砂礫地帯での決戦の前に。
「ヒバリさん、聞いて!」
日本からやって来たボンゴレのボス候補が、やや離れた高台に陣取る雲の守護者に向かって叫ぶ。
「生きて戻れたら結婚しよう。ずっと死ぬまで、一緒に居よう」
「……嫌だよ」
「あなたが死んでオレが生き延びたらオレは坊主になる。出家してあなたに生涯の貞操を誓う!」
情熱は本物。無意識に胸に手を当てて、命限りのギリギリの場面で、愛を信じてくれと叫ぶ若い男は真摯そのものだった。
けれど。
「信じるか、獄寺」
「言われておられる、今は本気だろう、たぶん」
友情と忠誠に満ちた側近たちにもそう言われてしまうほど、若い男は童顔の可愛らしさと裏腹に手癖が悪い。
「ボクが死んでアナタが生き残ったら、ボクの未亡人としてボクの仲間たちを守護し……、ふがっ!」
台詞の途中で石が、というよりも、フットポールくらいある岩が飛んできて、声はそこで中断された。けれど聞いていた雨と嵐の守護者には、そこまでで分かってしまった。
「とうとうヤったのなー、ツナ」
「成功されたみたいだな」
「なぁ、めでたいなぁ。オメデトー」
「今後、ヒバリはマダーマだ。無礼するんじゃねぇぞ、バカモト」
「ラジャなのなー」
能天気な言葉を交し合う蓋はかなりボロボロ。イタリアン・マフィアのボスの座をめぐる継承権争いに巻き込まれ、手ごわい相手と泣きそうになりながら対峙する若者たちには過酷な試練が、既に目の前にある。
「なぁ獄寺。オレらもさぁ」
「黙れや」
「一緒に生きてられたらケッコンしよーぜ」
「するかよ、ばぁか」
「そんな照れなくてもいーじゃん。こんな大事な時にさぁ」
「てめーこそこの局面で寝ぼけてんじやねぇ」
「セックス、しよーな。生きて戻れたら」
「……」
「死にたくないのなー。オマエんことダッコしていっぺん眠りたかったのなー」
「そーゆーことは、ナンでもっと早く言わねぇんだ」
「えへ」
「いいぜ。生きて帰れたら」
「おぉーっ、ケッコンしてくれんのな、ハヤトぉ」
「ばぁか。そっちじゃねぇ。セックスの方の話だ」
「えー。セックスってケッコンした後のことじゃん。オレはバージンを婚前にヤっちまうほど、悪党じゃないのなー」
「オマエ、十代目のことを侮辱するつもりか?」
「侮辱じゃねーけど、ツナってすげぇよな、やるときゃやるよなぁって、感心してるぜ」
「山本武、聞こえているよ」
「オレだって悪党じゃないよ!」
「それ、文脈からすると、ボクがバージンじゃなかったって言っていることになるんだけど?」
「すみません、ごめんなさい。オレは極悪人です」
戦いの勝利者は敗者が持っていたモノを得て、敗者の身柄を好きにする権利が与えられる。
「……それが、ナニ」
スーツを着込んで尋ねてきた実父に、ボンゴレ十代目に内定した日本人の少年は冷たく答えた。内心で、実は動揺していないでもなく、可哀想にと思わないでもなかったけれど、嫌いな父親に対する反感で、敢えて冷淡に。
「だから処罰を軽くしろって言いに来たの、父さん?」
物言いはキツイ。この父親のことを本当に嫌いだ。自分と母親を見捨てたも同然、家には滅多に帰ってこなかったくせに父親ぶるのは大げさで、親しみより遥かに反感が強い。マフィアの継承戦に巻き込まれた今となっては尚更。
「そうじゃない、ツナ」
年の若い息子はノーネクタイのシャツにチノパンという姿でソファに座っている。スーツを着た父親は息子の前に立ち、息子の背後にはずらりと未来のボンゴレ十代目の若い守護者たちが居並んでいる。最初は獄寺が椅子を勧めようとしたが、父親と長い話をする気の無い沢田綱吉がそれを止めた。
ファミリーの継承権を得たというのはこういうこと。その権威の前では親という尊属でさえ膝を折らなければならない。
「そうとしか聞こえないんだけど」
