その日の夕食の席で。
「でも不思議ね。ベスターちゃんは一年ちょっと前でしょ。なのにベルちゃんは十年以上も過去の姿に戻っているわ。なんだかおかしくない?」
ヴァリアー幹部たちの話題は新作のバズーカに撃たれた一人と一頭のことだった。
「それってバズーカが調子悪いってこと?王子、いつまで、このマンマ?」
いつもの椅子にクッションを二つ重ねてようやくテーブルとつりあいのとれた王子様は子供の姿。不安を隠せない様子でデザート用の小さなフォークを握って、さらに盛り付けられたポレンタのミートボール添えを掬っては口に運んでいる。
「GAU」
その足元には中型犬ほどの大きさになってしまった純白の獣が行儀よく、前足を揃えて伏せている。王子様はフォークをしゃぶって甘辛い味付けのミートボールのソースを舌で拭ってからポレンタを一口分掬い、手に置いてベスターに差し出してやった。
「GAU、GAUUU」
獣は喜んでそれを食べる。トウモロコシの粉で作る真っ黄色のポレンタはこの獣の大好物。子供の頃はチーズ入りのそれを王子様にわけてもらって、おやつによく食べていた。成長後には王子様が近づかなくなって、一口おやつを与えられることも絶えてなかったけれど。
「ベスターはいーじゃん、一年したらもとに戻れるじゃん。王子はどーすんのさ、このまんまだったら」
はぁ、っと、珍しく王子様は正直な嘆きの声。
「永遠の少年な魔王子として業界に再デビューじゃなくて?」
「戻れなかったらセンパイのことも撃ってやっから」
「いじいじウルセェぞぉ、ベル」
銀色は決め付ける口調で言った。が、食卓の中央に置かれたボウルから粘度の高い黄色いトウモロコシの粥を、王子様の皿にとっておかわりをしてやる手つきはとても優しい。
「てめぇがベスターにイタズラしたからじゃねぇかぁ。したことされただけで、イジイジするんじゃねぇ」
試作品のバズーカでボスの匣生物を撃った罰に、王子様を同じようにした銀色の言葉は正論。ただし、普段ならもっと厳しく言う筈の語尾が妙に優しい。
「イジイジするー。こんなの、すげぇ、ひどい」
優しさに甘えて王子様は拗ねてみせる。
「それにしても、どうしてこんなに、差があるのかしらねぇ?」
ボンゴレ日本支部から貸与されたバズーカの効果についてルッスーリは首を捻る。どうにも分からない。
「日本支部の連中が開発した武器だしなぁ。連中、ザルでトーシロでイー加減なのがデフォだかんなぁ」
という銀色の見解を。
「狙撃主の主観だろう」
聡明な男が訂正した。バスーカと一緒に特殊なルートで『密輸』された神戸牛のフィレにナイフを入れながら言った。
「……え?」
同じ食卓の全員が男を振り向く。男は無視して肉を口に運ぶ。血の滴るようなレアだがバラ色の中心までしっかりと温かい。
ルッスーリアの焼くステーキは、八十度に温度設定できるプロ用のオープンで保温された後、表面を熱い鉄板でさっと焼き付けてある。だから実に美味い。素材がいい上に調理が上手とくれば、趣味のいいドレスを着た美しい女のようなもので、つまりは文句のつけどころがない。
「なんだぁ、ナンの主観だぁ?」
事態に責任の一端を負う銀色が男に説明を求める。粗挽きの胡椒とハーブソルトでシンプルに調味された肉を、しっかりゆっくり、味わった後で。
「撃ったヤツが一番可愛いと思ってる時期に戻るンだろ」
男は答えてやる。
「あー……」
思い当たる、という様子で銀色の鮫が声を上げて。
「うん。王子はこの頃のベスターが一番、かわいいと思ってるけど」
