すべからく、すべて・19
悪い夢を、見る。
もう何年もたったのに繰り返し。いつも同じ夢。息もつけないような焦燥と後悔、そして。
……深い、怨念。
俺の怨念は俺を愛してくれた人へ向く。期待が強いからか信じてるせいか、それとも。
心のそこで憎んでる、からか……。
無防備に俺への愛を囁く人形に、ヤツアタリしたくって、困る。
あれには罪はないのだと分かりつつ。
だからこそ気に障る。そんな時が、ある。
俺がこんなに痛くて悲しいのに。
あんたが、俺をこうまで痛めつけたくせに。
何も知らない顔して、しゃあしゃあと、俺を愛しているなんて言う、人形の。
あんたによく似た、きれいな首に手をかけて。
……みようかな、なんて……
馬鹿げた妄想だ。
それというのも、夢見が悪かったから。
あんたが俺を逃がしてくれたあの日、車を奪った俺は街に出て、馴染みの政治家に連絡をとった。そいつの紹介で米軍あがりの傭兵部隊を雇って、翌日には館に引き返した。
傭兵にも、そのまとめ役にも、そして政治家自身にもかなりの金額を支払った、のに。
ヤツは俺を裏切った。俺に傭兵たちを紹介しつつ、軍に情報を売りやがった。
人質の救出が最優先。彼さえ無事に戻るなら、独立運動のゲリラなんか何人逃がしてもいい。威嚇攻撃後の交渉で彼が戻るならそれが最善。その場合、成功報酬は全額を約束する。
……なんて、話を俺が、ジープの二台で舌を噛みそうになりながら言っていた、時。
既に、俺の屋敷は爆撃を受けていた。
空を横切ってゆく武装ヘリに、傭兵隊長は眉を寄せ、この先には軍基地も中継所もない筈だと言った。俺は意味が、最初分からなかった。一時間もせず、ヘリは引き返してきた。傭兵たちの顔がますます、しかめツラになる。武装ヘリの下腹から覗く機銃の、銃口が光っていた。ロックが外れている証拠で、弾があるならそんな真似はしないはずだ、と。
そこまで言われて真っ青に、なった。
やがてスコールがあたり一帯を襲い、肌に当たれば痛いほどの水滴を受けずぶ濡れになりながら。
たどり着いた屋敷は、傭兵達が予想していた通りの惨状。
俺がまさかと、思ってた……、ありさま。
建物の外観は崩れ、頑丈な梁が焼け残り煙をあげていた。大火事があって、それが途中で雨でくすぶってる、そんな感じ。呆然とする俺を尻目に、傭兵たちは武装したまま散開し、それぞれが持ち場につく。合図と同時に一斉に焼け残った建物の中へ。俺も意向としたが拒まれた。銃も撃てない雇い主が踏み込んでくるのは迷惑だから連絡を待てと無線を渡されて。
どれくらい、たっただろう。
『生存者確認、三名。うち、一名は重態で、多分、だめだと思われる』
『ゲリラとおぼしき死体発見。年齢は十五〜十八歳』
『司令部らしき部屋を発見。通信機その他、存在。死体が七つ、重態が二名』
次々に、入って来る連絡。
『中庭に、人質と思われる人物および一名。重態。救命処置中。連絡を……』
無線を放り出して、俺は中庭に走った。
空からの銃器斉射。
俺は、旅客として飛行機に乗った経験しかないけど。
どうだろう。どんなキモチだろう。
ゲリラたちは武装してた。確かにしていたけど、それは対人であって、空に向かって、撃てる兵器はなかった。
鋼鉄の武装ヘリ。ボタンを押せば地上では火が吹き上がる。その瞬間は……、全能の神様にでもなったような気がするのかもしれないな。
逃げ惑う地上の人間を、まるで蟻でも潰すみたいに、撃ったか……?
俺の大事な人を、神様にでもなった気持ちで撃ち殺した……?
