後悔・22

 

 

 

『俺だ』

 響きが低い、男の声が聞こえて。

「……ッ!」

 銀色の鮫が息を呑む。びくっ、とした銀色の驚愕を無視して。

『許可を出されて腹が立った』

 男は言いたいことをいう。

「は?」

『てめぇを抱かなかったわけは』

「お?」

『それだけだ』

「おい、ちょ、待て、なんでお前がこの無線……、って……、切りやがった……」

 言うだけいって通信は途切れる。掌の中で鳴るツーツーという音を聞きながら銀色の鮫は呆然。回線をこちらも切り、なんだったんだと考える。

「……」

 なんだもかんだもない。あれは言葉に裏表がない男だ。正直というより、必要最小限しか喋らないから嘘を混ぜるタメが生じないのだ。言葉は額面どおりに理解すればいい。ベルト外しといて抱かなかったのは沢田綱吉に許可を出されたのが気に食わなかったから。それはまぁ、理解できる。あれは他人の言うことをきくのが大嫌いな男だ。

 よく分からないのは、何故ソレをわざわざ自分に教えるのかと言うこと。無線を、おそらくは獄寺隼人から奪ってまで、どうして?

「……俺が怒ってるとでも思ったかぁ?」

 既にもの言わぬ無線機にむかって尋ねる。そんなことを、釈明するために、わざわざ連絡を寄越したのか?

「どーしたんだぁ?すっげー気配りじゃねぇかぁ、お前らしくもねぇ」

 くすくす、無線に向かって囁いて。

「おやすみ」

 明かりを落とす。目を閉じる。男の腕の感触と声を思い出しながら。幸福だった。物凄く。

 いっそ永遠に目覚めたくないほど。

 

 

 

 

 夢は、比較的、ゆっくり見ることが出来た。

「……、ん……?」

 銀色の部屋に別の男がやって来たのは夜半過ぎ。キャバッローネも復活祭の晩餐があっていたのだろう。いつものカジュアルな服装に着替えていたが、どこか華やかな気配が肌に残っている。

「寝てろよ。何もしないから」

 明かりも点けずに金の跳ね馬は小さな声で囁く。服を脱いで部屋着に着替え、大きなベッドにするりと身体を滑り込ませる。銀色の細いカラダを腕に抱く。それきり動かない。今夜は本当に何もしないつもりらしい。

「おそ、かったな……、ぁ……」

 寝ぼけながら銀色の鮫が呟く。今夜ばかりではない。最近、ドン・キャバッローネは日付が変わる前にやって来たことがない。いつもボンゴレ本邸が、ボスも側近も寝静まってから、そっと訪れる。

「ごめん。おやすみ」

「責めてんじゃ、ねぇ……」

「ごめんな」

「……ま、るな、ぁ……」

 謝るなと寝ぼけながら告げる。銀色の鮫が思わずそんなことを言ってしまうほど、最近の跳ね馬は大人しいというか、遠慮しながらボンゴレ本邸へ通っている。夜中にやって来て夜明け前に帰ることさえ珍しくない。食事も殆ど本邸ではしなくなった。『帰ってこない』ことは滅多になかったが。

「……、ガキにぃ、舐められてんじゃねぇ、ぞぉ」

 目を開けないままで銀色の鮫は言った。何が起こってこうなったかはだいたい分かっている。たぶんあの顔だけ可愛い沢田綱吉が釘を刺したのだろう。今度騒ぎを起こしたらウチに来てもらえなくなりますよ、とかなんとか?

「そもそも……、俺がわりぃんだからよぉ……」

 恋人に選んだのは自分だった。他よりコレがいいと思ったからそうした。寝た途端、あんなに支配的になる性質とは思わなくて持て余していたのは確かだ。セックスは正直いって辛かった。でも、だからといって、浮気は許されない。酔わされた挙句のことであっても油断したのは自分だ。

「てめーがそう、肩身せまくするこたぁ、ねぇ……」

「ありがとう」

 金の跳ね馬は素直だった。銀色の鮫の気遣いに礼を言って、そっと指先で長い髪に触れて、そっとため息をつく。

「でも気にしないでくれ。俺が勝手にしていることなんだ。オマエと会わせて貰えなくなると困る。生きていく意味がなくなる」

「そーゆー大袈裟な寝言いってやがっからぁ、つけこまれるんだぜぇ。天下のキャバッローネのボスだろぉ。もっとちゃんと、らしくしてやがれぇ」

 これは他のファミリーのボス。けれどそれだけではない、幼馴染で、逆縁だったこともあるけれど付き合いは長い。不本意だが命の恩人でもある。親しみを、持っている。ガキどもに舐められて欲しくないと思う程度には。

「こんなオレは嫌いか、スクアーロ?」

「好き嫌いじゃねぇよ……」

 好きか嫌いかで言えば正直、カラダを支配して帝王のように振舞っていた一時のこの男よりは好きだ。しょんぼりしていると撫でたくなる。出会ったガキの頃、少しだけ気に入っていたのはとびきりの容姿に似合わないヘタレぶりが笑えたからだった。その頃の金の跳ね馬はアドニスじみたキラキラの美少年だった。それでいてヘナチョコだったところに奇妙な愛嬌があった。

