政略結婚・9
真冬の季節には珍しい晴天で、風も弱くて、日向は暖かい。
牧場に隣接して建てられた、時に国外からの来賓を招いてのパーティーも行われるコテージの南側には、三面をガラス張りにしたサンルームが造られている。その中は火の気がなくともコートが要らないどころか、シャツの袖を捲り上げるほど暖かだった。
「言うだけあるね。下手な騎手より上手いよ」
牧場の持ち主は侍従が運んで来たアイスティーを一口啜って、味と香りに異常がないことをを確かめてから兄の前に据えた。
「おねーさん力強い。腕がだるくなっちゃったわ」
王弟妃殿下が右手首を振る。
「ウィンリィが、腕相撲で勝ったら馬を譲るなんて言い出すからだよ。ほら」
ごく自然な動作で王弟は妻の手をとり、筋肉をほぐすようにきゅっ、きゅっと肘から先を揉んでやる。妃殿下はくすぐったさに肩を竦めながらも、手を振り解こうとはしなかった。
「だって乗馬って力が要るのよ。運動神経も相当。落馬して骨でも折られたら大騒ぎじゃない。薬殺処分、なんてことになったら馬も可哀想だし」
「あの人はねぇ、むかし一対一で、グリードに勝った人だよ。いろいろあってちょっと弱ってたけど、最近は食べて眠って、復活して来たかな」
「グリードって、前王の庶子の?」
「そう。皇太子位の簒奪を企てて反逆罪で処刑された、あいつ。もう除籍されてるから庶子でもないけどね。僕らに斬りかかって来たのを、あの人があっさり右手を斬りおとした。あれ見事だったよ。ねぇ兄さん?」
「……あぁ」
年末も押し詰まって、行政機関は既に休んでいる。新年の国事の日程は年明け二日からで、それまでは多忙な国王にとって、年に幾度もないまとまった休日。お忍びで弟の牧場へ遊びに来た若い王様はさっきから、ガラスごしに見える景色に夢中で心ここにあらず、だ。鹿毛の牝馬に跨って放牧地の中を駆け足で走り回る女の姿ばかり目で追っている。
「そんなことあったの。つまり命の恩人、って訳ね」
「どうだろう。そんな窮地に追い込まれたのがそもそも、あの人の権力闘争の挙句だったからね。腹違いの連中を一掃してくれたことには感謝してるけど。ねぇ兄さん?」
「……そうだな」
「ふぅん。あたしが知らないことたくさんあるのね」
「知りたいなら話してあげるよ。もうウィンリィ僕の奥さんだから、喋っても構わないだろうし」
「あんたたちって、ろくでなし兄弟に見えるけど」
「失礼だなぁ、僕らの何処が。こんなに優秀で勤勉で国家に尽してるのに」
「けっこう苦労してんのよねぇ」
「それはウィンリィもでしょ」
女の子に対しては時々女言葉を使って優しく喋る、王弟殿下のオンナたらしの性質は妻に向かっても遺憾なく発揮された。奥方をはじめとする女たちは彼にぞっこんで、おかげで愛人を数人抱えている品行の悪さでも尚、それが醜聞にまでは発展していない。
「どうも、あれだね。馬場だけじゃ狭そうだね」
外を見ていた王弟が自分の鞭を手にして立ち上がった。
「遠乗りのお供してくるよ。渓谷まで往復一時間くらい。いいでしょ、兄さん?」
「俺も行く」
立ち上がりかけた国王を、
「あんたの腕で山道を乗るのは物騒よ、エド」
従姉妹で幼なじみ、今は義妹の王弟妃殿下が止めた。
「車でついてきゃいいだろ」
「冗談、馬が怖がるわ。それにあたし、あんたに話があるの」
「なんだよ……、怖いな」
「いってきまーす」
気合いの入った妻とやや腰のひけた兄を残して、王弟殿下はブーツのジッパーを上げて馬場へ出て行った。
手綱を木の枝に結び付けられた二頭の馬は、仲良く並んで、互いの毛並みを舐めあい手入れしていた。
「……、悪いオトコだね、キミは」
その二頭の馬に、乗ってきた二人も。
「寒くない?大丈夫?」
「あんなに可愛らしい奥方が居るのに」
「膝の上にのりなよ。ほら」
「こんなことを、して。……、ん……」
常緑樹の多く生えた渓谷は自然の姿を残しつつ、人の手によって手入れされている。下生えは切り取られ明るく、枯れて乾いた落ち葉が積もった柔らかな地面にそっと、王弟殿下は嫂を下ろして横たわらせた。
車では入って来れない馬道から、さらに入った大木の根元。人目も風も遮られて、大人しく抱き合っている分には寒さは感じないが、さすがに。
「服は脱げないね。今日はキスだけだね」
「十分な裏切りだろう、それでも」
喋っている女の唇に柔らかく男のそれが重ねられ、手袋を外した指が黒髪に絡む。愛しそうな抱擁と、そっと触れてくる指先の感触に、女はくちづけを受けながら目を細めた。
「悪い男ってスキでしょ?」
キスの途中でくすくす、笑いながら男が尋ねてくる。返事をせずに女は目を閉じた。男の掌が服の上から肌を撫でていく、刺激に神経が集中して。
「女の人はさ、悪い男を好きだよ。男は悪いことを好きだから、お互い様だね」
「……、都合のいい理屈だ……」
「いま大人しくしてる時点であなたも立派な共犯者なのに」
その言葉には異議を申し立てず、女は細く溜息をつきながら体の力を抜いて、目の前の肩に頭を預ける。
「ちょっとはセックス、楽しめるようになった?」
キスを繰り返しながらの問いかける、声は案外と真面目で。
「心配なんだよ僕は。こんなにいい女がエッチするの嫌いなんて、物凄い損失だからね」
「君が心配してるのは……、ん……、おにいちゃんを、だろ、う」
「そう。僕はあなたが兄さんを歓ばせてくれないのが不満だった。でもわざとじゃないって分かって考え直したんだ。自分がまず気持ちよくないと、相手どころじゃないだろうから、ね」
ちゅーっと、わざと音をたててキスを繰り返しながら、男の掌は胴衣の前を開けて。
「……、ちょ……、やめ……」
「感度はあがったね。兄さんに可愛がってもらってるね」
「……ん」
「僕とこうやってることで兄さんを裏切ってるつもり?」
「……、だろう……は、っきり……」
「あんなにあなたのこと愛してる男を裏切って楽しいの?あなたの気持ちの何処がどう歪んでるのか、僕は見当がつかないよ」
ちゅ、っと、今度は目蓋に優しいキスを落す。
「まぁいいさ。そっちを解くのは兄さんの役目だ。僕はあなたのカラダだけ柔らかく出来ればいい。愛してるわけじゃないからね。……なに笑ってるの?」
「わざわざ、言う、のは……」
「自分に言い聞かせてるみたいだった?言うようになったね、あなたも」
抱き締める位置を変えて、女に重みがかからない姿勢で全身を重ねる。額に唇を寄せて。
「でも大丈夫。心配しなくていい」
「……、なに、が?」
「あなたはちゃんと、兄さんを愛せるよ」
「……、はは……っ」
「愛されすぎててあなたには分からないだけだ。兄さんはこの世で一番、怖い悪党だよ。僕や、あなたの眼鏡の幼なじみよりも。あなた自身とはいい勝負かもね」
「……」
空を、雲雀が鳴いて飛んでいった。
「寒くない?」
「……大丈夫……」
「何処が、イタイ?」
「……わからない」
静かに深い、くちづけを交わして。
「嘘つき」