寄生生物・7
金髪金目の国家錬金術師は、不機嫌を隠さない表情で現れた。
「言っとくけどさ、俺、ここに二度と、来る気なかったんだぜ」
それは嘘ではない。配属願いが、既に中央司令部に提出されている。焔の錬金術師ロイ・マスタング大佐の指揮下から外れて、誰でもいいから別人の配下になりたいと、無茶苦茶な申請書。
十二歳で国家資格をとった規格外を、引き受けようという奇特な人間は現れず、真性は保留されたまま。
「ただ、ヒューズ中……、准将には世話になったし、ホークアイ中尉にも色々面倒かけたし、それに」
金目の奥が、ぎらりと物騒に光って。
「大佐に俺は、練成陣を見られてる。昔やらかしたヤツと、アルの血印の両方。大佐がソレを使ったんだったら、俺は黙っちゃいられない。錬金術師は徒弟制だからな。技術の盗用は俺たちの信義に反する。盗まれて悪用されたんなら、俺にはカタをつける義務がある。……で?」
さぱさばした口調を裏切って、金目の少年が『大佐』を眺める目線はひどく切ない。
「大佐どーなってんの。それからいっぺんも、目ぇ覚まさないわけ?それって最悪、もう、『居ない』かもしんねーぜ?」
事実を告げながら、頭の中には別の感情があった。引きずり出して、目覚めさせてやる。何処に居るとしても探し当ててみせる。
だって。
居なくなったら、『死んだら』二度と会えないじゃないか。
腹をたてていた。二度とツラなんか見たくないと思っていた。でも、会いたくないことと会えなくなることは違う。
もうそばに来るなと願った相手の死を、禁忌を犯するほど深く、悲しみ惜しんだ、目の前の人と同じ。
やっぱり愛して、いるんだ、よ。
「確認する方法はある。要するにアレだ。生身の肉体が、二つの魂には耐え切れなくて、大佐眠ってんのさ。今入ってんのをひっぺがしてみりゃ、奥に居るか居ないかはすぐ分かるさ。……ただし」
そこに居たのは、『大佐』と金髪の少尉と、顔色の悪い中尉。場所は大佐の官舎の居間で、邪魔の入らない密室。
「ひっぺがした魂の『存在』は、保証できないぜ。……どうする?」
尋ねながら、でも自分自身、どうすればいいのか分からない。大佐を捜して目の前に取り戻して、馬鹿な真似するなって昔と逆に、今度は自分が怒鳴りつけてやりたい。襟首を掴んで揺すりながら。
……でも、いま。
目の前に居る、もと中佐のことも、好きだった。親切でいい人だった。『女子供』には、みんな優しい人だったんだろうけど。
「それに大佐、あれで無茶苦茶いい腕だから、もし、パクられたんじゃなきゃ、俺がそれを破れるかどーかも、分かんねーし、な」
ほんの少しだけの気弱さを見せて。
「とりあえず、脱いでくれる?服、全部」
一晩かけてペッティング、したこともある身体。けれど素肌を、あまり見た事はなかった。なんとなく照れがあって、シーツの下で、ごそごそと、触れ合った。
「身体のどっかに錬成陣がある筈だ。大佐のこったから、俺が探すのお見通しで、分かりにくく隠してっかもしんねーけど、まず捜さなきゃ、話になんねーから」
秘密は力に通じる。練成陣を巧妙に隠すことも錬金術師の力量のうちだ。嘘とだまし討ちが得意なあの人は、秘匿もずいぶん、得意だろうって見当はついた。
指示通り裸になって、ごろんとラグの上に転がって。
たまらない、緊張と悲嘆の気持ちを救うのは。
「おい。誰か、唄でも歌え」
状況にはにつかわしくない、死んだ筈の人の、昔どおりの口調。
「しんとしてたら、妙な気分になる」
唄はさすがに、誰も歌わなかったが、代わりに中尉が居間の片隅の蓄音機にレコードをかけた。彼女は裸の探索に参加せず、手が空いていたから。
スピーカーから流れて来たのは女の声。澄んだソプラノの、異国語のバラード。裸を晒して居心地悪そうだった『もと』中佐が、ふっと口元で笑って。
