愛している。

「ま、迅雷のごとしという言葉もあるし。機動力を誇る名前と言えないこともないか。
……怪我をしたって聞いて心配で来てしまったんだ。都合も聞かず突然で、悪いとは思ったが」
「いえ」
「気をつけてくれ。いずれ始まる大戦で君だけが頼りだ。どこで怪我をした?」
「深追いしすぎて、反撃されました」
 それだけしか俺は言わなかった。
 敢えて反撃させるのが目的の深追い。先遣艦隊との数度の小競り合いで、俺は敵の能力や装備には大体の見当がついた。
  いま知りたいのは味方の能力。各部隊指揮官の、反撃された時の反応を見たかった。
「怪我を見せてくれるか」
 言われて俺は上着を脱ぐ。大した怪我ではない。旗艦の甲板から下りて各艦を動きまわる途中、砲撃を受けて壊れた船の破片に肩を掠められただけ。
 俺が上着を脱ぐと廃皇子は近づき、巻かれた包帯に手をかける。変な奴だとチラッと思ったが好きにさせた。
 包帯の下には治療を終えた傷。医師がさし招かれ、俺の皮膚と肉の裂け目を覗き込む。
「縫われたのですか……」
 医師はなんだか不満そうに呟く。
「これでは傷跡が残ってしまうでしょう。テープで固定して癒着を待てばよかったのに」
「動かせなくなるだろ、そしたら」
 うちの医者の治療に難癖つけられて、俺は少し期限が悪くなる。
「早く治るのが先だ。傷が残るくらいなんだ。女じゃないんだから」
「身体は大切に扱わなければならないよ」
 廃皇子が口を挟んできて、俺は黙った。
「君の父上と母上が下さったものだろう。敢えて毀損せざるは孝のはじめ、という」
 廃皇子の台詞に俺は皮肉を感じた。物心つく前に死んだ母親はともかく、俺が父親をこの手で幽閉したこと、知らない筈はないのに言ってくれる。
「気に触ったかい」
 俺の顔色に廃皇子は敏感に反応した。マズイと思って、俺はいいえと呟く。
 マズイ。俺は自分の気持ちを偽ることが苦手だ。顔色を読まれる。内心を暴かれる。マズイ。
「無神経だったかな。謝るよ。ごめん」
「いいえ」
 笑わなければ、と、俺は思った。気にしていない証に笑ってみせなければ。顔を上げて廃皇子の目を見て、笑……。
 廃皇子が近づく。医師が引き下がる。傷を受けた側の肩にそっと手を添えられて俺は顔を上げた。
 視線を交わした瞬間、嘘笑いしかけた俺の顔の筋肉は止まった。それどころではなかった。
 間近な一から廃皇子は俺を見下ろした。近すぎるこの距離は只事ではない。覚えがない距離じゃないが、その覚えってのも……。
 間近で見る廃皇子は端正な顔をしていた。薄茶色の、琥珀の目が静かに冴えている。この男の目の色に俺は初めて気がついた。
 それまで俺はろくに顔を見ていなかった。
 硬直してしまった俺を、
「では、今日はこれで」
 獲物を見逃す満腹の肉食獣、みたいな感じで廃皇子は開放する。
「そのうち本陣にも顔を出して欲しいな。戦績抜群の東の若い大将に、皆が会いたがっている」
「……そのうち」
「見送りはいいよ大袈裟になるから。傷を早く治して、お大事に」
 廃皇子を部屋から送り出した後、俺は妙な疲労を感じて椅子に座り込んだ。深い息を吐いた途端、
「なんなのよ、今の」
 続きの寝室から出てきたのはティスティー。
「あの廃皇子、なに考えているの」
「居たのかお前」
 なんだかほっとして、俺はもう一度深呼吸。彼女の登場でようやく、この部屋に充満していた廃皇子の存在が薄れる。
「サティもサティよ。なに大人しく口説かれていたの」
「やっぱり、そうか」
 まさかとも思ったのだが、ティスティーにまでそう見えたのなら間違いはないだろう。廃皇子が俺の肩を掴んだあの距離はそういう距離だった。
 あんな近さで他人と向き合った記憶はこの女とだけ。あれはつまり、恋人同士の距離。キスするための近さ。
「びっくりした……」
「びっくりしてる場合じゃなかったでしょ。そんな暇があったら突き飛ばしなさいよ。あなた鈍すぎるわ。廃皇子、本気だったわよ」
「本気でも嘘気でも、帝国軍総帥が当方諸国連合艦隊司令官を押し倒しゃしないさ。……にしても、まいった」
 俺は頭を抱え込む。
 そういう趣味の男に目をつけられたのは無論、初めてじゃない。が、俺の周囲は身内や側近でガードされてたから実害はなかった。身体に触られたのは初めてだ。
「押し倒された後じゃ遅いのよ。あなたには自覚がないわ。あなたみたいな美形を前にしたら男の理性なんかとぶわよ」
「落ちつけ、ティスティー。男の理性はともかくありゃ政治家だ。俺に妙な真似して怒らせる下手はしないさ」
 帝国は海軍力が弱い。だからこそ侵略者たちは地理的に近い大陸東側を避けてわざわざ、西の帝国領国境を侵しているのだ。
 帝国にとって牙を磨ぎ上げた東方諸国連合は頼みの綱。その大将である俺の機嫌を損ねる真似はしないだろう。
「むしろ同盟の為の打算かもしれないぜ。俺とイイ仲になっちまえば連合艦隊を掌中にするも同然って、思ったのかもな」
 俺の言葉にティスティーの興奮がすっと醒める。切り替えの早さは頭の良さの証明。
「政治家は真顔で嘘つく。ってぇか、必要に応じて嘘を本気にできる。惚れてるとしたら俺にじゃなくって俺の背景にだ。マジにとってると馬鹿みる」
「サティ、サトメアン。あなた時々、恐いことを言うわ」
「そうか?」
 俺は笑って女を引き寄せた。
「切れ者で知られた王女様に、そう言っていただけて光栄……」
「あなたは恐いわよ」
 女はキスの合間に笑う。
「わたしがあなたに崩れ落ちたのは、噛みつかれるのが恐かったからかもしれないわ」
「惚れてくれたからじゃないのか」
「馬鹿ね。恐いっていうのは好きになったのと同じ意味なの」
「……なるほど」
 俺の返事は遅れた。心の中を読まれたような気がして。
 廃皇子に間近で見据えられた瞬間、俺の気持ちはさざ波だった。
 硬直するしかなかったあれは、必死の嘘笑いを見た時の戦慄と同じ。
 『恐さ』だったかもしれない。

