第四章・純愛
何を言われているのか暫く分からなかった。とぼけるな、って怒鳴られても、とぼけてなかったから分からなさに拍車がかかるだけだった。
その日は朝、目が覚めたら一人だった。早朝っていうより夜中のようなまだ暗い時刻、同じ寝床の中から総悟がそっと出て行ったのを感じてはいたがそのまま眠り続けて、久しぶりにゆっくり眠った。
いい天気だった。空が高くて蒼かった。GWが過ぎて本格的な夏が来るまでの狭間、ほんの短い間だけ見れる群青を薄めたようなきれいな色をしてた。
眺めているうちにぐだぐだ腐ってんのが馬鹿馬鹿しくなった。制服に着替えた後、勢いのまま巡察してくるって言い残して外へ出た。特に用も目的もなかったが街の風に吹かれてるだけでいい気分だった。
白髪頭の万事屋に昼メシを奢ってやってたのは上機嫌の延長。話し相手をさせて楽しかった。ずっと屯所と江戸城と警視庁を行ったり来たりの毎日で、偉いサンと会うたび緊張したのは総悟ばかりじゃなかった。茶店でメシの他にパフェたかられて、まぁでも、悪い気分じゃなかった。
町中をぐるっと巡回して、途中で喫煙可能な店に入っては一服して、いろんなことを考えた。部屋の中で考えてるよりは建設的な気分になれた。まー、結論は、何をどう考えたところで結局、変わりゃしなかったが。
総悟の事は見捨てない。俺が今、手を離せばあいつは溺れて沈む。それは嫌だった。愛情も勿論ある。けどさせるかって意地もけっこう強い。溺れて楽にさせてたまるか。
俺と近藤さんがけっこう洒落になんないくらい、必死で育ててきた鳳の雛にここで潰れられてたまるか。わが身を削ってって言う表現が比喩じゃない時もかなりあった。あいつに自分を食わせて来たのは思えば昔からだ。イマサラ、たかがセックスで、努力の数々を台無しにするのも不本意だ。
あいつがまさか、俺にエロイことしたがってたとは夢にも思ってなくて、正直なところ強いショックを未だに引き摺ってる。けっこうヤワかったんだなって自分でも思うくらい。された直後は死んじまおうかとさえ思った。馬鹿らしいことに。
あいつに抱かれてヒィヒィヨガっちまった自分のカラダにも、絶望を感じないでもなかった。若い頃のクセってのはなかなか抜けねぇもんだ。ここ何年も、全然そんなこたぁなかったのに。
まーでも仕方ねーさ。ヤっちまったんだしナっちまったんだ。俺の中にオンナの快楽の核がまだあったのには驚いたが、あったモンはあったんだ。見つけられちまったものはもー、られちまったんだからイマサラ、どーしょーもねぇんだ。
自分に言い聞かせる。ヤっちまった事実を後悔したってもとには戻れねぇ。自覚する事実は苦かった。でも目を反らしていつまでも、ぐだぐだ落ち込んでる場合じゃない。
もと、ってのはセックスする前でもあったし、昔の、あいつと家族みたいに近かった頃でもある。時間はまだほんのちょっとしか経ってない。でも凄く昔みたいな気がする。距離が開いたからだ。もう戻れないからだ。
ぐしゃ、って卵の殻が割れるみたいに、俺と総悟の関係は崩れちまったけどそれを惜しがるのは未練ってもの。ただ俺は相当、しつこくて未練がましい性質だ。
未練がましく、俺はまだ惜しがってる。沖田総悟って名前の、生意気な天才時、年下の兄弟子。近藤さんと一緒にアレを育てんのは楽しかった。どんどん強くなってくアレは、俺らの自慢で、存在価値だった。
でも、そう。
親でも兄弟でもねぇんだ。近藤さんはそれでも師匠筋だが俺の剣は我流のクセが強くて流儀上は外様。だから俺が、いつまでも保護者ヅラして居れないのは、当たり前のこと。
俺のことを。
オンナにするとかナンとか言ってる、総悟の戯言は聞かなかった。寝言としか思えなかった。聞き流してりゃそのうち、不可能が夢物語ってことに気づくだろう。セックスは多少強引でも一方的でも出来ないこたぁない。けど、オマエが俺としたがってるソレは無理なんだよ。恋愛は向き合ってなきゃ不可能。俺はオマエと色事を真面目にやる心算はない。
一年間は見捨てない。ヤりたきゃ好きにさせてやる。けど一年で終わりだ。終ったら田舎に帰ろう。総悟の寝言が聞こえないところに。都会に負けて実家に帰るOLみたいでも構うもんか。後ろも見ずに真っ直ぐ逃げてやるさ。
なんてことを考えていたことが、まさか伝わったわけじゃないと思うが。
屯所に帰って来たのは日暮れ近く。自分の部屋に落ち着いた早々、総悟がなんだか思いつめた顔で来た。ただいま、って俺は一応、尋常に挨拶した。相手は局長だし、勤務時間は終ってたが制服姿だったから。
「自分から、言う?」
こいつが俺を抱きにくるのはいつも夜中、そろそろ寝床に入るって時刻。最初の頃はメシ食ってすぐ来てたが、ヤられて以来、ツラを見るのが億劫になってた俺は来られて話しかけられてもぼんやり無視してた。ら、来る時間はすぐに遅くなった。頭はカラだが勘は悪くない。
「自首するなら、ちょっとは罰、軽くしてやるけど」
なに言ってんだよオマエ、って、以前の俺なら形のいい頭をどついただろう。別に今でも言っていいんだが、顔を見ると気が重くなって口をひらく気力がなくなっちまう。無視しよーとしてる訳じゃないけど、声を出すのが面倒で総悟の顔を見てた。
「昼間、なにしてたか、俺に言ってみろよ」
昼間?
