供物・6
供物・6
従姉とその娘とを迎えに来た男は、公家には似つかわしくない堅い体躯と長身と、苦みばしった強面の持ち主だった。今をときめく藤内侍、今上帝の男皇子を生み奉った美女の弟だと聞いて、優美な二枚目を想像していた奥女中たちはみな、失望の色を隠せない。よく見れば尋常な顔立ちの、いい男でないことはない。が、期待が大きすぎたのだ。
男は前藩主の御国御前の従弟でもある。だということは、他領へ使いされ戻らない涼介の近い身内で、きっとああいう美形だと、女たちは勝手に夢を見ていた。
都から長い旅程を経て到着した男は、南屋敷で衣装を改め登城した。城主へ差し出す進物は今上帝直筆の古今和歌集。金銭を持たない徳川御三家でさえ滅多に拝領しない格の高い贈り物には、下心までおまけについている。藤内侍の産んだ皇子への後ろ盾。主に、経済面での。
初対面の挨拶から、一通り儀礼的な会話が交わされた後で、
「お人払いを」
堂々と、男は若い城主に要求した。城主は眉を寄せたがそのとおりにする。隔ての襖を開け放ち、七十畳ほどの大広間がガランとした後で、
「涼介のことですが」
「彼がどうかしたか」
「戻してもらえませんか、そろそろ。女たちも不審がっているし」
「彼は今、使いで……」
「こちらに軟禁されている調べはついています」
言葉の刃を眼前で交差させ、二人はひたり、見詰め合う。
「確かに、閉じ込めて弄りまわしてやりたいような奴ですが」
「……」
「二ヶ月も好きになされば、そろそろ、よろしいかと」
「……」
「別にご趣味をどうこう、申し上げるつもりはありません。奴はあなたの臣下だ、好きにすればいい。ただ、母御の供に、奴が居ないでは格好が着かない」
「……」
「母御の出立に間に合うよう、急いで戻った。そういう事で、つじつまは合わせます」
「……」
「こちらとしても、揉め事は避けたいので」
さらりとむ言われた、それは脅迫。大人しく渡さなければ揉め事になるぞ、という。
「……一緒に来い」
城主は立ち上がり、男は静かな表情を保ちつつ、従った。
甘い香りの、座敷牢。
ほのかに漂う甘い香りに男は眉を寄せる。性質のいい香ではない。女を惑わせ、何も分からなくするための、禁制のアヘンを含む、それ。
座敷牢の中央、真紅と金襴の褥に埋もれるように、彼は眠っていた。女物の薄紅の襦袢一枚で。ただでさえ細いのに痩せて、裾からのぞく手首も足首も骨が浮いて見える。睫の翳りが深い寝顔は痛々しいが、ぞっとするほど淫靡でもあった。
かたんと、格子がひらかれる。幅と厚みのある身体を器用に屈めて男は座敷に入った。起きろとも言わないで抱き起こし、肩に担ごうとした、時。
「……、すけ?」
眠っていた麗人の唇から細い、呟き。
「啓介……、ナニ?」
その名で呼びかけられても男は、戸惑いもしなかった。
「支度するんだ。母御が明後日、京へもどられる」
「……母さんが、京に?」
「あぁ」
「……、いやだ」
逞しい胸板に縋って、子供のようないやいやを繰り返す。
「ンでだ。ガキん頃も暫く居たろ。いい所だろうが」
「お前が、盗られる」
座敷牢の外から二人を眺めていた城主がその台詞に、顔色を変えたが。
「いまさら。もーガキじゃねぇ」
男はうまく話を合わせていく。
「……本当だな?」
「あぁ」
「絶対、いやだから。お前がまた居なくなるの」
「分かってる」
もう一度、眠りに沈んだ身体を肩に担いだ男は、片手で羽織を脱いで麗人の上に掛け、姿を隠す。城主に目礼して、搦め手からだがゆうゆうと下城。下賜された伽の女を、持って帰っているようにしか、見えない。
男は近衛公からの正式な使者として、城下の家老の離れを滞在場所として提供されていた。南屋敷も泊まって欲しがったが、出立前のごたごたに巻き込むのも悪いかと思い直した。そうして、離れの座敷で。
担いでいた身体を男は、乱暴に放り出す。
