八田豊展

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 9月7日午後に、兵庫県立美術館で7月6日から11月10日まで開催されている「八田豊展 流れに触れる」に行ってきました。これは、同館が1989年から経続して行っている「美術の中のかたち −手で見る造形」の第30回目の企画だということです。この日はまた、偶然午後2時から八田豊さんのトークがあるということで、それにも参加しました。
 まず、美術館の奥のほうにある展示会場に行って、作品に触れてみました。かなり大きなパネルのようなものに、和紙の原料である楮(こうぞ)などを張り付けたような作品で、10数点壁面に展示してありました。作品のタイトルはすべて「流れ」で、それに制作年と、その制作年に何番目に制作されたものかを表す番号がついています。(例えば、「流れ 95-07」は、1995年に7番目に制作したものだということ。)そして、作品は制作順に展示されていました。
 最初に触ったのは、1995年の作品。縦1mほど、横150cm弱くらいの大きさで、布を張ったしっかりした板の上に、楮の繊維をとにかく押しつけたという感じで、あちこちに、掌や指先で強く押しつけたと思われる、大きいのや小さいのや、円い平坦な窪みがありました。これには、「流れ」を感じさせるような方向性は、触ってはあまり分かりませんでした。背景は、アクリル絵具を使って赤になっているそうです。
 次の作品「流れ 95-07」は、縦120cmくらい、横180cmくらいで上の作品より大きいです。この作品も楮の繊維を布に張り付けていますが、こちらは縦方向のいくつもの流れのようなのがしっかり触って分かります。ちょっとうねうねしていて凹凸があって、山脈のようでもあり、背骨のような感じでもあり、滝を流れ落ちる水を表わしているようでもあり…という感じ。さらに、所々に小さな石がくっついています。表面が剥き出しになっている石もあり、楮の下に隠れている石もありました。
 これ以降の作品にはすべて縦または横の流れがありました。中には、鬼皮と言って楮の皮を剥いで乾燥させただけのもの(毎冬2mくらいに伸びた楮の枝を根際から切り取ってそれを束ねて蒸気で蒸して皮をはぎ、この皮を乾燥させたのが鬼皮で、黒皮とも呼ぶ。この鬼皮を冷たい水にさらして表皮やゴミのようなものを取り除いて白皮にし、これが和紙の原料になる)を張り付けたものもありました。触った感じは、堅くてざらつき、ちょっと凹凸もあって、ところどころ本当の木の皮のように感じる所もあります。いちおう横方向の流れにはなっているようですが、しばしば斜めになってうねうねしている所もあり、おそらくかなり強い力で横に伸ばしながら無理やりにでも張り付けていったのではと思います。また、和紙を張り付けた作品もあって、こちらは触った感じは軟らかくあったかそうな感じで、畳か軟らかい茣蓙のようにも思え、これを敷いてちょっと寝てみたくなるほどでした。
 1990年代からもう20年以上、このような楮や和紙を張り付けた作品を、多い時には年間100点以上も作り続けてきたそうで、そのパワーには圧倒されます。
 
