T・Sex・One
無口な奴じゃなかった。でも俺にはあんまり、理屈は言わなかった。俺がべらべら喋って、それをアイツは愉しそうに聞いてる、そういう事が、多かったかもしれない。俺はあいつの前で喋るのが愉しかった。あいつは愉しそうに見えた。少なくとも、顔は笑ってた。心の中は知らない。
喋ってるときは大抵、二人とも裸でベッドの中で、セックスの途中で、大抵は朝まで、食ったり飲んだり抱き合ったり喋ったり、しながら過ごしてた。男同士の気楽さと、学生時代からの長さに俺は、甘えていたかもしれない。
俺はあいつと会うのがとても楽しみだった。ストレスも嫌なことも、何もかも忘れられた。ガキみたいに笑って、ナンにも隠さずに愛して、前戯も後戯もキスもペッティングも、俺がやりたいだけやって、やってられないときはスッとばした。あいつは一度もヤレのやり方に文句は言わなかった。不満があったのかなかったのかは、分からない。何も言われたことがなかったから。
こてんとあいつは、俺の腕の中で眠った。何年たっても寝顔がいいカンジで、俺は好きだった。静かに大人しく、俺に抱かれて眠ってた。そういえば静かすぎた。本当は眠ったふりをして、俺が寝付くのを待ってたのかもしれない。今となってはもう、何もかも分からない。
会えばいろんなことを話した。俺の縁談のことも、俺は最初から正直に話してた。あいつは大人しく聞いていた。上司の娘、紹介されてデートを重ね、互いの家族に引き合わせて、適当な期間を置いて、俺が彼女に求婚したのは、最初からの筋書き。俺は拒まなかった。そういうものだと、思っていたからだ。俺の父親も似たような結婚をして俺を作った。軍事国家のこの国で、高級軍人は貴族の別名でもある。政略とまではいかないが、閨閥に連なる結婚を、適齢で、自分がしなきゃならないのは分かっていた。
あいつも、
分かってくれてると、思ってた。
何度も繰り返したと思う。言い聞かせるみたいに。結婚とあいつとは別のこと。たいていの男はそんな風に生きてる。結婚は条件、俺とあいつとは、そうじゃなく、もっと。……もっと。
俺は甘えていたのかもしれない。結婚式の前夜も、あいつと一緒に寝てた。俺の式に出席するためにあいつは中央へやって来て、あいつが来た夜はいつも、あいつのとった部屋に泊まるのが俺の習慣だったから。そういえばホテルの部屋をノックしたとき、少し驚いて、ほんの少し、少しだけ、あいつは眉を寄せたかもしれない。でも結局は入れてくれた。あいつの部屋にも、ベッドにも、身体の内側の柔らかな場所にも。
久しぶりに抱き合う、馴れた肌はいつもより美味かった。何度も貪ってしゃぶりついた。俺はあの時、随分久しぶりだった。セックスしてる女はあいつのほかにも居たが、さすがに結婚前で一応全部、整理していたし、婚約者に対する気兼ねで商売女には手を伸ばさず、それでいて彼女の純潔は尊重していたから。一度、機会があって体に触れたけど、バージンロードは今のまま歩きたい、なんて言われて、苦笑して手を引いた。まぁどうせ結婚したら、繰り返し抱く女なんだから、と。
婚約者を俺は嫌いじゃなかった。美人で気立てが良くて、けっこう面白かった。そういう感想もそういえば、あいつには全部、喋って、聞かせていた。俺はあいつに話しをするのが好きだった。
今、思えば、それは。
自分の事を、知らせたい、っていうのは、多分。
愛情だった。俺はあいつを愛していた。自覚がないくらい自然に。あいつにも愛されていたと思う。証拠に夜中、目がさめた。
なんだか息苦しくて、目覚めた。
覆い被さる、ような影が、暗い部屋の中、朧に。
視界に映った。ほんの一瞬だけ。
