供物・4

 城主からの使者は予告どおり、夕刻に現れた。
 昼過ぎから出仕の衣装を調えて、涼介は使者を待っていた。話し相手に来い、一緒にメシを喰おうという誘いに、帰りは明日になるかもしれないので御母堂はお先にお休みください、という伝言までついていた。母親から持たされた包みと共に涼介が表御殿の居間で、殿様は綴じられた伝票を一新に眺めていた。
 敷居に手をついて挨拶する間もなく、
「これ、あんたの字だよな」
 顔を上げこっちを向いて笑う顔立ちのすがすがしさ。城下をマメにうろうろしているせいでその顔は藩士の子女や町娘たちに知られ、騒がれている。
「さっきからあんたの字がよく出てくる。三年前、くらいからな」
 涼介が図書掛かりになった頃だ。書面を眺め、目を細める横顔に翳りはない。
「懐かしくってさっきから、進まなくって、困ってる」
 困った、という顔ではない。むしろ楽しげに笑っている。
「まぁいいや。今日はここまで。メシ、食うおうか」
「……側近の方々は」
「気になる?」
 尋ねたときだけ、ちょっと意地悪だった。
「染め師たちの会合に行かせた。あいつら、江戸藩邸じゃ鼻つまみの放蕩息子たちだけど」
吉原のみならず岡場所にも出入りして、遊女や陰間を買う、博打の仲間には入る。衣装にかぶいて持ち物に凝って、剛直清廉な武士の理想像とはほど遠い。けれど。
「時代の主役は連中だ。年寄りや、頭の固い連中がどんなに口惜しがっても」
「長続きは、しないでしょう」
「主役が長く続いたためしなんざ一回もないさ」 膳が運ばれてくる。涼介は、包みをほどいて城主に披露した。
「母からです。お口にあえば、よろしいのですが」
 言いつつ涼介は気が重かった。黒塗りの重箱に詰められたのは菱の実。あまかずらの汁で茹でて蜜漬けにした甘ったるい食べ物。諸美でさえ甘すぎると言って滅多に手を伸ばさない。ましてや江戸での美味に慣れ、商人たちの心づくしの接待さえつまらないと言い捨てるこの城主から、どんなに馬鹿にされるだろうと覚悟しながら、しかし母親に持たされた以上はしかたなく、差し出した中身。しかし。
 見るなり城主は、
「わ、美味そう。懐かしいー」
 箸も取らずに手を伸ばす。二つの角をくっつけたような菱の実の、黒くて堅い殻を頑丈な指先で剥いて、ぱっと口に放り込んだ。殻に残った蜜さえも。
「あ、うまい。やっぱり母……、お袋さんの作るのはうまいよ」
 言いながらまた手を伸ばす。手指がベタベタに汚れていくのも構わずに。
「あんたは、食べないの?」
「いえ、私は」
「そういや前から嫌いだったよね。あまかずらの匂いがしただけでうんざりした顔、してたっけ」
「……食事の後になさった方がよろしいのでは?」
 際限なくたべようとする城主に涼介はそう進言したが、
「飯、食っていいよ、あんたは」
 城主は止めようとしない。給仕の小姓が吸い物をもってきて、涼介はその蓋を取った。鰹と昆布の贅沢な清ましの中に浮いていたのは……。
 涼介は顔色も変えなかった。……つもりだったのに、
「待て、なに」
 一心不乱で菱の実を食べていたはずの城主が、見咎める。その手が伸びるより先に、椀の縁に唇をつけて涼介は、それごとぐっと、飲み干す。
「なんか入ってたんだろ、なんだったんだよ」
「……いいえ」
「お前か?」
 振り向かれ小姓はびくっと脅えた。それほど、恐い顔と目をしていた。ふるふる、頭を横に振る。
「お騒ぎなく。何事も、ありませんでした」
「あんたなぁ、なかったわけが」
「なかったことに、しなければマズイでしょう」
「……」
 城主は黙った。その通りだった。頻繁に招かれ同行を求められる義兄がどういうイミでお気に入りか、察せないほどこの時代は色事に疎くはない。そうすると涼介に敵意をもつのは夜伽に選ばれ奥御殿に侍っている女。重臣の、娘。
 静かな表情のままの涼介に城主は近づき、前髪をかきあげる。美しい白い額にそっと唇を当てる。小姓は慌てて一礼して下がった。
「ナンだった?」
 額から唇に、接吻を移動させながら城主が囁き、尋ねる。
「お聞きにならない方がよろいでしょう」
「毒になるものじゃないな?」
真剣に心配している様子がおかしくて、
「さぁ?」
 涼介は曖昧に答えた。途端に蜜だらけの手が彼の、唇の隙間に突っ込まれる。苦しさに頭を振って涼介は、力をふりしぼってその指から逃れた。
「駄目……、騒ぎになる。証拠は、だめです」