 

 翌日から俺は連合艦隊の再編に取りかかった。それは決戦に備えての大規模なもので、自分でしといて言うのもなんだが俺の独断と偏見に満ちていた。
 相談も根回しもしなかったが文句は何処からもこなかった。
 戦争が始まればみんな言うことをきくわよと言ったティスティーの言葉は正しかった。
 集合当初、俺の見た目を侮って『姫若様』なんて呼んでことごとく反抗的だったパルス首長国連邦の長すら今は、唯々諾々と俺の指示に従う。
 あっち向いてろとどっちかを指さしたら、永遠にそっちを向いているかもしれない。
 戦場で神様扱いされることには慣れてる。いつもそういうことになる。
 昼過ぎに再編は終わって、そこへ馴染みの商人がやって来た。手広くやってる大貿易商。
 小さな国の国王より遙に富裕で、俺には何かと便宜をはかってくれる男。
 戦争屋と貿易商は繋がりあうものだ。
 俺は物心ついた時から海賊討伐をやってる。
 サラブの海賊を駆逐し、周辺海域の治安に責任を持ち、ブラタル海峡沿岸の港を単なる荷積み港から商館の林立する遠洋貿易の根拠地に押し上げた。
 その頃から俺の周囲には資金・物資の提供を申し出る商人たちが現れた。中でもこいつは一番の大物で、一番熱心に、俺の為に駆け回ってくれる。
「火薬、食料、全て揃えてまいりました」
「よく揃ったな。品薄で大変だって聞いたが」
 帝国軍は火薬が足りず苦労している。
「ええ。仲間内ではサラブの勝ちに賭けている連中も多くて、そうしたら戦争は長期化する。火薬は需要が跳ね上がるでしょう?買い占めが横行しているのです」
「どうやって仕入れた」
「サラブの倉庫から横流ししてもらいました。一石二鳥でしょう?」
 しらっとした顔で商人は言う。俺は思わず、笑ってしまう。ケタケタ笑う俺を商人は、何故か惚れ惚れと眺めた。
「安心しました、ご領主。あなたはお変わりない。あなたがそうしておられる限り、お味方の勝利は確実です」
「そうかな。ま、せっかく俺に賭けてくれたお前に、借財を背負わせる真似はしたくないけどな」
 かなり無理して物資を掻き集めてくれたこの商人を、破産させたくはない。貿易商人にとって戦争は巨大な賭け事。
 こいつは命よりも大切な資本を、俺に注ぎ込んでいる。競馬馬にも恩義くらいはあって、信じてくれた相手に勝ちをやりたかった。
「お勝ちになりますよ。必ず。ご領主のお顔は勝ちをもっておいでです。わたしは信じています」
「もし俺が居なくなっても」
 その時初めて、俺は自分の戦死を口にした。
「代金は俺の跡取りが支払う。……勝ちさえすればな」
「それでは困ります。ご領主には是が非でも生き延びて頂かなくては。私はご領主の、勝利ではなくご自身に賭けているのです。あなたの将来に」
 俺が大洋横断航路を探索したがってたことをこの商人は知っている。俺の夢の可能性を、まだ信じてくれているらしい。俺自身は諦めてしまったというのに。
「それはともかく、サラブと取り引きしてるって言ったな。俺を案内しないか」
 サラブの本体がこの海域に現れる日も近い。敵の軍容を一度みておきたいと思った。
 俺は名前ほど顔を知られていない。公式な場に出たことがないから。
 水夫の格好で食料その他を密売する貿易船にでも紛れ込めば、俺みたいな若造を怪しむ者もないだろう。かなり本気で計画をたてかけたが、
「駄目よ」
 ティスティーが強硬に反対した。
「水夫に混じるなんて危ないわ」
 何を心配してるのか俺にはよくわかった。
 戦場に出没する密貿易商人の取扱品目中、『女』はかなり重要な商品。ただ陣中の海上は女人禁制でみつかればきつく処罰される。
 女も商人も、女を買った男たちも絞首刑。
 食料や水の横流しが鞭打ち、麻薬の密売でさえ追放であることを考えると酷刑だがそれなりの理由がある。
 もともと船乗りは女を忌む。というのも古い信仰で海神は女神だから、女連れの船には嫉妬して祝福をもたらさないといわれる。
 だから海上での売春は本物の女をさけ少年で代用する場合も多い。俺がそれに巻き込まれることを、心配してくれる気持ちはよくわかるのだが。
 有り難いような、迷惑なような。
「連れてくる時の約束を忘れたか?」
 なるべく優しく聞こえるように、俺は小さな声で言った。
 俺個人は海神を信じてない。信じてないのは海神だけじゃなく、俺には信仰心自体が殆どない。だが船乗りたちの長として海の掟には従わなければならない。
 だからティスティーが戦場に連れていけと言ったときは困った。
 困ったが連れてきたのは願いを叶えてやりたかったから。代わりに俺は幾つかの条件を出した。
 戦略に口を挟まないこと、軍艦には乗り込まず陸で待つこと、そして俺が危ないと思ったら、すぐに故郷へ帰ること。
 それはじきだ。俺たちの別れは近い。
 ティスティーは黙って俯いてしまう、俺も気持ちが沈んでしまった、そんな俺たちを救うように、
「サティ様、よろしいでしょうか」
 扉の向こうからレイクの声。
「失礼いたします。このような書状が届きました」
 差し出されたのは招待状。差出人は帝国軍総帥。例の『廃皇子』。帝国の皇帝から陣中見舞いが届いた、決戦前に分け合って鋭気を養おう、という内容。
 廃皇子が居る本陣はここから20キロほど北。戒厳令で軍用車両以外の通行を禁じたバイパスを走ればすぐ。
「飯を食いに来いって意味なのかな」
 そうだとすると、俺は行けない。
「いいえ、夕食後の集まりのようです。こちらを警戒させないよう、むこうも気を遣っているのでしょう」
 帝国側にしてみれば、頑なに招きを拒む俺は毒殺を恐れているように見えるのか。馬鹿なことだ。
 俺はそんなの考えてない。第一、俺が死んで一番困るのは廃皇子だ。サラブからの侵略軍は手強い。俺が居なけりゃ帝国に勝ち目はない。
「やるわね、あの廃皇子。急な来訪は今日の下準備だったのよ。招待して断られて恥をかかない為の。
 あなたは廃皇子のお見舞いを受けている。お招きを断る訳にはいかないわ」
「そんなもんか」
 俺は駆け引きに弱い。というよりも、気づかない。
「そういうものなのよ。仕方ないわね、行ってらっしゃい。早く帰ってきてね」
「サティ様はお召しかえを。皇族からのお招きですから黒の礼服でなければならないでしょう」
「いいえ、白でいいわよ」
 部屋から出て行こうとしてたティスティーは、ドアから半分だけ身体を覗かせて言う。
「廃皇子は皇族ではないもの。内親王が嫁いで以後の扱いと同じ、準大礼服でいいの」
「だ、そうだ」