火から逃れて中庭に出た人と、彼を庇って非難しようとした男を。
撃ち殺そうとしたやつを、俺はいまだに捜してる。
みつけてどうするかは分からない。ただその時のキモチを聞いてみたい。命令だからそうしたか、それとも。
……面白かった、か……?
俺の大事な人を、撃つときお前、ナニを考えてた?
それとも、なんにも考えず、気軽に……、指先に力を篭めたか。
手指を翻すだけで空から地上に火を落す。
それは、お前達の宗教では、神様だけが与えることを許された、罰じゃなかったか……?
でも、俺の悪夢は焼け残った館じゃない。中庭に倒れていた彼と、彼を庇うように被さった男でもない。
男に庇われた彼の足首が片方、切断されていたことでもない。
煙の充満した館から逃がそうとして、彼に惚れてたあいつが切り落としたのは明白だった。
男の身体は穴だらけだった。当然、息はなかった。身体中の血が流れて真っ白な死体だった。
……そもそもの、発端はそいつだったんだけど。
俺はあの男のことをそんなには憎んでない。ヤツの動機も考えも理解できる。俺のヤツへの憎しみは、ヤツの死体をどかした下から、現れた彼が、蒼白だったけど足首以外は無傷で。
楯を失って水滴に頬を弾かれて、ゆっくり目を開いた瞬間に、解けた。
「アニキ、俺。……分かる?」
尋ねる。声は出なかった。けどほんの少し、目元だけで微笑んでくれた。
それきりもう一度、目蓋は閉じられて。
彼を揺らさないようにそっと、ジープに積まれていた担架で荷台に運び込む。
近くの大都市まで四時間。揺れるジープの上で、せめて雨にうたれないように、身体にはシートを被せて、顔は俺が膝にのせて庇った。
彼の呼吸が荒くなる。苦しそうに喘ぐ。なんにも出来ずに、それを見守っていた、四時間。
……ヘリなら、15分の距離。
思い出せば息が詰る、焦燥の悪夢。足首からの出血がどれくらいかは分からない。傷口はさぞ痛むだろう。傭兵たちの中の、看護士の資格を持ってるヤツが麻酔を撃ったけど、あまり効いてるようにも見えなかった。出血と血圧低下を畏れて量を減らしたせいもあっただろう。
病院へ、早く。
あの酷い気持ちは消えない。生々しく蘇っては俺を苦しめる。夢だってことを分かってて、それでもベッドの中で何度も寝返りを打っては呻き声を漏らす。
食いしばった奥歯の軋む音にようやく目覚めて、全身にびっしょりかいた冷や汗を拭う。
水を飲んでも酒を呷っても、苦しみは癒えない。……そんな時。
「……、もしもし」
電話をかれける場所がある。何度かの暗証番号を要求された挙句にようやく、繋いでもらえる場所。
「俺だ。……アニキ、どーしてる……?」
どうしているも、こうしているもない。
彼は眠ってる。五年前からずっと。培養槽の中で。再生した足首の縫合手術は成功し、外見上は少しの傷もないけれど肝心の意識がない。目を開けて俺を見ない。起き上がって抱き締めてくれない。
『いつも通りですよ』
若手研究者の丁寧な応対。彼の『墓守』をしている、彼自身の後輩。
「そうか……」
答えて電話を切る。それだけで随分、俺は落ち着いた。汗で湿ったシーツが気持ち悪くって、ホテルのコンシェルジェに電話をかけてベッドメイクのやり直しを頼む。枕の下に大目のチップを挟んでから俺はシャワーを浴びた。冷たいのは嫌な思い出を蘇らすから、皮膚が悲鳴を上げるほど熱い湯で。
……アニキ……
どんな夢、みてる?それとも夢なんか見もせずに眠ってる?死んだ訳じゃなく、かといって『生きてる』っていうには脆い、その培養槽の中の世界には、楽しいことが、ある?
俺は悲しいことばっかだよ。
あんたに裏切られてから、ずっと。