「堀江武史ワークショップ」に参加――市民のパワーを感じる美濃加茂市民ミュージアム――

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 2月15日、美濃加茂市民ミュージアム(岐阜県美濃加茂市)で開催された「堀江武史ワークショップ」に参加し、また現在同館で開催中の「加茂の遺跡探訪展」(3月23日まで)も案内してもらいました。
 朝7時ころ家を出、京都から美濃太田まで乗り換えなしで行ける特急(1日1往復しかなく、帰りもそれを利用しました)で10時半過ぎに美濃太田駅に着き、そこからタクシーを使ってミュージアムに11時前に到着しました。
 ミュージアムに入ると、とても広い感じがします。たんに広いだけでなく、天井も高いようで、どこが受付かなあと思いつつ、少しうろうろしていると、学芸員のFさんが迎えてくれました。そしてまず、Iさんの案内で「加茂の遺跡探訪展」を見学させてもらいました。
 展示室の回りのガラスケースには、美濃加茂市を含む加茂地域の7市町村(美濃加茂市、坂祝町、富加町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村)の遺跡や遺物が紹介されています。この地方は旧石器のころから人々が生活していたようで、縄文・弥生・古墳時代の遺物がいろいろ展示されているようです。触ることはできなくてよくは覚えていませんが、弥生の終わりころの赤彩壺というのがとくに印象に残っています。濃い赤・薄い赤・赤くない所があるようですが、説明だけではどんな風なのかやはりよくは分かりませんでした(関連はないかと思いますが、南山大学人類学博物館には、下から半分以上が赤く塗られた弥生後期の山中式土器がありました)。
 展示室の中央は「歴史にさわる」コーナーになっていて、台の上に、だれでも自由に手に取って触ることのできる多くの遺物や資料がありました。
 まず、石器の材料となる大きな原石たちです。サヌカイト1点(奈良県二上山)、チャート2点(たぶんこの近くのものだと思います)、下呂石2点(下呂市の湯ヶ峰の現場まで取りに行った物と、下呂市から飛騨川を流れ下ってきて美濃加茂で採取した物。美濃加茂市は下呂市から70kmほどの距離だそうです。)です。チャートの面がとてもスパアッとした平面になっていることにちょっと驚きました(南山大学で触った、チャート製の旧石器の滑らかな曲面の感じとはだいぶ異なった印象でした)。チャートはどこにでもあるような硬い石ですが、サヌカイトも下呂石も産地が限られていますので、石器の材料(あるいはその加工品)がかなり離れた所まで運ばれて使われていたことになります。(川を流れ下ってきた下呂石はただの河原の丸い石のようになってしまっていて、加工するには原石よりも難しいと思いました。入手は難しくてもより良い材料を求めたように思います。)
 土器類も、縄文から弥生、古墳時代の須恵器までいろいろありました。私が良いなあと思ったのは、このミュージアムの地下から見つかったという(このミュージアムがある文化の森付近は尾崎遺跡だそうです)須恵器の甕です。あまり大きくはありませんが、形も好ましく、全体に面の厚さが薄くて、内側の面には弧状の文様が、外側の面には斜め線や直線の文様がとても丁寧に刻まれていました。また、これも須恵器で直径10cm余の坏身が2点ありました。その他、高坏の高さ10cm余の台とその上に乗る直径20cm余の大きな身のセット(台の円錐形に広がった部分には穴が数箇所空いていた)、全面が着色されていて全体がざらざらした感触の器などもありました。