 

 廃皇子が滞在している屋敷は西沿岸地方きっての豪商の別荘。敷地もたっぷりと広く、庭には樹木が多く池もある。宵闇に沈んでよく見えないのが残念だが。
 俺の乗った車は正面玄関の真ん前に横付けされる。玄関には白い塊が出来ていた。何かと思ったら、俺を出迎える人だかりだった。
「今宵はようこそ、ナカータのご領主」
「ようやくお顔を拝ませて下さいましたな」
「噂以上の武略のほど、感じ入っております」
「ま、ご挨拶は後ほど。ひとまず奥へ」
「廃皇子もお待ちです」
 黒を来てくれば良かったとふと思った。真っ白な礼服は白壁じみて無個性で、面白くなかった。そこへ、
「どうぞ、皇子はこちらです」
 階段下で慇懃に腰を屈めた老人に足を止める。老人は黒い礼服を着ていた。しかし俺の気を引いたのはそんな色ではない。老人からは同類の匂いがした。
 ぴんと張った背筋、不自然な姿勢の良さ。視線を据えて動かさない。これは軍人だ。それも相当の修羅場をくぐってきた。
「さあ、どうぞ」
 階段から先は老人が先に立ち、俺を案内してくれる。右足を少し引き摺るようだった。
 廃皇子は広間で俺を待っていた。椅子に腰掛け傍らに覆い布つきの何かを据えている。
 こいつは礼服じゃなくて白いシャツ姿。茶色の髪に白襟の衣装は映えて、よく似合っていたが、どこか薄幸な感じもした。
「やぁ、来たね」
 ろくな挨拶の言葉もなく廃皇子は笑った。初対面の時ほどではないがやっぱりどこか、無理のある笑み。
「帝都の皇帝殿下から贈り物がきてね」
 覆いの布をとられた下にあったのは酒瓶でも女でもなかった。
 陣中見舞いというとその二つを想像してしまう俺の、発想のお粗末さを笑うかのような高尚な弦楽器。
 名前なんかは俺には分からない。バイオリンよりでかいという事しか。感想を求められたら困るな、と思っていたら、
「チェロ。君の気に入るといいけど」
 言って廃皇子は弾きだす。俺に聞かせる為だけに。
 流れ出すのは緩やかなメロディー。穏やかだが哀切。静かだけれど情熱がないわけではなくて、激情を覚悟で抑え切ったような響き。
 俺は黒服の老人に導かれて正面のソファーに腰掛ける。今夜の主賓は俺らしい。
 楽器を目の前で、生で演奏されるのは初めてだった。しかも演奏者はもと皇族ときた。金銭では購えないとびきりの贅沢。
 知恵を絞ったんだろうな、と、俺は思った。これは気難しくて人嫌いのガキを懐柔する為の手段。俺の好意がどうしても欲しいらしい。悪い気はしなかった。
 目を閉じて演奏を聞く。雑音の混じらない清澄な音響。堂々と独奏する手つきには年期が入っている。
 音をたてないようにドアが閉まる。楽譜もなしに五分ほどの曲を弾き終え、廃皇子はほっと息をつく。顔を俺に向けてようやく、今日初めて、本当に笑った。
 笑った頬の隙間から、かすかな本音が透けて見えた。窶れて頬肉のそげた顔。
 こいつはひどく緊張してる。俺のことをびんびんに警戒してる。無理をして笑ってる。そのせいで、疲れ果ててる。
「これは皇帝陛下がお気に入りの品で、子供の頃からどうねだっても譲ってくれなかった。でも急に気が変わったらしい。
いきなり送り付けてきた。人の手が触れるのは多分、百年ぶりくらい。……そういえばオストラコンの王女はピアノが得意とか」
 俺は知らなかった。だから、
「壊さない程度には」
 適当に答えておく。
「君が王女を同行してるって噂も聞くけど。本当かい?」
 俺は返事をしないで少しだけ笑ってみる。
「本当だったのか。困った人だ。それは許されないことなんだろう?」
「許されないことを、するのが愉しみで」
「君はイチイチ、どうも……」
 廃皇子は言葉を途切らせる。
「格好がいいね」
 反抗的の言い換えだなと俺は思った。鈍くってもそれくらいは分かる。
「戦場に連れてくるほど愛しているのかい。でも本当に大事なら、危険から遠ざけておくべきじゃないのか?」
「危険?」
 なんだよ、それは。
「俺が居るのにか」
 俺の隣はこの世で一番安全な場所だ。なにせ俺の隣なんだからと、俺はごく自然に思っていた。廃皇子は呆れた顔で、それでもチェロを抱え直す。
「まぁそんなのはどうでもいいよ。君が今夜、ここに来てくれたことに比べれば。正直言ってほっとした。君が寄りつかないのを見て動揺する者が多かったからね」
「……悪かった」
 俺は心からそう思った。配下に動揺される切なさは指揮官として俺にもよく分かる。俺は気配りが足りなかった。同盟相手の立場を考えてやらなかった。