影が遠ざかって、急に呼吸が楽になった。なんだなんだ、と思いながら、もう一度、眠った。起きた時には、あいつは居なかった。そんなことは一度もなかったから、不審には思った。
けどいつまでも考えちゃ居られなかった。結婚式で新郎は新婦の添え物だが、添え物がなきゃ花束は映えない。俺は支度して部屋を出た。ざっとシャワーを浴びて。そういやなんだか、喉が痛かった。
とにかくタクシーで式場に行き、白のタキシードに着替えた。式場で、新郎と新婦は最初のうち、わざとらしく引き離される。花嫁には介添えが何人もついてたが、俺はさっさと、一人で着替えた。十五からの士官学校軍人育ちのせいで俺には、何もかも一人でやっちまう癖がついてる。
気がついたのは、白の蝶ネクタイを、締めた時。
よくよく見なきゃ、分からない薄さだったが、確かに。
痛くて当たり前だった、喉。
うす赤く、指の、跡が。
誰にも見つからないように、蝶ネクタイをきつめに締めて、そして、夕べの事を思い出す。影が離れたときに呼吸が楽になった、あれは、つまり。
結婚式は式次第にのっとって進み、花嫁衣裳を着た妻と対面させられて、俺はお約束どおり、驚いて目を細め、照れながら腕を差し出した。お約束だったが演技じゃなかった。俺の妻は美人で、白いウェディング・ドレスを着てると、清楚な美貌はいっそう引き立って見えた。どうせ一生付き合っていくなら、うまくやっていけそうな女がいい。そういう意味で俺の結婚相手は、まぁ、かなりの当たりだった。
あいつはきちんと、式に参列した。神父に愛を誓って、教会の中庭で披露宴。立食式だったから客たちのテーブルの間を、俺と花嫁は順番に廻った。ひととおりの挨拶を終えた後で、花嫁は学生時代の友人たちの輪に呑まれ、それで俺は、やっと自由になって。
真っ直ぐに向かった。物陰でひっそり、一人でピンク・シャンパンを飲んでたあいつの所に。よぉ、と声をかけると、俺を見て笑った。淡くて薄い、今にも破けそうな笑顔で。
俺は何を言っただろう。よく覚えてない。多分、やっていられないぜ、みたいな愚痴をこぼしたと思う。結婚式のこういう騒ぎを、俺は嫌いだった。俺の自由に出来る結婚なら入籍だけで済ませたかったんだが、まさか、そんなことは赦される筈もなく。
朝から、まるでパンダみたいに見れてうんざりだ、とか、そういうことを愚痴ってる、俺の言葉を、あいつは黙って聞いていた。そうして、中に和の柱の壁に、飾られた花瓶に手を伸ばして。
『おめでとう』
そういえば。
何度も結婚の、話はしていたが。
あいつの口から祝福の言葉を、聞いたのはそれが初めてで。
『奥方と、仲よくな』
あいつが俺に、そんな風な、聞きようによっては差し出がましい言葉を、告げたのも。
『……白を裏切るなよ』
花瓶から抜き出した白い薔薇の花を、あいつは俺のタキシードの胸に差した。そう言うあいつの袖は黒かった。軍の礼服は黒で、結婚式に白を着るのは新郎新婦だけで、だから黒服の人間は多かったのに、あいつの黒は俺の目に鮮やかに映った。白い花を持っていたせいかもしれない。
そうしてまた、笑って俺から離れていた。俺は困惑。追いかけようにも、まさか自分の結婚式を中座する訳にはいかない。中庭に引き戻されて、記念撮影の渦に巻き込まれて、途中で悪友の一人に、あいつはどうしたって尋ねたら。
『そういや居ないな。さすがに帰ったんじゃねぇか?』
悪友達は花嫁との距離を測ってから、そんな言葉を。
『招くお前もお前だけどよ、来るあいつもあいつだぜ』
『式の最中、真っ青だったぜ、あいつ。よかったなぁ、最中に倒れられなくて』
『手ぇきったのか?奥方は知らねぇんだろ?』
