庇護本能・7

 

 

 軍施設だったから、調べさせれば宿舎は分かった。そこに出向いた大佐を待っていたのは鎧の弟と、その手に託されたメモ。何かあったんですかと弟は大佐に心配そうに尋ね、戦場の事後処理でなと大佐は曖昧に答えた。
 嘘はついていない。これも一つの事後処理には違いない。誰かとどうかするたびに最近、自分は苦労しているような気がする。歳をとったからだろうか。責任を、取らせるのではなく取る側になったということだろうか。
 施設を出て、車をまわさせてホテルに到着する。大きなホールを供えた、中央でも指折りの格式のそこは一見の客は泊めない。が、例外があって、軍の紹介と佐官以上の軍人及び軍属は、無条件で招き入れられる。社会的地位という奴に相応の、ささやかな特権。
 フロントには運転手を出向かせた。部屋番号を尋ねさせ、駐車場から直接にホールを抜けて客室へ上がって行く。軍服のままだったお蔭で怪しまれなかった。
 ドアをノック。返事はない。名前を名乗る。手元で小さな音がした。錠が外れる音だ。鍵ではなく、錬金術のロック。
 ドアを押す。室内は暗い。
「……、鋼の?」
 いるのか、と尋ねた瞬間、半身に衝撃を感じた。
「き……、みは……」
 明りが点けられる。部屋の奥、机の上に置かれた大きなランプにオレンジ色の炎がともったのだ。それは暖かな光だったが、仰向けに床に転がった目には眩しかった。ランプの横には人が居た。机に腰掛けて、片膝を抱えてこっちを見ている少年。
「上官を床に転がすなよ、お前たち」
 手首と足に、絡みついているのは布の手錠。試すように引っ張ると、ピンと張り詰めて、それだけ。どうやら床から直接に生えているらしい。錬金のバリエーションに富む相手は必要なものを、掌を合わせればそれだけで作り出せる。
「……ナンで転がされてくれんの?」
 少年は案外、簡単に口を開いた。強張った表情はとけないままだったが。君が泣きそうな顔をしているからだよ、とは、さすがに言えなかった。痛々しすぎて。
「大佐なら逃げれたろ?なんで大人しく転がされてんの」
「君に責任がるから、かな」
 床から仰向けの位置で、見上げる少年に笑いかける。少年はすっと目を細め俯いた。泣くのか、と思ったのは一瞬。すぐに、生き生きとした金の瞳は復活して。
「オトナだねぇ。責任とってくれんだ」
 行儀悪く立てた片膝を引き寄せ顎を載せる。
「大佐に『コイビト』いるなんて知らなかったよ」
「たくさん、居るさ」
「居るのになんで、俺とあんなコトしたの」
「寒かったからだ」
「もーちょっとマトモな返事してくんない?」
「君が可愛かったし」
「今、ちょっと殴りたくなったかも」
 かなり本気の少年の脅しにも、
「暴力沙汰は、出来れば避けたいな」
 黒髪の大佐は揺れなかった。
「すっきりするのは錯覚だ。君はきっと、私を避けるようになる」
「避けられんの嫌なのかよ、俺に」
「寂しくなる。私は君を好きだからね」
「は……ッ、白々しい」
「本当のことだよ。だからここに来た。私に用があるだろう?」
「……あったっけ」
「話があると言った。したまえ、聞くから」
「それでチャラにしようって意味?」