「堅苦しいのが苦手なんだ。口のききかたはこうだし。偉い人の近くには、あんまり寄りたくない」
「偉くなんかはない。だからたまには顔を見せてくれ。我々は力を会わせて侵略軍を国境の向こうへ逐わなければならないんだ」
「こんな招きならいつでも」
 本心から俺は答えた。廃皇子はほっとしたように、
「足を組んでいいよ」
 俺に行儀の悪い真似をすすめる。すすめつつ、軽快なテンポの短い曲を弾いた。
「でも多分、そう何度もは来れない」
 曲が終わるなり俺は呟く。
「敵さんは本格的に集まりだしてる。本体が押し寄せて来るのは多分、四五日後。
戦場はロシアム海域あたりになる。決着がつくまでに必要なのは十日、気象次第ではもう少し」
「どうしてそんな事までわかるんだい?」
 廃皇子に問われて俺は困った。それは今までに何度も受けた質問。なぜ分かるのかどうして分かるのか。
 味方のことならともかく敵の予定をそんなに詳しく確実に、と。
「君を信じていない訳ではない。無責任な予測でものを言う人ではないと分かってる。それでも」
「分かるから分かるんだ」
 俺には他に答えようがなかった。
 神がかり的とかなんか憑いてんじゃないかとかよく言われる。言ってる奴は誉め言葉のつもりなんだろうが、言われる俺はいいかげんうんざり。
 敵に密偵はいれてる。それは勿論、数多く。だからといってその報告だけで予測をたててる訳じゃない。
 俺の母親、ブラタル海峡主の血筋は遡れば天候や風向きを予知する巫女だったそうだ。だから海の上で俺が多少、神がかっていたとしてもおかしくはない。
「夜中、魂だけ抜け出して敵陣を見て回っているんじゃないか。君の指揮ぶりを見ているとそういう気がするよ」
 どこでどう『見ていた』のかは知らないが、俺に関してかなり正確な情報を掴んでる感じだった。
「かもしれないな」
 投げやりに言って、俺は廃皇子が手にするチェロを眺める。他に見るものがないから見ていただけだが、
「興味があるかい?少し弾いてみる?」
 廃皇子は素早く話題を変える。
「ナカータの領主ともなれば楽器の一つや二つ、扱えなくては話にならないだろう。君の父上は教えてくれなかったのかい?」
 俺は答えず廃皇子の顔を見た。思わせぶりな面をしてる。この間から、どうしてもそっちに話題を持っていきたいらしい。
 息子が父親を隠居させて地位を奪うのは下剋上と呼ぶほどでもない、権力の周辺ではありふれた出来事。なのになぜこだわる?
「わたしが教えてあげようか」
「そのうちに」
「その気がないのは、どうせ死ぬと思っているからかい」
 言われて俺は眉を寄せた。
「見れば分かるさ、そのくらい。覚悟のほどは立派だが、死ぬからどうでもいいという態度は感心しないな」
 俺は言い返せなかった。
「わたしも戦死を予想されている。だから陛下はこの楽器を寄越した。死出の旅路の餞のつもりらしいが、冗談ではない」
「あんたは生き残れるさ」
 前線指揮官ではないから。
「きみは自分だけが大戦の責任を背負い込んだ顔をしている」
 その通りだった。
「まぁ今日は好きなのを弾いてあげよう。何がいい」
 そう言われても、俺にはリクエストする知識さえない。
「ジャジャン♪」
 思わず口をついて出たのはそんな、メロディーとも言えないフレーズ。
「なに、それは」
「いや、分かんないけど」
「何かの曲の前奏?曲名は?」
 そんなのを言えるくらいならわざわざ恥をかきゃしない。
「どんな時にかかっていた?」
「本命登場、って感じの時」
「それらしいのを何曲か弾いてみようか。……意外だったよ」
 抑え気味の音で戦慄を奏でながら廃皇子は笑う。
「君の噂は帝都で聞いていたよ。絶世の美女と見紛う美貌、元服したてでオストラコン王女を籠絡した蕩児。
海戦が目茶苦茶に強くて、父親と兄を抑えて力づくでナカータ領主の地位を奪った悪党。……噂はあてにならないね」
「全部本当だ」
「君は素直で素朴な子だ。少し強すぎるけど。……海の話をしてくれないか」
 演奏する手を止めないままの、廃皇子の囁き。
「どんな?」
 海戦戦術が聞きたいのかそれとも潮流・風向きのことかと思って俺は尋ねたのだが。
「どんなでもいい。航海のことでも海賊退治の話でも。君には水の匂いがする。ひどく気になる匂いだ」
 血の間違いじゃねぇのかと、俺は突っ込みたがったがやめた。また『格好いい』なんて言われたくなかった。
「君に興味があるんだ」
 おいおい、勘弁してくれ。
「いつごろから船に乗っている?」
「乗ってるだけなら、歩き出した頃から」