「、っと」
上手に受身を取って涼介は畳に転がった。
「乱暴するなよ、京一」
「お前こそ、ナニがけーすけぇ、だ。怖気がたったぜ」
「失礼な奴。おっ勃ったのは別のとこじゃないのか」
「ツラに似合わず品がねぇの、変わってねぇな」
「顔にも中身にも品のない奴よりも、マシだ」
「二ヶ月も雲隠れしやがって。どれだけ捜すの、苦労したと思う」
「好きでやってたわけじゃない。無理やり閉じ込められてたんだ」
「どーだか。お愉しみだったろ」
京一が銀の煙管を咥えて火をつける。火が移り煙があがり始めたところで、涼介は手を伸ばしそれを奪った。いわゆる、吸い付けタバコという奴だ。葉を詰めるところからうまく火を点けるのは意外と手間がかかる。吉原の遊女たちがやる吸い付けタバコは、色っぽい意味の他に実用性をかねている。
「……」
文句を言いかけた口を押さえて京一は、予備の銅の煙管に葉を詰め最初からやりなおした。室内にうすい煙が漂う。葉はタバコではなくて、本当は、麻の葉。麻酔いに慣れた身体は薄いアヘン程度で、どうこうなりは、しない。
証拠がこの男。本当に二ヶ月、あの狭い座敷で軟禁されていたならもっと、弱っている筈。けれどここまで運ぶ途中、細くなった肢体は確かな力を宿らせていた。積極的に動いていた証拠だ。座敷牢の中で、体操するアヘン中毒者なぞ、有り得ない。
「……なぁ、京一。啓介を覚えているだろう?」
父親が正妻と挙式した前後のほかにも、母親が一時、京の実家へ帰されていたことはある。紀州藩からのつきあげが激しくなると、都合の悪いものを隠すように実家へ戻された。そんな時は本家筋に当たる須藤京一の屋敷の片隅で、物音をたてることすら遠慮するようにして、過ごした。
「あぁ。お前の弟とは思えない小汚いガキ」
「どうなったか知っているか」
男はすぐには答えない。涼介が弟に注いでいた愛情と執着を知っているから。しかし、嘘や誤魔化しを許さない鋭い瞳でまっすぐに射抜かれて、
「……流行病で、江戸で死んだろ」
そうだと健気に、涼介は頷く。
「なのに自分がそうだって言うんだ」
「……城主か」
「アヘンに酔ったフリでだいぶ、誘導尋問してみたが一回も引っかからなかった」
偽りの思い出に、同意をすることはなかった。嘘なら一度くらいは頷く。
「調べてくれ」
「おいおい、何年前の話だ、今更……」
「今上帝は譲位の意志があられるみたいだな」
涼介の言葉に男は、どうして分かったという風な表情。分かるさと、涼介は微笑む。
「生まれた我が子がどんなに可愛くても、現東宮(皇太子)の弟を押しのけて跡取にすることは出来ない。とすると次善の手段は自分が退位して弟を帝にして、その東宮に息子をたてることだ。皇室でもう何百回と、繰り返されてきた欺瞞だ」
「閉じ込められてたクセに早耳だな」
「情報が必要な推測でもない。新東宮の叔父君が」
「からかうな」
「わざわざ出てきた理由は金の工面、だろ。朝廷で一番費用が掛かるのは譲位と即位の一連の行事と扶持だ」
譲位して上皇となれば朝廷の知行地とは別の収入が必要となる。体面を維持する為にはせめて八百石は欲しい。まして先々、出家して院ともなれば、京の名刹に寺院を建立しなければならない。なんのかんのと、先立つものは。
「金策に協力してやるぜ。あの城主、商才はあるみたいだから」
「あぁ。かぶきモンだがきれるって、都でもけっこうな評判だぜ。京の呉服問屋を媒介に、江戸城御用達も狙ってるって話だ」
「俺にぞっこんなんだ」
「そりゃ見てて分かったが、そういや礼を、まだ言われてないな」
「……礼?」
「助けてやった礼だ。お前のダチの、ムクイヌが」
「史浩か」
「ムクムクしてんのに妙に頭のいいあいつから、どーも様子がおかしいって知らせがあって、城主おどして助けてやったのに」
「あぁ、そうだな。とりあえず言っておく。ありがとう」
