ボンゴレの御曹司という立場は権威が高い。故に、礼儀を守られることが多く、生々しい感情に接する機会は少ない。
「なにをイマサラ、そう悲しんでいるのよ。フッたら泣くのなんか分かっていたことじゃない。アンタだって分かっていてやったんでしょう?」
が、側近たちは御曹司の前で遠慮の無い『私語』をする。それが自分の社会勉強になっていることを御曹司は自覚して、オカマと側近の会話を注意深く聞く。
「なかったことにしたかった、だけだぁー」
復活祭のパーティーが終わった夜半。宴会場では飲み喰い出来ない側近たちと集まっての夜食は内輪の慰労会を兼ねている。そこでルッスーリアにワインを注がれながら、銀色の鮫はらしくなくいつまでもメソメソと、開場での自身の振る舞いを嘆く。
「あんなツラ、させるつもりじゃなかったんだよぉー」
パーティー会場には金髪のドン・キャバッローネも来ていた。ボンゴレ本低には久々の登場だった。暫くの出入り禁止の理由はボンゴレ九代目の不興を買ったから。布教の理由は、自身の所有する別荘で死んだエンリコの死の真相を、率直に言えば殺した犯人を、捕らえることが出来なかったから。
「そうねぇ。確かに、可哀想だったわねぇ」
ドン・キャバッローネはキメたスーツ姿で、まずは九代目に挨拶に向かった。いつもより淡白な言葉をかけられ、寵愛の薄れたことを周囲に悟られて面目を失した。けれど本人はそう落ち込んだ様子もなく、お供に持たせていた真っ赤な花束を手にして広間を横切り、別のコーナーに明日を置いて側近たちを侍らせて腰掛けている御曹司のもとへ向かった。
そちらにも尋常な挨拶。いつものように頷かれ、義理を果たした後は本気の微笑を漏らして、御曹司の横に立つ銀色の鮫に手にした花束を差し出す。花束の次には指輪を用意していた。けれど。
「いつもと、同じ、コトしただけなのによぉ」
銀色は右腕を伸ばした。花束を受け取る為ではなく距離を取るため。自分に近づかせない為に。身長は劣るが腕のリーチはほぼ同じ。その手に何も持っていない分、銀色の鮫が有利。
近づくな、と。
銀色は言った。はっきり明瞭に。いつもの言葉だった。けれど言われた男の反応は違っていた。
ばさり、と。
一抱えに誓い花束が床に落ちる。芝居がかった演出だったが、派手な容姿のハンサムにはよく似合った。呆然とした様子の男は唇を震わせて、本当に悲しそうに銀色を見た。突き出された手の意味を菌の跳ね馬は理解した。理解して、泣き出しそうな顔をして、そして。
ごめん、と。
細い声で呟く。そんな小さな声をこの男が出したのは初めて。いつもは断られても罵られても柳に風と受け流し、執念深く口説き続けていたのに。
「なんであんなに、痛いカオすんだよぉー。オレは、ただ、アイツに恋人ヅラされんのが嫌で、それだけだったのによぉ」
立っているのもやっと、という様子で、落とした花束を拾って離れていく跳ね馬の背中は肩が落ちていた。あんなに熱心に、率直に言えばしつこく、口説き続けていた懲りない男とは別人のように見えた。フラフラ、そのまま、パーティー会場から退室したらしい。久しぶりにやって来た男と話をしようと、系列ファミリーのドンたちやボンゴレの幹部たちが列を成していたというのに。
「ルッスー、どーしよー。オレどーしたらいいんだぁ?今から電話かけて謝ればちったぁマシかぁ?」
「それはおよしなさい。どうせお付き合いしてあげるつもりはないんでしょう?ノーをキープにするのは揉め事のもとよ。どんなに可愛くても可哀想でも、それはしちやいけないの。
「だよなぁ。そりゃあ、分かってっけどよぉー」
そんな会話を御曹司は聞いていた。一言も聞き漏らすまいと意識を研ぎ澄まして。社会勉強のつもりで。
「スクアーロ。あなた、跳ね馬のこと恨んでないの?」
オカマがワインを注ぎながらそんなことを尋ねる。ねぇよと銀色は即答し、白い喉を見せながらグラスを呷った。ピッチが早い。既に寄っているのかもしれない。
「ないぜぇ。ってーか、フツーねぇだろぉ?」