 

 俺が港の商館に戻ったのは夜半過ぎ。館の玄関には明かりがついていて、側近たちもティスティーも眠らずに俺を待っていた。
「お帰りなさいませ、サティ様」
「遅かったわね。心配していたわ」
「悪ィ」
 謝りながら、いい加減窮屈で嫌になってた上着を脱ぐ。ネクタイはとうに外して首からぶらさげている。
 ティスティーが背後にまわって着替えを手伝ってくれた。
「それでどう?廃皇子は何か言ってた?」
「特に何も。世間話して、チェロ弾いてくれただけ」
「あなたに音楽鑑賞なんて気の利かない男ね」
「いや、けっこう楽しかった」
 俺が言うとティスティーは目を見開く。
「お前もピアノが弾けるんだって?」
「……えぇ。壊さない程度には」
 ティスティーはなんだか悲しげな顔。多分こいつは本当に上手いのだ。
 でも俺が音楽になんか興味がないと思って聞かせなかった。そして今、その思い込みを後悔してる。
「いつか聞かせろよ」
「ええ、いつでも。この戦争が終わったら、嫌になるほど」
 寝間着に着替えて寝室に一緒に行く途中、
「レイク。『三匹の小犬』って知ってるか」
 脱いだ礼服を片づけてる側近を振り向く。
「はい。カッサバ作曲のト短調……」
「そういう意味でじゃない」
「子供の頃、お気に入りでしたよ」
 レイクは懐かしそうに目を細める。
「特に最後、喧嘩した小犬たちが仲直りして一緒に眠るところがお好きで。お休みになる時は必ず聞いておられました」
「歌ってくれたの、お前だったな」
「お恥ずかしいことです。それが何か?」
「思い出しただけだ。お休み」
「お休みなさいませ」
 寝床で抱き寄せようとすると、
「いいわ、今夜は。疲れているでしょう?」
 ティスティーにやんわり拒まれる。そんなことはないと言いかけたが、疲れてるのはこの女の方かもしれないと思って手だけ繋いだ。
「ゆっくりお休みなさい。歌ってあげましょうか?石畳の道を三匹の小犬が、よね」
「いい。それよりもっとこっち来いよ」
「あん、くすぐったい。どして?わたしの声じゃ気に入らない?」
「まさか。……俺はもう、兄弟で仲良く眠るのを諦めたんだ」
 途中で眠ってしまった俺の為に廃皇子が弾いてくれた子守歌。中にその曲があって、子供の頃を思い出した。
 母親の懐で兄弟、肩寄せあって眠る小犬の結末が好きだった。自分もその小犬みたいなつもりで眠りについた子供の頃。
 寂しさを歌で誤魔化していた、あの頃。
「……兄弟は、多い方がいいわよね」
 暗闇の中でティスティーは呟く。
「喧嘩しても仲が良くても、兄弟は居た方がいいわ」
「どうかな」
 俺はすぐには同意できない。
「大勢いる中でひとりぼっちより、ホントに一人しか居ない方が寂しさは浅いぜ」
「あなたのところは多過ぎなのよ。しかも母親がバラバラだし。二人か三人をわたしが産めばきっと仲良くできる。そうでしょ?」
「かもしれないな」
「……戦争が終わったら結婚しましょう」
 繋いだ手に、女は力をこめる。
「政治も外交も、煩わしいことは全部、わたしがやってあげる。あなたは敵が来たときに追い払ってくれればいいわ」
「俺の取り柄をよく分かってるよ、お前」
「ね、結婚しましょうね」
 それは難しいことだ。
 ティスティーはオストラコン王国の王位を狙っている。その為には独身でいるか、入り婿をとるかしかない。嫁いだ王女は王族ではなくなるから。
 俺はブラタルの海峡主だ。オストラコンとは比べものにならない小領地だが、それでも俺はブラタルを愛してる。
 加えて今はナカータ公領の領主でもあって、婿入りするのは不可能。でも。
「子供を産むわ。あなたに似た子を何人でも。結婚しましょう。愛してるの」
 泣き出した女にそんな理屈を言い出すほど、俺はガキじゃなかった。
「そうしよう」
「本当よ。絶対よ」
「ああ」
「約束……」
 嗚咽で女の声は途切れる。俺は泣きやませる為の所作をして、でも彼女は結局、泣きながら眠った。

 