 毒ではなかった。毒なら安心させるためにあんなものは入れない、と、もう一度吐かせるために伸びてくる指を拒む。もみ合ううちに膳が蹴られて転がって、互いの呼吸が荒くなるうちに、何のためにそうしていたか理由が遠ざかり、気づいたときには二人、衣装を乱して、抱き合っていた。
「……ん、あう」
「痛い?まだ怪我、ひでぇかな」
 羞恥に閉ざそうとする膝を許さず開かせる。さらに狭間に行灯の明りを近づけるような真似をされて。
「……、嫌です、イヤ……、お許しを」
 震えて拒む涼介が可哀相だったけれど城主は、行灯の明りの下にそこを晒した。痙攣する内股の白さと、淡い翳りから実った果実。更にその奥、城主がここ数日で散々に踏み込み、蹂躙し、自分のカタチを覚えさせた場所。
「怪我、どこだったっけ」
 濡らした指で探るとひくっと、引き攣る場所がある。指の腹で柔らかく揉みたてると、
「イヤ、イ……、ふ、あ、ぁ」
 漏れる声では痛いのかいいのか判断がつかない。引き抜いた指を行灯に向けるとうすく、朱の色彩が走っている。あーあと、ため息をつきながら城主は、震える身体をぎゅうっと抱き締めた。
「また今日もお預けかよ。俺、そんな乱暴にしてないぜ」
 ちゃんと準備もしたし、あんなに舐めたのにとぼやく口調は、マジ。
「あんたが悪いんだよ。ちゃんと力、抜いて俺に任せるよーにしないから。もぉ、勘弁してやんの今夜だけだからな」
 怪我をしたナカに入れない代わりに、唇に慰めさせる。それを恩恵のように言われて涼介は屈辱の表情を隠せない。そうしてそんな涼介に、城主が気づかないはずもなかった。
「なんでそんな……、嫌がるのさ」
 抗議というより切ない問いかけに似た口調。
「昔はあんなに優しかったのに。いまさら、どーして恥かしがったり嫌がったり、すんのさ」
 意味が分からず涼介は視線を上げる。咥えさせられたままで、声は出なかった。
「まさか本当に忘れちゃいないよな。ナンか理由があって、フリしてるだけだよな……」
 呟きながら涼介の後ろ髪を掴んで容赦なく、揺する。咽喉奥を突いては擦り戻される感触に涼介は苦しみ、うめいた。永遠に近く感じられる苦痛を繰り返した後でようやく、雄が飛沫を撒き散らし達していく。粘ついた液体が気管に詰まって咽る。畳に這って苦しむ涼介の背中をそっと、城主は撫でてやりながら、
「名前、呼んで」
 初夜と同じ、要求。
「俺のこと、呼んで。……、啓介、って」
 静かに瞳を、涼介は城主へと向けた。城主はごく真面目な、真摯なほどに真面目な顔をして涼介を見つめている。
「それは、わたしの弟の、名です」
「うん、そう。……会いたかったよ、アニキ」
 城主は彼に手を伸ばす。優しく頬に触れようとする。頭を振って拒んで涼介は、城主から遠ざかりながら答えた。
「弟は早世しました。本当に幼いときに」
「表向きはね。ホントは死んだ正妻腹の息子の代わりに江戸藩邸で、育ったの」
「身代わりに死にました。父上の奥方が産んだ息子の、身代わりに」
涼介の口調はキツかった。それまでの、表面だけでも礼儀を守っていた丁寧さがゆっくりと、裂けて剥がれていく。
「京都の藩屋敷でさ。さよならしたの、まさか、忘れた?」
切ない瞳で城主は涼介を見る。
「別れたくないって俺があんまり嘆くから、あんたなんでもさせてくれたじゃん。それまで駄目だって触らせてくれなかったトコまで。あん時のあんたを何回、思い出したか知れねぇよ」
 城主の言葉に涼介は動揺した。それはもう、見ていてはっきりと分かるほど顕著に、唇が揺れた。じっと城主を見つめ、けれどもゆっくり、首を左右に振る。
「あなたは、違う」
「何処が。そりゃ十年もたちゃツラとかは、ちょっとは変わっただろうケド」
「弟は、身代わりに見舞いに行かされた。父の奥方の実家へ。……疱瘡(天然痘)に、かかった城主の、見舞いにやられたんです」
 一度、目を閉じ開いた涼介の、瞳にははっきりとした、憎悪。
「一粒種の実子を流行り病で失いたくない、けれど実家に義理は果たしたい奥方の犠牲にされたんです。俺の、弟は」
「違うって。俺、啓介だよ」
「江戸屋敷に引き取られた弟と、俺はずいぶん、手紙をやり取りしてました。それが不意に、返事が来なくなって。弟について江戸屋敷へあがった乳母まで、行方しれずになった。父上に事情を尋ねても、何も教えてくれなくて」
 だから。
「乳母の夫に金をやって、江戸へひそかにやって、調べさせました。そうしたら、弟は」
「だまされたんだよ、あんた」
「だましているのはあなたの方だ。俺は母上とは違う。あなたの嘘にノッて弟を、裏切ったりはしない……」
「嘘じゃねーって。なんで信じないの」
