奇妙なことに、なっている。
「問題は、分裂した旧幕府軍が、連帯しているのか個々に独立しているかということだ」
鳥羽伏見の市街戦は火力に勝る攘夷軍が勝利した。けれどもそれはほんの緒戦、お手並み拝見という程度の小競り合いに過ぎない。
攘夷軍は烏合の衆だが、幕府軍も直参や親藩をかき集めている最中で、本当の戦争はこれからだと、双方が思っていた。幕府軍が江戸で攘夷軍を迎撃すれば相当に粘れる筈で、利害も理念も五明に食い違う攘夷軍はそのうちに空中分解を始める、という読みの軍略家も多かった。
けれど幕府のトップ・将軍は降伏した。主力軍は恩属したままの不戦敗を選んだ。江戸城までもさっさと明け渡した無条件の恭順に、敵も味方も、戸惑って身動きがとれないのが現状。
とりあえず攘夷軍は幕府の兵力を解体しようとした。が、当然、それを是としない武士たちは抗戦の態度を示している親藩や譜代、直轄領に拠って降伏を拒んでいる。奇妙な休戦の今、課題はそれらを、どうするか。各個に撃破するには攘夷軍の兵が足りず、看過するには相手の勢力が大き過ぎる。
それでも何とか兵力を割り振って、追撃しようということになった。なったはいいが、装備や士気や戦動機に違いがあり過ぎて、編成はスムーズにいかない。
何処が強いか、それとも弱いか、実態が分からないことには話しにならない。旧幕府軍の幹部を呼び出してまずは情報収集をしよう、ということになって、会議は予定より早く終わった。
「オレぁそれには欠席させてもらうぜ」
片目をなくして破壊神になった今も、はきはきと自己主張をするのは鬼兵隊をはじめとする武闘派を率いる高杉。
「幕臣のクセに仲間のネタを売りに来るヤツになんざ会いたくねぇ。気に食わなくて、殺しちまいそうだからなぁ」
時として狭量なほど、そして潔癖なほど、純な革命家が言うことにも一理はある。
「将軍は降伏した。君主の意向に従うことを道徳的に非難することは出来ん」
が、桂がたしなめる言葉もはっきりと事実。江戸から脱出して数箇所に割拠している連中は幕府『脱走』軍だ。けれどもフン、と、高杉は桂の言葉を笑い飛ばした。詭弁であることを知っている表情で。
「そもそもアイツは何年も前から幕府を裏切ってやがったんだろう。坂本の亀山社中は薩摩資本だけどモトは幕府の神戸海軍操練所だ。身内を売ってきやがったヤツを信用するのか?」
攘夷と開国、尊王と佐幕。二つの理念は複雑に絡み合い、割り切れない頭のいいヤツに限って態度は理解されにくいものになってしまう。その状態を悪意を込めて呼べば、裏切り者という禍々しい語になる。
「弟子たちを路頭に迷わせたくなかった気持ちは理解できる」
同じように頭が良いけれど理性的で、志は高いが敵にも寛容と言う、奇跡の資質を持つ桂が辛うじて攘夷側の連合軍をまとめあげているけれど。
「モノは言いようだなあー」
隻眼の美形が生真面目な性格とは裏腹の、口のうまさを揶揄する声音は同盟者のものではなく。
「貴様も少しはモノの言い方を覚えろ。源平合戦で麩赤と白しか理解しなかった義経公の末路を考えてみることだ」
桂の小うるさい説教はまるっきり「近所のワルガキ」への説教。
「出欠は好きにするがいい。体調不良の届けを忘れるなよ」
「適当に書いといてくれ」
昔を知っている者たちの耳に、高杉の返事は高慢というより甘ったれに聞こえる。じゃあなと先に席を立つ着流し姿を、昔は女の子みたいに可愛かったよなコイツと思いながら眺めていると、通り過ぎザマ、椅子の後ろから白髪頭を煙管でドツかれた。
「いてっ」
男は文句を言ったが反撃はしなかった。恩義がある。たった今、会議の話題に出てきた幕臣に関して。
会議は終了、三々五々、二十人ほどの出席者はそれぞれの本陣へ戻っていく。白髪頭の男は最後に残って、テーブルを片付ける桂を手伝った。
攘夷軍には指揮系統は存在するけれど、一人ひとりの関係は『志士』として対等なもの。身分制度の厳しい、封建社会の気風を濃く残す西国大名の名代たちは、その雰囲気がなじまないらしく居心地悪そうにしていた。
「オマエも明日は来なくていいぞ、銀時」
椅子を折り畳んで重ねている背中に、桂のそんな台詞が投げつけられる。
「オレぁ斬りつけたりしないぜ?」
「どうだかな。勝の名前が出たとたん、おまえ、高杉よりも凄い顔をしたぞ」
「……」
