ボンゴレ十代目の右腕を自認する獄寺には、やはり非凡な、ところがあった。

 最初に反応した。すっと一歩を踏み出して銀色のオンナの前へ出た。気温は低いがよく晴れた冬の朝、威勢のいい掛け声さえ遠く聞こえる、存在感に対して。

 銀色を庇った。オレを殴れるもんならやってみやがれという、開き直りの要素は大きかったけれど。ボンゴレ十代目の側近、そうして病み上がりの女に手を、出せるものなら出してみやがれ、という度胸を決めて、驚きに声も出せないで居る銀色の前に立った。

「……獄寺」

 背後から山本武に名を呼ばれても動こうとしない。銀色と山本が市場に行くと聞いたとき、オレもついてくと言い出した時点で、銀色を庇うのは規定路線だった。

 コロシアム風というか、周囲をぐるりと駐車場で囲まれた市場は円筒形の建物。通路の左右には野菜や肉、魚に果物、惣菜に量り売りのワインといった食品関係の個人商店がぎゅうぎゅうに詰まっている。どの店先も彩り鮮やかな商品を積み上げカラフルな値札をつけ、威勢のいい店主がしきりに客を呼び込む。

建物の中央には吹き抜けの広場が設けられ、簡素な椅子とテーブルが数多く並べられている。客や小休止中の市場関係者たちはそこで、買ってきたバニーニやフリット片手に休息のときを過ごすことが、出来る。

その一つに座っていた男は別に、警戒されるべき行動を起こした訳ではない。むしろ大人しく、静かに、じっと気配を消してしていた。銀色のオンナが自分に気づいて立ちすくむまで黙って眺めていたのは、男の気性に似合わない、消極的なやり方でさえあった。

「獄寺」

 山本武の、恋人を呼ぶ声は優しい。そうして伸ばされる指先もとても優しい。けれども、力は、強かった。

 男はもちろんヴァリアーの制服ではなくスーツでもなく、シャツとスラックスにジャケットを羽織った姿。市場にマフィアーソは数多く出入りしていて、一般客やスタッフもそのテには耐性がある。椅子の埋まり具合は八割ほどで、小さなテーブルを挟んだ男の対面の椅子は、無人。

その、簡素なパイプ椅子を。

立ち上がり、回り込みはしなかったが手を伸ばして男は引いた。そうして視線を、ゆっくり、銀色のオンナへと流す。他には目もくれずに。座れと、男は言っているのだった。銀色のオンナの為に椅子を引いてやったのは初めてだった。

「あのよ……」

 銀色ではなく獄寺が男に話しかけようとする。その、肩を。

「っ、て、おい、テメェッ!」

 山本武が、掴んで振り向かせ、屈んで腰に腕を廻し、そのまま担ぎ上げる。

「なにしやがんだぁ、バカモトっ!」

 ばんばん、肩甲骨を狙って拳を下ろされる。それがけっこう痛い。健康をとり戻しつつあることを、殴られる痛さで実感しながら、山本武は。

「駐車場で待ってるのな?」

 銀色のオンナにそんな言い方をした。一緒に帰ると言い出す余地を残して。けれど銀色は。

「……おぅ」

 待っていろ、という意味の返事を寄越す。目の前の男から逃れようとはしなかった。その返事を聞いて暴れていた獄寺が大人しくなる。山本武に担がれたまま、市場を通り抜け、建物外の駐車場へ。

乗ってきたのはボンゴレの公用車。山本のRX7は排気量の割りに狭くて三人乗りは苦しいし、獄寺のマセラティは魚の臭いがつくじゃねーかと拒否られて。

イタリア人はお国贔屓が強い。イタリアの車はその国の男たちと同じくセクシーでリズム感にあふれている。けれども剛性を考えればどうしてもドイツ車に軍配があがってしまい、ボンゴレ十代目が部下たちに使わせている公用車もBMWの改造防弾車。

 その広い後部座席に、山本は獄寺を運び込み、よいしょと背中からシートへ転がす。

「……ゴクデラ?」

 大人しく転がされたまま、うつ伏せに横たわり身動きしない女が気になって山本は手を伸ばす。どうした、という風に背中を撫でても反応なし。こういう時、どういうことなのか、長い付き合いで山本は知っていた。

「そんなに心配、することないんじゃね?」

 泣いている。

「なぁ、もしかしてスクアーロがこのまんまザンザスと行っちゃっても、オレちゃんとお行儀よくするぜ?オマエがまだ痛いのに食いついたりしねーって」

 天気はいいが気温は低い。建物の陰になっている駐車場は冷え込んでいる。山本はトランクから毛布を取り出し、後部座席で動かないゴクデラに掛けてから運転席へ。エンジンを始動してエアコンを入れてやる。暖気が後部座席へ行くように調整した。

「なんにも、そんな、悲しむよーな、こと起こんねーって。悪ぃことする気からこんなトコまで、出てこないだろーし」

 市場には人目がある。地場の弱小とはいえマフィアのファミリーが仕切っていて、そちらの人間が何人も場内に居る。目撃者と証言者にはこと欠かない盛り場で、わざわざ騒ぎを、起こすはずがない。

 その気なら途中で襲ってきた筈だ。

「……みせしめに……」

 諸兄を公開されるのかも知れないじゃないかと、後ろからひどく細い声で抗議される。

「あのザンザス見てどーしてそんな連想が出てくるンだよ。スクアーロに会えてすげぇ嬉しそうだったのなー」

 仏頂面の不機嫌はいつものこと。けれど自分たちと目があった瞬間、口元がほんの少しだけ緩んだことを山本は見逃さなかった。あんな顔をする男がどうして、ひどいことを出来るというのだろう。ありえない。