「やっぱり持ってたか」
独り言ではない。が、この場の誰かに、話し掛けた訳でもない。
「これだけ見当たらなかったから、あるとしたらお前の手元だと思ってた」
好きだったのは歌か、持ち主か。手放したくなかったのはレコードか、思い出か。
「風呂入った時、俺も鏡にゃ映してみたが、見える場所にゃあない」
「……分かってますよ、そんな事は」
「だったら弄りますより先に考えろ。お前が抱いてて、触らなかったトコだ」
「基本的には、内側か、じゃなきゃ違う傷跡の下だ。どんなに簡略化したって魂の錬成陣は少なくとも六つの角が必要になる。五大要素と、魂と。針刺して皮膚の下に描いたとしても、刺し口は三箇所存在する。図形の全体は、細っせぇニードル使やぁ、一センチくらいで足りる、かな」
錬成陣の隠匿と同じくらい、簡略化と縮小は大切なことだ。若いけど年季の入った焔の国家錬金術師はそちらの方面も、研究おさおさ怠りない、筈で。
「……、分かった」
「早いな」
「さすが少尉。毎晩、無駄に弄りまわしてねぇな」
「昔っから、触られてくんねぇ場所があった。ここだ」
「いた、ッタタ。押さえるなッ」
「あぁ、そういや、あったね、ソコに傷跡」
指先でしかその場所を知らない少年は、それをまじまじと、明るい場所で見るのは初めてだった。
「……なに、これ。ヘンな火傷だな。丸くて」
「煙草の痕だろ。押し付けて焼くとそーなる」
「へぇ、少尉がやったの?やるじゃん」
「ばぁか。俺にそんな甲斐性があっかよ」
「……」
だったら誰が、と言いかけて、やめた。答えは分かってる。
「煙草、吸ったんだ。知らなかった」
柔和で親切な印象しかなかった『もと』中佐と、あの人が昔、ナンなそういう関係だった事は以前、ちらっとハボック少尉の口から聞いた事があった。でも、こんなに深い、絆が残って居るとは思わなかった。生々しい痕跡を肌の上に残して。
「娘が出来て、止めたんだってさ」
金髪の少尉が何故か詳しい。裸の肢体の、肩が竦められる。
「ちょっと、辿らしてもらうぜ」
生身の左手、人差し指で火傷の上をなぞる。指先に感じる錬成反応の痕跡をたどっていく。それは見事に要約されていたが、
「……大佐ぁ……」
確かに、自分が、かつて描いた覚えのあるモノで。
「こりゃ黒だ。俺のを真似されてる。ってぇことで、俺にはコレを崩す正当な理由が出来たわけだけど……、どする?」
肉体は一つ、魂は二つ。どちらかを、どうにかしなければならない。
少年の言葉は卑怯だった。選択を他者にさせようとした。
そして、選択の度胸を持って入るのは、いつも。
「殺して」
いつもいつも、オンナ。
「いいえ、『戻して』。大佐は大佐の身体に、死んだ人は、死んでいる身体に。それが自然でしょう?」
「おいおい。埋められて腐ったのに移されてゾンビは勘弁だぜ。戻すんなら、ほんとの『もとの』場所に戻せよ」
本来のあるべき姿。死という静寂の眠り。
「無茶言うなって。魂ひっぺがした後がどーなるか、なんて俺だって知んねーよ」
「どうなったって、知ったことじゃないわ」
「ホークアイ中尉、あのな」
「なぁ、大将。頼みが、あんだ」
「なに」
「そいつ、俺に移せねぇか?」
「……は?」
突然そんなことを言い出されて、その場の全員が一瞬、意味を理解しなかった。最初に悟ったのは怜悧な女性中尉で。
「ハボック少尉、あなた……!」
顔色が変わる。怒りで頬がかすかに紅潮して。
「なにを言い出すのよ、裏切りよ、それは!」
「……ですね。すんません」
素直に金髪の少尉は、自分の勝手さを認めた。
「でもやっぱ、そうしないと、大佐可哀想ですよ」
「なにを言うの、そんなの……ッ!」