 敵は俺の予告した期日に、予告した海域に現れた。
 的中は珍しい事じゃなかったから俺の指揮下にある連合艦隊は騒がなかった。が、遅れて前線に出てきた帝国軍では騒ぎになったらしい。
 あまりにも敵が俺の予想通りに動くので訝しい、と。もしかしてナカータ領主は敵に内通しているのではないか、と。
「そんな噂になっています」
 レイクから報告を受けたとき、
「言わせておけ」
 俺は聞き流した。敵艦隊出現の急報を受けて、俺はそれどころではなかった。
 その日の真夜中、俺は廃皇子の宿舎を尋ねた。前線の進軍に伴って本陣は移動し、俺が明け渡した商館に廃皇子は滞在している。
 俺自身は予定戦場近くの海域に母艦を浮かせて、そこで寝起きしていた。
「夜討ちをかけたい。帝国軍の高速艇部隊の協力が欲しい」
 眠る寸前だったらしいガウン姿の廃皇子に、俺は挨拶ぬきで用件を告げた。
「二十分後の出港だ」
「早すぎる。非番の乗組員員も居る」
「それまでに出発準備できなかった艦はいらない」
 俺の言い方は確かにキツかった。人様の部隊を借りに来たのに謙虚さがなかった。さすがに廃皇子もムッとしたらしい。
「君の要求は唐突な上にキツイ。そうやって自分の水準にあわない者は切り捨てていくつもりかい?そんなんじゃ人はついてこないよ」
「気配りしてたら負けるんだよ」
「せめてもう少し早めの知らせを」
「知らせていたら敵にばれる」
 おれは帝国の防諜体制を信用していなかった。実際、帝国側からサラブに漏れた機密を、俺の密偵が探り出して俺に知らせて寄越したこともあった。
 戦術に関して俺は一歩も退かない。二分で着替えた廃皇子とともに商館の玄関へ。運転席に乗り込む俺を見て廃皇子は驚いた。
「君が運転してきたのか」
 当たり前だ。俺の側近たちは港で走り回ってる。
「早く乗れ。とばすぜ」
「君は車の運転が出来るのか」
「当たり前だろ。あんたできないのかよ」
「した事はない」
 そこでふっと、俺は笑ってしまう。
「だよな。皇族なんだよな。あんた」
「君は一人で来たのか?側近は?」
「今頃は港で走り回ってる」
 俺は侍らす為だけの側近は置かない。近くに寄せているのは皆、そうする必要のある者ばかり。俺の指示通り迅速に動く手足。
「それなら使いの者でもよかったのに」
「あんたを他人に預けられるかよ」
 本音だった。俺はこの廃皇子が妙に気になっていた。
 本当を言うと夜襲は連合軍単独でやっても良かった。以前の俺ならそうしていただろう。
 でも、緒戦に一枚噛ませてないとこいつも立場がなかろうと、俺にしては珍しい気配り。
 港につくと、そこは上へ下への大騒ぎの最中。夜襲ってのは夜襲を知らせる見張りを追い越す早さで敵陣に到着してこそ戦果があがるもの。
 一分一秒でも早く出発しようと、みな血眼になって走り回ってる。
 ヒステリックなほどの活気に俺は満足した。俺が戦争を好きだとしたら、それはこの緊張感が愛しいのだ。
「決戦前夜のような騒ぎだ。まさかそのつもりではないだろうね?」
 探りをいれてくる廃皇子。
「まさか。心配するなよ俺は手柄に興味はない。戦功を独り占めしやしないさ。それにまだ、対決するにゃ早すぎる。今じゃ勝負にならない」
「君にしては弱気だ」
「事実さ」
 そう。冷静に分析して、今の時点で俺たちに勝ち目はない。
 東方諸国連合と帝国軍の艦隊を合計しても、艦数はサラブ侵略軍の六割程度なのだ。装備訓練も帝国軍はかなり見劣りする。
 俺が率いてる連合軍の中にもバラつきがあって、俺の直属とオストラコンの軍隊は何とかサラブと対等に張り合える。
 が、なかにはどうしようもない旧式艦隊もある。混合軍の悲しさだ。
 今夜は俺の旗艦は出さない。あれは目立ちすぎるから。
 同じ理由で廃皇子の馬鹿でかい御乗艦にも遠慮してもらい、俺たちが偽装した一隻に乗り込みかけた時、
「待ってください。エル・サトメアン」
 呼ばれて振り向くと、今夜の奇襲の主力艦隊の指揮官が立っていた。
「命令書を見ました。本気ですか。こんな早い時期に体当たり戦法なんて」
 俺の隣で廃皇子は驚いた表情。俺は微動もせずに答えた。
「本気だ」
 我ながら切り落とすような一言。指揮官の顔か白っぽくなる。
「なるほど、そういうことか。捨て駒なのか、俺たちは。……だいたいおかしいと、最初から思ったんだ。
 あんたは少数精鋭が好きで、装備と訓練がいいのが自慢なのに、うちみたいな二流どころまで底ざらいして連れてきたから。
 最初っからあんたはうちを、捨て駒に使うつもりだったんだな」
「人間はちゃんと拾う」
「俺たちの艦はどうなる」
「沈む。敵艦も同じ数は沈む。お前たちは陸伝いに母国へ帰れるがサラブの連中はそうはいかきない。じき決戦を焦り出す。
 強い遠征軍には、焦ってもらわなきゃ勝負にならない」
「補給とか増援とかするかもしれないじゃないか」
「そんな真似を許す俺と思うのか」
 目線が絡む。一秒もしないうちに決着はついた。
「了解。あんたが大将だ指示には従うさ。ただ一つだけ言わせてくれ」
「なんなりと」
「鮫に喰われっちまえ」
 罵り文句を残して指揮官は踵を返す。
「……大丈夫なのか?」
 その背中が闇に紛れてから、廃皇子はそっと俺に尋ねた。
「逃亡したり裏切ったりするんじゃないか」
「しないさ」
 俺は自信を持って答える。
「喚こうが罵ろうが最後には言うことをきく。信じてんだ、俺を」
「よく分からないな。船乗りの気質というものか?」
「俺が大将だからだ。あいつもそう言っていただろう?」
「……自信満々だな」
 廃皇子の口調は少し不愉快そう。
「お気に召さないかい?」
 澄ました顔を崩してみたくって挑発する。ついでに流し目の一瞥をくれて口の端をひらめかすと、廃皇子は目を細め、そらした。