「あるわよ。だって引き換えに寝たんでしょ?」
「寝たけどよぉ、寝るのと引き換えに頼んだのはオレの方からだぁ。アイツは約束、ちゃんと守ってくれたぜぇ。それに関しちゃ感謝してんだぁ。ちゃんと……、なのによぉ……」
あんなに傷つけてしまった。そんなつもりはなかったのにと、銀色が泣き出しそうに胸を喘がせる。
「でももう終わったからよぉ、なかったことに、したかっただけだぁ……」
ベタベタされるのが嫌だったから距離を取り近づくなと告げた。いつもと同じ態度をとっただけ。なのに跳ね馬はいつものように、つれないせとか冷たいぜとか、騒ぐこともなく素直に退いた。銀色の鮫の前から消えた。
「未練があるの?」
「傷つけるつもりじゃなかったんだよ」
「悪いことをしたわねぇアンタ。跳ね馬が自分に惚れているのを承知で手玉にとって」
「頼みを聞いてもらっただけだぁ」
「でも仕方ないわ。お飲みなさい。飲んで忘れなさい」
「……おぅ」
注がれるがまま、グラスを飲み干す銀色は本当にピッチが早い。こいつ明日は二日酔いで役立たずだな、と、御曹司は眺めながら思った。
「なぁ、ルッス」
「なぁに、スクちゃん」
「オレぁ跳ね馬、キライじゃねーんだぁ。ってーか、どっちかってーと、お気に入りなんだぁ、昔っからぁ、あのツラは……」
「そうね。きっと跳ね馬も、それは承知だったと思うわよ」
でなければこの怖い銀色に、うざがられても嫌がられても近づき愛を乞う度胸はなかっただろう。
「なんか……。ひでぇことしたなぁ……」
「仕方ないわよ。飲んで忘れなさい」
「……うん」
二人の会話は私語。自分が口を出す筋合いではない。御曹司はちゃんと分かっていた。分かっていたけれど、でも。
「バカだな、てめぇら」
思わず本音を呟いてしまう。なんでこう、こいつらは愚かなのだろう。なかったことに、出来ると正気で思っていたのなら本当に救いようの無い愚かさ。
匿われていた数日間、男に愛されていた銀色の鮫はひどく美しく、そして可愛らしかった。アレを済んだから忘れろとオスに要求するのは無謀だ。なかったことに、なんて出来るわけが無い。正気でそんなことを考えているのなら、この『オンナ』たちは本当にバカだ。
「うるせぇ、オマエがどうこう言える立場かよぉ!」
銀色が喚く。酔っているらしく大きな声で。ルッスーリアはそれを止めない。
「だいたいなぁ、オレはドジ踏んでねぇぞ!逃げ遅れたのはオマエがエンリコの死体弄ってなかなか離れねぇからだぁー!」
「……」
それは事実だったから御曹司は否定しないでおいた。大嫌いな従兄弟が息の根を止めて動かない死体になったのが嬉しくて面白くて、死体を熱心に弄った。
「オマエのせぇだし、オマエのタメだったんだせぇ。オマエにバージンやったよーなもんだ。ちったぁ感謝しやがれぇー!」
銀色が喚くのに。
「している」
御曹司はひどくあっさりと答える。
「あ?」
「もらっておいてやる」
「……あ?」
思いがけない言葉をかけられて酔いも忘れた様子の銀色は、長い睫毛を何度も瞬かせる。
「ヤワい金髪とは貸し借りなしだ。オレが貰っておいてやる。忘れろ」
「お……、おぉ」
「飲みすぎないで、眠れ」
それだけ言って御曹司は席を立つ。側近に珍しく労わりの言葉をかけて。寝室まではルッスーリアがお供をした。銀色は酔っていて、護衛をさせるのが少し心もとなかった。
「ザン、ザス」
出て行く背中に、銀色が声をかける。
「……」
なんだと御曹司は問い返さなかったが振り向き視線を投げてやる。
「あの、よぉ。……さっきの、ウソだぁ」
「……」
「オマエがあんなの、恩に着なくっていいぞぉ。オレが勝手にやったことだからよぉ」
「……」
「オレはオマエの守護者だぁ。オマエの為に全力を尽くすのはあたりまぇ、なんだぁ」
そこまではすらすら、喋っていた銀色だったけれど。
「守護者だからあんな真似までしたのか」
御曹司の反問には口を噤み俯いてしまう。問いの内容ではなく口調が銀色を黙らせる。悔しさと馬鹿馬鹿しさと、ほんの少しの悲しみが滲んでいた。