「俺たちよりも、こいつを好きだったから、俺たちだまして、自分が『居なくなった』んでしょ。なのに、引き戻されて、また一人なんて可哀想だ」
「ハボック……!」
「ごめんなさい。俺は中尉より弱いです。大佐に怨まれて、嫌われるのが怖い。『起きて』もあいつが居なかったら、大佐きっと、寂しがって悲しむ」
それを彼女なら冷然と見守るだろう。悲しむ人に、そっと告げるだろう。あなたの愛した、あいつは死んだのよ、と。
「俺には、大佐を傷つける度胸がありません」
「そんなこと、いまさらよ!」
抗議のために近づいた女性中尉の、背中をそっと、抱き締めるように金髪の少尉は腕を廻し、そして。
「あなたは……ッ」
鳩尾を狙って、一撃。
入院先の病院から抜け出してきた女性中尉は、避けることも出来ずにあっけなく、崩れた。少尉の腕がその身体を支えて、そっと床に降ろす。
「……ごめんなさい」
苦悶の表情で意識を失った女に、シャツを脱いで掛けてやる手つきには愛情が篭っていた。強くて真っ直ぐな女が居なくなって、残されたのは、卑怯な男が三人。
「おい、冗談じゃないぜ。俺の意見も、き……」
け、と。
呼び戻された、『もと』中佐は言えなかった。
唇を塞がれて。
金髪の、若い別の、男に。
目は開かれていた、二人とも。視線が絡んで、意識が錯綜する。若い男の目が細められる。殆ど、切なく。
「……、頼みます……。大佐のこと……」
本体では、どっちが強かったか、それは分からないが。
「優しく、してやって。せめて殴らないでやってください。大佐ホントにあんたのこと好きなんです。好き過ぎて怖くて、俺に逃げ込んでくるくらい。あのとき、あの人、俺を選んだんじゃない。きっとあんたが怖かっただけです」
「……、おい」
若い男の掌が、大佐の『身体』の唇を覆い塞ぐ。そこから別の声がする事はどうしても嫌で。
「俺たち、俺と中尉は、大佐のことホントに大好きでした。でも、大佐が俺らよりあんたを好きなら……、仕方ないですね」
心は偽れない。選択は既に為されている。自分は棄てられた。代わりに愛し合う優しい女を、隣に譲られても、それでまさか満足は出来ない。好きな人は別に居るのだから。
「大佐に会ったら、ごめんなさいって、伝えてください。あんたに抱かれながら車から降りて来た大佐、そういや、凄く、幸せそうだった。あん時に、俺があそこに居なかったら、大佐こんなこと、しなくて済んだかもしれないのに。……仲直り、出来てたら」
同じ死なれるにしても、これほどの嘆きはなかった、かもしれないのに。
「……ホントにそれでいーんかよ?少尉は全然、なんの得もないじゃん?貧乏籤でいーの?」
金色の目が眇められる。あぁと、金髪の少尉は、悲壮でもなく答えた。
「構わない。俺はもう、おかしいんだ。混じってる」
「おかしーのは知ってたけどさ。混じってるって、ナニ?」
「大佐と俺は、もう混じってんだ。俺の方だけ、一方的に、だけどな。この人が、それがいいなら、俺もいい」
喋れないように口元を押さえながら、すりっと、頬を擦りあわせて。
名残を惜しむ、ように。
「頼み、きいてやってもいーけどさ。代わりに俺になにくれる?錬金術の基本は等価……」
「交換、だろ。ケチ臭いこと言うなよ大将。俺たちゃ一番、縁が深いんだぜ」
「なにが」
「おんなじ女に惚れた男同士ってのは、この世で一番、縁が深いんだ」
「ふーん。そんなモン?分かってるだろーけどもう一回言うぜ。一つの肉体には一つの魂しか宿れない。いいか?」
「あぁ、分かってる」
男の腕の中で『大佐』の身体が足掻く。揺れる黒髪に、男はそっと、掌をずらして、触れた。
「この髪が真っ白になるまで、ホントはずっと、そばに居たかったけどな」
「……やるぜ?」
「……あぁ」