結婚するから、手を切った女は居た。でもあいつとは、まさかそうするつもりはなかった。一生とか、そんな事は考えていなかったが、ともかく、あの関係を『やめる』のは、俺の発想になかった。あいつは俺の心の中で白かった。でも黒を、俺が着せてしまった。俺の口も手も足の裏もセックスも黒い。なのに俺は、白を着てしゃあしゃあと、黒を着たあいつの前に立った。
裏切ったのは、俺だ。
背中に黒い、あいつを棄てて、偽りの白を着て純白の花嫁を抱く。
俺が裏切ったのは白をじゃなくて、黒を。
……お前に、酷い、真似を。
結婚と、お前との事は違う話だと思ってた。
でも俺は俺の考えで、そういえばお前がどう思ってるか、俺は一度も、尋ねた事がなかった。
お前がどう考えてたか、今はもう分かってる。俺の結婚式の前夜、息苦しくて目覚めたとき、離れていったのは首に絡んでた指だけじゃなかった。柔らかくて濡れた、お前の舌も、俺の唇の隙間から。
俺はお前と別れる気はなかった。でもお前が、それに耐えられないとは思わなかった。そういえばお前は真面目で、柔らかなトコがあったっけ。本当は辛かっただろうに、式に招いた俺の我儘に、よく最後まで、付き合ってくれたよ。
お前はもう、俺と二人きりで会ってくれない。でも、俺はお前を、まだ愛してる。お前がキスをさせてくれないのが悲しい。でもお前を怨んではいない。俺が悪かった。
……なんでも、してやるぜ。
お前にだけ黒を着せちまった詫びに、お前のためなら、俺はなんでもしてやるよ。いつまでも側に居る。いつでもお前の、ことを助けてやる。俺は確かに結婚した。でもそれとお前のことは別だった。俺にとっては、本当に別なんだ。せめてそれだけ、証をたてる。俺はお前に、嘘は一度も言わなかった。
お前を愛してるよ。
抱けなくなっても、ずっと愛してる。
そんな風に、思ってた。
つくづく俺は、甘い男だった。
「んだよ、中佐。そんなにノロケんなら、俺だって見せちゃうぜ?」
家族の写真を見せびらかす俺に、まだガキの金髪が、ガキのくせして挑発的に、俺に笑う。
「ほらほら、これ、俺の宝物。あんまりキレイだったから、内緒で撮っちまったの」
映っていたのは腰までの微妙な位置。映っていたのは裸の男。痩せて細いけど白い。目を閉じて、眠っているんだろう、大きな枕を抱きしめて、ずいぶん乱れたシーツの上で、横向きに。
肩の丸みにも睫毛の長さにも覚えがある。でも、こんな風に無心に、安らかに眠ってる顔は見た事がない気がする。本当に安らいで、安心しきって、深く眠ってる。裸の写真を撮られても気付かないくらい?腕の丸みに赤い跡がついて、あぁそれによく見れば、枕を抱いたわきから覗く、乳首が熟れた、見事な朱色だ。時間をかけて愛して、腰が抜けるほど欲情させてようやく、こういう色になることを、俺は本当によく知っていた。
「眠っても、イタズラしてさ、何度も起こしたんだ。俺が悪戯できないよーに、胸にぎゅーっと、枕抱き締めてガードして寝てんの。かわいいよなぁ、大佐。それでいて、下、無防備だったんだぜこの時。ま、可哀想だったから、寝かせてあげたけど」
あぁ、やっぱり、この腰は裸か。
「仲良し、なんだ俺たち。知らなかっただろ?」
妻と娘のことを自慢した、報復にしては、鋭すぎるそれは。
「中佐とのことも聞いたよ。聞いたっていうか、聞きだしたって言うか。ま、昔の事は、俺には関係ないけどね」
……むかしの、こと……?
昔の事か、俺のことは、もう。
……俺はまだ忘れていないのに?
「まぁ中佐も結婚してんだから、もう関係ない話だろうケド、一応。この人、俺んだから。覚えててくれよ」
写真を取り上げて、ガキは離れていく。多分、これは報復。ガキ扱いをしすぎた俺への反撃。見事に急所を当てられて、俺は声も出ない。
俺は結婚した。確かにしてる。でも。
それとあいつは別だって、最初から、そう思っていた。