 ここには、また市民のパワーを感じさせる展示がありました。畑から見つかったとかでミュージアムに持って来てくれたという高坏の台が10個くらいありました。そして、その台の内側の面を触ってみると、ただ円錐形になっているものと、一番上の所に丸い凸部が下に突き出ている形のものがありました。これは、2種類の作り方の違いを反映しているらしいとのことです。さらに、いくつもの箱にビニール袋が多数入っていて、その袋の中には、石器の材料となるいろいろな石(長野県の黒曜石もあった)や、土器片などがびっしりと入っています。これらの資料もある方がミュージアムに持って来たものだとのことです。私はビニール袋の上から触っただけなのですが、黒曜石の滑らかな感じや大きな土器片は分かりました。その中に「山茶碗」と呼ばれている土器片もありました。私が触れたのは、分厚めの側面の一部で、その面に横に何本も太い凸部が並んでいるものでした。山茶碗というのは初めて聞いたものでよく分かりませんでしたので、後でFさんに説明してもらいました。それによると、愛知県から岐阜県にかけての東海地方特有の遺物で、11世紀後半から15世紀まで、職人集団により窯で生産された、無釉の硬質の焼物だそうです。庶民が使う日常雑器で、釉がなくても水は通さず汁碗にもなったようです。私は、東大阪市埋蔵文化センターで、同じ時期に庶民の器として行き渡っていた瓦器に触ったことがあります。瓦器は薄手の土器で釉を使っていませんが、焼成の最後に空気を遮断していぶすように焼いて表面に煤の膜を作ることで水が浸み込まないようになっているようです。色も瓦器は黒なのにたいし、山茶碗は白っぽいようです。
 さらに、展示室の奥のほうには、これまた市民が集めたといういろいろな物(大部分は土器片や石など。中にはビー玉のようなのもあった)があり、それぞれに子どもたちのメッセージが添えられていました。その中に、10cm弱のちょうど手に持ちやすいような大きさの石斧があって、とても気に入りました。刃は円弧状で、両面と側面はつるつるに磨かれています。手前の磨かれていない断面を触ってみると、緻密な粒子から成っているようでかなり硬そうです(後でワークショップの講師の堀江さんに見てもらったら、蛇紋岩製?で縄文中期くらいではないかと言っていました)。このコーナーの隣りには、子どもたちが学芸員等の協力も得ながらまとめたという夏休みの研究が展示されていました。採集物をきれいに分類しているだけでなく、それらの地点を地図上に正確にマークしていて、とてもよく出来た成果物のようです。
 美濃加茂市民ミュージアムは10数年前に開館したとのことですが、開館準備段階から市民のしっかりした協力・支えがあり、それが現在まで続いているようです。実際の市民とのかかわりではもちろん面倒なこともあるでしょうが、その人たちがしっかりかかわることでこのミュージアムが生き生きと活動し、また来館者にとっても、わくわくするような、刺激的な場になっているだろうことを実感しました。
 
