休息のために戻ってきた恋人の部屋で。

「おまえ昼食えたか?腹へってねぇか?」

 出迎えてくれたのは恋人ではなく、その所有する『匣兵器』。でも綺麗で優しい相手に優しい言葉をかけられて。

「食ってねぇ。死ぬほど減ってる。なんかクラクラする」

 その『匣兵器』に甘えている獄寺隼人はわざと心配させるような台詞を口にする。

「てめぇ、若いからって不摂生してっと死ぬぞ。寝不足と低血糖のコンボはマジヤベェ。その上に煙草吸ってンだろ、マジ心臓発作おこすぜぇ」

 銀色の鮫は顔の半分を口にして怒鳴った。怒鳴りながら山本が作り溜めをしている塩コショウ味のポトフを、温めようとするが。

「煮物は飽きた。肉が食いてぇ」

 メシの前にシャワー浴びてくる、と、言いながらシャツを脱ぐ目じりで、同じく山本が冷凍庫にストックしているハンバーグを銀色が出そうとしているのを見咎めて。

「そのミートローフみてぇな日本のじゃなくってよ、ハンブルグステーキが食いてぇー」

 言いたい放題の我儘を言ってみる。叱られるかもしれないと思いつつ、愛情を試したくて甘える子供のように。

「長湯すんなよ。汗流す程度にしとけぇ」

 銀色は獄寺隼人の我儘に腹を立てなかった。冷凍のハンバーグパテを冷凍庫に戻し、チルド室から生肉をと取り出す。シャワーを浴びながらアッシュグレイの美形はニヤニヤが止まらなかった。が、レバーを上げて水滴を止め、腰にタオルを巻いただけの姿でバスから居間へ出てきた時には雲雀恭弥と並ぶクールビューティーの表情を取り繕っていた。

「髪、ちゃんと乾かさねぇと風邪ひくぞぉー」

「アンタ俺のお袋かよ」

 細かいことを言うなよという意味の台詞だがイヤミにしては語尾が弱い。細かいことをブツクサ言われつつかまわれるのが嫌いではない。キッチンに立つ銀色の手元では厚手のフライパン。その中では牛肉のパテがいい色にあぶられている。

「粒マスタードで食うー」

 バスローブを纏いながら獄寺はさらに我儘を言った。

「ここにゃマンマが、マジに必要だな」

 言いながら皿に移したハンバーガーにリクエスト通りの粒マスタードを添え、ライ麦のパンと一緒にダイニングのテーブルに置いてやる。ナイフで獄寺はさくっとその表面を割った。

日本の惣菜であるハンバーグと違って、タマネギやパン粉といったつなぎを一切使わない『ハンブルグステーキ』はその名の通り『厚切り肉の鉄板焼き』。赤身の牛肉を粗挽きにして、何も加えず捏ねずにぎゅっと掌で握って小判型に形成し、塩コショウを振り掛けるだけで焼くのがイタリアの流儀。

そのプリンとした塊は箸では歯が立たず切り分けることが出来ない。アツアツを口に運べばじわっと肉汁の染み出すミディアム・レア。ひき肉のオイリーさと強めの塩コショウがいい具合に混ざり、そこをマスタードが絶妙に補って。

「うめー。あんたじょーずだなぁ」

 獄寺隼人は真剣に褒めた。山本の作る日本風ハンバーグも嫌いではないが、ハードワークをこなしている最中にタマネギが入っていると胃もたれを感じることがある。かといってステーキ肉はヘビーすぎるという時にはこの料理に限る。

「握って焼いただけだぜぇ」

「あー、ハイボール飲みてぇー」

「ちょっと飲んで寝るのもいいかもしんねーぞ?」

 濡れたままの髪が気になる銀色は脱衣所からタオルを取り出して獄寺の髪を拭ってやる。ここ数日、ボンゴレ十代目の館には来客が続いていて、秘書役の獄寺には気の休まる間がなかった。フォローしてやりたくとも『死人』である銀色は、顔が売れているせいで表には出られず、部屋に帰ってこない獄寺を心配していた。

「眠りてぇけど、時間ねぇんだ。あーでも生き返ったぜ。ごちそーさん」

 獄寺隼人は振り向いて、髪をタオルで拭ってくれる銀色の頬に感謝のキスをした。そんな仕草はイタリア男らしくて、銀色は苦笑することしか出来ない。

「行くまで、ダッコしてくれよ」

 皿を片付けようとする銀のシャツの裾を掴んで獄寺はさらに甘えてみる。銀色は一旦、皿をキッチンへ運んで流しの中へ置いたが、ちゃんと戻って椅子に座る獄寺を背中から抱きしめてくれた。