「君とこれからも仲良くしたいのだ」
「ふーん」
 嘲笑しようとして失敗した唇が、一瞬だけ震える。
「でもさぁ、それって……、それってさ……」
 威嚇の言葉を続けようとして、そんなことに慣れない少年は言葉を詰まらせる。少し焦って、やがて諦めて、立てた片足を腕に抱いた。眺めている黒髪の大佐が切ない表情を浮かべる。冷たい機械鎧の足は伸ばしていると冷えて痛いのだろう。いつも、身体に引きつけるように座ることを、あの戦場で気付いた。
「鋼の」
「……はいー?」
「おいで」
「犬猫じゃねーんだからさ」
 呼びつけるなよ。そう言いながらも、一瞬だけ、浮いた膝を大佐は見逃さなかった。もう一言。
「背中が痛い。来い」
 今度は命令。仕方なく、というポーズで少年は机から降りて近づく。枕もとに立ち、まじまじと見下ろして来る視線を受けて大佐は微笑んだ。少年の、顔も、くしゃっと、崩れて。
「屈んで、膝で支えてくれ」
 少年は膝を折る。生身の膝を大佐の背と床の間に差し入れようとする。大佐は体を振って拒んだ。機械鎧の左膝に肩甲骨の窪みを預けて、そのまま動かない。
「硬いだろ。痛くないわけ?」
「大丈夫だ」
「あんた俺の弱み、ばっちり掴んだね。……しょーがないか。俺、ガキだもん。オトナにはかなわねぇよ」
「君らしくない物言いだ」
 大佐が笑う。こうやって笑う時、凄く優しい表情をする。背中から伝わる体温が暖かい。機械鎧の足を動かして、相手が楽な位置を探る。床に磔にしていたのが、上体を浮かした姿勢に代わる。支えて浮かしているのがはりつけた本人だから、世話はない。
「弱みついでに、お願いしてみるけど」
「ん?」
「恋人、たちと別れねぇ?」
「何故。分かれたら寂しいじゃないか」
「しらっと言うね、あんた。……憎らしいなぁ……」
 憎らしい。でも暖かい。膝枕、と呼ぶには甘さが足りないが、至近で自分を見上げながら、笑ってくれる人をやっぱり。
「じゃあさ……、俺んことも、いれようよ」
 やっぱり好きに、なってしまったのかもしれない。
「キスしていい?」
「だめだ」
「どうして」
「君は私の恋人じゃないからね」
「俺もコイビトの一人にしてよ」
「それも、駄目だ」
「なんで。イッパイ居るんだろ?」
「君の事はきっと、私の番犬が許さない」
「……、番犬ねぇ……」
「許さないだろう?ハボック」
「許しませんねぇ」
 返事は足もとの闇の中から聞こえる。背中を支えられた大佐の、広くなった視界の中でまた火が灯る。今度は小さく、時間も短かった。仕事では護衛を兼ねた部下、プライベートでは凶暴だけど忠実な番犬。セックスしているという意味ではコイビトの一人である、若い男の表情が浮かび上がる。
「許しませんよ、当然」
 ライターの火に一瞬だけ、浮かぶ横顔はひどく憔悴して見えた。志向性の強い炎のせいで表情に影がついたのか、それとも。
「あんた上手にたらしこみますねぇ」
 半日でやつれるほど苦しんでいるのか。
「俺が居て良かったろ、大将。一人だったら、いい加減にあしらわれてたぜ。その人の性悪は保証つきだ」
「……性悪なんだって。そーなの?大佐?」
 こんなに優しくて暖かいのに?