 

 奇襲は成功した。武器弾薬類を積んだ補給部隊を重点的に潰し、敵の火力は激減した。成果に俺はほくそ笑む。
 砲門がいくら並んでいたって、弾と火薬がなければそんなもの、不恰好なオブジェに過ぎない。
 味方の損害は二十六艦。前もって予想していた艦数。予想外のことも起きた。
 帝国軍の将校が、年寄りも若手も奇襲以後、揃って俺の指揮下に出向したがった。
「こんな見事な指揮は初めてです」
「お噂通り、いや、噂は半分も伝えていない。敵も味方も、まるで紐つきのように上手に操って」
「絶世の名将、と言うべきですな」
 帝国語での大袈裟な誉め言葉は気に入らなかったが、気持ちは分からないじゃない。
 何でもそうだが成果があがるのは楽しいもの。数日後には命を的にしなきゃならないのを知らずに、連中は俺の配下に納まった。
 直属の精鋭部隊を引き抜かれて、廃皇子は不愉快そうだった。俺が慣れない愛想笑いをしても、一瞥もくれなくなった。

 

第三幕・誓約

 

 ざわめきの中、俺は旗艦の甲板を降りる。
 いつもなら俺が帰還するなり、口を極めて殊勲を称える帝国軍の連中が今日は顔をひきつらせ立ち尽くしている。
 遠まきにした連合軍の面々が心配そうに俺を見上げる。安心させてやりたくて、俺はそっちにかすかな笑みを向けた。不謹慎だったかも知れない。
「……サティ様、こちらへ」
 レイクに導かれるまま、俺が車に乗り込みかけた時。
「戦争なのだ、当たり前ではないか」
 野太い声が聞こえた。俺を庇う発言はオストラコンの将軍の声。
「勝つためには何でもするのが戦争ではないか。勝ち残らなければ努力は無になる。どころか戦争犯罪人になる。
 我々は、何を犠牲にしても勝利しなければならない」
 俺は振り向いた。人垣に阻まれて将軍の姿は見えない。
 半開きのドアをそのまま、ボンネットに足かけ飛び上がると何故か俺をとりまいた人の輪があとずさる。
 将軍と目があう。俺は右手を握り小指をたてて、その指を左手で隠した。
 将軍ははっとした表情で頷く。海上で使う簡単な手話。右手の小指は女を意味し、それを隠したのは帰せという意味。
 ボンネットから降りてあらためて車に乗る。車は走り出し、着いたのは帝国軍の旗艦。廃皇子の艦。
 性能はともかく偉容のある巨大艦だ。それがぼろぼろになっている。
 甲板には大穴が幾つもあき装甲はところどころ無惨にめくれ、海水が侵入している。修理は出来まい。廃棄するしかないだろう。
 車を降りて俺は一人で歩き出す。
「サティ様、お待ちを」
 呼び止めたレイクが衣服を直してくれる。ふりをして、俺の袖に薄刃のナイフを滑らせた。俺は受け取りもう一度歩き出す。
 旗艦の内部は閑散としていた。人気は殆どない。奥の艦橋、壊れかけの椅子に廃皇子は座っていた。
 天井の穴からこぼれる夕日を浴びて血塗れたように見えるが怪我はないらしい。壊れかけた総帥の座に、威儀を正すように背筋を伸ばして座ってる。
「ご無事で、なにより」
 俺は心から言った。廃皇子はこっちを見ないままゆっくりかぶりを振る。
「死んだも同然だ。この艦はもう動かない。私は討伐に失敗した」
「戦はまだ終わってない」
 俺は負けたつもりはなかった。数日にわたる戦で味方はぼろぼろだが敵も同様。消耗戦は最初から覚悟の上。
「今夜は濃霧で、二三日晴れないけど、晴れたらまた戦争は始まる」
「そこに私の出番はないだろう。艦がこんなことになってしまっては」
 それはまぁ、そうだが。
「艦は死んだけどあんたは生きてる。これは、目出度いことだぜ」
「……正直に言いたまえ、ナカータ領主」
 廃皇子は俺を見た。真正面から、睨まれる。なんだか俺は安心した。ほっとして、頬が緩みそうなのを無理に押さえ込む。
 廃皇子の表情には見栄も偽りも、嘘笑いもない。やっとこの男の正直な情熱に触れられた気がする。
「これも君の予定のうちか」
「予想外じゃなかったかな」
「私を囮にして死地に追い込むことが?」
 そうだと、俺は頷く。
 敵の本隊に、どうしても始末したい部隊があった。
 十隻足らずの遊撃隊だが指揮官がよほど優秀なのだろう、戦場のあちこちで味方に痛手を与えてくれた。
 消耗戦ではそんな部隊が一番手をやく。早めに誘い出してつぶしておく必要があった。
 優秀な指揮官の判断が狂うほど魅力的な囮になれるのは、俺かこの廃皇子しか居ない。俺は廃皇子を囮にした。
 遊撃隊と重火艦隊の挟み撃ちにあわせた。悲惨な状況下、この艦は主人を守って、『死んだ』。
「ナカータ領主。私は君を信用できない。君は優秀だ。確かにそうだが誠実さがない。味方を犠牲にして」
「犠牲が嫌なら戦争なんか、最初からやらないことだ。それに俺は出てくるなって、言ったぜ」
 戦闘は本格的になりつつある。傍観者の存在を許さない激しさに。俺は出撃時、廃皇子にイチイチ声を掛けなかった。
 無視されたと廃皇子は怒ったが改めなかった。
 実際、出来れば、無視したかったのだ。お飾りの大将として地上で茶でも飲んでればいいのに海に出てくるから、俺に利用された。
「自分だけが生き残るつもりではないのか」
「俺はまだ死ねないさ」
 いま俺が死んだら味方は負ける。
「そうだろう。君は勝敗の鍵を握っている。しかし私は君とはもう一緒に戦えない」
「艦隊を分ければ個別に撃破されるだけだ」
「……人質を寄越したまえ」
 廃皇子はようやく結論を言った。そんなところだろうと思ってた。
「君が裏切らないという証に人質を」
「異論はないが適当な人物を持合せない。
 身内をナカータから呼んでいたんじゃ間に合わないし部下は精鋭ぞろいで、前線から一人も欠かす訳にはいかない」
「君の親族を人質にしようとは思わないよ。殺しても君の心は痛まないだろう」
「さぁ、俺は案外身内には甘いってことになってるけど」
「オストラコンの王女を寄越したまえ」
「お断りだ」
 それだけははっきり拒絶した。あれは俺の妻じゃない。俺は国王から彼女を預かっているに過ぎない。預かりものを質には置けない。
「勝利のためなら何でもありなんだろう?」
「だからこそだ。保身の為に女を差し出したら俺の看板に傷がつく。士気に関わる」
「結局きみは自分の事しか考えていないのか」
「仕方ないな。俺が最重要人物だから」
 追いつめられて、俺は本音を吐いた。
「勝つために、俺はとびきりの看板でなけりゃならない。誰だって死にたかぁない。生きていたいってのは本能だから強い。
 その本能をねじ伏せて死地に引き摺ってくには……」
「そんなことを聞いているんじゃない」
「じゃ、何を聞きたいんだよ」
 俺は廃皇子を持て余した。
「君が何を企んでいるのか」
「俺が?あんたを陥れようとか足下をすくってやろうとか思ってると思うのか?そんな暇あるか。俺は俺の死に方を探すので精一杯だ」
 それは、本音。
「あと何日かで俺は死体になる。勝ちは生きてる奴らで分け合え。報償に皇籍復帰でも帝位でも、好きなもの望めばいい」
「正直な気持ちを言おうか。……君はどこまで私を馬鹿にすれば気がすむ」

