十年ぶりの再会は、実にあっけなくて。

「よーぉ」

 オンナは少し驚いた顔をした。けれど最初の、ほんの数秒だけで、大して動揺も見せずに声を掛ける。昔と同じように。

「久しぶりだなぁー、元気かぁー?」

 身分の低い側でありながら、馴れ馴れしいと咎めることさえ馬鹿らしくなるような明るい声で。

「……見たとおりだ」

 男の返答は遅れた。きらきらの銀髪と人形のような美貌に、少し見惚れていたから。背丈も覚えていたより伸びて、腰高のスレンダーなスタイルが、薄紫色のパンツスーツによく映える。

「だなぁー。元気そーだなぁー」

 口調も超えも覚えていた通りだった。自分がそれを覚えていたことに男はまず戸惑う。ほんの少し首をかしげて笑う表情に昔の面影が射す。けれど昔よりずいぶんと美しくなったのは、髪が伸びたからか、歳を取って臈たけたからか。

「あのよぉー、跳ね馬のヤローが何処に居るか知んねーかぁ?」

 そう尋ねられ、男は一気に正気に戻る。

「奥に居る。中庭だ」

 これは金髪の跳ね馬の、女。

「サンキュ。っと、ついでに挨拶してくかぁー。滅多に会えねぇからなぁー」

 そう言いながら屈む女の動きにつられて、男は視線を舌へ向ける。そこにはスーツを着せられた十歳くらいの男の子が、カチコチに緊張した様子で背中をピンと伸ばして立っている。

「こえーよなぁ、ランベルト。気持ちすっげーよく分かるぜぇ。ツラも怖けりゃ態度もこえぇニーチャンだよなぁー」

 男の子の緊張を宥めるように抱きしめながら、銀髪の女は優しく微笑む。

「ナンと中身は、もっとこえーんだぜぇ。ボンゴレ九代目の養子だから、名づけ子なオマエの叔父貴とは義兄弟だ。オマエの義理のオジサンになる訳だ」

「……勝手に増やすな」

 ただでさえ多い親類にうんざりしている男は苦い顔。この男がそんな風に、本当のことをしゃべることは大層珍しい。

「いーじゃねーかぁ、ケチんなよぉ。ボンゴレも少子化進んでるしよ、ガキは可愛がっといて損はないぞぉー」

 オンナの言うことは正しい。ボンゴレの九代目は独身で、甥たちは全員が冥土に居る。養子であるこの男も娶った妻との間に子供を得ないまま別居していて、嫡子の生まれる可能性は低い。

「なぁ」

 子供の手を引いて女が男に近づく。

「なんだ」

 ふわ、っと、自分を包み込む空気を、忘れていたけれど確かに知っていた。

「キスして、いいかぁー?」

「……」

 動揺を顔に出さないために男は努力をした。

「好きにしろ」

 素っ気無い口調で、恩恵を施す態度でそう言えたことに、かすかに安堵したのも一瞬。

「てめぇ……」

 正直な感情の色の着いた、ナマのホンネが、口からこぼれてしまう。

「けけけっ」

 オンナは笑った。生意気に、けれどひどく明るく。かすかに屈んでやった男の頬に当たったのはこのオンナの唇ではなく、抱き上げられた子供のものだった。

「いい、って、言ったじゃねーか」

 だまし討ちを自覚しながら開き直る態度は悪びれず、このヤロウと思いつつ男は矛を修める。オンナの腕から地面に下ろされた子供は、悲鳴を上げることさえ忘れて硬直している。

「キャバッローネのガキだな?」

 頬へのキスを許してしまった以上、相手とは繋がりが発生する。

知らないヤツだと言えなくなってしまうから身元を確認しておかなければならず、男は面倒くさそうに尋ねた。

「そーだぁ。かわいーだろぉー?」

 自慢そうにオンナが笑う。フン、と男は鼻先で笑いとばしたが、ソレを可愛くないとは言わなかった。甥だけあって跳ね馬のディーノとよく似ている。明るい金髪に彩られた顔立ちは愛らしく整って、キャバッローネのボスの座だけでなくイタリアン・マフィアきっての二枚目の称号さえ引き継げそうな素質を感じさせる。

「オレのガキになるんだぁ。よろしくなぁー」

「……@?」

「養子縁組、するのが決まったんだぁー」

 子供を愛おしそうに撫でるオンナが、ひどく優しい顔をしてそう言った、瞬間。

「……」

 そうか、と、男は理解した。色々なことが分かった。

 跳ね馬の『家出』の理由、ボンゴレ九代目に認めさせたい養子縁組というのは、跳ね馬自身とではなかったらしい。跡取りに決定済みの甥を愛人の養子にすることで、愛人を次世代の母親という地位を授け、キャバッローネのドン・ナ、女主人の立場に押し上げようという目論見。

 そうしてそれはドン・キャバッローネからボンゴレ九代目への最終告知。まだ若くハンサムな名づけ子を、その妻の座をコミで手駒に保持したがっている九代目の、推薦する女たちは結婚するつもりはないという宣告。

