキャバッローネに子供を引き取りに行った。眼鏡の側近に懐いていた子供は少しぐずったが、獄寺が暫く抱いていたらその心臓の音を思い出したのか、引き離されてもうぎゃあと抗議の泣き声は上げなかった。

「よーしよし。でっかくなったなぁオマエ。重いぞぉ」

 うんしょと抱きなおしたら、あーぁーと喜んだ声を出す。

「いつの間にか喋れるよーになりやがって。んー」

 ちゅ、ちゅっとキスを繰り返す様子は幸福な母親そのもの。

「喋るどころか寝返りもうつし、腕だけで這えるようになったぜ。発育が早い。手足もしっかりしているし、健康で育てやすい子供だな」

 ロマーリオが赤ん坊を褒め、母親である獄寺を祝福する。えへへ、と、子供を褒められて嬉しそうな獄寺に、金髪のドン・キャバッローネは笑った。けれどいつもの天真爛漫なものではなくて。

「で、スクアーロは?」

 ここ三ヶ月、ボンゴレ十代目と一緒に行方不明の想い人のことを尋ねる。

「作戦行動継続中だぜ」

 十代目と一緒に帰っていないオンナのことを獄寺がそう言うと。

「こっちを向いてくれ」

「タケルの名付け親にウソなんかつかねぇよ」

 正面に向き直りニッと笑った美女をしばらく、金髪のキャバッローネのボスは見つめていた。

「山本もまだ帰っていないってな?」

「アイツは一回戻った。また行ったけどな」

「……信じよう」

「疑うなよ。ンなに景気わりぃツラしてっと色男が台無しだぜぇ。ナターレだってのによぉ」

 アッシュグレイの髪をした美女はヒールで埋められないほんの少しだけを背伸びした。唇の端にキスをくれる。それをにこにこ笑って見つめていた眼鏡の側近も祝福にあやかった。

「じゃあなぁ」

 アバヨと上機嫌に獄寺は辞去する。

そうして帰った、ボンゴレ日本支部の館には。

「よぉ」

 一時帰宅より更にボロボロになった若い男。

「お帰りー」

 仲間たちに囲まれて真っ青な顔色をしている。あちこち服は破けて血も滲んでいるが、重傷ではなさそう。

「ほーらタケル、オマエのオヤジだぜ覚えてっかぁー?」

 怪我をして帰ってきた『オヤジ』に騒ぐ仲間たちを尻目にひどいオンナは落ち着いたもの。最初からそれは想定の範囲内、そんな顔をしていた。