「なんだ、とりあえずってのは」
「どうせあと、二日ももちゃしなかったから」
「お前が?」
「まさか」
「城主がか。どーりで素直に渡したと思った。苛めてたのはお前の方か」
まぁそうだろうとは、思っていたけれど。
「ところで京一」
「おう」
「さっきの返事は?」
「……、千二百両」
「大金だな」
「どうしても、要る」
「強請ってみてやる。そうじゃなくって、啓介を覚えてるな?」
「よく覚えてるぜ」
「似てると思うか。……、城主と」
さぁなと男は曖昧に呟く。
「似てねぇ訳じゃねぇが、異母でも兄弟ならあんくらい、似てて当たり前でもある」
「逃げ口上だ」
「どーせ俺がナンてったって、お前は自分が思うようにしか判断しねぇだろ、。どう思ってんだ」
「それが分かるなら、貴様に尋ねたりしない」
「ご挨拶だな」
そんな話をしているうちに、やって来たのは城からの使い。長い役目を果たした涼介に対する慰労のために、茶を振舞うので城へ来るように、と。
「溺愛されてんな。せいぜい今のうち、搾り取っといてくれ」
軽く言う男に手伝わせ、着替えた。何も知らない下役にさせるには、体には、痕が多かった。
「ナンで、来たの」
返事もせず、用意されていた茶席には座らず、涼介は隔ての襖を開ける。枕屏風に囲い込まれた、闇にとけこむ紫の繻子の褥。
さらさらと、服を脱いだ。
「怒ってねぇの?」
近づき、背中から抱き締めながら城主が、問う。
「……献金してくれ。脅された」
「あの男に?殺してあげようか?」
「摂政・近衛公からの使者ですよ」
「使者じゃなくなってからならいい?」
「止めてくれ。これから母と諸美は、世話にならなきゃいけない」
「あんたがそう言うなら」
うなじの髪を掻き上げて耳元に口付ける。そのまま馴れた身体を、厚い褥に、押し伏せる。
「なんで来てくれたの。教えて」
「……したかったから。淫らなコト」
「それだけかよ」
「他に何か用があるのか」
「啓介、は?」
「……」
「まだ俺は違うと思ってる?」
「……、分からない」
涼介にしてははっきりしない返事。
「分からなく、なった」
「うん。俺も」
「ナンカ、ん、……、ッ。お前、みたいな気も、少し」
それきり二人は言葉を交わさなかった。獣のように求めあう。快楽を抱き合う体から搾り取ろうと二人して、蠢く。甘い声を漏らしての失墜を繰り返す。何度も。
「来年、江戸屋敷に戻ったら、調べなおす」
「……うん」
「もし俺が違ったらどうする?やっぱり俺のこと、許せない?」
「……わからない」
それでも互いに、ようやく本音で、向き合えた。薄く紅潮した頬に啓介が手を添えて、
「違ったら、俺もショックだよ」
呟く声を聞いた途端、無意識に涼介は腕を伸ばした。伸ばして、抱き締めて、その後で気づく。慰めの言葉を持ち合わせないことに。
「とりあえず明後日、母親と一緒に、京に行っておいで。それでその時の話、聞いてきて」
「あぁ」
「でも、早めに帰って来てくれよ。寂しいから」
「……あぁ」
「くそ。俺も一緒に行きたいぐらいだよ」
放したくない甘い体。こんなに暑い夏なのに、抱き合う湿った肌も、その合間に滴る汗さえ少しも、疎ましくはない、不思議さ。たらり、胸元を流れ落ちたそれが胸の先端の、とがった飾りを掠めていくのに震えながら涼介は、自分の心に不思議なくらい、憎しみがないのに気づいていた。
監禁されていたのに。
ひどい真似を、されたのに。
身体をこんなに欲望に弱く、あさましく変えられてしまったのに。
その理由は多分、これが『啓介』かもしれないから。
そうであって欲しいキモチさえ、するから……。
『お前が俺を欲しがってくれて嬉しかった』
『こんなに立派になったお前がまだ、俺を好きでいてくれたなんて夢みたいだ』
アヘンに酔った、フリをしながら、でも。
嘘は一言も言わなかった。