「てめーみてぇな、甘ちゃんばっかじゃねぇンだ……」

「んー。オレはフツーにしてるだけだけなのなー」

 爽やかで親しみやすいと評判のナイスガイ、ボンゴレ雨の守護者だが、実はマイペースかつ頑固でワガママ。周囲に馴染もうという気持ちは最初からゼロを通り越してマイナス。

 その気性の、案外な凄さを見込まれて、銀色の鮫のみならずボンゴレの家庭教師にまで特別扱いの特訓を受けてきた。

「オレだって最初はさ、すっげぇ気合いれてたんだぜ。ヴァリアーがいつ襲撃してもいいよーに用心してたし、スクアーロんこと、どーやったって守ってやるつもりだったし」

 子供を妊娠していること、産みたいと思っているのだけれど今の環境ではそれが不可能であること、助けて欲しい、というような、話をされたその場から、山本武は師匠格の銀色を自室へつれて帰った。ボンゴレ十代目にも話を通して、沢田綱吉に庇護の協力を乞うた。

沢田綱吉は銀色の鮫に同情的で、何よりも山本への数々の恩と感謝を行動で証明するべく九代目と交渉、移籍に関して黙認をとりつけてくれた。当時はザンザスの婚約が業界では噂になっていて、その愛人が手元を離れるのは九代目にとっても歓迎するべき事態。詳しい事情を聞かれることもなく認可はおりた。

「子供も、オレの子供にして、日本で親父に育ててもらおーと思ってたぐらい、オレだって本気だったのなー」

 国籍は日本からまだ移していない。山本武の本籍は並盛で戸主は父親になっている。子供できたから、認知するから書類送ってと電話をかけたら父親からは、認知じゃなくて結婚させてもらえと一説教喰らったが、一回も反対はされなかった。

「オマエがあんなことになって、オレもピリピリ、してた時期だったと思うぜ。ずーっと避妊薬とんか飲まされてて、その隙間で奇跡みたいに出来たから、子供のこと始末されたくないって言うスクアーロをさぁ、ゼッタイ護ってやるんだって思ってたさ」

 いらない子供なんか一人も居ないんだ、それが親に望まれない生命であったとしても。

「思ってた、全部、すっげぇ、肩透かしだったじゃん」

 ヴァリアーからもザンザスからも、刺客どころか抗議文書一つ齎されなくて。

「スクアーロの『家出』の後で、ザンザスが起こしたアクションって婚約破棄だけだろ。結婚するの止めるから帰って来いってのはさ、取り戻しに殴り込んでくるよか、ずいぶん、低姿勢なんじゃねーの?」

 その話を聞いた時点で山本はあれ、と思ったのだ。もしかしてスクアーロの勘違い、早とちりなんじゃないか、と。

「その後も黙って、じーっと待ってたのは、我慢強いんだと思うのな。でも会いたくて我慢できなくて、こんな朝早く、市場まで出てきたんだろ、ザンザス」

 相手はただのマフィアの男ではない。存在そのものが既に伝説的な暗殺部隊・ヴァリアーのボス。公の場には滅多に姿を現さず、その顔を知らない者はボンゴレ内部にも多い。

「アイツが出てきたってのは、相当、想い募ってんだと思うのなー。話ぐらいは、聞いてやったっていーじゃん」

 緊急事態が落ち着いた後も、手紙も電話もしなかった銀色のオンナを、ひでぇ冷てぇと、山本は前から思っていた。心配しているに違いないのだ。せめて元気にしているくらい、伝えてやければいいのに、と。

「……タケルは?」

「オマエんだぜ」

 獄寺の問いに山本は即答する。

「オマエとオレんだ。そつちはもう、決まってることだ」

 戸籍も実子で届けたし、身柄も引き取って、獄寺とビアンキが育てている。守護者たちの子供としてボンゴレ本邸の深い場所で育てられる赤子には、いくらザンザスでも手出しできないだろう。

「誘拐させねーから、安心しろよ」

 山本武が察した獄寺の心配は、実の両親が揃ったから返せと言われることだった。

「ちっせぇ赤ん坊一人、黙らせンのは簡単なことだろ。連中はそっちの専門家だ」

 獄寺は加害を怖れている。

「そんなにオトコって信用できねーのな?」

 不信感の強さに山本はひどく悲しくなってしまう。

「そりゃ結婚する前に孕ませたのは、順番が逆で悪かったって思ってっけど、ちゃんと好きだし、子供できたの、すげー嬉しかったのなー」

 どうして避妊をしてくれなかったのと、涙ながらにビアンキに責められたことは勿論、忘れていないけれど。

「ガキ、育てンのを、そんな気軽に、言うんじゃねぇよ」

 後部シートで獄寺が身動きする。起き上がろうとしている。文句を言いつつ、子供はオマエののままだと保障されて、少しは落ち着いたらしい。

「軽くは言ってねーけどゴメンナサイ。オマエに関してはすっげー反省してるって。今からでも、初夜に遡って婚姻届出すし。したらタケルも嫡出子扱いだしなのな?」

 性に関して世界的にはかなりおおらかな日本にして、嫡出子・非嫡出子の差別は残っている。社会化の授業を居眠りばかりしていた山本武は、認知しかしていないことを聞いた雲雀に指摘され顔色を変えた。もちろんお上にも慈悲はあって、出生後でも両親が結婚すれば嫡子と認められる。

「……いらねぇよ」

「順番間違ってぐらいでそんな、怒んなくたっていーじゃん」

 ハンドルに肘をかけながら、男はそんな、独り言。

「ごろんなさいって腹見せてんだから、せめて踏めよ」

 何も言わないまま背中を向けて、居なくならないで。