 午後2時からのトークでは、最初に担当の学芸員の方から八田豊さんのこれまでの活動の紹介があり、その後担当学芸員が八田さんに質問し答えてもらうという形式で行われました。八田さんは1930年福井県生まれで、現在89歳!年齢を感じさせないほどお元気な様子で、いったん話し出すと、思いがあふれてなかなか終わりません。結局トークが終わったのは、予定を30分も越えて3時半になっていました。
 八田さんは、金沢美術工芸専門学校を卒業した後、教員をするかたわら、福井の前衛美術の団体「北美文化協会」に入って絵を描き始めたとのことです。20代末からヨーロッパ各国を回り、とにかく個性を出さなければ美術ではないと思って帰国し、絵筆を捨てるという決断をして、1960年代から、最初はパルプボードに、その後は金属板に、円弧など幾何学的な線を細かく刻み込んで制作していたとのこと、きれいな絵を描くことからはかけ離れて、身体を使ったたいへんな作業を通してなにか思いを表現していたのかもしれません。
 50歳代になって、網膜色素変性症のために視力が衰えて見えなくなり、一時は制作からも離れます。しかし、地元の前衛美術のリーダーとしてそのころ「「今立紙展」(今立は越前和紙の生産の中心地。八田は3代め 岩野平三郎と同級で親しい友人であったようだ)を始め、さらに1993年には「丹南アートフェスティバル」を始めます。そしてそのころから自らも手を使って楮や和紙を木工用のボンドで張り付けるという仕方で制作を始めます。越前和紙にかける思いも深いようで、お話の半分近くは和紙や楮の話でした。このようなアーティスト人生もあるのだなあと、新鮮でさわやかな印象を持ちました。
 トークの最後には、明治時代に初代岩野平三郎が開発し横山大観をはじめ多くの日本画家が日本画用和紙として用いているという、雲肌麻紙というものに触りました。A4くらいの大きさで100枚単位になったものを触りました。1枚1枚はかなり分厚く、表はするうとした手触り、裏はちょっとさらさらしたような手触りで、ふわあっとやわらかい感じ、そしてとにかくとても軽い!(ふつうの洋紙の半分もないと思う)。トークの時間が長くて座っているのは疲れてしまいましたが、今なお光を放っているような生き方にふれたような気がしました。
 
*トークの後、学芸員のEさんの案内でブロンズの彫刻数点に触れました。
 オーギュスト・ロダン『永遠の青春』(64×53×53cm、1884年):10年近く前に触っていた作品で、思い出すのにしばらく時間がかかった。男女がキスをしている姿。女性は立膝の姿勢で上半身をおもいきり反らし、その左側から男性が右腕を女性の背の所に伸ばして支えるようにして、覆いかぶさるようにキスをしている。男女ともかなり不安定な、実際にはなかなか難しい姿勢のように思う。
 オーギュスト・ロダン『痙攣する大きな手』(46.5×27×20.5cm、制作年 1889年、鋳造年 1973年):これも以前に触った作品。台の上に左手が立っている。各指とも反らし指先は内側に曲がっている。力が入って麻痺しているような感じ。
 ブールデル『母と子(Maternity)』(53×33.5×28.5cm、制作年 1893年):赤ちゃんが左胸で授乳している姿。赤ちゃんの頭が丸くずんぐりしていて大きく、口元辺の母の服はいくつもの皺になっている(右の乳房はよい形)。下を向いて赤ちゃんを見ている母の顔はきれいで、とてもやさしそうな感じがした。(このブロンズ像は後ろ側が開いていて、内側の面を触ることができた。ブロンズの厚さは5mmくらい、赤ちゃんの頭部と母の顔の部分は、それぞれ入口が狭い大きな窪みになっていて、胴部分にそれぞれ別に後からつないだような痕があった。)
 桜井祐一(1914〜1981年、米沢出身)『腰掛た女』:高さ50cm余。20cmほどの四角い柱に腰掛た裸婦像。脚がかなり長く細い。両腕も、胸を隠すようにすうっと斜め前下に伸ばしている。顔はやや上向きで目が上を向いている。髪は後ろに垂れている。全体にとてもかわいい。
 レイモン・デュシャン=ヴィヨン『ボードレール』(40×25×29cm、1911年):首から上の像。頭が大きく細部は表現されず全体につるうっとした曲面になっている。また耳も、かなり大きいが、ちょっとすぱっと切り落としたようにしんぷるに表現されている。目鼻辺は細かく表現されていて、鼻は高く大きく、目はぎょろんと見開き、頬はこけているようだ。 (Raymond Duchamp-Villon: 1876〜1918年。フランスの彫刻家。現代美術で有名なマルセル・デュシャンの兄。第一次大戦に軍医として召還され、カンヌで伝染病のために死んだという)
 
(2019年9月17日)