「ただ、アイツにも事情というか、動機はあったんだ。むやみに凶暴に、こんな戦争を引き起こした訳じゃない」
「だとしても、あんなお年寄りにあんな酷いことをするヤツに同情の余地はないよ」
「そう?」
二人の会話に別の声が混じる。守護者たちの更に背後、衝立の向こう側に置かれた長椅子から。
「恋人の為なんてロマンチックじゃない」
通りのいい澄んだ、響きの深い声。居たのかと、沢田家光は襟元のネクタイに手を掛け居ずまいを正した。獄寺隼人が家光にかすかに会釈してから部屋の奥へ行き、用意されている茶器で梅昆布茶を煎れる。有田焼の染付けが美しい茶碗を茶托に載せて長椅子の奥に運ぶ。
「ありがとう」
起き上がる気配。とすると、今まで、眠っていたらしい。ふーっと湯気を吹いてこくこく、暖かなお茶を飲み干す。未来のボンゴレ十代目は起きた女が気になる。チラチラと振り向き衝立の向こう側の気配を伺う。
「怪我の具合は、どうなんだ?」
沢田家光は豪快だが無神経ではなかった。特に女の子に大しては優しく、その質問も本人ではなく息子に対して、小さな声でだった。けれど息子はギロリと父親を睨む。そんなことを話題に出す無礼を心の底から憤って。
「もうだいぶいいよ。ごはんが食べられるようになって嬉しい」
けれど衝立の向こうから返事が直接、沢田家光に与えられた。声を聞いてガマン出来なくなった未来のボンゴレ十代目は立ち上がり衝立の向こうへ消える。入れ替わりに獄寺が戻ってきて、それから。
「……」
「……、で……、じゃない……」
「……、だって……」
「ボクがキミの子供と一緒にキミの父上に……」
「やめて……、想像したくない……」
「キミは仇をとってくれないの?」
「この世で一番、酷いやり口で殺してやる。誓うよ」
「……、ふふ……」
女のからかうような声に、若い男は熱心に答える。あーあ、という表情で左右の側近は顔を見合わせたが止めようとはしなかった。例え話とはいえ殺すと言われた沢田家光も、不快そうな表情ひとつ見せずに神妙に聞いている。
それには、それだけの訳があった。
たぶんキスをしているのだろう短くはない沈黙の後で。
「ごはんを食べたいな」
女の声が食事を強請る。
「うん。いいよ。何がいい?なんだって食べさせてあげる」
「おいしいもの」
「うん、分かった。美味しいもの食べに行こう」
「あの強面のハンサムも一緒に」
「……」
「ダメなの?」
「……理由を、聞こうか」
この状況で思いつく強面のハンサムといえば一人しか居ない。数日前までボンゴレ十代目の座を巡って対立していた組織のボス、ヴァリアーのザンザス。それはこのオンナに怪我をさせた張本人。そのことに腹を立てている以上に、女がその男のことをハンサムと形容したことに、嫉妬深い若い男は顔色を青白くした。
「グラスにワインを注がせながら」
「オレが幾らでも注いでやる」
「話を聞きたいから」
「オレがなんの話でもしてやる」
「引き裂かれた恋人同士の悲恋のお話を聞きたい。キミ、そんな話があるの?ボクの知らない誰かと?」
「……」
なんとも答えようが無くて沢田綱吉は口を閉じた。
「ねぇ、キミが勝てたのは、ボクの手柄もあるよね?」
「八割がたオマエの功績だ、ヒバリ」
「じゃあボクにも報復の権利を少し分けてくれたっていいんじゃない?」
「欲しいなら全部やる。ただし死体にした後で」
「ネクロフェリアの趣味は無いよ」
「生きてる男はオレだけでガマンしろ」
「うん。キミのことがこの世で一番すき」
「……」
その告白に沢田綱吉が黙る。黙って、ため息をついて、そして。
姿を見せないままで呼びかけた。父さん、と。
「なんだ、息子よ」
父親の声が嬉々としているのが気に障ったけれど。
「食事をしたい。ザンザスと」
「分かった。会食の席を用意しよう」
謹慎中の罪人と、その処遇を委ねられた勝者の食卓を用意するために沢田家光は足早に部屋を出て行った。