「信じるも、信じないも、ない。あなたは啓介じゃない」
「頑固だね。相変わらず、頑固で強情。そこもスキだけど、俺にだけはもっと、素直になってくれていーんじゃねぇ?」
 くすくす、涼介は笑い出す。少し壊れた、自棄じみた、けれどおそろしいほど美しい、笑み。
「母の従妹が」
「……ナニ?」
「今上帝の皇子を生みました」
「あぁ、そんな話はちらっと聞いたけど」
「近衛殿の奥方の妹分という格式で、内侍としてお仕えしているうちに手がついての出産……。今上帝にとっては四十過ぎてのはじめての男皇子。近衛殿の後押しもあるし、東宮にたてられる可能性はかなり、高い」
「……それで、俺が、嘘ついてあんたの弟になりすまして、その縁を得ようとしてるとか、思ってる?」
 答えず涼介はほくそ笑む。挑戦的な笑みだった。
「お好きになさればいい。母をだまして京へ戻して、御所勢力の後押しを得るのも、邪魔はいたしません。だれにも言いはしませんよ。あなたがそうでないことは」
「……」
「でも、俺までだまそうとするのは無茶です」
「……アニキ」
「違う」
「俺、けーすけだよ」
「嘘」
「なんでそんなひでーコト、いうの。怪我させたから怒ってる?ごめんな。もーしねぇよ」
「止めてくれ。あの子を犠牲にして生き残った……、貴様の」
「だからあんた、俺に冷たかったの。再会した時から、顔は笑ってても目は冷たかった」
「嘘には、付き合えない」
「嘘じゃねーって」
 嘆く涼介の手首をとって、畳の上に仰向けに貼り付ける。悔し涙にぬれた瞳が凶悪なほどの強さで雄の欲望を煽る。
「俺、啓介だよ」
「……、それは、弔いも受けれずに藩邸のどこかに埋められている俺の弟の、名前だ」
「俺が違うなら、どーして知ってるの。あんたと弟の秘密をさ」
「手紙を読まれたって、怒っていたことがあった。あの子、藩邸で、本妻腹の若様に、苛められていたから」
「ひでぇ、誤解。もう一回言うぜ。これが最後だ」
「……殺すのも犯すのも、好きにすればいい」
「啓介って、呼んで」
「あの子のことは、俺は裏切れない」
「呼んで」
哀願か、脅しか。
容易には判断のつかない顔で強要する男を涼介は、じっと見つめた。
「呼んで」
 繰り返す城主の顔をまじまじと、涼介は眺める。
「なんで、だまされたんだ、母上。こんなに顔が違うのに」
「子供顔って変わるよ。よく見りゃ面影が、あるだろ?」
「だまされたフリする気なのかあの人。企みを薄々知りながら、啓介のこと差し出したあの時みたいに。……俺までまた、だませるって、思ってるのか」
次期藩主になるために江戸へ引き取られるのだと、そう聞いたから、嫌がる弟を宥めてすかして、旅立たせたのに。あんなことになると知っていたならば抱き締めて、絶対に、離しはしなかったのに。
「……キタナイ」
「好きだよ。大好き。なぁ、呼んでくれよ」
「俺は嫌だ。絶対に、そんなの」
「愛しているよ、アニキ」
「俺が愛していたのは、本物の弟だけだ」
 複雑な目線で城主は、じっと涼介を見た。無言のままで被さり膝を、ひらかせる。
 涼介は逆らわなかった。従順というよりも無関心。本心を告げてもう、これで手打ちになっても、いいという気がした。
「お袋さんと諸美ちゃんは……?どうすんだよ」
 脅しを含んだ問いかけに、
「……知るか」
 破れかぶれの答えが返ってくる。
「あの子の犠牲で、生きていたんだ俺も母上も、諸美も」
「……」
 呪っていた……。自分のことも、貴様も」
「……」
 それきり城主は、何も言わなかった。涼介も、呼吸を荒くして嬌声を漏らし始めても、意味のある言葉はこぼさなかった。
「……好き」
 ただそう告げられたときに。
 拒むようにゆっくりと、一度だけ、横にふられた、頭。
 ひどく傷ついた顔でそれでも、若い城主は繰り返す。
「好きだよ。大好き。……信じて」
 拒む仕草はない。受け入れたというよりも最初から、聞く気のない無関心。
 それでも。
「スキ……」
 同じ言葉を耳元に繰り返す。
 あんたが好き。あんたと会いたかった。こうしたくって、早く国許のあんたに会いたくて。
 大名の跡取のは江戸から離れられないから。
家督を継がなきゃ、ここに居るあんたにあえないから。
……殺したのに、親父を。
そこまでしても、会いたかったのに。
「裏切り者はあんただ。俺がどうして、分からない」
 この世の誰に忘れられても、あんたは覚えててくれると思ってた。なのに。
「俺だよ、あんたの、啓介」
 囁き続ける。聞く気のない意識に、その意識さえなくした後も、形のいい耳朶に。

 ……ダイスキ。