Love  Song

 

 

 遺書や遺言と、わりと親しく生きている。軍人してるから。

 戦地に行く前に、それを預かる公証人が軍には居て、本人の直筆に同僚や上司が立会いのサインを添えて公証人に預け、戦死の公報が入れば遺書を公開し、遺品や恩給を手続き。それはよくある、馴れたことだった。

 あの人の遺書も尋常な手続きを経て開封された。遺産は殆どが家族のもとへ、そして側近だった俺たちにも、酒でものめって、かなりの額がきた。研究資料は鋼の錬金術師に、そして、それほど価値のない、形見の品は、先ず俺が選ばせてもらえた。

 俺が彼の愛人だってこと、仲間内では公認だったから。

 一つだけ貰った。あの人が大事にしてたレコード。プレーヤーは持っていないのに、それだけとても、大切にしていた。ちょっと昔にとても流行ったラブソングで、俺でも歌えるような有名な曲。彼も時々、そっと歌ってた。いつも途中で、それは途切れたけど。

 不自然に途切れる場所が同じだから、そこから先を知らないのかと思っていつだったか、続きを続けて歌ってあげたことがあった。ベッドの中でだった。あの人は黙って聞いていて、俺が歌い終わると枕に顔を埋めて泣いた。そのまま朝まで、声もあげずに。

 おかしい人だった。ずいぶん自棄じみて生きてた。でも優しいところもあった。むしろ優しいところばかりだった。俺にも時々、離れろって言った。自分みたいなのと一緒に居ると笑われるから離れろ、って。俺はもちろん言う事をきかなかった。あの人を愛してた。

 あの人の噂を、俺はよく知ってた。噂が全然、本当じゃないこともすごくよく知ってた。敵が多い人なのは知ってたけど、それにしても噂は現実からかけ離れて、しかも卑劣だった。どうして黙っているのかと俺は何度か、あの人に尋ねた。口惜しくてたまらなかったから。

 仕方ないさと、あの人はその度に、静かに俺に言った。噂は確かに、その根には事実を含んでいて、だから否定しても同じことだ、と。嫌な男からのあからさまな嘲笑を何度も受けて、でも、彼は一言も言い返さなかった。

 何も感じてない訳じゃなくて、そんな日の夜はいつも、苦しそうな顔をして、いつまでも黙ってた。ベッドに横になったまま動かない、肩も背中も悲しそうで、まさかと思うけどあんな男を、愛してたことがあったんじゃないでしょうねって、俺は何度か的外れに問い詰めた。

 彼が時々、歌ってる曲のレコードを、俺が買ったのはもう何年も前だ。誕生日でもクリスマスでもなかったけど、通りがかった店のショーウィンドーに飾られていて、それは初版の復刻ジャケットとかで、セピアの写真が、とてもいい感じだったから。

 上げます、って言って差し出したら、持っているからいいって辞退された。貰って欲しくて買ったのに拒まれて悲しかった。うなだれた俺に困って、あの人はそっと、見せてくれたのだ、それを。

 少し色褪せた、俺が買ってきたのと同じジャケットのレコード。こっちは復刻じゃなくて本物のファーストリリース。十年以上、前に発売されたもの。大事にそれは、またなおされた。あの人の書斎の、大判の資料の隙間に。

 その時はジャケットを見せてくれただけで、だから俺は知らなかった。ジャケットの中身、丸いレコードには傷がついていた。形見にもらったそれをプレーヤーに掛けると、歌の途中で針がとんで傷に沿って流れ、歌は途切れてしまう。途切れるフレーズはあの人がそこで、いつも歌うのを止めてしまってたトコロ。

 レコードから、優しい甘い声が歌う。明日の朝日は天と地を染めるけど、それはもう自分とは無関係。あなたと一緒に世界中は終わる。そういう曲だった。

 一晩中、何度もそれを、繰り返し掛けて泣いた。曲の続きを、俺は知っていた。またいつか会えたら世界は始まるから、それまで一緒に眠りましょうって、そんな言葉が続く。

 歌えばよかった。もっと繰り返し。あの人が聞いてくれるうちに。あの人の中ではここで終わっていた。それはラブソングじゃなくて、悲しい失恋の、歌。

 

差し出したレコードのジャケットに中佐の眉が寄せられる。見覚えはあったらしい。ちゃんと覚えてはくれていたらしい。その事にほっとした。よかった。これまで忘れられてたら、あの人があんまり可哀想だ。

「貰ってください」

 まだジャケットにはビニールがかかって、霧にけぶる街角の写真を埃や色褪せから護ってる。中の円盤も傷一つなく、誰かの手で開かれて、この世ではじめての音をたてる日を待って。何年も前に俺が買って、受け取ってもらえないまま、なんとなく持ってた。

「俺は傷がついた後の大佐も大好きでした。でも大佐はきっと、ついてなかった頃に戻って、帰りたかったんだと思うんです」

 自宅の玄関で、俺の突然の来訪に戸惑う中佐はいかにも寛いだシャツ姿。この人の隣にはもう妻子が居て、あの人が帰る場所はないから、だからきっと、彼の曲はあそこで、止まってしまったけど。

 傷ついたのは、俺が貰うから、代わりに。

 もう二度と帰ってこない人の身代わりに、せめて。

「受け取ってください」

 そばに置いて、あげて。

 中佐の背後に奥方の気配があって、詳しいことはいえなかった。でも中佐は意味を分かってくれたらしい。親友の戦死に憔悴した表情の人に、悼む愛情が残っててくれてほっとする。よかった。レコードを渡して辞去する。あの人が愛してた人の今の家を。

 ねぇ、あれは失恋の歌じゃない。ずっと愛してる、永遠のラブソング。ちゃんと続きを、歌ってあげる。あんたはずっと一人で途中までを、壊れたレコードみたいに繰り返してたけど。

 

 

 

 

 ハクロ少将を狙撃した犯人はその場で銃口を口に咥えて自害し、遺書も遺言も残されておらず、詳しい動機は謎のままだった。

 犯人はその数日前に戦死したロイ・マスタングもと大佐、二階級特進して少将の腹心だった。死んだもと大佐と殺された少将は長年、対立関係にあって、そのへんに動機が隠されているのではと、軍隊内では囁きがかわされた。

 さらに彼らに、近しい人間は分かっていた。

後追い自殺と、その手土産の、仇討ち。

 銃声が補完する、甘くて優しい、永遠の愛の歌。