「やさしーよなぁ、アンタって」

 暖かさに浸りながら獄寺隼人は目を閉じる。優しい雨の波動に満たされて体が軽くなって行く。自分がふわり、と浮いたような気がする。錯覚だったとしても実感。

「オレぁ、ぜーたくしてん、なぁ……」

 肩を抱いてくれる右手に指を添えながら、心からそう思った。

「あんたのイロ、来てるぜ」

 嵐を癒す極上の雨の、優しさを味わいながら秘密を教えてやる。

「十代目と面会中だ。アンタのこと話してたぜ。俺ぁ人払いされてよぉ、休憩に来たンだ」

 ボンゴレ十代目・沢田綱吉のそばをこの側近が離れることは珍しい。敬意を払わなければならないボンゴレの『身内』が内密な面会を望んだときだけ。

「……あ?」

 先日の九代目のように。

「呼び出し、来るかもな」

「誰が、なんだってぇ?」

「トボケんなよ」

 若い獄寺に決め付けられて銀色は口を噤む。とぼけたのではないけれど、見当がつかない訳でもなかった。あの男のことをイロとかいう、馴れた言葉で表現されるのに違和感を覚えただけ。

「アンタはさぁ、やっぱアイツんこと好きか?」

 跳ね馬のことは追い払った獄寺だが、おそらく同じ目的でやって来たのだろう別の男に対してはそれほどの対抗心を見せない。「それとももう好きじゃなくて、愛してやんなくて、腐ってくのを見殺しに出来るぐらいに組んでるか?」

「てめぇがなに言ってんのか、わか」

「あいつ、そろそろもたねぇぜ」

「なに、い」

「アンタも実は分かってるだろ。だからそんな、真っ青な顔してんだろ?」

 頭のいい人間に決め付けられると弱く、なんとなくそうだったのかと納得してしまう素直なところが銀色の鮫にはあった。無意識に右手を解き頬に当てる。真っ青な顔をしているだろうか、と、そう思って。

「嵐の性質にも、まぁ個人差ってぇか、いろいろあっけどな。棘だらけで周囲に迷惑かけちまうのはデフォだ。怨念が篭る体質で、身内と喧嘩したり仲間とトラブったり、困った奴らだろ」

 自分を含めた数人のことを指して獄寺はそんなことを言う。ヴァリアーの嵐の守護者である王子様も、大空と嵐の焔を動じに持つザンザスにも、個性はそれぞれだが似た性向はある。

「情熱と意思の強さはケタ外れで、ファミリーの意思決定力と外に向かっての姿勢のハッキリさは群を抜いてて、優秀っちゃあ優秀なんだけどよ」

「……自分でそう言う、ツラの皮の厚いところもなぁ」

「そういうトコ、あんた大好きだろ」

 くすくす、妙に楽しそうに獄寺は笑う。

「俺なぁ、そのへんちょっと、似てるからよーく分かるンだ。あんたが優しくしてやんねーとあいつ、自家中毒で死んじまうぜ」

「んな馬鹿な、こたぁねぇ」

「あるって。あいつも気がついて、そんなアンタを取り戻そうとしてんだろ」

 トントン、と、部屋の扉がノックされる。

「ありえねぇ」

 ピ、っと音がしてインターコムの繋がる予告音。

『あけるぜ』

 という伝達は、今日がフル勤務のこの部屋の主。

「あんたに優しくしてやれって言ってんじゃねぇんだ。許してやれなくっても当たり前だと思うぜ?」

 暴行されて殺された。恨み憎むのも当然と、獄寺は思っている。

「ただよぉ、あのヒキコモリがここに来るのは、相当レアなことだよな。そだろ?」

「……」

 指紋照合の合致した音。ドアのロックが解除される。スーツのネクタイを少しだけ緩めた動きやすい格好で、背中に刀を背負ったままの山本が少しカラダを屈めて部屋に入ってくる。背中の刀がドアの上部に当たらないように。

 そうしてバスローブ姿の恋人を見るなり。

「寝せとけって言ったろ」

 苦情を口にする。いつものニコニコとした人当たりのいい笑顔ではない、不満そうな、不機嫌な様子で。

「てめーの時間稼ぎが足りねぇんだよ」

 いつものように獄寺は逆らう。けれど内心でゾクゾク、背筋に寒気に似た緊迫感が走るのを愉しむ。山本武はいつでも恋人に優しい。けれど恋人は、優しい相手より少し荒れて凄みのある横顔を、実は愛している。

