蓬莱・九

 

 

 何をたくらんでいるのかと、尋ねられる。

 別にと俺は答えた。……別に、なにも、と。

 須藤は俺の言葉を信じなかった。唇の片端を皮肉に吊上げて、でもそれ以上の追求はしてこない。

 俺は、職務に精励した。

 異国との貿易、都との折衝。妻の父親に会うために都を訪れも、した。無官の俺は妻の実家の門をくぐることは許されなかったが、俺が進呈した財物は門から屋敷の蔵に招き入れられ、その見返りとして、俺には国の丞の官位が与えられた。

 世が平穏であれば、従五位下。最低とはいえれっきとした位階を持つ役目。

 乱世では、官位相応の報酬も権能も与えられは、しない。

 けれど意味はある。権威、という強み。実力だけが物を言う乱世にあってさえ、尊卑の概念は人の心に、硬く根深く、食い込んで動かない。それは一番、頑固な観念らしい。

 でも。

 世につれて、根から生えた枝葉は色を変える。変えるきっかけとして朝廷から賜る官位は便利だった。それは、実力の証明。その地を、実力で掌握したという公認。公認された俺には、家中の者たちも一途に懐いてきた。かつては俺の存在を、家督相続を乱す根源と決め付けた家老さえ。

 人の心が変りやすいとか、状況や利害によっていくらでも、言葉は裏返る、とか。

 いまさら皮肉に思いはしないけど。……ただ。

 家老が、欲得から、考えを変えたなら、まだ俺には嫌味を返す、余裕というか、ゆとりが出来たと思う。

 そいつは、無邪気な目をして真剣にそう言った。

 心から、俺を尊敬しているのだと、分かった。

 かえって……、苦しい。

 俺はまだ忘れきれずに、いるのに。

 不要な存在だと、言われた幼い頃の、痛みを……。

 周囲が変わっていく。俺が、心の中では適応しきれないで居るのに。

 それがとても、苦しい。

 

 眠れない夜明けに夢を、見る。

 見る夢は大抵、決まっている。夜が明けることを恐れている夢だ。……もう、二年近く、前。

 あいつが……、妻を娶りに行く朝。

 永遠に、夜が明けないことを、願った。……祈った。

 なのに白々と光が世界中に、満ちてくる絶望。

 そのカナシミは未だに切なく、俺の心の奥底にとどまって、いて。

 癒す、為だけに生きてきたようなものだった。

 置き去りにされた痛み。

 再会の後で俺を、キタナイって、言って足蹴に、して部屋を出て行った……、お前。

 寝ていない事実に意味は大してないのだと、須藤京一は笑う。

 その通り、かもしれなかった。

 大切なことは別にある。

 俺がお前をどれだけむ愛して、いるか。……そうして。

 恨んでいるかを、思い知らせるために呼吸を、繰り返す。

 胸にしまった、復讐の焔。

 

 憎しみ。

 それだけならまだ……、良かった。

 あんなに俺を愛してくれたのに。最初に俺を、無理矢理に引き裂いて。

嵐に揺れる、船首を抱きながら。

 生きろって……、言ったのはお前だった。

 だから、その通りに、したのに。

 したのに……、どう、して……?

 

 苦しい。

 忘れられなくて、苦しい。

 今、こうして、敵味方として。

 向き合っている現実が、待ったなしに襲い掛かってきても。

「高橋の若頭領だぜ!」

「やった、俺の獲物だ!」

 乱戦の中、後方で全体指揮をとる須藤京一から、何度も戻れと伝令が来たけど言う事をきかなかった。

 敵陣に突出する。あやういほどに、深く。危うさが目的。だって、ここにはあいつが居るから。

 ただそばに、行きたくて、近づく。

 友軍から遮断され孤立して、敵船に囲まれたところで何も、怖くはない。

 引きつった、血の気のない顔でお前が俺を、見てる。

 ……あぁ。

 やっぱり、ダイスキだよ。

 ……会いたかった……。

「待てぇッ」

 俺の船の艫に取っ手をかけて、よじ上がって俺を討ち果たそうと、する仲間たちに、お前が叫ぶ。

「それは……、俺のだ……」

 声が震えてる。武者震い?

 いいよ、おいで。……俺を殺しに。

 好きにしろ。お前に海から、拾われた命だ。

 お前の手で海にもう一度、棄てられるなら本望。

 お前に会いたくてここへ来た。

 お前がくれる、結末がほしくて。

 仲間を引き連れて、お前が甲板に上ってくる。

 俺の仲間は動かない。死んだ筈の前領主が現れたことに混乱しきってる。家督相続の混乱した高橋家の、どちらが正当な当主かは、そうだな。

 一騎打ち、してカタをつけなきゃ、いけない。

 お前が刀の柄に手を掛ける。そのままなかなか、動かない。俺が何か言うのを待っているって分かった。だから俺も、言葉を捜そうとした、けど。

 今更、なにを言っても嘘になるだけ、みたいな気がして、俺もカタナを抜く。

 絶望したようにお前の表情が、苦しそうに歪む。……なぁ、啓介。

 俺はずっと、苦しくて悲しかった。

 もしかして、お前もそうだったのなら、俺たち何処で、何を間違えた?

 どうして素直に愛し合えなかったかな……?

 分かるなら教えて。多分もう、やりなおすことは出来ないけど。

 それでも知りたい、どうすればよかったか。

「……、あんた、は……」

 震える声で、俺に囁く、お前がどうしたら、

「俺を……、シマツ、したいの……?」

 笑ってくれていたのか、知りたいんだ。