S・Sex・Two
最初は失神だった。そのまま眠りに落ちたのは、かなり限界だったから。心身ともに疲れ果てて、逃げ込む安息を捜していた。
なのに夜半、目覚めてしまったのは隣で気配がしたからだ。睡眠中の来訪者は珍しいことではなく、拒めないなら記憶にも残したくなくて睡眠薬を服用したこともあった。朝、自分の身体に違和感があるのは嫌なものだったが、夜中、喘がされるよりはマシで。
夜中の目覚めにはいい連想がない。だから咄嗟に、眠ったフリを続けた。なのに気配は敏感にそれに気付いて。
「……ごめんなさい」
ごくごく、小さな声を出す。あんまり小さくて気弱で似合わなかったから、眠ったフリを忘れて、少しだけ笑った。
暗闇なのにそれにも気付いたのか、気配は戸惑いつつも救われたように、そっと起き上がった。床に膝をついて高い寝台のシーツに頬を当ててまるで『ベッドは上がってはいけません』と躾けられた飼い犬が主人の起床を待つような姿勢でじっと、闇の中に居た。
立ち上がり、ベッドに腰掛けて、そこに横たわる背中に毛布ごしに触れた。
「ごめんなさい」
同じ言葉を繰り返す。
「ごめ……、ん……」
耐え切れず、夕景から宵の口まで食事もさせず、裸にして苛んだ相手に向かって、繰り返される謝罪。何度目かに、掠れた声の返事があった。いいよ、と。
「……わたしにきみを咎める権利はない。自分もしたんだから」
その口調は昔どおりで、でも声は昔より優しい。掌を押し当てた背中も記憶より細くて肩も薄く、カラダ全体が一回り以上、違う気がする。
「錯覚だよ。きみが大きくなっただけだ」
嘘つきな唇は昔どおりだった。
「おいで」
だるそうな身体をずらしてベッドの片方に寄り、隙間を作ってくれる。身動きに気配が匂いたって、咄嗟に。
「……ッ、や……」
本当に、それは咄嗟の反応。脳からの信号を待たずに脊椎反射で、身体が勝手に動いてしまう。
「もぅ、イタ……、ヤメ……」
抵抗できない相手の手首を掴んでシーツに、縫いつけて。
「イタイ、んだ。……頼むか……、ヤ……ッ」
毛布を剥ぐ。剥ぐと下には、裸の白がある。
この白を、俺がどれだけ恋しく思ってきたか。
「……」
手首を離して膝に手をかけると、細く息が漏れて掌で顔を覆う。こういう仕草も、昔どおりだね。
「……、ム、ゴム……、つか……」
カーテンを閉める知恵もなく抱いた、夕闇の中でも繰り返された言葉。膝から指を滑らせて、狭間の茂みにそっと触れた俺に。
「エドワード、頼む……。衛生具、つかって……」
くれ、って。
あんたが泣くのに、既視感があって。
「覚えてる?」
懐かしくって、切ない気分になる。
「前の最初ン時もあんた、そういう声で泣いたよ」
何も知らない俺が無茶しようとして、濡らさせてくれってこの人が泣いた。泣かれると俺は弱い。
「……しないよ」
あんたが嫌ならもうしない。あんたと最初からやり直す誓いはダメになって、俺はやっぱり、ろくなオトナにはなりなかった。
でもあんたのこと好きだよ。
ダイスキ。愛してる。
「俺さぁ、オンナの人のココって、分かんないんだ」
男にも詳しい訳じゃなく、知っているのは自分とこの人のだけだ。俺はそういう方面には、初心いっていうより、情熱がない。マトモな恋愛や性交や結婚に興味をもてないのは、
「……あんたのせいじゃないよ」
俺は両親に棄てられた子供だった。父親は論外、結局はかぁさんも、子供より自分の意地をとった。夫が残していった金を使わずに、ムリを繰り返して過労死。それき悲惨な悲劇だけど、要するに復讐。帰ってこない『男』に、『女』の意地を張っただけ。
その後で生きていかなきゃならないガキのことなんて、彼女は考えちゃいなかったのさ。
かぁさんに死なれた時は分からなかったことが色々、自分がセックスするようになると分かってきて、俺って女運ないみたいだけど、根源がアレじゃ仕方ないのかな、なんて。
思ってみたりしてね。
だから俺が歪んでるのは、なにもあんたのせいじゃない。