 鋭い語気でそう言った、瞬間の廃皇子を俺は少し恐いと思った。嫉妬なのか憎悪なのかは知らない。この男には最初から悪意がある。
「馬鹿に……、してない。ただ、邪魔をしないで欲しいだけだ。
 あんたにあんたの事情があるのと同じ、俺は俺の目的でここに来てる。俺が勝つことの邪魔はしないでくれ」
 廃皇子は聞く耳を持たなかった。沈黙が続く。日がくれていく。茜色が群青に、そして深い藍色へ。
「じゃあ、君を差し出せ」
 言われた瞬間、袖のナイフの冷たさが増した。でもすぐ思い直す。これは最後の手段だ。殺されそうになった時の。
 今はまだそんな段階じゃない。たぶん、死にやしないだろう。
 数でも数えるか、と、思いながら俺は廃皇子に近づく。

 

 艦の動力は停止していた。照明もつかない。そのことが俺にはひどくありがたかった。
 レイクの腕に支えられ、闇に紛れて車に乗り込む。頭痛がする。吐き気も。
「王女は無事に帰国されました」
 小声で囁かれた言葉に惰性でうなづく。
 座席の下にいつも用意してある、滅多に使わない毛布を肩に巻いた。
「お寒いのですか?」
「……うん」
 車の速度が上がるのを感じた。それきり意識を失ったらしい。車が港についたのも、旗艦の自室に運ばれたことも知らなかった。

 

 冬の海におちても風邪一つひいたことない俺にとって、熱を出して寝込むなんてのは初体験だった。二日間、食事は殆どとらなかった。
「そうとうに消耗しておられます。点滴したいのですが、脈が弱って血管が出ない。
 手の甲から赤ん坊用の針で入れるしかありません。二時間ほどかかりますが」
「仕方ないな。俺が横についてる。液がなくなったら針を抜けばいいんだな」
「お体を診察させていただきたいのですが、嫌がられるでしょうね」
「やめておけ」
 そんな会話を夢うつつに聞いた。目を開けるとレイクと、ブラタルからついて来た軍医。
「お気がつかれましたか?」
「よかった。水をお飲みになれますか」
 背中を支えられ差し出されるグラスに口をつけながら俺はレイクを見た。
「外は霧です。暫く晴れないようですから、ゆっくりお休み下さい。陣中には廃皇子の勘気に触れて謹慎中、と通達してあります」
 いい判断だ。まさか本当のことは言えない。
「なにか欲しいものはありませんか?」