見送り・2

 

 

「昨夜はあいつの前でちゃんと、あんたに尾を振ったでしょう。今朝も起きて見送りをしてきました。偉いでしょう?」

「……そうだな」

「褒美を下さい」

「やっただろう。……昨夜」

「足りないんです」

「ハボ……ッ」

 捲り上げられるタオルケット。素足と素肌が外気に触れて、裸の秘密が暴かれていく。腰骨には指の跡がついていた。昨夜、過ぎた交わりに悲鳴を押し殺しながらシーツの上を滑り逃れようとした時、引き戻されて、つけられた跡。

「おまえ……、燃やすぞ……ッ」

 悪態は弱く脅迫は効果がない。思いつめた目の若い男に威嚇は通じない。平然としていたが案外、ストレスがたまりに溜まっていたのだと分かる強固さで、若い男はおろしたての手袋を裏返して脱ぎ捨て、右手の人差し指を薄い皮膚に這わせた。その目的で、その指だけ伸ばされた爪が、昨夜からのムリな刺激に腫れた、脆い粘膜を目指して狭間を探っていく。

「……、イ……、たい……」

 抵抗はろくに出来なかった。怖れて浮かせた膝は若い男の指を招き入れる結果にしかならず、立てていられず崩れれば自重で男の手首を敷いてしまう。背骨が撓むほど昨夜、苛まれた体には抵抗力がなくて。

「……、よせ……。……動かすな……」

 痛い、と、殆ど頼むように言った。言いながら背後に腕を廻す。男の髪を撫でる仕草をする。『可愛い』飼い犬は、主人のそんな、仕草一つだけで。

「話してくれたら、止めますよ」

 自分から妥協点をみつけていく。

「何者ですか、あの中佐」

「……、お前もよく知っている奴だろう」

「昨夜は、俺が知らない人物のようでしたが」

「酔っていたからな」

「一つだけはっきり聞いておきたいんですが」

「……、イタイ……」

「俺が遊びですか、あれが浮気ですか。どっち?」

 尋ねながら、男が相手の体内で指の関節を立てて。

「ヒ……ッ」

 露骨な場所を探られて、がくがく、抱いた身体が震えるのが愛しい。自分で言うとおり素直な、快楽には正直な体だ。苦しそうに捩れるのをそっとシーツの上に戻し、自分もそこに被さった。無論、ナカに含ませた指は抜かないまま。

 ふくれてきた自分の前を擦り付けるようにすると、本気でおびえたのか。白い背中が震え出す。

「昨夜から、ずっと考えてたんです。教えてくれないと、俺とまりませんよ」

「……、の……、だ……ッ」

「最初はあんたがあいつにカラダを触らせたのに腹を立ててました。けど途中で、不安になった。もしかして本命があっちで、俺が当て馬だったらどーしよーか、って」

 若い声に悲しみが滲む。

「昨夜、あいつに振り向いて捨て台詞を言った時の、あんたも知らない人みたいだった。俺のことはあんな風に、色っぽく挑発してくれたことなかったですよね。俺をダシに、あっちとヨリ戻すの?」

「なにを……、バカ、な……」

 組み敷かれ侵略を許した場所には湿りがない。行儀のいい可愛い犬は、軽く歯を立てる事があっても皮膚を裂きはしない。男同士のセックスで、思うままに振舞う素振りをみせてもどこかが柔らかい。逃れようとする相手を押さえつけながら、それでも、自分の凶器には潤滑ゼリーを塗布された膜を巻いてから挿した。嫌悪に通じる痛みは与えたくなかった。

「……、話して……」

 震える肩を抱きながら指の動きを止める。いつでも再開できる位置からは退かなかったが、相手に呼吸を継ぐ隙を見せる。そんなことを繰り返していれば抱いた『オンナ』は調子に乗っていくだけと、分かっていたけれど。

「昔の……、話だ」

「昔の男?どれくらい昔?」

「大昔だ。何年も前の」

「始まったのが?終わったのが?」

「……、どっちも」

 痛みの予感に強張った体から、黒髪の大佐は力を抜いた。何度か呼吸を繰り返し、瞬きを繰り返してのしかかる男を見る。睫毛の隙間で濡れて潤んだ目が、刃のように若い男を、映して裂いた。