「スクアーロ」

「……なんだぁ?」

「客が、アンタにコーヒー煎れて欲しいってさ」

 その客というのが誰なのか、分からなくはなかったけれど。

「……」

 なんでだ、という金色の不審は言葉にされなかった。この二人にそんなことを言っても仕方がない。自分自身に分からないことが、若い他人に分かる筈もない。

 ないと、そう思った。

「よっぽどアンタのことが恋しいんだろーなぁ。同情するぜ。ちょっとだけだけどな」

 獄寺が山本に睨みつけられながらそう言う。

「行けよ。十代目の命令でこいつが呼びに来たんだ。アンタ拒否権はないだろ?」

 それは事実。けれど頬にはつきり不本意ですと書いている男は、恋人のその言葉に顔色を変える。ボスの言葉に逆らえない臆病を嘲笑されたと解釈したのかもしれない。

「カフェ煎れて、ってのは、十代目のギリギリ妥協点だと思うぜ。顔つぶさねーでくれよ」

 が、続く台詞でそうでないことを察して、やや深く息を吐く。訪れてた           賓客の乞いを、年上の尊重すべき『身内』の願いを無下には拒めず、顔だけ見せるだけ会わせるだけ、ということ。

「……」

 銀色の鮫は逆らわない。屈んでいた姿勢から立ち上がり背を伸ばす。着替えようかとふと思ったが、そんなことをすればピリピリした雰囲気の『主人』を刺激するだけと思いなおす。部屋から出るために、腕を組んで俯く若い男の目の前を横切る。長い髪がその鼻先をかすめた、途端。

「……あ」

 攻防は一瞬。

「わり……」

 銀色のカタを掴んで振り向かせ、長い髪の隙間から見えるうなじに噛み付こうとした山本武と。

「いー音したなぁ」

 咄嗟にそれを拒もうとした銀色の鮫の攻防は、右手の平手の一閃でカタがつく。若い男の頬にみるみる、指の形の赤い痕が浮かんでくる。

「痛いかー?舐めてやろーかー?」

 獄寺隼人は椅子から立ち上がり恋人の体に腕を廻す。愛情の仕草だったが拘束でもあった。銀色の鮫が先日、跳ね馬と獄寺が揉めた時にやってみせた真似と同じ。年上の優しいオンナから学ぶことが多い日々を送っている。

行けよ、と、アッシュグレイの髪から覗く、婀娜な目じりで告げられて。

「……わるかった、なぁ……」

 珍しく細い声で銀色が、謝ったのは、どちらに対してか。

 静かに銀色が部屋を出て行く。山本武は追わなかった。恋人の腕をふりきって別のオンナを追いかけることは出来なかった。

「なぁ」

 ぱたん、と、ドアが閉まると同時に、獄寺は片手を男の背中から抜いて。

「何処でも噛んでいいぜ」

 バスローブの腰布を解く。若い男の耳元に唇を寄せてそんなことを囁く。現れたしなやかな素肌の腕にあらためて抱きしめられ、山本武はたまらず抱き返す。いい手ごたえだった。

「全部まるっとテメェのモンだ。好きなよーにしろよ」

「……獄寺」

「愛してるぜぇ、バカモト。マジ惚れてる」

「どっ、た?」

 銀色を行かせてしまったことを恨めしく思いつつるけれど目の前の恋人の様子がおかしいことも看過できずに、硬い掌で裸の背中を撫で回しながら尋ねる。

「……イロイロ、俺も、割っちまってっからよぉ」

「そんなのみんなだ。オマエだけじゃない」

「あいつ見てっと思い出すんだぁ。テメェが突然、居なくなったりしたらきっと、俺もあんな風だろーなって」

「オマエ違うぜ。俺に優しくしてくれたし、好きになってくれたし、俺らずーっと仲良くしてきたし、暴力は時々だし」

「はは。けどなぁ、オレがスキほど、オマエ分かってねぇぜ」

「なにそれ。もしかしてオマエ、俺が思ってるよりオマエは俺をスキって言ってんのか?」

「……そーなるなぁ」

「スクアーロのこととオマエは別だぜ。分かってると思うけど」

「ああ、そりゃ分かってる。妬いてんじゃねぇ」

「うん」

 若い男の掌が熱を帯びる。あつい指先が背中を撫で下ろす。ごく正直に、素直に獄寺は震えた。素肌を抱きしめられている。ゾクゾクしていることは隠せない。

「あ……」

 そのまま床に、押し倒される。イヤかと山本は尋ねなかったしダメだと獄寺は言わなかった。銀色を取り上げられた自分たちには慰めあう権利があると思った。

「あ……、ぁ、あ……」

 うつ伏せに這わされ、前を弄られるまだ若いオンナが怯えた声を漏らす。

「オレちょっと、いつもよか荒れてっかも」

 乱暴になる指先を詫びもせず、若いオトコは言った。

「いいよな。俺のことそんなに愛してンなら」

 なにをされても、と、そんなことを尋ねられて。

「……」

 こくん、と、健気に、オンナは、頷く。