「多分、オレはまた、どっかで間違った……」

 しょんぼりな跳ね馬には昔の面影があって、悲しそうに悔やんでいると慰めたくなってしまう。

「オマエを本当に愛してるんだけど、やっぱり、卑怯だったかな。そもそも政略結婚絡みで自分のものにしようとした、発想が下種だったよな」

 確かにそれはそうだけど。

「他よりゃお前がいいって、思ったのはウソじゃねぇ」

 積極的に選んだ訳ではないが誰かを選ばなければならない状況を選択したのは自分自身だった。差し出された手の中で昔馴染のそれを取ったのは、やっぱり一番気心が知れていたから。知っているツモリだったから。

「ありがとう」

 すり、っと、金の跳ね馬は腕の中のカラダを抱きなおし頬を寄せる。肌理の細かい肌は、少年時代の弾き返すような張りを失った代わりにしっとり、潤みを帯びて、吸い付くようで、昔馴染みの男の胸の奥をズキンと疼かせる。

 そして。

「……ザンザスと会ったな?」

 耳元に唇を寄せて、聞き取れるギリギリの低さで囁かれたのは、そんな言葉だった。

「てめぇ何匹、ネズミ入れてやがる」

 退治しても追放しても根絶できないこの男の間諜にうんざりしながら銀色の鮫は答えた。

「金が余ってんのは分かってるけどよぉ、ちったぁ俺の、立場も考えやがれ、コンチクショウ」

「会えて嬉しかったか?」

「黙れ。寝るぜぇ」

「なぁ、スクアーロ」

 形のいい、小さな頭を、腕に抱きながら。

「駆け落ちするなら、手を貸すぜ」

 愛したオンナの耳元に、金の跳ね馬は小さな小さな、声でそう囁く」

「……」

 オンナは咄嗟に反応できなかった。何を言われたのかすぐには理解できない。ぎゅうぎゅう、オンナを抱く腕に力を込めながら。

「山本に渡すよりはマシだ」

 男が言うのは嫌味ではないらしい。指先にまで力の篭った腕には本気の覚悟、強い意思が宿っている。

「ザンザスはお前が本妻だ。なんのかの言いながら結局お前のことだけを、ずっと愛してる」

「……そっかぁ?」

 銀色の鮫が反問したのは自分の為ではない。まだ愛している男のことを庇っただけ。

「そうだ。分かっているだろう?」

「ジッリョネロファミリーのボスと仲いいって聞いたぜ」

「そうだな。意外に優しく接しているらしい。でも八歳の子供だ。女子供を丁寧に扱うのは古いマフィアの鉄則みたいなものだろ。アイツはそういう美学に忠実なだけだ」

「じゃねぇよ。お前は知んねーんだよ。気に入らねぇ女にアイツがどれだけひでぇか。情け容赦ないぜ。裸で部屋からたたき出すんだぜぇ」

「山本に渡すのは嫌だ。お前が二番目の扱いを受けるのはどうしても我慢できない。お前のことをふたまたとか、ありえない。お前をずっと愛してきた俺への侮辱だぜ」

「よく分かんねーぞぉ、その理屈」

「愛しているんだ」

 それは分からないでもない。確かに愛されていると思う。

「お前のことを、軽く扱われると辛い」

「……べ、」

 別にそうじゃなかった、と。

 言いかけた銀色は賢明にも口を閉ざす。酔った勢いで『遊んだ』ことに、公式にはしている。公式と言うのはボンゴレ十代目に向かってそう言ったということ。ドンに嘘をつくことは許されないから、言った瞬間、あれは遊びになった。

 そうしてオンナの立場の銀色が『遊ばれた』ことになる。マフィアの世界ではどうしてもそういうことになる。実質がどうであったとしても。

「逃げるなら、手を貸すぜ、スクアーロ」

 艶々の頬を寄せながら。

「このままここで、お前が飼い殺されるよりは、いい」

「……」

 飼い殺し。

 自分がそうされているのかどうか、銀色の鮫にはイマイチ、よく分からない。ただザンザスの為にそれが一番だと思って、そうしているに過ぎない。いつでもそうだ、本気で自分の損得はどうでもいい。考えたこともない。

「ザンザスはお前を誘わなかったのか?」

「……ねぇよ」

 それはなかった。連れて帰ろうとはしてくれたけれど。

「お前よりボンゴレを愛している訳だ。立派なボスだな。俺とは違って」

 金の跳ね馬は最後だけ皮肉を利かせた。

「ファミリーよりお前を愛してる俺より、ファミリーを優先する立派なボスが好きか?」

 口が滑るまま皮肉に尋ねてしまった質問に。

「あんま、そーゆーの、よく分かんねぇ」

 自分が愛されている程度なんて考えたことはない。

「ザンザスだけを好きか?お前が愛してるほど愛してくれなくても?」

「……おやすみ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おい、と、咥えた煙草に火を点けながら。

「運転代わる。どっかに入りやがれ」

 アッシュグレーの美形は何度目かそう言った。

「……」

 言われた若い男は返事さえしない。表情と同じく唇も凍り付いて、日頃の快活からは信じられないほど無口。

「ナンにもされてねーぜ?」

 分かっているとは思ったが、一応、そう言ってみた。それでも夜の街を疾走する車は止まらない。郊外のバイパスをぐるぐる、無意味に、走り続けている。