王子様は足元の獣を眺める。眺められて首を傾げる子供のライガーは、まだ丸顔で、毛皮はふかほこで、白い毛並みに包まれた手足も体に比べると短くて、確かに可愛らしい。
「なんだよ、センパイ、王子が子供の頃、可愛かったって思ってたのかよー」
「まぁなぁ、見た目だけはなぁ」
銀色の鮫は事実を消極的に認めた。まだ少年とも呼べない年齢のこの王子様は、既にこの時期、人殺しだったけれど。
でも十歳くらいになるとイタリアに馴染みヴァリアーと銀色の鮫に馴れて、なんとなく懐いていた。時には一緒に寝ると言い出しベッドに入ってくることもあった。今となっては考えられないが。
「そうねぇ。ベルちゃん、子供の頃は小さかったわよねぇ」
「なに当たり前のこと言ってんのさ、ルッス」
「子供にしても小さかったじゃない。十二歳頃まではなかなか背が伸びなくて、スクちゃんとずいぶん、心配したんだったわぁー」
その後の王子様の背丈は、180cmを越える大男が並んだヴァリアーの中では長身とはいえないが世間並よりは上というレベルまで無事に成長した。
「あー、そーだったなぁー。ルッス、オマエはポレンタをミルクで一生懸命、作ってやってたよなぁー」
「……」
部下たちの思い出話を男は黙って聞いている。その時期の男はボンゴレ本邸で氷漬け、時を止められていた。ティアラの王子様の八歳から十六歳にかけては知らない、空白の時間。
「余計なこと思い出さなくていいから。でも明日、ルッスにミルクのポレンタは作って欲しいかも」
「はいはい、よくってよ」
「ねぇボス、今夜、ベスターと寝てもいい?」
子供らしいクリクリとした瞳に見つめられ尋ねられ、男は好きにしろと頷く。わぁい一緒に寝ようなぁ、と、王子様は言って足元の獣を撫でる。
「GAU」
素直な獣は逆らわない。優しくされて嬉しそうに喉を鳴らす。
「気をつけろよぉ、ベスター。その王子様は高貴なお生まれのワリにゃあ寝相が悪ぃぞぉ。腹ぁ蹴られてベッドから落ちないよーにしとけぇ」
「うっせ」
夕食後、男が自室に引き揚げて、寝酒のテキーラをグラスに注いで舐めながら報告書を読んでいると。
「なぁんか、寂しいなぁー」
自分用のワインを片手にやって来た銀色が、サイドボードからグラスを取り出しながら、そう呟いた。
「ベスターいねぇとこの部屋なんか、すっげぇ広いなぁー」
それは男が思っていたのと全く同じこと。
「……」
視線を、男は報告書から銀色に移した。
「あぁ?なんだぁ?」
気づいた銀色がワインをテーブルの上に置いて尋ねる。
「寝ろ」
「お?」
「そこに」
横になれ、と、男がグラスで示したのは奥の寝室のベッドではない。ふかふかカーペットの上。
「なんだぁー?ベスターの代わりかぁー?」
指示されて、銀色は素直にカーペットの上に伸びる。細い肢体に、男はすぐに、自分も隣に横たわって添う。
「あははー。なんだぁ、オマエも寂しいのかぁ、ザンザスぅー?」
「……」
寂しい、というより。
「落ち着かねぇ」
ここ暫くはカーペットに横たわるライガーの毛皮に背を預け、リラックスして寝酒を舐めるのが習慣だった。男にしては自堕落な姿勢だが楽で安らげた。それがなくなって酒の味が、いつものようではない。
「ははははー。オレぁあんなに、ふかふかしてねぇけどなぁー」
銀色が愉快そうに笑う。細くてしなやかなカラダがそのたびに揺れて、その振動は、悪くない。
「……なぁ」
笑いをおさめた銀色がそっと、静かな声を出して男の背中に右の掌を当てる。
「……」
誘われて男は空になったグラスを床に置く。銀色を組み敷き、頬を寄せてやる。くすくす、嬉しそうに笑いながら、そして。
「オレのこと、撃ってみて、くれよ」
愛しい男の耳元にそう、囁いた。