※『S・Sex』書き下ろしより

 

 

 

 閉鎖された筈の研究所は刑務所と隣接して、科学技術局と背中あわせ。パターンなその場所の奥に、生きていく為の空間を与えられた。寝室と居間が別なのは囚人ではなく愛人に対する待遇で、食堂に妙に立派なテーブルと椅子、リネンのテーブルクロスが掛けていあったのに笑う。書斎がないのは研究資料室と実験室が、ワンフロアぶち抜きで用意されたからだ。そして与えられた研究の課題は。

「不老不死……?」

「そうだ。人体錬成もキメラも、究極の目的はそこになる」

「無理ですよ」

「努力もなしに出来ないの一言で済むと思うのかね?」

「閣下に今更、こんなことを申し上げるのは失礼ですが」

「なんでも言いたまえ」

「錬金術の基本は等価交換です。不老不死では、それは成り立たない。時間を『止める』ことなどは不可能です。せめてまだ『若返り』なら、可能性もありますが」

「ほう、その場合、何が若返りの交換になり得るかね」

「時とともに得てきた何もかもが。最終的には無力な赤子に戻ることを前提ならば、或いは。成否はその人物が時間の中で得てきたものの、多寡にかかるでしょう」

「というと?」

「偉い人ほど成功率が上がります。さしずめ閣下のような」

「ふむ。わたしはあまり、魅力を感じないね」

「同感です」

「しかしまぁ、やってみたまえ。世間は我々のような者だけでもない。若返りを不老不死と勘違いする者もあるだろう」

「若かった頃を覚えていない年寄りたちは、若返りたがるかもしれませんね」

「君が聡いのは分かっている。いちいち口に出すのはよしたまえ」

 老将軍たちの人心収攬を図る餌にはなるだろう。そんなことを考えていた事を看破され、隻眼の権力者は少し不機嫌になった。

「はい」

 返答は素直だったが顔が笑っている。伸びてきた白い手にワインを注がれ、男はようやく機嫌を直した。場所は『研究所』の上のフロア、食堂のベロア張り猫脚の椅子に座って、男が部下に持たせて持ち込んだ夕食をとっている。

 前菜のプレートからはじまる本格的なもので、ワインは赤と白がお勧めで揃い、チーズも数種類。メインは羊のアニョー、まだ乳飲み子の、草を一本も食べていない子羊のあばら肉のローストに甘味のあるアブリコット・ソースが添えられている。いい色に焦げた肉はクチの中で噛めば、じゅわっと旨みが拡がるほどジューシー。

「昔、部下に聞いたことがあるのですが、使うライターで煙草の味が変わるそうです」

「ほぅ、まぁそんなこともあるだろう。わたしは朝と夜で使うコーヒーカップを変えるよ」

「夕食用に、スーツが欲しいです」

「よかろう。めかしこんだ君を眺めながら呑めば、ワインの味も深まろうというものだ」

「……」

 にっこり微笑みかけられてあわせて笑った、白皙の美貌が内心で、ワインつきのディナーを望んだ別の相手の事を思い出して揺れて、そのせいで不安定、そして饒舌になっていることを、向き合った権力者は気付かない。

 最初の白ワインはすぐにあき、二本目の栓が抜かれる。本職の給仕のように上手にコルクを抜いた男は軍服で、だが権力者の側近でも護衛でもない。

 栓を抜いた男が空のグラスに注ごうとするのを遮って、隻眼の権力者がせせらぎの音をたてながら赤を満たす。さつきのお返しのつもりだろう。軽く廻して空気に触れさせ香りを吸い込み、あとはごくりと、美味しそうに飲み干す。

「口にあったようだ。よかった」

「美味しいです。酒も料理もたいへんに。好きだった店のに似ています」

「似ているのではない、そのものだ。サウスブロックの、なんとかという……、なんだったかな」

「……グラッパ、です」

「そう。その店が君の贔屓だったと聞いて手配させた」

「昔、よく通いました」

 ワインのコルクを抜いて店名を答えた男と一緒に、二人で。

「わたしはここに、水曜と土曜に来る」

 今日簸土曜日だ。

「水曜は帰るが土曜は泊まってゆく。どちらも八時を廻ったら食事を済ませていい」

「新聞が読みたいです」

「君のような油断ならない相手に、情報源を与えるほどわたしは馬鹿ではない」

「曜日が分からないと閣下のお越しのとき、無精ひげでお迎えしてしまうかもしれません」

「剃ってあげよう。なんなら風呂にも入れて洗ってあげるよ」

「なんでしたっけ、忘れてしまいました」

「なんだね?」

「教えていただいた呪文を忘れました」

 嘘だった。本当は覚えている。ワインの酔いに紛れて、にっこり微笑み男をじっと見ると、男は降参という風に苦笑して。

「いうこときくからお願いきいて、だよ」

「きいてください」

「それは略しすぎだ」

「お願いです」

「まぁ、よかろう」

 甘く男が妥協して、施設責任者に頷く。会釈をかえして責任者は大総統閣下からの命令を承る。明日から罪人の寝室には目覚める前に朝刊が届くだろう。

 デザートのレモンパイとコーヒーが終わって、男はテーブルに膝のナプキンを置いた。

「では、言うことをきいてもらうとするかな。おいで」

「何をさせられるんでしょう」

 差し出された掌を見詰めたまま立ち上がらずに、不安そうに尋ねる。その視線自体が媚になっていた。

「ムリはいわないよ。そうだな、風呂で髪でも洗ってもらおうか。一緒に入るとしよう」

「洗わせていただきますが」

 男の掌に自分のを重ねて立ち上がる。所詮は軍人の男の手指だが、包んでいる権力者の皮膚が固すぎるせいで女のそれのように、見えないこともなかった。

「一緒に入るには少々、狭いと思われます」

「それはいかん。造り替えさせよう」

 そんなことを囀りながら食堂を出る。マース・ヒューズは食堂に残ってあとを片付けた。仲睦まじく繋いでいた手を、背後で扉が閉まった瞬間、罪人は振り解こうとした。

「これでも妥協したのだよ。君に嫌われなくなかったからね」

 許さず、指の骨が鳴るほどの力で権力者は手を握り、離れようと無言で足掻く相手を寝室へ引き摺って行く。

「きみが可愛らしくわたしに鳴く、ベッドの横に立たせてもよかったのだ。私のものだということを、きちんと認識させないとね」

「……下種……ッ」

「その下種に今夜、抱かれて泣くのだよ、君は」

「誰が……ッ」

 掴まれていない方の手で、寝室のドアにしがみついて最後の、絶望的な抵抗を試みたが。

「どうやら今夜は、立ったまま犯されたいらしい」

 隻眼の男は悠々と、背後に立って、細腰を捉えた。