獄寺隼人は落ち着きながら、最後通牒を出す。

「こっち来い」

 跳ね馬ではなく銀色の鮫に向かって。

「……」

 言われた銀色はひどく素直に動いた。跳ね馬のうしろから出てきて獄寺の背に回る。そして。

「勘弁、しろぉ」

 自分より十歳近く年下の獄寺の、肩に額を押し付ける。

「……」

 獄寺隼人はそっと奥歯をかみ締めた。思わず緩みそうな表情を引き締めるために。銀色の鮫のさらさらの髪を獄寺は好んでいる。好きな理由がたぶん、は記憶も朧な母親と似ているからという、やや情けない理由は考えないようにしている。

「オレが悪かった」

「アンタは悪くねぇよ」

「そいつとむかし、ダチだった。せいでぼんやりしちまった。ぼーっとしてたオレも悪ぃんだ」

 言いながら銀色が背後から腕を廻してくる。銃を構えた腕ごと抱きしめる仕草はなにを阻もうとしているかミエミエ。けれども敢えて、獄寺隼人はその腕を振りほどこうとしなかった。

「庇ってやんのかよ?」

 銀色がそんな風な、男の機嫌をとる女のような仕草をするのを、金髪のドン・キャバッローネは初めて見た。ザンザスに対してさえ、しているのを見たことはなかった。なのに十歳近くも年下の獄寺に、どうして。

「そいつじゃなくて、オマエをな」

 銀色の鮫も案外と口はうまい。喧嘩をしたらオマエがヤバイだろヤメトケ、と、そう言っているのだ。

「浮気しよーと、してたんじゃないだろーなぁ?」

 半分ほだされかけながらも獄寺は本人の意図をしつこく確認した。ああ、と、銀色は跳ね馬の前で答える。

「いまさらそいつと、じゃれて遊ぶ気はねぇ」

 跳ね馬にとっては残酷な言葉。それを本人の前で言ったことに免じて。

「見なかったコトにしてやってもいいけどよ」

 銀色に甘いところを、わざとこちらも、跳ね馬の前で見せる。

「キスしてくれたら許してやるぜ」

 跳ね馬の前で、という前提条件は省略した。したが、銀色のオンナは気がつく。背中から抱きしめたまま頬に唇を寄せてやる。視線は跳ね馬からきらないままの獄寺の、唇にキスは出来なかったから。

「行けば」

 チャッと片方、跳ね馬から外した銃口で建物を示す。

「喧嘩、すんなよぉ?」

「アンタが居なくなりゃ盛り上がんねーよ」

 言われて銀色は腕をとき場を外す。やや心配そうな様子を店名がら、それでも建物の中に入っていく。

「っていう、ワケでよ」

 姿が消えて、ゆっくりもう一方の銃も下ろしながら。

「あんま気安く、べたべたしねーでくれ。昔と違うんだよ」

「……どう違うのか、よく分からないな」

 跳ね馬は健気だった。ひどいショックを受けているのに冷静に振舞おうと努力している。跳ね馬に好意を持つものが見れば健気に見える行動だが、対抗心がないでもない獄寺にとっては白々しい格好つけ。

「俺らガキだからよ、あの銀色の昔のイロほど、心ひろくねーんだ。二度と触るんじゃねぇよ。了解か?」

「オマエに、そんなことを言われなきゃならない、根拠が分からないな」

 山本武にならともかく、と、言いそうになった跳ね馬は、でも、言わずに口を閉じる。生意気な表情が憎らしいが、未来のボンゴレ本邸の『看板』になるのに相応しい美貌の持ち主が、山本武の『恋人』であることを、長い付き合いでとおに承知している。

「アイツのモノは、オレのモノなんだよ」

 獄寺隼人は自分の怒りの理由を伝えた。跳ね馬は誤解したらしい。なんだかとても、痛々しい表情になって。

「ボンゴレの男っていうのは酷いことをする」

「おーい、なに勝手に解釈してんだーぁ」

「愛人を恋人に守らせる男なんて最低だ。そうは思わないのか」

「物分りわりぃヤローだな。あの銀色と、オレも寝てんだって、はっきり言やぁわかるか?」

「……」

 分かる。分かった。証拠に跳ね馬の顔色が一瞬で真っ青。

「あいつを」

 ごくり、唾液を飲み込む喉仏の動きが生々しい。

「慰安婦に、しているのか」

「みんなでオモチャにしてんのかって聞きてぇのか?」

 跳ね馬の真剣な危惧を獄寺隼人はケラケラ笑い飛ばす。憎らしいほど明るい目をしている。

「ザンネン、俺とバカモトだけだ。ってーか、俺らセットだかんなぁ」

「そんな、ことが、許されると思っているのか」

「アンタに、そんなことを言われなきゃならない、根拠が分かんねぇな」

 跳ね馬の台詞を真似て獄寺はせせら笑う。

「とにかくもう、アレに気安くしないでくれ。次にやったらマジでヤらして貰うぜ」

 果し合いの喧嘩を。

「そんな、ことが、許されると、思っているのかお前たちは……ッ」

「ふられたからって八つ当たりすんじゃねーよ」

 慣れた様子で言い放ち、獄寺は場を外す。残された渡り廊下で、金髪のドン・キャバッローネは暫く動けないで居た。

 

 

 

