寄生生物・5

 

 

 

 出勤するなり、夜勤だったブレダに。

「おい、具合はどうだよ」

 尋ねられる。もちろん、俺の体調のことじゃない。

「あー」

 ぼさぼさ、アタマを掻いて言葉を捜すのは、半分は演技で、半分は時間稼ぎ。それを誤魔化しと受け取ったらしいブレダは、俺の腕を掴んで物陰に引っ張り込んで。

「……可能性は?」

 低い声で、尋ねる。

「……よく分かんねーらしい」

 俺も同じように、答えた。廊下の端に座り込んでこそこそ、顔を近づけて内緒話。ついこの間、殴りあいの喧嘩をした相手だが、それでも一つの求芯点が俺たちを連合させる。大切な女。女は揉め事の原因にもなるが、それを解消させる潤滑剤にもなる。

「こんな仕事だろ?基礎体温表なんかねつけてらんねーだろ?」

「あぁ……、そっか。そりゃそーだ……」

「南方戦線ン時、遅らせる薬使ったりしたみたいだから、そのぶりかえしきてっかもしんねってさ。昨日はゆっくり寝て、今朝はそこそこ元気でメシも食ってた。今日、医者に行く予定だ。まぁ、そういう訳だからあんま、先走んねーでくれ」

 頷くブレダに説明しながら、俺は知識って本一冊読んるとちがうなぁって、そんなことを考えてた。中尉に言われて買ったその本は真面目な家庭医学の本で、結婚生活において妊娠を望む場合と望まない場合の対処法と、女性の身体についての知識が載ってた。

 それを読んでなきゃ俺は今朝、ブレダが何を聞きたがってるかも分からなかっただろう。俺は本当に、女の人のことをナンにも知らなかった。女は娼婦しか知らなかったから、女性周期について知識を得る機会がなかった。

「もしかしてだったら、配置換え、してもらわなきゃならねーだろ。その間のシフトは、俺とお前とファルマンで調整するとして……」

 先走らないでくれ、という俺の言葉に頷きつつも、ブレダはそんなことを言い出す。たぶん一晩中、そのことを考えてたんだろう。小柄で細身だけどタフで、もう何年も欠勤・遅刻・早退のない人が、めまいで倒れて座れこんでいりゃ、妊娠による体調不良を疑うのは当然。

可能性はない、って彼女自身は言ったが、周期によっては受胎後に月経が、軽くある事もあるみたいですよって、俺が答えると黙って、長い睫毛を瞬かせていた。

「まぁ、大佐にも相談してからだけどな」

 俺が言うと、ブレダはさっと顔色を変えた。

「……シフトと配置のことをだぜ?」

 宥めるみたいに続ける。女の人の、腹の中に、あるかもしれない宝物の話じゃない。あったとしたら、対応は決まってる。大事に、する。

「大佐は?仮眠室か?」

「いや、もう執務室に入ってる。珍しく、な」

「ふぅん」

 胸のポケットから煙草を取り出した。今朝、彼女に食事をさせてから自分の部屋に寄って、着替えてきた新しいシャツ。煙草の煙を、深々と吸い込む。最後かもしれない。

「……話、してくる。お前、もーちょっと居てくれるか」

 立ち上がりながら頼むと、

「おぅ」

 行ってこいと、ひらひら手を振られて送り出される。大佐と俺と彼女のことについて、ブレダがよく思っていないのは、主に、彼女の名誉を慮ってだ。いい奴だ。でも今日は面倒をかけるかもしれない。

 指令部内での武器の携帯を、俺は許可されてる。左の懐に吊った銃には弾丸が装填されて、反対側には、格闘用の大型のナイフも。

 昨夜、彼女の部屋で、研ぎ上げた。爪の先で辿ってもひっかかりのないように。

 もしかして、もしかするとして。

 苦しませずに、喉を掻き切れる、ように。

 

 