意地が強くて嘘つきの、頑ななオンナにばっか当たるのは、たぶん、俺が自分で選んでるんだから。
仕方ないんだよ。
「……でさ、話もどすけど、ホントに俺、分かんないんだけど」
白い腿を開かせると狭間に、庇護するみたいに草叢が現れる。髪の色と同じで黒い。やさしく毛並みを撫で付けると、唇と同じに赤い、花びらが見える。
さっきまでムリに何度も開かせて、花弁の奥に繋がった蜜壷から甘い快楽を吸い上げた、そこ。
形は菖蒲の花に似てる。ような気がする。よく分かんないけど。
色はきれいな、透明感のある朱色で、ちょっと擦れて腫れて、鮮やかに充血してるトコは、ディープキスした後の唇にそっくり。
「……、よせ……ッ」
「動くな」
花弁を広げて奥を見ようとした動きに逆らわれて、思わず低い声が出た。今はまだ、辛うじて殴ってない。しつこく抵抗されたけど、それがあんまり非力だったから、かえって怖くて、押さえつけて疲れて動けなくなるのを待った。
ひくひく、しながら、それでも俺の言うことをきいて、大人しくしてるあんたを俺は物凄く憎んでて、食っちまいたいくらい大好きだよ。
「見たカンジ、きれいだけど」
水泡や発疹は見当たらなくて、傷跡や爛れもない。
「ナンのキャリアーなのさ」
そう言って泣いて、ゴムを使ってくれって、俺に縋りついた。
そのちょっと前までは、俺から逃げようとしてたくせに。
最後はいつも、俺のために、だね。
あんたのそーゆートコ、大好きで大嫌い。
「朝になったら、専門医ダース単位で呼ぶぜ。白衣の連中に弄りまわされたくなきゃ今、自分で言えよ」
「ヘルペス」
「は……、ナンだ……」
思わず笑い出す。いや、笑い事じゃないんたろうけど、でも。
「心配させんなよ」
狭間から手を離して、開かせてた膝を戻してやる。毛布にもう一度包んでから抱き締めた。
心配、したんだよ。本当に。
アレとかアレとかだったら、あんた若いから進行が早いだろうし、どうしよう、って。
そんなのよくある感染症じゃん。皮膚病ってった方がいいよーな。性器の方は知らないけど田舎じゃ本当によく、唇の周りに湿疹つけてるガキが居たもんだぜ。俺はどーだったかな、覚えてないけどさ。
いっそ今、キスしてあんたから貰っちまおーか。これからずーっと感染に気ぃつけるより、俺が抗体、作っちまった方が早いし。
発症時のキス、セックス、オーラル・セックス、なんかを一生避けるより、俺もなっちまや早い。どんなに用心してたってどうせ移るよ。あんたはずっと、これから、俺のそばに居るんだから。
「……とんでもないことを言うね、君は」
あ、なに。
ナンでそんなに、真面目に咎める声なんか出しちゃうの?
「君の奥方は妊娠中だろう」
……あぁ。
……、まぁ、ナンか、そんな話、みたい。
「初感染の女性は重症になりやすい。……そもそも、どうして」
言わないで。
聞きたくなかったから唇を塞いだ。左の掌でそっと。言葉を奪われた人が代わりみたいに、涙を滲ませる。悲しいのかな、それとも口惜しいの?ごめん。
あんたが泣いてると辛いよ。
「ごめんね、生きてて」
ごめん。俺は一つも、思いどおりの大人にはなれなかった。
「ごめん」
まるであんたを痛めつけるために帰って来たようなもの。
「……ごめん、なさい」
でも、もうあんたしか居ないんだよ。俺を抱きしめてくれる人は。
それから暫く二人ともじっとしてて、そして。
眠ったのかなって、俺が掌を唇から外したら。
「嬉しいよ」
小さな、声。
「君が望みを叶えて、ちゃんと大人になってくれて嬉しい」
「……手足のこと言ってんの?」
「あぁ」
「これは、違うよ」
それだけ言った。続きは言えなかった。
「……おやすみなさい」
そんな言葉で俺はずるく会話を中断し、別の毛布にくるまって、薄くなった肩に額を当てて目を閉じる。
何一つ、時間の中で、俺は思い通りにはなれなかったけど、でも。
望みは叶えたよ。
またあんたに会えた。