「おまえは自分で考えているより正直だ。もう少し自覚を持っておけ」
「……」
むっつり、黙り込んでしまった男に、更に。
「武州の名主は全員保釈された」
桂は言葉を投げ続ける。
「あっ、そ。……ありがとよ」
「オレが礼を言われることではない」
「オマエさっきから、高杉と喧嘩した憂さ晴らししてねぇか?」
「預けた捕虜は元気にしているか?」
「モノは言いようだな、マジで」
武州というのは武蔵の国のことで、江戸もその一部に含まれる。殆どが天領もしくは旗本の所領・親藩譜代の飛び領地となっていて、当たり前だが、住人たちは佐幕派が多い。
長い平和でサラリーマン化して腰の抜けた直参旗本より、地侍の気風を脈々と引き継ぐ天領の名主や豪農たちは懐も豊かならやる気も満々で、連中が担っていた首都の外郭防衛線にはなかなかてこずった。
「保釈には勝殿の口ぞえと根回しが効いた。あの方は、ただ幕府を売ったという訳ではない」
少しでも味方の傷が少ないよう、そして将軍の安全が保証されるよう、努力を惜しんではいない。
「明日の軍議への出席も、引き換えの条件は上野で捕虜にしたうちの、未成年者の釈放だ。今まで一度も、金銭や地位の要求は無い。高杉が嫌うほど悪い人物でもないと、オレは思っている」
「……」
「江戸に潜入して自分を訪ねてきた新撰組の副長を高杉に売り渡そうとしたのも、攘夷軍の恨みを買った主戦派の存在が、江戸城無血開城にマイナス要素だと判断したからだろう。やり方汚いが動機は理解できる」
「……やり方が汚ねぇよ」
最前線で体を張ってきた新撰組は攘夷志士たちの恨みを買っている。気まぐれを起こしたのか汚いやり口が気に入らなかったのか、高杉が坂田銀時に連絡をして『引き取り』に代理で行かせなければ、今頃はバラバラにされて江戸前の海でフカの餌だっただろう。
「で、その捕虜は元気か?」
「病気はしてねぇぜ、とりあえず」
「そうか、まだ手元に居るのか」
「ヅラの分際でヒトにカマかけんじゃねーよ」
「ヅラじゃない桂だ。拘束しろとは言わないが、手放すときは手ぶらで手をはなせよ」
「なにユってんの、オマエ」
「土産を持たせるなと言っているんだ。勝殿の首も、こっちの情報も」
「……」
「オマエは客分だ。公私混同は許そう。だが土産を持たせれば裏切りと解釈する。それは分かっておけ」
「……手放していいのかよ」
「武士には死に場所を求める権利がある」
「オマエ、新撰組、キライなんじゃねーの?」
「大嫌いだし宿敵でうらみ骨髄だ。だが連中は正々堂々とした敵だった。このまま最後まで、真正面からカタをつけたいと思っている」
「ちょっと、甘いんじゃねーのか?」
白髪頭の男の言葉は半分ほど揶揄。けれど残りの半分は本気で心配している。攘夷軍は連合軍で、構成員は桂のシンパばかりではない。性格の悪いのに足元を掬われるんじゃないかと本気で心配している。
「昔、オレにも、美しく死のうとしたことがあった」
むかしむかしの、負け戦の時に。
「その時に、それだけの覚悟があるのなら美しく生きようと言ってくれたバカが居てな」
「バカは余計だろ」
「おかげでオレは、今ここに居る。生きていて良かったと思っている。そのバカに感謝している。だからまぁ、多少のオイタは見逃そうと思っている」
「公私混同じゃねーか?」
「そうかもしれないな。ナニがモンクがあるか?」
「ねーよ」
椅子も机も湯飲みも片付けて、部屋を出て行きながら、白髪頭の男は、途中で立ち止まる。
「なぁ、ヅラぁ」
「ヅラじゃない、桂だ」
「なんでオレ、ここに居ると思う?」
「居たいからだろう。お前は昔から、自分のやりたいようにしかしないヤツだ」
「もう関係ないつもりだったんだ。攘夷とか尊王とか、今はもう、殆ど興味ねぇんだ」
「それでも仲間だ、俺たちは。憎しみに近い葛藤を繰り返しても、他人には戻れん」
「誤解を招く言い方はやめやがれ」
「高杉や、そこに居る坂本のバカを含めて、嫌っても憎んでも仲間だ」
そこに坂本はおらず、仕切りの向こうの流しからエリザベスが湯飲みを落としたのか、ガチャンという音が聞こえた。戦争がイヤになって貿易商に転身した旧友も、そこに居るのか。
「抜き差しならない、絆が俺たちにはある。そういうことだろう」
「……あった、ねぇ……」
死線を越えた。命を助け合った。命の行方が一つだったことが、あった。