「そいつが言うならそうかもしれないな」
「あんな風にみんなにしてやるの?俺にしたみたいに?」
「状況が揃って、好きな相手にだけだよ」
「そこが性悪って言ってんですよ。単に股が緩いより悪い」
 煙草の煙が、闇の中から流れてくる。目を閉じてそれを味わう、ような表情を大佐は見せた。二人がじっと、自分を見ていることを承知で。閉じた目蓋にかかる睫毛の、翳りの深さはは、タチが悪かった。
 煙草一本、吸い終わる時間分の沈黙。
 少年は生身の左手を伸ばして、膝の上に支えた人を抱き締める。抱き締められて嫌がりもしない、腕に添うしなやかさも、何もかもたちが悪い。
「あんた、司令部から直接ですよね」
 煙草を揉み消す気配と同時に、聞こえて来たのはそんな言葉。
「直接だ。部下と車を迎えに来た」
「腹、減ってますよね」
「空腹だな」
「だったら早めにしましょうか。大将」
「……、あぁ」
 ヒュ、っと。
 音ともいえない気配が動いて、ドアに錠がかかる。
「何されると思ってます?」
 ドア近くの椅子から立ち上がり、若い男がランプの光の、輪の中へ入って来る。
「さぁ……、なんだろう」
「輪姦するって言ったらどーします?」
「信じないよ。お前を信じてる」
「舐められてますもんね、俺」
 悲しむように、自嘲するように、若い男は目尻を下げた。普段は飄々としてとぼけたような顔が、思いつめていると精悍であることを知る者は少ない。
「あんたの最初のオトコが得意だったこと」
 精一杯に切りつけた言葉を、
「また物凄く分かりにくいヒントだな」
 したたかな恋人は余裕で切り返す。
「なんでも特別に得意な男だったぞ、ヒューズは」
 言われる前に自分で名前を出した。少年の表情が少しゆれる。知らなかったらしい。
「あいつに出来ないのは、料理くらいだった」
「……、ふーん」
 床に磔られたままの下半身、足もとに座り込んで、男は。
「ほら、大将。さっさと尋ねろよ」
 捕獲された上官の、軍服のままのベルトを外す。
「尋問するなら、せめて最初は普通に尋ねろ、お前たち」
「大佐って嘘、上手そーだもん」
「死ぬほど上手いぜ。まぁ、だから」
「……ッ」
 変化は瞬間だった。
 それまで呆れつつ穏やかに、話をしていた黒髪の大佐が顔をゆがめ、唇をかみ締める。変貌は本当に一瞬で、吸い込まれる息の細さは少年の心拍数を跳ね上げる。
「いつもカラタに訊くことにしてる。……俺は」
「ぁ……、ぁ、あ……」
「痛くないでしょ?夕べ、あんたが噛み切ってくれた爪だし」
 ささくれた端で傷めないよう、仕事の合間にちゃんとヤスリかけていたしと、男は耳元で囁く。秘め事の行われている狭間は着衣のまま、はだけられた隙間いっぱいに男の指が突っ込まれ掌で包まれて、子供の目には、何も見えなかった。
「……ッ」
 そこで何が行われているのか、予想はつくけれど見えないまま、変貌する表情だけが間近にある。唇から漏れる息は熱く、目には薄い涙の膜がかかる。ぎゅっと歯を噛み締めて、そこだけ見れば苦痛を我慢しているようでもあったが、本当は。
「そう、うん。……、そんなカンジ……」
 若い男の手淫に喘いでいる。顎が上がって、白い喉が見えた。頭を振るたびに黒髪が床に当って、パサパサ、軽い音がする。随分長く、そうやって我慢していたが。
「……、め・ろ……」
 陥落。
「やめ……、なに……」
 喘ぎの合間の細い声に、抱いている男は目尻を下げて笑う。
「ほら、大将」
 聞きたい事があるんだろ、と、質問を催促。
「手ぇ止めてよ、少尉」
 苦しむ人を慰めるように、少年の左手が、汗で額に張り付いた前髪を掻きあげる。
「よく分かったよ。この人、少尉の恋人だね。……いいね」
「いいだろ。まぁ、それとは別の話で」
 若い男が屈みこみ、性感に喘ぐ相手の唇にくちづける。呼吸を塞がれることを嫌がって暴れかけた黒髪の大佐は。
「……ひ……ッ」
 狭間で何をされたのか、突然、竦んでがくがく震え出す。もう一度、改めて寄せられた唇を大人しく受け止めて目を、閉じた。
「年齢からすれば、この人がそっちを玩具にした立場だ。代わりに答え、貰っていきな。オトシマエに」
「玩具にされたのかなぁ。なんかこう……。もっと……」
 愛された、幸福な錯覚がまだ消えないのだが。
「まぁいいや、じゃあ大佐、質問。……聞こえてる?」
「……、ぅ……」
「教えて欲しいことがあるんだ。……あのさ」
 左手で頬に触れる。涙に少し湿っているけれどすべらかで、暖かい。
 

「賢者の石って、何処にある?」