 そこに居るのが大佐じゃないのはすぐ分かった。

 ドアを開いた瞬間に分かった。漂ってくるコーヒーの香りが、タイさがいつも、朝に欲しがるカフェ・オ・レじゃなくて。

 禍々しいほど濃くて熱そうな、エスプレッソ。

 敬礼はしなかった。白々しすぎて。

「いつから」

「……」

「だったんですか?」

 悪夢が続いてる。夜が明けて覚める夢なら、どんなに良かったろう。

「……昨日だ」

 大佐じゃない男が答える。聞き覚えのある口調だった。俺が大嫌いな男。嫌いなのは、これが大佐を、傷つけるからだった。俺は彼のためにこいつをキライだった。でも。

 大佐は、こいつを、本当に、好きだったんだ。

 俺と中尉を騙して裏切ってまで、この世に引き戻すほど。

「大佐は?」

「眠ってる」

「呼べませんか」

「無茶言うな。俺ぁデタラメ人間の一員じゃねぇ」

「これからどうするんですか」

「俺に訊くな」

「大佐」

 目の前のヤツにじゃなくて、声をかける。

「……起きて、出てきて」

 弾丸を装填した銃を構えて。

「話が、聞きたいんです。起きてください」

 至近距離で、眉間に標準を合わせても男は微動もしない。

「あんたの口から、聞きたい事がある。聞かせてくれないなら、こいつを殺しますよ」

「ロイも死ぬぞ?」

「仕方ないですね。俺が殺さなきゃ、中尉がやりますから」

 腹の中にあの人と『俺の』子を孕んでるかも、しれない女。

「中尉はあんたを絶対に許さないそうです。俺はまだ、決めきれてません。あんたから話を聞きたい」

「そりゃロイを許したいのからだろ」

「……かもしれませんね」

 俺は甘い。彼女に比べれば。

「でも、あんな上等で寂しがりな人を、愛人とかにしよーとしてた男より、マシです」

大佐、たいさ。

あんたがどんなにこれのことを好きでも、これはあんたを傷つけるばっかりだよ。あんたはそれでも良かったとしても、俺と中尉は、我慢できないよ。俺たちは。

あんたがそいつの犠牲になっちまうの我慢、出来ません。

「中尉にはあんたを殺させません。上官殺害は公開処刑だから。中尉人をそうさせるわけにはいかないでしょう。だから」

 出てきて。でなきゃ、本当に。

「あんた殺して、俺も死にますよ」

 今だって限界。もう苦しくて死にそう。こんなに愛してる人の身体に別の男が居る。この違和感と嫌悪。世界が崩れそうだ。

「聞いた風な脅しだ」

「黙れよ」

「パターン過ぎて、説得力がない」

「俺が話してるのは大佐だ」

「あいつは起きない。昨夜から」

 ぎし、っと背もたれの高い椅子を軋ませて俺が嫌いな男が体の位置を変える。深く腰掛けて、疲れた様子で目を瞑られると俺の世界だった人がそこに、居るのに、幻だなんて、酷すぎる悪夢。

「何がどうなっているか、俺にもよく分からん。昨夜、少しロイとは話したが、結局よく分からなかった」

「何を話したって?」

「俺に礼を言えってな」

「大佐を何処にやったんだ。そのまんま、そこにいる気かよ?」

「落ち着け、ハボック少尉」

「おちついてられっかよ」

「デタラメを呼べ」

「……あ?」

「デタラメの相手はデタラメにさせるに限る。こいつに張り合うデタラメが居るだろう」

「……鋼の……?」

「ときにお前は知ってるか」

「……ナンっスか……?」

「あいつのデタラメぶりにゃ、俺も長年、苦労してきたんだぜ」

 ……知るもんか。

 俺も中尉も知らない大佐のことなんか、俺らの知ったこっちゃない。

 それが大佐には、俺たちよりも大事なコトだったなんて。

 そんなの知ったことじゃない。

 知らねぇよンな事は……ッ。