 男の力、腕力ごときでは太刀打ちできない、鋭さの篭った瞳。

「士官学校時代の遊び相手で……、ヒ……ッ」

「最初の男ってやつですか?」

 凶器のように、潤む瞳を閉ざさせることが出来たのは、男の力自体ではなくて、そこに篭められた嫉妬。生々しく正直な。

「あれがあんたの、最初の相手?」

「そう……、だが……、遊び……。……、ヤメロ……。みんなするもんだろう、あのくらいの歳、では」

「俺より愛してましたか?可愛かった?」

「可愛いような男か、あれが」

 苦笑まじりの言葉に男は指の動きを止める。突き放す口調が男の気持ちを慰めた。

「入学したの、あんた十四でしたっけ?」

「……そうだ」

「狙われたでしょうね、そりゃ」

「男ばかりだからな」

 閉じ込められ、競争を強いられて、抑圧された若いオスたちの集団。士官学校に『弱い』オスはおらず、女子士官候補生たちは軍の面目にかけてがっちりガードされている。オスは喧嘩とオンナのことしか考えない。自然、その牙も爪も、仲間うちの序列を争うことに向いて。

「もしかして、ひどいめにあったり、されたり、しました?」

「一度もなかった」

「……、あいつの相手だったから?」

「そんなところだ」

 今朝、軍中央に帰っていった男は西の出身で、優秀な頭脳と適性を買われて大学入学直後、軍に引き抜かれた。中央の出身ならおそらく、幼年学校に十二で入学し飛び級を繰り返しただろう。人当たりのいい笑顔とは少しも矛盾しない位置で、誰より強壮なオスでもあった。学科実技ともに最優秀の主席。卒業時だけでなく、年度ごとの最優秀者に与えられる恩賜の銀時計を、一度も他に渡したことのない男。

「打算?」

「だけじゃ、なかったが」

「守ってもらう必要なんかなかったでしょ、あんたには」

「相手が敵ならまだいいが、味方の『集団』は厄介だ。分かるだろう?」

「分かりますけどね」

 今もこの人には、味方の中に敵が多い。嫉妬まじりの白眼視。

「いつ終わったの?卒業したから?」

「卒業しても、時々は遊んでいたな。中央勤務だったから、俺も」

「……あいつが結婚したから?」

「いや、その前。俺が国家錬金術師の資格をとって、少佐に任官されてから……、だったと思う」

「東部の戦乱の前ですね、それ。あんたが切り棄てたの、あっちが逃げ出したの」

「あいつが手を伸ばして来なくなった。形からいえばまぁ……、俺が棄てられたことになるか。その後で、あいつ結婚したし」

「別れ話は、あっちから?」

「そういうのはなかったな。自然消滅だった。……指を引け、ハボック。ちゃんと話しただろう」

「キスしてくれたら」

「我儘め」

 言いながらそれでも、目の前にいる相手の頬に手を添えて、軽く唇を重ねる。嬉しそうに目を細め、若い男は暖かな洞に含ませていた指をそっと引き抜く。強張ってしまったらしい脚の、膝を揉みながら敷布に伸ばしてやり、裸の肩の体温を守るように自分も重なった。

「よくやめられましたね、あいつ」

 重なった肌は湿って吸い付くようだ。頬で触れて指で触れているうちに、全身で貪りたくなって、自分のシャツを脱ぎ捨てる。ちらりと裸の大佐は若い男を見たが、アンダーシャツは脱がなかったから大人しく、もう一度抱き締められていた。

「俺ならそんな事では止めないな。……結婚したとしても」

 最後の言葉は、若い男なりの挑発。反応はない。

「佐官任官は、じゃあ、あんたが先だったんですね?」

「そうだ」

「階級で抜かれて、ショックでしなくなったの。案外、繊細なんだ。バカみてぇ。……分かってただろうにさ、そんなことは最初から」

 国の実権を軍が握る以上、あらゆる才能は軍に統制される必要がある。国家錬金術師の称号が象徴するように、科学も医学も、技術開発も。だから、軍人であり技術者である連中は厚遇される。軍医しかり、軍研究所の研究者しかり。国家錬金術師は軍属であり、普段は自信の研究に没頭し戦時のみ徴集され戦地へ赴く。その指揮官は軍人であると同時に錬金術師でなければならない。狼には狼の言葉しか通じないのだから。

 国家錬金術師は貴重な資格だ。そんじょそこらの才能や努力ではとれない。有資格者が厚遇を受けるのは当然で、いつか抜かれることくらい、分かっていただろうに。

「知らなかったから驚いたんだろう」

「あいつが?あんたが錬金術師だって?知らなかった?え?」

「知らせていなかったさ同期生らには。正式な資格を取るまでは。所属部の責任者と、学校では主任教官と学校長だけは知っていたが」

「……、俺も、知ってましたけど」

「ん?」

「ひでぇ人だ、あんた」

 素直な感想に、苦笑を漏らして、黒髪の大佐は起き上がる。

「……、コーヒーが飲みたい」

「はいはい、煎れてきますよ。朝食はどうします?」

「もう少し、してから」

「じゃ、コーヒーはミルク入りで」

「砂糖は抜きでな」

「分かってます」

 物分かりよく答えて若い男は部屋を出て行く。