 マフィアの男の妻になるは女はバージンでなければならない、という確固たる信念をボンゴレ九代目は持っている。そんなんだから自分は結婚できなかったんじゃねぇのかと、養子には内心で馬鹿にされているけれど、明らかな過去のある花嫁の場合は同盟マフィアの結婚式に招待されても出席しないほどだ。

権力者の意向に迎合してボンゴレの親族たちはみな、女学校出身で歳若い処女を娶ってきた。養子である男に与えられたのも孝行を卒業したばかりの生娘で、そんな女がこんな男の気性に耐えられるものかという危険は無視された。一年もたたないうちの別居は当然の結果だ。

「……甘やかされて、やがる」

 男の、かなり精一杯の嫌味を。

「ジブンが女房とうまくいってないからって妬くなぁ」

 オンナは実にあっけなく撃破する。自惚れた寝言をほざくなと、男は嫌味の追加をしようかどうか、迷ったけれども長く喋っているとやぶへびになりそうだったから、やめた。

「じゃあなぁ、アバヨ」

 子供と繋いでいない方の手をひらひらとさせてオンナは男のそばから離れていく。

「……」

十年ぶりの、ほんの数分の邂逅。

「……」

 ワケアリの女は何人も居る。三十年近くも男をやっていれば当然の結果。

「……」

 そのうちの一人。ただそれだけのこと。

 自分自身の、気持ちがさざ波だっていくことを、男は拒もうとした。ろくな結果にならないことは最初から分かっているから。

アレは他の男のモノになっているオンナ。しかも相手に熱愛されて、十年かけて正妻に準じる地位を用意されたばかり。ボンゴレ本邸に跳ね馬を迎えに来たというのはそういうことだ。キャバッローネのドン・ナとして認められなければここに足を踏み入れることは出来ない。

今まで、十年、ちらりと姿も見かけなかったのはそういうこと。ボンゴレ本邸は格式に五月蝿くて出入りする人間を厳重に選別する。だからこそ、そこへ愛したオンナを同伴することは金髪の跳ね馬の悲願だった。

 ようやく叶った今になって、惜しかったと思っても無駄だし、義理もたたないのだ、と。

 男は自身に言い聞かせる。愚かなことを考えるな、と。

容姿も好みだった。あんなに美しい女だったかと驚いたくらい。けれど見目より、ハキハキとした口をきいて騙まし討ちしてくれた気性が面白かった。びくびく怯えるばかりの、世間知らずで愚かな『妻』にうんざりした男には、明るさと元気のよさがひどく魅力的に見えた。

けれども、アレは、もう他所のオンナ。

一度は棄てた相手だ。未練なことは考えるな、と。

 

 

 

 

 

 男がせっかく、自身に言い聞かせているのに。

「ランベルト君にキスさせてくれたんだって?」

 実に無邪気な表情で、ボンゴレ十代目がせっかく撫で付けた気持ちを逆なでする。

「やっぱりオマエは男らしいんだね。凄い、偉いとオレ、聞いてそう思ったよ」

「……」

 凄いのはキスをさせてやった直後、それをこのガキに披露して公式認定させやがるあのオンナのしたたかさだと、男は感心したけれど言わないでおいた。

「なんかオレ、色々余計な心配しちゃって、失礼だったかもごめんね。オマエがスクアーロさんにちゃんと親切にしてくれて嬉しいよ。オマエって本当に、男らしくって凛々しいんだね」

「ヤローに褒められても嬉しかないぞ」

「あはは、うん。まぁ、そうだろうけど」

「アレは……」

 跳ね馬と一緒にキャバッローネに帰ったか、と、聞きそうになった自分を男は内心で叱り飛ばす。

「キャバッローネを継ぐのか」

 意思の力で別の質問に振り替えた。

「うん。なんかね、ディーノさんって、四十歳でマフィア引退しちゃうつもりだって。引退したらスクアーロさんと一緒に、外国で暮らすんだって。気候がいい場所に家を買って」

「……」

 ムリに話題をそらしたつもりが、更に嫌な方向に曲がるのは日ごろの行いの悪さだろうか。

「あと十年とちょっとで、その頃にはランベルト君が二十歳になるからちょうどいい、ってさ。ちょうどいいのかなぁ。ディーノさんもけっこう、嫌々なカンジでマフィアやってるもんね」

 自分と同じように、というシンパシィを見せながら、若いボンゴレ十代目は紅茶に口をつける。

「……用件は?」

「もう済んだよ」

 につこり、にこにこ、童顔の悪魔は微笑んだ。

「九代目が折れたからスクアーロさんはこれから、ボンゴレ本部に来ることがあると思う」

 ボンゴレとキャバッローネの位置は近い。というより、経理部門に限れば一翼を担っていると言っても過言ではない。

「パーティーとか会合とかで、ディーノさんの代理も務めると思う。よろしくねって、顔合わせして、オレからオマエによろしくねって、お願いしようと思っていたんだよ」

「……」

「余計なことをしようとして、ごめんね」