 「堀江武史ワークショップ」は午後1時から始まりました。堀江さんは「府中工房」を構え、遺物・文化財の修復や複製の仕事をされている方です。小さいころから土器などを拾うのが大好きで、大学では考古学を専攻。いつでも土器などに触れていることのできる仕事はないかと考えて文化財の修復の仕事をされるようになったとか。最近は、現代アートの観点で、本物の遺物と現代の作品を併置する展示やワークショップもしています。
 今回のワークショップは、まず展示室で石器の材料や石器に触る、それから野外で遺跡を見学し材料となる石を拾う、そして最後にその材料で作品を作り、それを本物の遺物と併置して展示する、という流れで進められました。ワークショップの参加者は十数名で、親子で参加されている方が数組、石器に興味を持っている方々、さらに石器作りや発掘などの経験のある方も参加されていました。
 展示室では、すでに書いた「歴史にさわる」のコーナーで、Fさんの説明で下呂石などの原石や石鏃などをみんなでわいわい言いながらよく観察しました。
 その後ミュージアムを出て、文化の森の遺跡探訪です。まず、竪穴式住居の発掘現場を保存している所に行きました。発掘現場の中には入れませんでしたが、それは7世紀の住居跡で、その当時(1600年前)の地面は現在の地面より40cmほど低くなっているそうです。そしてその地面にはさらに窪地が見えていて、そこが竪穴住居のあった所です。そして、この文化の森の現在の地面をよく見るとそういう窪地があちこちにあることに気が着くだろうということで、みんなで、もしかしたら土器片や石器の材料になるてごろな石も見つかるのではと期待しながら、文化の森の中を散策してみました。確かに、足で触っていてもところどころ回りから少し低くなっている所があってなるほどと思いました(文化の森には杉が多く植えられていましたが、そういう窪地の上にはあまり植えられていないとのことです。なお、これらの杉は、伊勢湾台風でこの辺が大きな被害を受けた後に植林されたものだそうです)。このような窪地になった住居跡は、確認されているものだけでも、弥生から平安時代にかけてのものが130個もあるとのこと、この地は当時とても暮らしやすい場所だったろうと思われます。
 けっきょく、土器片や石器の材料はほとんど見つからず、ある窪地に事前に置かれていた20個ほどの下呂石の剥片をみんなで拾いました。この剥片は、堀江さんが下呂石のブロックを割出して作ったものですが、ちょうど薄いお皿や貝殻のように、ゆるやかに窪んだ曲面になっているものがかなりありました。南山大学人類学博物館でヨーロッパの旧石器時代の石核を触りましたが、その側面にあったゆるやかな凸の曲面とこの剥片の凹の曲面はとてもよく似た感じでした。剥片の剥ぎ取り方に同じような(ちょっと秘密めいた)手法が使われているのかも知れません。(それにしても森の散策はとても快いものでした。落葉などが腐葉土になっているのでしょう、土がやわらかく、またあたたかくて、私はずうっと手や杖で触り続けていました。)
 散策を終えて、各自剥片を持って工作質に戻りました。まず、お手本にしたい石鏃を1人10個ずつ選びます。この石鏃もある方が個人で集めたものだとのことです。石鏃は、長さ2〜4cmくらい、幅1cmほどのものが、本当にたくさんありました。下呂石のものとチャートのものがありましたが、私は好みで下呂石のものばかり10個を選びました。石鏃の両側縁には、2mm幅くらいの細かい刃が多数剥ぎ刻まれていますが、そのほうが、たんにかみそりのように薄い刃よりも長持ちし、また獣などにより大きなダメージを与えいったん肉に入るとなかなか抜けにくいということです。
 その後、堀江さんが剥片から鹿角を使って刃を剥ぎ出すやり方を実演しました。剥片の縁に角の先を押し当て力を加えると、面側ではなく裏側の石がごく小さく剥ぎ取られるようです。「がりっ」という音とともに「ぱちっ」というような音もして、うまく行っているらしいことが分かります。(同じようなことは、五寸釘や普通の石を使ってもできるそうです。)そして、参加者各自が鹿角を使った石鏃作りを始めます。中にはなかなか良い形に仕上がっている方もおられるようでしたが、私の場合はほんの小さく石は剥がれるのですが、ただ不規則に剥がれているだけで、細かい刃が並ぶようにはまったくなりませんでした。時を忘れてしていると(たぶん1時間くらいしていたのかもしれません)、作品展示をしなければならない時間になりました。各自、細長い板の上に自分が選んだ本物の石鏃10個と今作ったばかりの石鏃2個を自由にレイアウトして置き両面テープで張り付けます。(私は、板の前のほうにほぼ直線的に石鏃を並べました。皆さん、それぞれまったく異なったレイアウトのようです。)
 こうして出来上がった作品を展示室に持って行って、ガラスケースの中に各自の作品を並べます。そしてその真ん中に、各自が使った剥片をまとめて型を取り石膏を流し込んで作ったオブジェ(堀江さんが事前に製作しておいたもの)を置きます。(このオブジェを触ってみると、上のほうは多数の断片が少し開いたようになっていて、私は開きかけの花を連想しました。)最後に、この共同作品に次のようなプレートを添付して、作品完成です!
 
    花びらはやがて狩りをする
    ワークショップ参加のみなさん+堀江武史 2014
    加茂の石鏃(大竹庄司氏寄贈品)、下呂石、石膏ほか
 
 この「花びらはやがて狩りをする」という作品のタイトル、なんともロマンチックであり、またリアルなように感じました。この共同作品は、3月22日まで展示されているそうです。
 こうしてワークショップは4時過ぎに終了!心ゆくまで楽しませてもらいました。そして、先史時代の人々の技術の高さに感心し、また市民のパワーを活用している美濃加茂市民ミュージアムのすがたにも心動かされました。
 
(2014年1月20日)