 今夜もボンゴレ十代目の帰りは遅い。

「殴ってねぇな?手ぇ上げなかっただろうな?」

 留守番の山本と非番の獄寺は自室で一緒に食事をする。勿論そこには銀色の鮫も居る。冷製トマトのコンソメスープを各人の前に据える山本も気になるらしく、獄寺隼人を見た。

「してねぇよ。心配すんなって」

 獄寺隼人は非番でも滅多に酒を飲まない。イタリアに沢田綱吉が居る限りは非常事態に備えて素面でいる。

「ホントだな?ありゃ一応は同盟マフィアのボス様だ。ゴネさせっと色々面倒だぞぉ?」

 温めたコンソメに、皮を剥いたトマトの櫛切りを加えて冷やしたスープは獄寺の夏の好物。トマトに火が通ったかどうか、という微妙な加減の果肉の甘みと酸味とスープの塩のバランスが絶妙で、刻みパセリの彩と風味とよくあい、素晴らしい味わい。

「んー、うめー」

 はぐはぐと美味しそうに食べる獄寺に山本は表情を緩めた。食事中は悪ガキに戻ったように一生懸命な顔になる恋人が可愛い。銀色の鮫も、片手が義手とは思えない器用さで白いスープ皿に満たされてた茶色のスープの中から真っ赤なトマトを掬って口に入れる。

「うまい?」

 乾燥を聞きたがる山本に。

「うまい」

 完結に答えながら健啖にぺろりと、皿の中身を胃の腑に移していく。前菜は熟成プロシェートのモツァレラチーズと、塩茹でしたカルチョーフィ(アーティチョーク)に岩塩とオリーブオイルを掛けたもの。

「おー、カストラウーレじゃねーか」

 アーティーチョークといえばフランス産の、握り拳ほどもあるものが有名で生産量も多い。が、イタリアで最も珍重される種類はもっと小さくて、形もバラのつぼみのようなベネチアはサンラズモのもの。

中でも、脇芽を大きくするために早めに摘まれて市場に出回る一番芽は普通のアーティーチョークの倍もする高級品。日本でいえば花胡瓜のようなもの。それだけに特別な名称、カストラウーレという商品名を与えられていることから人気のホドが知れる。ちなみにその名は去勢を意味するカストラウーレからつけられている。

「うん。今朝、市場に出てたのな」

 イタリアの夏の始まりを象徴する野菜だ。塩茹でにされオリーブオイルを掛けた単純な調理だが、だからそこ素材の味が実にひきたち、よく分かる。グリーン・アスパラにも似た、アクの強い主張の強い味。花弁の部分のしゅくしゅくとした歯触りはアーティチョーク独特、ただし普通のものよりうんとやわらかい。重なった花弁に包まれる芯から茎にかけては、ちょっともったりと里芋のような味。

「……」

 むかしも、季節が来ると、これを食べた、と。

 銀色は思い出す。ここではないヴァリアーの食卓で、長い馴染みのオカマの格闘家の食卓で。あり肉食のザンザスもカストラウーレのカルチョーフィは好きで、グラスを片手にぺろりと食べていた。

「どーかしたか、スクアーロ?」

 昔を思い出した銀色の表情の変化に山本が敏感に気づく。何でもねぇよと答えてシャリシャリ、歯ごたえを愉しみながら食事を続ける。あのまま眠ってしまっていれば、今年のカルチョーフィを口に入れること?なかったのだ、と、思うと奇妙な感慨があった。生きるというのは食べるということなのかもしれない。

「ディーノさんのことそんなに心配なら、草壁さんからロマーリオのオッサンに連絡とってもらうか?」

 そうしてあっちの出方を探ろうか、と、山本は尋ねる。山本自身は全くなんの心配もしていなかったけれど。

「いんねーだろ。ンな恥を自分からかくほどバカなヤローでもねぇだろ。ヒトんちでヒトのオンナに触ったんだ。吠えられたって、文句は言えねぇよな?」

 客に向かってはっきりと脅迫した自分の行動を、まさか問題にしやしないだろうと獄寺は言いながらミントの葉を浮かべた水を飲み、にっこりと銀色の鮫に笑いかけた。

「最初に礼儀知らずだったのはヤローだ。文句言ってきやがったら、そんときゃ果し合いするだけだ。負けやしねーから、ンなに心配するなって」

「別に、そういうんじゃねぇけどよ」

「俺も実は、上から見てたけどさ。あれはディーノさんが悪いと思うぜ。触りすぎ。隼人が怒んのも仕方ねぇよ」

 恋人にそう言われ獄寺はますます愉快そうに笑う。

「なぁ、仕方ねぇよなぁ?」

「ああ、仕方ねぇよ。俺も出て行こうかと思ったくらいなのな」

「出てくりゃよかったじゃねぇか。面白かったぜ?」

「俺が出るより隼人の方がインパクトあるだろ」

 この雨の守護者が素晴らしく美しい恋人を持っていながら尚、年上の剣士である銀色に憧れていることは羞恥の事実。

「ディーノさん、びっくりしたか?」

「でっけぇ目玉が落ちそうになってたぜ」

「はははは」

 愉快そうに笑いあい、言葉でじゃれあう若い狼たち。恋人同士だが戦友。

「わりぃ奴らだな、てめぇらは」

 思わず零した銀色の一言に。

「「あんたに言われたかねーよ」」

 異口同音、見事にハモった反論がもたらされた。