仕事はさぼってた。巡察のふりして。だからってそんな怖いツラ、向けられる覚えはねぇ。サボリはてめぇの得意技だっただろ。
「トボケたって無駄だぜ。バッチリ見てたから。昼間、万事屋のダンナと」
メシは食った。それがどうしたってんだ。
「喋ってたってなぁ、たのしそーに。……ふざけんなよ。あんたね、なんで……」
楽しそうだったかどうかは知らないが、メシ食って喋ってたのは事実だ。でもだから、それがナンだっていうんだ。
「とぼけンな……ッ」
怒鳴られる。近づかれる。反射で後ろに下がった。ヤられて以来、俺はこいつが、どうしても怖くなった。近づかれるとびくって警戒する。体が距離をとろうとする。
「だか、ら」
それをコイツが怒ってイラついて、必死に俺に隠そうとしてるが額に青筋をたててんのには気づいてた。そのたびに拳を握りこんでたから、いつか殴られるなとは思ってた。殴りたきゃ殴れ。それで痛いのは俺じゃねぇ。
発想が我ながら拗ねた女みたいだった。怒ってる顔を見てるのが辛くて目を伏せると震える拳が見えた。なんとなく見続けてしまう。早く殴んねぇかな。
なに怒ってんのか知らねぇが、ツラ張って反撃されなきゃこいつの気も納まるだろう。反撃する気は最初からなかった。こいつとやり合うと疲れるし、長くなるから、面倒だ。プライドはもうぐしゃって潰れちまってるからいい。ヤられんのも殴られんのも似たよーなもんだ。
「俺とは喋んねーくせに、なんでダンナとだけ……ッ」
離れた距離を詰められる。制服の襟元に手を掛けられる。押し倒される。受身を取るまでもなく畳に転がる寸前に手を止められて、それほど痛くはない。
「なんとか言えって、何回、俺に言わせるんだよッ」
転がされた身体を仰向けにされて、下腹の上に跨られる。覚えがある姿勢だった。
古い習慣では、試合で決まりの本数をとられた後、負けが納得できなきゃ竹刀を棄てて格闘に持ち込んでいい。本数とった側も棄てて、剣じゃなくって柔の試合みたいになるが、そっちには一本二本の判定はなく、面を脱がされるまでねばっていい。
最近の正式な試合には採用されなくなった方式。ただガキの練習試合やではそれを認めてることが多い。敗者復活戦の価値、あきらめるなってことを教える為に。オトコの人生には戦争より喧嘩が圧倒的に多い。喧嘩は、負けたと自分が思った瞬間に負ける。
当然ながら俺も諦めが悪い方だった。竹刀とっちゃ近藤さんにもこのガキにも負けた。ガキ相手には格闘しなかったが近藤さんには挑んだ。時々は勝ったが、三七で負けた。面はうつ伏せじゃ脱がせにくいからいつも、仰向けに押し倒されて跨られて面を脱がされた。
面金ごしの視界が広がって、俺を見下ろす近藤さんはいつも笑ってた。勝ち名乗りをあげられながら、態度ほど俺の気持ちが口惜しくなかったのはあの人が暖かかったからだ。懐かしい記憶。あの頃は幕臣でも警察官でもなくて、剣の修行をしたからって金が儲かるわけでも出世する訳でもなかった。でも熱中したのは楽しかったからだ。